第28話 「いずれまた、最果てで」

 ツェーザル=バルトローゼは廃英雄の末裔である。

 正確にはツェーザルの祖母が廃英雄だった。


「バルトローゼ帝国はその昔、国家を存続させるために一度〈英雄産業〉に参加したことがある。だが、その実態がザラシュールによる半永久的な搾取さくしゅだと気づくと、ザラシュールや提携国に反旗はんきをひるがえし、やがて完全に独立した」


 英雄産業に提携している国家は多い。

 また、かの議定書によって秘密の共有をしているため、基本的に一度裏切った国家を英雄産業提携国は許さない。

 成立自体が奇跡的な代物しろものだ。

 戦争産業の隆盛と低迷。

 それにともなう民衆の心の変化。

 すべてが噛み合って成立した。

 ゆえに、ほんの少しのほころびがすべてを崩壊させる可能性がある。

 だからこそ、負の連帯によって英雄産業に提携している国家は強く結ばれている。


「長い戦いの果てに、バルトローゼはザラシュールの魔の手から逃れた。しかし、依然いぜんとして英雄産業は存在する」

「……バルトローゼは今回、ザラシュールと手を組んでマナフを落とそうとしただろう」

「互いにえきがあったからだ。国家間の戦争というのはそんなに単純なものではない。特にバルトローゼとザラシュールのように泥沼の中で長く戦っている国家に関しては」


 互いが互いをけん制しつつ、いつかお互いを滅ぼすために仮初の協働をしている。


「バルトローゼが英雄産業のことを声高に主張したとしても、いまだにその発言力は小さい。情報統制に関しては英雄産業に提携している国家連合に分がある」


 そうなればかえって民衆を混乱させる。そして――


「バルトローゼのすねにも傷がある」


 それがツェーザル・バルトローゼという存在だった。


「バルトローゼもまた英雄産業に提携したことがあるという事実か」

「そうだ。私を消せばそれで済むとも言える。――が、あいにくとなげかわしいことに、私は国家の貴重な戦力になるらしい」


 ツェーザル・バルトローゼは戦いの天才だった。

 そしてツェーザル抜きで英雄産業に提携する国家連合軍を倒せるほど、まだバルトローゼは強大化していなかった。


「私もまた、か細いなわの上を歩いている」


 ツェーザルにとってバルトローゼとは、敵でも味方でもない、非常にあいまいな存在だった。

 少なくとも祖国愛などはない。気づいたらこの国に生まれていて、気づいたらどうしようもできない英雄産業という螺旋らせんの中に取り込まれていた。


「それでも私は、自分の境遇について思うところがあった」


 ツェーザルはバルトローゼを利用している。

 それは己が願望を叶えるため。


「――〈廃英雄〉などというものは、この世界に存在しないほうがいい」


 物心がついたときから、頭の中に響く声がある。


【こんな世界は滅びたほうがいい】


 ――世界を滅ぼすなどというたいそうなことはできそうにない。だが、


「すべてのきっかけになったあの神々の術式と、その残滓ざんしである廃英雄を滅ぼすことはできる」


 ツェーザルは手に持った剣を強く握る。


「だからゼムナスを殺したのか」

「そうだ。……だが別の理由もある」


 ツェーザルはふと、ゼムナスの命を奪った荒野を見やる。


「貴様の弟は、どこまでも兄思いの弟だったぞ」


 ツェーザルはあのときゼムナスに選択肢を提示した。

 それは、ゼムナスを〈廃英雄〉として殺すかどうか。


「あの男はすべてを知ったうえでこう言った」


【僕が廃英雄として死ぬことで兄さんが生きられるのなら】


「……っ」

「そのうえであの男は私と戦って死んだ。世界を恨んだだろう。自分の境遇を嘆いただろう。だから剣を取った。……だがやつは最後まで、その哀れな人生にみずからの尊厳そんげんをかけて死んだ」

