みっちゃん

麦野陽

みっちゃん

 去年、みっちゃんは死んだ。


 この街の名所である階段の一番上から落ちたのだ。第一発見者は私だった。広がる血の海と私を睨みつける彼女の瞳を一度だって忘れたことはない。


 みっちゃんとは中学に入ってから知り合った。


 気が強く、思ったことを口にする彼女は周囲から距離をとられていた。だからか、クラスで同じように友だちができなかった私と行動を共にするようになった。


「聡美、部活何にするの?」


 四月、私の入部希望届用紙を覗きながらみっちゃんは言った。


「吹奏楽部だよ」


 そう答えると、


「ふうん」


 とみっちゃんは口を尖らせた。見るとみっちゃんの用紙の第一希望には〝テニス部″と書いてある。内心、私はホッとしていた。みっちゃんのことは嫌いではなかったが、どこへ行くにもついてこられて正直うんざりしていたのだ。


「決めた」


 ごしごしと消しゴムで第一希望の欄の文字を消すと、彼女はシャーペンを握った。〝吹″という文字が見えた瞬間、私は口をきゅっと結んだ。


「これで放課後も一緒にいられるね」


 天然パーマのくるんと巻いた毛先を揺らしてみっちゃんは言った。


「……そうだね」


 私は貼りついたような笑みを浮かべた。


 吹奏楽部に入部した私たちは、なんと演奏する楽器すら同じだった。


 嘘でしょ。


 喜ぶみっちゃんを横目に私は顔が引きつった。


 別の楽器を希望しようか、迷ったがそんなことをしてもどうせみっちゃんはついてくるだろうし、何より新入生に向けた部活紹介で見た時から、クラリネットは憧れの楽器だったのだ。どうせ、練習を始めたらお互いに自分のことで一生懸命になるだろう。このときはそう思っていた。


 朝練や夕方の部活動、それだけじゃ飽き足らず、私は家に帰っても練習を続けた。単純に楽器の演奏が楽しくて仕方がなかったのだ。そのかいあって私は先輩に褒められるようになり、さらに部活動にのめりこんだ。


 しかし、そんな私のことがみっちゃんは気にくわなかったようだった。どちらも初心者で同じスタートラインに立っていたはずなのに、一人だけ置いて行かれていると思ったのだろう。みっちゃんのその苛立ちは自分自身ではなく私へ向けられた。


 それから、ときどき、みっちゃんは私の身体をつねるようになった。最初は笑っていたけれど、ついに耐え切れなくなって私は声をあげた。


「痛いからやめてよ」


 すると、みっちゃんは口角をあげた。


「もう聡美ったら、大げさだよ。これくらい痛くないでしょ。そんなふうに言われたら、なんかあたしが聡美をいじめてるみたいじゃん。やめてよね」


 ははっ。乾いた声でみっちゃんは笑った。


「……うん、ごめん」


 力なく謝ると私もいつものように笑った。


 七月。県大会を控えていた私たちは、夏休みも部活動に明け暮れていた。そのお昼休み、みっちゃんが私を呼び出した。いったいなんだろう。またつねられるんだろうか。憂鬱な気持ちで行くと、みっちゃんは言った。


「あのさ。あたし今から花岡部長のところに行くから、あんたもついてきて」


「え、なんで?」


 突然でてきた花岡部長というワードに私は混乱した。まだ一年生だった私たちにとって三年生の存在は天よりも高いものだった。できるならあまり関わりたくない。そう思って過ごしてきたのに、なんでこっちからわざわざ。


