第12話

どれだけ寒くても、城の内部が気になって仕方がなく、パルミラはあてどなく回廊を歩き続けた。

どこを居室にしてもいいと城の主がいい、城の主が、探検するといい、などといったから、パルミラを止めるものは、寒さばかりだったのだ。

古城の内部は入り組んだ造りだと、初めからわかっていたのに、目標もなく進み続け、また彼女は迷子のような状態になってしまった。

だがとても気になってしまうのだ。

この城は一体いつ頃に建てられたお城なのだろう。

彼女のが知る限りの城の中で、一番近いのは、戦乱の多かった時代に作られた城だ。

この城はその城よりもずっと軽やかな印象を受ける。

戦いの多かった時代に建てられたものではないのだ。

しかしそうなると、一体いつ頃のものなのだろう。

魔王の国との戦乱の後、聖なる森は閉じられたと聞く。

そして時折、魔の力と対抗すべく、生贄……それも人間を求めるのが、聖なる森だ。

そこから外れた場所に建てられた城なら、歴史が浅くてもおかしくはないが……あえてその森に接した場所に城を作るもの好きは、あまりいないだろう。


「これはとてもきれいな窓枠だわ……これは今では誰も作れない図案だと、先生がおっしゃっていたものだし……やっぱりこの城はとても歴史が長いのかしら」


彼女は足を止めて休憩する際に、近くの窓辺に腰を下ろした。その時に目に入った窓枠は、美しい曲線をたたえた窓枠であり、これのためには窓ガラスを特注しなければならない。