「…………」


 リリアスがうつむく。


「……くそッ‼」


 そして大きく地面を蹴る。

 まるで子どもが駄々だだをこねるように。


「そして晴れて、貴様は自由になった。マナフの生んだ〈廃英雄〉は死に、ただのリリアス・リリエンタールが残った」


 そこでツェーザルは思いなおし、付け加える。


「いや、〈ベスジアの王〉か」


 ツェーザルは剣の切っ先をゆっくりとリリアスに向けた。


「問おう」


 この男もまた、英雄産業が生んだ哀れな怪物。


「貴様はザラシュールを憎むか」

「やつらを憎まずしてなにを憎めというのか」

「では、ベスジアの王として生きる覚悟はあるか」

「ゼムナスが死んだときから、俺の人生はそのためにある」

「ならば、まだものを考える力があるのなら考えろ」


 ある意味それは、ツェーザルにとって最期の問いになりかねた。


「貴様ひとりで英雄産業提携国をすべて相手取るか、それともこのバルトローゼと手を組みザラシュールを倒すか」

「……俺はお前たちの言いなりにはならない」


 リリアスが鋭い目つきでツェーザルを見る。


「これは主従関係ではない。いうなれば至極打算的な『協働』だ。貴様は私を通してバルトローゼを利用する。私は貴様を利用する。いずれにせよ、私と貴様では最後に行き着く場所が違うだろうからな」


 ツェーザルは廃英雄の存在を許さない。

 たとえその者が罪を犯していなくとも、在ることそのものが罪だと思っている。


 ――そう、その末裔である私でさえも。


「……」


 リリアスはツェーザルをまっすぐに見えた。


「俺とお前では行き着くところが違う」

「だろうな。ザラシュールを打倒するという通過点は同じだが」


 ツェーザルは自分の命が掛かった場面でわざとらしく肩をすくめて見せた。


「俺は、いや、俺たちは――」

 

【僕たちはなんのために生まれたのかな……】

【兄さんはなにかを為す人だよ】


 リリアスの中には決意があった。


◆◆◆


 ――俺は、生きねばならない。


 荒野でのゼムナスとの対話の中で、彼の心に芽生えた虚無を知る。

 廃英雄として生まれた者の人生。

 生まれたときから国家のおもちゃとして死ぬ定めを与えられた者たち。

 最後まで自分の人生の意味について確固たるなにかを得ることができなかったゼムナスが、それでも遺した家族、リリアス。


 ――だから俺は、生きねばならない。


 ゼムナスの死に意味を持たせなければならない。

 そして同時に――


「ツェーザル・バルトローゼといったか」

「そうだ」


 リリアスは黄金の剣を手元から消し、ツェーザルに訊ねる。


「お前はほかの廃英雄についても知っているか」

「当然だ。ザラシュールと敵対する国家の中で最大と言える規模の国家に属し、廃英雄の末裔として英雄産業のすべてを知り、その廃英雄たちを殺すために生きる私以上に、今のこの世界に生きる廃英雄についてくわしい者はいない」