「いいから」


 ぎりっ。背中をつねられて私は頷くしかなかった。


「花岡部長~」


 さっきまでの剣幕はどこへやら、猫なで声で花岡部長の元へ駆け寄ると、みっちゃんはたわいもない話を始めた。


 せっかくの昼休みなのになあ。


 楽しそうに話すみっちゃんを見ながら私は小さくため息を吐いた。


 花岡部長は休憩時間は優しいが、いざ練習が始まると鬼のように厳しい。ズバズバと言うので、泣き出す子もいた。そんな子を慰めるのは副部長の役目だった。


 それを見てきているので、尚更、私は花岡部長と関わりたくないのだ。それにみっちゃんは私より怒られているはずなのに、どうしてああも寄っていくんだろう。信じられない。


「そういえば、守渕さんの髪ってきれいだよね」


「は」


 突然振られた話題についていけず、私はぽかんと口を開けた。


「あれ、話聞いてた?」


「す、すいません。ちょっと考え事をしてました」


「だろうね。心ここにあらずって感じだったから」


 はっはっは。花岡部長は笑うと腕を組んだ。この人、わかってて話題を振ってきたのか。いじわるな人だな。私はそう思いながら頭を垂れた。


「すいません」


「いや、いいんだよ」


「それで、なんの話でしたっけ」


 訊くと、花岡部長は言った。


「髪の話だよ。髪。きれいだねって話」


「髪」


 私は繰り返し呟くと、自分の髪を指先で巻き取った。蛍光灯の明かりを受けてうっすら浮かぶ天使の輪。私はそれを満足気に見るとするりと指を離した。きれいなのは当たり前だろう。私は一人ごちる。なんてったって、週に三回、母が購入した高いトリートメントをこっそり使用しているのだから。


「いやいや、そんなことないですよ」


 褒められて嫌な気はしない。けれど、ここで認めてしまうのは後輩として可愛げがないだろう。私が形だけの謙遜をしていると、副部長の声がした。


「花岡ー、ちょっといい? 午後の練習について相談したいことがあるんだけど」


「ああ、今行く。――話の途中だけど、俺行かなくちゃ。ごめんね」


「いえ」


 私が口を開くと、花岡部長は副部長の元へ走っていった。


 その瞬間、隣に立っている私にしか聞こえないような音量でみっちゃんは呟いた。


「うざ、しねよ」


 聞き間違いだろうか。どくりと跳ねる心臓がざわつく。そっと横を見ると、みっちゃんは私をじっと睨みつけていた。


 この頃から、みっちゃんは私の身体をつねるだけでは飽き足らず、髪も引っ張るようになった。


 みっちゃんの髪は天然パーマがきつく、梅雨時期にもなればぼわぼわと膨らんでいたが、私は違う。母親の髪質を色濃く受け継いださらさらのストレートだ。


 最初はそれが羨ましくてこんなことをするのだろうか、と思っていた。けれど、気がついてしまった。みっちゃんが花岡部長に向ける熱い視線に。


 羨ましいんじゃない。彼女は私を妬んでいるのだ。私は思わず奥歯を噛み締めた。身体をつねられるのも、髪を引っ張られるのも、それらすべてが馬鹿らしく嫌だった。何度も、何度も、やめてほしいと伝えたが暖簾に腕押し状態でまったく聞き入れてもらえなかった。


 月日はたち、三月。花岡部長たちの卒業式があった。そして、その日、小さな事件が起きた。


 みっちゃんが花岡部長に告白したのだ。私はその現場を目にしていない。他のクラスメイトがその現場に居合わせたという。


「見事に振られてたよ」


 面白いものでも見たというようにクラスメイトはけたけた笑った。花岡部長には彼女がいたのだ。しかも相手は副部長。


「そうだったんだ」


 私が呟くと、


「え、聡美知らなかったの?! 有名な話だよ」


 とクラスメイトは驚いた顔をした。


 ここで終わればよかったが、みっちゃんが振られた話はまたたくまに噂になった。大方、あの口が軽いクラスメイトが言いふらしたのだろう。


 それから、みっちゃんは学校に来なくなった。春休みの部活にも現れず、新学期が始まっても彼女が教室に登校することはなかった。


「みんなで永井さんに手紙を書きましょう」


 GWに入るちょっと前、担任の発案でクラスみんなでみっちゃんに手紙を書くことになった。


 いったいなんて書いたらいいんだろう。悩んで、


『みんなもうみっちゃんが何をしたかなんて忘れているよ。だからおいでよ』


 と書いて私は提出した。学生の興味の移り変わりは激しい。もうみんなみっちゃんが学校に来ない理由に興味を失っていた。


 みっちゃんがいない学校生活は平和だった。そういえば、みっちゃんと会うまで、私はずっとこの生活をしていた。どうして今まで彼女の振る舞いを受け入れて、いや、受け流していたんだろう。あれは、いじめだった。そう自覚するまで随分時間がかかってしまった。