どんな時代であっても、特注品が高いものである事は、変わらない。

そしてこの城が、彼女の思う通りの年代に建造されたものだったならば、透明な不純物のないガラスの価値は、今よりもずっと高かった。

そして、数多の領土を、聖なる森に飲み込まれた女王の国は、今でも薄く透明なガラスと言う物は、貴重なもので、財産を誇示するものだった。

そう考えていくと、やはり……

やはりこのお城は、特殊極まりない城だ。

窓枠に埃一つないという事実と、そしてこの城でイオ以外の誰にも出会っていないことを考えると、掃除も魔法の力がこなしているのだろう。

人の理解しがたい力、制御できない力が働くこの城は、とても珍しい。

もしかしたら、人間が魔王の国を疎んじたのは、嫌ったのは、自分たちよりもずっと便利で、優れた事を成し遂げられるからだったのかもしれない……

こんな城が作れる種族と、敵対するなんてどう考えたって無謀だ。

そして大昔であろうとも、そんな簡単なことが分からなかったら、女王の国は滅んでいるはず。

今女王の国が滅んでいないのだから、当時も、女王を止める、見識豊かな賢人たちがいたはずだ。


「……っ」


少し考え事をしていた彼女は、不意に足を襲った痛みに、顔をゆがめた。眉をしかめ、区っと唇に力を込めた彼女は、自分の足を見て、目を見張った。


「寒いから、痛みも忘れてしまっていたわ……血も寒さで止まっていたのに、歩いていたら傷が開いてしまったのね……」


彼女の足に巻かれた、イオが巻いたのだろう布に、うっすらと血がにじんでいたのだ。

これで無理をして歩き続けたら、本当に足の傷が治らなくなってしまう。

それに、イオに頼んで、靴を調達した方がいいだろう。

パルミラは、自分が素足に布を巻いただけという事を、すっかり忘れていたのだ。


「ここからあの台所に戻るには、どの道が一番近いかしら……」


彼女が道を思い出そうとした時だ。

ぼう、という、何かが燃え上がり始める音が、彼女の耳に届いた。

ぱっとその音の方を見ると、回廊の反対がわ、彼女が休んでいる窓枠の反対側に、扉が一つあったのだ。

その扉の前の松明が、ぼうぼうと燃えている。

まるで彼女に、ここで休めと言わんばかりの、あからさまな炎だった。


「……どこを居室にしてもいいと言っていたのだから、ここでも構わないはずでしょう」


自分に言い聞かせるように彼女は、ゆっくりと呟き、その扉の前に立った。


「ここにする、といえばいいのかしら。“ここに泊まります”」


彼女がためらいがちに言ったその時だ。がしゃん、という音とともに、それまではその扉に存在しなかった錠前が、音高く現れた。

錠前の穴は、ありふれた鍵穴ではなくて、指を差し入れるかのような丸い穴だった。

ここに指を入れても、切られたりしないだろうか。

そんな事を考えながらも、ここはイオの城だから、酷い事はしない、と思い直し、そっと指を差し入れた。

錠前が瞬く間に、淡い青色の光と緑の光を放ち、その光が、錠前から扉に、音もなく広がった。

広がったその光を目で追っていた彼女は、錠前が当たり前の顔をして、しゃりん、と涼やかな音を立てて開いたため、そっと、扉を開いた。


「建物の見た目からは、とても考えられない造りだわ……こんな事も出来てしまうなんて」


扉の向こうの光景に、パルミラは思わず感嘆の息をもらした。

その建物の中は、白く漆喰の塗られた、指の跡が一つもついていない部屋だったのだ。

全体を真っ白に塗って、それから装飾のような絨毯が数枚広がり、窓さえも精緻な青銅の細工に周りを取り囲まれているのだ。

色味の主体は青と青緑なのだろう。

その色が、あまりにも美しい色の重なりであるからか、寒々しさを感じない。

その天井を見上げると、四角四面なはずの天井は、緩やかに曲線を描くドーム状で、その柔らかな天井の一番高い所に、水晶の六角柱に似たものが生えている。

それがぼやけた光を放っている所を見ると、これが照明なのだろう。

パルミラはそう言った物には詳しくなかったが、何故台所は火をつけなければならな刈ったのに、ここはこんな照明なのだろう、と不思議に感じた。


「お料理のための炎は、神聖なものだと前に聞いたから、それのせいかしら……」


竈には神がいる。土着信仰に似たものらしいが、竈の神のために、毎日水と塩を捧げる国もあるという位だから、魔王の国も、竈に敬意を払っているのかもしれない。

竈というものは、聖なるものの一つ、というのも、ありふれた考え方だった。


「それともこれは別の回路を使った物? ……詳しくないからわからないわ……」


彼女はそれだけを言い、部屋の奥にある蒼く艶やかな絹のカーテンを動かした。

カーテンの向こうには、彼女が三人寝転んでも余裕がある、と言いたげな寝台が一つ置かれている。

誰もいない城と言ってもおかしくないのに、ずっと手入れされている、と言いたげな埃の立たなさである。

彼女がそっと指で表面を撫でても、埃はやはりつかないし、古くなった布地が絡みつく事もなかった。

彼女は高級な物になれていた物の、ここに寝転ぶのはなかなか勇気が必要そうだ。

やはり最初の、入口に戻ろうと思って振り返ると、いつのまにやら部屋に、今現れましたといわんばかりの、湯あみ用のたらいや海綿、石鹸、といった、身を清める物が、涼しい顔をして座り込んでいた。


「イオが気遣ってくれているのかしら、それともこのお城が気遣いの塊なのかしら……」


考え出したらきりがない。彼女はとりあえず、ありがたくその湯あみの道具などを使わせてもらう事にした。

傷も改めて確認した方がいいし、清潔にして悪い事はない。

彼女は泥と埃や、絡みついた枯れ草などで大変な状態の衣類を脱いだ。

髪の毛などにもそう言った物がついていたらしく、顔の横からぱらぱらと落ちていく。

自分でも驚くほど、すさまじい状態だったようだ。

この姿だったら、イオが行き倒れの物乞いだと思っていたとしても、おかしくないだろう。

そう考えると、ここに入れてもらった事は、とても幸運な事だった。

湯あみ用のたらいに足を入れると、足の傷はほとんどが擦り傷のような物だと判明した。

何かが深く突き刺さっている様子ではないので、傷が酷く歩けなくなる、と言った事もなさそうだ。

自分の足は、すっかり様変わりしていて、綺麗だと称賛される貴族のお嬢様や、姫君の足ではない。

傷もあれば爪も割れている、そう言った足になっている。

この足に、イオは手当をしてくれたのだ。

綺麗でもなければ、口付けたくなる足でもないのに、イオは手当をしてくれたのだ。


「改めてお礼を言わなければ、いけませんね……」


石鹸も海綿も、古く劣化したものではない。新しく買い求められるのだったら、町や村が近い事になるのに、回廊の窓から見た景色の中に、煮炊きの煙は一つも上がっていなかった。

それはどういうことを意味するのだろう。考えながら彼女は体を洗って髪を清めた。

体を清めて、清めてから彼女ははっとした。着替えはどうしよう。

彼女は今までなんでも用意してもらった身の上で、着替えも侍女たちが何も言わずに与えてくれている人生だった。

そのため、身を清める前に着替えが必要だ、という事実に思い至らなかったのだ。

体がすっかり綺麗になってから、この状態で汚れた衣装を身にまとう事に、ためらいが出たわけだ。


「ええと、こういう時は……あのクロゼットに何か入っていないかしら……?」


悩みに悩み、寒くて風邪をひく前に、と部屋に置かれていたクロゼットを開けた時だ。


「部屋の使い方を教えていなかった」


無造作な動作で、入口が開き、イオが現れたのは。

パルミラはぎょっとして動きを止め、イオは彼女の裸に目をやってから、色黒の肌でもわかるほど赤く顔をそめて、大きく顔をそむけた。


「クロゼットを開ければ、大概の衣装は出てくるはずだ」


「え、ええ……ありがとう」


イオはそのまま背中を向けて、彼女は急いでクロゼットを開けた。中には彼女が今日まで来ていた衣類より、よほどまともな物が一そろい入っていて、彼女は問いかけた。


「着てよろしいのですね?」


「早く着てくれ、目のやり場に困る」


ならどうして部屋から出て行かないのだろう。何かあるのかそれとも……


「イオはわたくしの裸に興味があるのですか?」


「そういう変な事をごちゃごちゃというな!」


彼女は真剣に問いかけたのに、大きな声でイオがまくしたてたので、追及は申し訳ないという気持ちが沸き起こり、彼女はとにかく着替えた。

寝間着一式のようになってしまったが、まあ構わないだろう。


「もう大丈夫ですよ、色々ありがとうございます」


「……足の傷はかなり治りが悪いな。……塗り薬を持ってきたんだ。それと包帯を」


「自分には化膿止めも使わないのに?」


「お前は人間で、おれなんかからすれば赤ん坊よりもぜい弱だ。……人間はすぐに傷を腫れ上がらせて死ぬんだ。パルミラに死なれてしまったらとても寝覚めが悪い」


一拍置いてから、彼が言う。


「パルミラは恩人なのだから」

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