 英雄産業は世界に広く分布する。

 いわば、世界中に廃英雄が存在するということだ。


「条件がある」

「ほう」


 リリアスはツェーザルを指さしてこう言った。


「世界に分布する廃英雄の情報を、すべて俺によこせ」

「……」


 ツェーザルは即答しなかった。


「理由を聞こう」

「俺は――」


 リリアスは言った。


「この世界に生まれたすべての廃英雄に、英雄産業の生贄以外の生きる意味を与える」


 リリアスの中に芽生えた思い。

 もし、自分たちに以外にも英雄産業のいしずえとして死ぬことに絶望した廃英雄たちがいるのなら。


 ――お前ならどうしただろうか。


「それを私が断ったら?」

「それならそれでいい。一からはじめるだけだ」


 お互いがお互いを利用する。

 これはまさしくリリアスから提示されたツェーザル自身の利用価値。

 そしてそれを公然と相手に対して告げるだけの力の差が、このときの二人の間にはあった。


「――ほとんど選択権がないな」


 それをツェーザルもわかっている。


「……いいだろう。私の持つすべての廃英雄に関する情報を、貴様に渡そう」

「それに加えて、今後、お前が知りえた情報もすべて伝えろ。虚偽があればこの協働は破棄だ」


 廃英雄には時間的な制約がある。

 宗主国のザラシュールによって、廃英雄を生かして置ける時間は決められているからだ。

 廃英雄は放っておいても時が来ればベスジア送りにされ、やがて〈廃棄部隊〉によって殺される。


「……私が廃英雄を殺すのが先か、貴様がやつらを囲うのが先か、これはそういう勝負だな」


 ツェーザルを生かすことでその魔の手が残る。

 だが、ツェーザルを殺したあとに一から情報収集する過程で、時間的に助けられない廃英雄も現れるだろう。


 ――今、この瞬間に生きる廃英雄をすべて救うためには。


 すべてにおいて、先んじるのだ。


「私がどの廃英雄を狙うかも伝えたほうがいいか?」

「お前がそこまで教えるとは思えない」

「ほう、よくわかったな」


 そしてツェーザルもリリアスの葛藤かっとうを目ざとく見抜いていた。


「言葉を返すようだが、私はお前の手下ではない。私とてこの場で死にたくはないが、そこまで一方的な協働を求めるようであれば、やむを得ない――私はここで貴様に殺されよう。そして貴様は私を殺したあと、時間をかけて廃英雄の情報を集め、そして、私を利用すれば助けられたであろう廃英雄をむざむざと見殺しにすればいい」


 悪魔のような笑みを浮かべながらツェーザルが言う。

 リリアスはそんなツェーザルの顔を鋭くにらみつけた。


「ああ、それと、私を殺したとなればバルトローゼ帝国が大挙たいきょをなしてマナフ王国を蹂躙するだろうな」


 ツェーザルがリリアスの葛藤に気づいたのはついさきほどのことで、もともとはそれを最後の切り札にするつもりでいた。


「魔石鉱脈を掘らせる人的資源まで失ってしまうのはもったいないが、バルトローゼの英雄である私を殺したとなれば、祖国はちりすら残さずマナフを一掃するだろう。――アストレア・ウォフ・マナフといったか。かの王女の首も、さぞむごたらしく王城の門に飾られるであろうよ」


 個人としての力の差は厳然げんぜんとしてこの場にある。

 しかし同時に、リリアスが属するマナフ王国とバルトローゼ帝国との間にも、国家としての力の差があった。


「私を生かせば猶予ゆうよを与えよう。こたびの戦で疲弊ひへいしたマナフ王国を立て直すだけの時間を」

「……」


 単純な個人の暴力だけではくつがえせない戦局というものを、リリアスはこのときはじめて実感した。


「こちらは条件をもう。あとは貴様だ、リリアス・リリエンタール」


 ツェーザルが手を差し出す。

 リリアスはそれを見て少し考えるそぶりを見せたあと一歩歩み出た。


「……わかった。条件を呑む」


 そして――


「ああ、だがもう一つ条件があった」


 リリアスがツェーザルの手をつかみ返すのと同時、リリアスの逆の手が目にもとまらぬ速さで振りぬかれる。


「それでも俺は、お前を一発殴らないと気が済まない」


 リリアスの拳に一撃で意識を飛ばされたツェーザルが膝から崩れ落ちる。

 ちょうどそのころになって遠くからバルトローゼ軍の追加の兵士たちが近づいてくるのが見えた。


「廃英雄も、マナフも、お前らの好きにはさせない」


 リリアスは再び術式を発動する。


「いずれ英雄産業の果てで殺し合おう、ツェーザル・バルトローゼ」


 そしてリリアスはその場を去った。


   ◆◆◆


 二人だけしか知りえない、憎しみと打算によって象られた同盟が、この日結ばれた。

 それはやがて、世界を巻き込んでいくことになる。

 第三時代の終わりに向けて、この日世界は大きく転がりはじめた。

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