 二年生になって三か月が経った。二年目の夏を迎え、私は朝から晩まで部活漬けの毎日をおくっていた。


 その日は土曜日で雨風が強く吹いていた。雨粒が激しく窓を叩く音をよく覚えている。


「じゃあ、今日はここまでにしようか。各自、雨が強くなっているから、気をつけて帰ってね。それじゃあ、解散」


 顧問の一声で、場の空気の糸が緩む。私は片づけると、すっと立ち上がった。母と出かける約束をしていたからだ。


「お先に失礼します」


 声をかけると、私は玄関ロビーへと向かった。靴を履き替え、傘を手にする。視線を感じて見るとみっちゃんがじっと立っていた。


 最初は見間違いかと思った。あまりにも見た目が変わっていたから。平均体型だった身体は一回りも二回りも大きく、背も少し伸びていた。髪の天然パーマだけは相変わらずで、雨が降っていたからか特にそれがひどくなっていた。


「み、みっちゃん。久しぶりだね。どうしたの? なにか学校に」


 よく見るとみっちゃんは濡れていた。夏のセーラー服がぴったりと身体に貼りついている。朝からずっと雨は降っていたはずだ。出かけている途中で降りだした、ならわかるがどうして傘を持ってきていないんだろう。


「ねえ」


 みっちゃんは、じっとりと私を睨みつけると言った。


「あんたでしょ」


「え」


 私はなんのことを言われているのかわからなくて訊き返した。しかし、それが彼女の神経を逆なでした。


「とぼけないでよ!! あたしが先輩に告白したの言いふらしたのあんたでしょ!」


「えっ、ち、ちがうよ」


 ごうごうと燃える炎を背負っているかのように目を吊り上げる彼女に私はなんて言ったらいいか困った。


 だって、本当に違うのだ。私はなにも、誰にも言っていない。


「じゃあ、これはなによ」


 みっちゃんはスカートのポケットをごそごそと探ると、ぐしゃぐしゃになった紙を取り出した。


 それは私がみっちゃんにあてた手紙だった。


「こんなこと書くなんて噂をいいふらした本人しかありえないでしょ!」


「そんなこと」


 私はどう弁解するべきか迷った。きっと今の彼女にはなにを言っても意味がないだろう。思い込んだら一直線の彼女には。


 今は何時だろう。私は内心焦っていた。母との約束に遅れてしまうからだ。


「とにかく、私はただ、現状を伝えただけで、言いふらした犯人じゃないよ」


 誰でもいいから下駄箱にきてほしかった。そしたら、うやむやにしてこの場を去ることができるのに。


「じゃあ、私、急いでいるから」


 意を決して彼女の隣を通り抜けようとすると、ぐっと強い力で掴まれた。その力の強さに私は驚いた。いつもつねってくる力とは比べものにならない、その強さに私は声をあげた。


「離してっ! 痛いっ」


 ぽたっぽたっ。滴が落ちる前髪の隙間からみっちゃんがこっちを睨みつける。


「絶対、許さない」


 ぐぐぐっ。強く私の腕をひく彼女はさらに力をこめる。たまらず、私は持っていた傘を振り上げた。


「やめてって、言ってるじゃんっ!」


 初めて彼女に対して大きな声をあげた。振りかぶった傘に驚いた彼女は、ぱっと私の腕から手を離した。


 今だっ!


