第27話 「ツェーザル・バルトローゼ」

 ツェーザル・バルトローゼにとって〈廃英雄〉という言葉は複雑な意味をもっていた。


「まだベルセルカから計画完了の合図は来ていないのか」


 いったんマナフ王国の国境線沿いまで戦線を下げたツェーザルは野営用のテントの中で部下にたずねる。


「はい、いまだ合図はなしです」

「……気掛かりだな」


 さきほど遠目に不思議な光を見た。

 それは太陽のように美しい色合いの炎柱だ。

 近づけば魂もろとも焼かれてしまいそうな苛烈な炎の波が、やがてマナフの王城の方へと消えた。


「ザラシュールの廃棄部隊は」

「先刻〈ゼムナス・ファルムード〉の死体を確認して帰還したとのことです」


 マナフの〈廃英雄〉は死んだ。

 それがザラシュールにとって望んだ形だったかはともかく、たしかにゼムナス・ファルムードという哀れな廃英雄はこの世から消え去った。


むなしいな」

「は、今なにかおっしゃいましたか?」

「……いや」


 ツェーザルの小声でつぶやいた言葉は部下には聞こえていなかった。


「まあいい。戦闘配備はそのまま継続。ザラシュールの密偵、ベルセルカ・ベラスティからの計画完了の合図が来るまで緊張は解くな」

「かしこまりました」


 部下をテントの中から追い出し、椅子に深く座り直す。


「お前はなにかを遺せたか、ゼムナス・ファルムード」


 ツェーザルのつぶやきが、テントの内側からその縫い目をなぞった。


   ◆◆◆


 変化が起きたのはそれからさして時間の経たないうちだった。


「殿下! 敵襲です!」

「敵?」


 部下が額に大粒の汗を浮かべてテントに入ってくる。

 報告を聞いてすぐに外に出たツェーザルは、再びあの光を見た。


「――黄金の炎」


 遠く、やや丘陵きゅうりょうになっている大地の向こう側から、空を突かんばかりの黄金の炎柱が煌々こうこうとこちらに迫ってきている。

 速度はない。

 だが、どうしようもなく苛烈だ。


「あれはなんだ……」


 部下から双眼鏡を受け取り炎の発生点を見る。


 ――人。


 その炎はある人物から発せられていた。


「あれは……」


 報告書の中にあった廃英雄の

 たしか名を〈リリアス・リリエンタール〉。

 戦災孤児で身寄りがないという使いやすさを見込まれて、廃英雄の精神的安定のために疑似家族としてあてがわれた哀れな少年。


「――違う」


 ツェーザルは直感的に理解した。



 その次の瞬間。


「っ、下がれッ!」


 彼方かなたに見える怪物が、右手で軽くなにかを投げるしぐさを見せた。

 ツェーザルは直感的におのれの〈魂性能力〉を発動する。


「ぐっ……!」


 それは黄金の炎で形成された槍だった。

 目の前に構えた術機剣でかろうじてそれを受け止めるが、直撃と同時に周囲に生じた爆風で部下たちが吹き飛ぶ。


「なんだこの威力はっ……!」


 すでにその怪物――リリアス・リリエンタールは左手でも黄金の炎の槍を生成している。

 はえでも払うかのような軽い動作で再びそれが投擲とうてきされ――


「止めろ! 〈魔石獣〉!」


 片足で大地を叩く。

 地面から現れたのは四足の青白い獣。

 瞬時に十数体現れたそれらがツェーザルの前に群をなして盾になる。


「ぐっあ……!」


 一撃でそのすべての魔石獣がちりになった。


 ――魔素では……ないな‼


 ツェーザルは自分の魂性能力を上乗せした魔石獣たちが一撃で沈んだのを見て直感する。


「っ、どこだ」


 次の一手を。

 そう思って再びリリアスの姿を確認しようとして、すでにその姿がないことに気づいた。

 そして、


「〈灼輪しゃくりん術式〉、起動――」


 自分の背後でそんな言葉が聞こえて、肌が粟立った。


「このっ!」


 振り向いたそこにいたのは生物としてありうべからざる圧力を身にたたえた怪物。

 その男が脇に構えた黄金の炎の剣をすでに振りぬいていた。


「――!」


 ツェーザルの片腕が飛ぶ。

 とっさに後ろに倒れこんだため首ごと両断されることはまぬがれた。


「殿下を守れ‼」


 怪物の急襲にバルトローゼの兵たちが殺到さっとうする。

 しかしそのすべての兵士の首を、瞬く間に怪物は斬り飛ばした。

 一切の躊躇ちゅうちょなく、まるで、一人だけ時間軸が違っているかのような神のごとき速度で。


「――」


 言葉が出ない。


「ひれ伏せ」


 怪物が両腕を開き、燃え盛る巨大な灼輪を背に悠然ゆうぜんと告げた。


「我こそはベスジアの王である」


   ◆◆◆


「ベスジアの王だと……?」


 その両腕からのぞくおぞましいまでの術式と、右耳と左耳につけた太陽と月のイヤリングを見やりながらツェーザルが言う。


「そうだ。先刻せんこくマナフは我が手中に落ちた」

「……バカな」


 ベルセルカはどうなった。

 そんな言葉がツェーザルの胸に浮かぶ。


「ザラシュールの密偵がマナフを陥落させるために暗躍していたようだが、あれは俺が潰した」

「……かの国を敵に回すとは大それた真似をしたな」


 単純な武力でいえば祖国バルトローゼに分があるだろう。

 しかしザラシュールには英雄産業の宗主国としてより政治的に強い力を持つ。


「神々の術式がなければなにもできない木偶でくに俺は止められない」

「っ」


 そこでツェーザルはようやく気づいた。


「貴様、英雄産業の実態を……」

「ゼムナスは死んだ」


 渦中にいた廃英雄は死んだ。

 この手で殺したのだ。


「いや、殺された。ゼムナスを殺したのはお前か?」


 静かだが有無をいわさぬ迫力。

 声の波が異常な圧力を持って顔面を叩いている。


「そうだと言ったら?」

「……」


 一瞬だった。


「ぐっ!」


 瞬きのはざまに接近され、首をつかまれる。


「殺す」

「くっ……はは……暴虐ぼうぎゃく化身けしんで知られるベスジアの王が、亡き者を想って敵討ちでもしようというのか、リリアス・リリエンタール」


 ツェーザルはそう言いながら即座に魔術を発動。

 リリアスの左右に魔石獣を召喚し、襲わせる。


「ちっ」


 リリアスはツェーザルの首から手を離し、目にもとまらぬ二連の斬撃で魔石獣を両断する。

 その間にツェーザルはリリアスから距離を取って再び口を開いた。


「私を殺す、か。それもいいだろう。……だが、それはゼムナスの希望と異なる選択だな」

「なに……?」


 再びツェーザルをつかまえようとしたリリアスの動きが止まる。


「もう一度言う。殺したければ殺せ。私は――」


 周りには誰もいない。

 それを確認したツェーザルは声高に言った。


「私は、哀れな廃英雄の末裔まつえいとして、この英雄産業とそれを生み出したザラシュールを滅ぼせればそれでいい」


 ツェーザル・バルトローゼの祖母は――廃英雄だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る