 弾んだボールのように駆け出すと、私は傘もささずに一目散にグラウンドを走っていく。


「ふざけんなよっ!!」


 背後から悲鳴にも近い声があがる。私は雨粒を全身に受けながらどんどん走った。別に私は悪いことなんかしていない。逃げる必要なんてないのに、逃げていることが不思議で、この状況が怖かった。


 ばしゃばしゃばしゃ。グラウンドにできている水たまりをいくつも踏みながら、私は校門を抜けた。きっとこんなにずぶ濡れで帰ったら、お母さん、驚くだろうな。ううん、汚れている靴下とスニーカーを見て卒倒するかも。想像しながら、角を左に曲がる。


 みっちゃんより走るのが早い私は、ときどき彼女との距離を確認するために振り返った。どんどん開いていく差に、私は安心しながら足をさらに速めていく。


 この先をまっすぐ行けば……!


 私は長い階段を見下ろす。雨が降っているせいで、コンクリートの階段に生えている苔がじっとりと湿っている。早く駆け下りたかったが、この状態で走って降りるのは危ない。


「慎重に、でも、急がないと」


 私は手すりを掴むと、さっきよりスピードを落として降り始めた。しかし、開いていた差はあっという間に縮まり、荒い呼吸に振り返ると、階段の上からみっちゃんが私を見下ろしていた。


「やっと追いついた」


 みっちゃんはそう言うと、さっきと同じスピードで階段を駆け下り始めた。思わず私は立ち止るとみっちゃんに言った。


「ねえ! 待って、そんなに走ったら」


 危ないよ。そう言おうとしたのに、その声は届かなかった。


「あっ」


 声を発したみっちゃんの顔は恐怖に染まっていた。咄嗟に避けた私の横をボールのように跳ねてみっちゃんは階段を転げ落ちていく。


「みっちゃん!」


 慌てて私は追いかけようとした。けれど、自分も同じようになったら、と思うとあまり急ぐことはできなかった。血の跡をゆっくり追いかけると、階段の踊り場にある電柱の前にみっちゃんは横たわっていた。ドラマみたいに広がる血の量を見てぶわりと鳥肌がたつ。


「どうしよう……」


 私は震える指でポケットからスマートホンを取り出した。とにかく、救急車を。画面をタップすると私は受話器に耳を傾ける。


「はい、119です」


「あ、あの、同級生が階段で転んで。血がすごく、出ていて、あの」


「おちついて。あなたは今どこにいますか? それから倒れている人の様子を教えてください」


「ば、場所は」


 しどろもどろになりながら場所を伝え、そのまま私は彼女の様子を見るためにそっと血だまりに近づいた。


 その瞬間、さっきまでぴくりとも動かなかったみっちゃんがぐりんとこちらに目を向けた。ばちりと目が合うと、彼女は口を歪ませこう呟いた。


「絶対、許さないから」


「ひっ」


 私が悲鳴をあげると、電話先のオペレーターが言った。


「どうしました? なにかありましたか」


「い、いえ」


 私はもう二度と動かなくなったみっちゃんを見下ろして首を振った。


 救急隊員はすぐにきた。学校の人にこの惨状を見られなかったのは不幸中の幸いだったが、みっちゃんのことはすぐに広まり一部生徒の中では、私がみっちゃんを突き落としたんじゃないかと噂になっていた。


 そんなこと、できていたらとっくの昔にしているよ。


 言えない言葉を飲み込み私は学校に通い続けた。幸い、近所に住んでいる人が一部始終見ていたらしく、しばらくすると私の疑惑は晴れた。生きている人間には、だけど。





「みっちゃん」


 私は階段の踊り場で髪の毛を引っ張る彼女に声をかけた。


「私、もうすぐ卒業するの。そしたら、もうここの階段には来ないよ。高校は県外だから」


 ぐっと震える拳を握りしめると、あの日から一度も振り返らなかった場所を見た。


「だからさ、もうやめてよ。私に執着するのは」


 彷徨っていた瞳が私の瞳をとらえて光を得る。にちゃりと開いた口が何か言葉を発した。

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みっちゃん 麦野陽 @rrr-8

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