第26話 「廃英雄」

 ――わた……しは……。


 アストレア・ウォフ・マナフが目覚めたとき、マナフ王城は激しい揺れに見舞われていた。


「っ!」


 自分の状態を確認する。

 地下牢。

 両足に枷をはめられ、腕も固定されている。


「ご丁寧に束縛術式まで……!」


 体が動かない。両手に術符が三枚重ねて貼り付けられている。


「これは……ザラシュールの術式か」


 アストレアは手に貼りつけられた術符に描かれている術式に少し見覚えがあった。


「相殺式を探すのには骨が折れるな……」


 同じ大陸の術式系であれば頭に入っている。

 これでも魔導振興国家の王女だ。

 魔術に関してならばそこらへんの上位魔術士にも劣らない力があると自負できるくらいには研鑽を積んできた。

 しかしザラシュール人の使う魔術は術式が特殊である。

 大陸が違えば式の組み方も変わり、またそれ自体が外交取引の商材として使われるようなもの。一朝一夕に解明し会得えとくできるものではない。


「でも、諦めてたまるか」


 アストレアはあのベルセルカの顔を思い出す。


「推察しろ……肉体の拘束、魔素器官の感覚阻害……力点制御も加わっているな」


 鎖に繋がれたままわずかに自分の体を動かしつつ、冷静に自分の体に掛かっている術式を解析していく。


「くっ……」


 と、そこで再び城が大きく揺れた。


「なんなのだ、この揺れは」


 普通の揺れではない。

 まるで大地の神でも怒らせてしまったかのようだ。


「二人とも、無事でいてくれ……」


 アストレアは二人の幼馴染の顔を思い浮かべた。


   ◆◆◆


 そんなアストレアのもとに再びベルセルカがやってきたのはすぐのことだった。


無様ぶざまな姿ですね、アストレア王女殿下」


 少しほこりにまみれた衣服。息は荒く、さぞ急いでこの場にやってきたであろうことは容易に推測できる。


「は、貴様もな。どうやら計画に予期せぬ事態が起こったらしい」


 アストレアは一瞬心臓が浮き上がるのを感じたが、そんなそぶりをまったく見せずにベルセルカに皮肉を飛ばしてみせた。


「強がりもほどほどにしておいた方が身のためですよ」

「身のため? 私を生かすつもりなどないくせに、よくいう」


 ベルセルカはアストレアの言葉を聞いて「そこまでわかっているのなら話が早い」と残忍な笑みを見せた。


「今からあなたを殺しますね」

「やれるものならやってみろ」


 強がりだった。

 本当は足が震えていた。


「本当に気丈きじょうな女だ。最後くらい無様に泣き叫んでくれてもいいものを」


 それはできない。

 自分はこのマナフ王国の最後の王族である。

 たとえここでマナフ王国がついえるのだとしても、その誇りは最後まで示さねばならない。


 ――すまない、リリアス、ゼムナス。


 アストレアは二人の姿を思い出した。

 生きて帰れといった当人が、先に死のうとしている。


 ――たしかに、無様だよ。


 すべては自分のふがいなさが原因だ。

 こうしておけばよかった、ああしておけばよかったと、次々に無念は胸裏きょうりをよぎるが、今となってはもう遅い。


 ――でもせめて、お前たちに笑われないくらいには、王女らしく死んでやろう。


「やるならやれ、ザラシュールのけがれた犬め」

「はは、ではお言葉のとおりに、殿下」


 ベルセルカが近づいてくる。

 懐から短剣を引き抜いた。

 同じ条件であればこんな貧弱そうな男に負けはしない。

 しかし身動きも取れず、魔術も使えないこんな状態ではなされるがままの赤子同然だ。


 ――無念だ。


「せいぜいあの世で父王ふおうと仲良く――」


 ベルセルカが眼前にやってきて短剣を振り上げた。

 その次の瞬間――


「え?」


 轟音ごうおんと共に天井が崩れ落ちてきた。

 瓦礫がれきと埃が舞う。

 やがて開けた視界に――


「アストレアまで、奪わせはしない」


 見慣れた〈英雄〉の姿があった。

 リリアス・リリエンタール。

 金色に変色した髪をその体から発せられる異様な熱風で揺らめかせている男は、アストレアがいつからか恋い焦がれ、そして救ってやりたいと思った――ただ一人の思い人だった。


   ◆◆◆


「リリ……アス……!」

「ベルセルカ、お前にアストレアは渡さない」


 どうやってここまで。いったい戦場からどれだけ離れていると思っている。

 そう思うのもつかの間、リリアスの尋常ならざる様相にベルセルカの頭はこれまでの出来事に明確な答えを見つける。


「すべて……お前のしわざか!!」


 窓から見た天に届こうかという黄金の炎柱。

 執務室を吹き飛ばした熱風。

 そしてこの地下までの道を、この男はその暴力的な力で直進して来たのであろう。


「魔術か、それは」


 異様な風貌ふうぼうになったリリアスを見てベルセルカが言う。


「……いや、魔術ではないな」


 ベルセルカは魔術を嫌悪している。

 しかしだからといってまったくの知識がないわけではない。


「魔素器官のないお前には、どうあっても魔術は使えない」


 魔石を身に着けているのならまだしも、今のリリアスにはそれを所持している形跡がない。


「なにをした」


 できるだけ会話で気をそらしながら、ベルセルカはゆっくりと後退する。


「――まあ、たしかにどちらでもいいか」


 と、ある程度の距離が離れたところでベルセルカはふところから一丁の術機銃を取り出した。


「どうせ貴様もここで死ぬ」


 躊躇いなく引き金を引く。

 が、次の瞬間信じがたいことが起こった。


「っ、バカなっ!」


 術機銃から撃ち出された魔素の弾丸は、狙い違わずリリアスの脳天に向かった。

 しかしその弾丸はリリアスの周囲にうずまく金色の熱風に触れると同時、瞬く間に溶けて霧散むさんする。


「なんなのだ、それは……!」


 そうつぶやいた直後、今度はリリアスの姿が消えた。

 武芸者ではないベルセルカの目では初動すらとらえることができなかった。

 そして、


「がっ……!!」


 腹部に衝撃が走る。

 次いで熱い物がふところではじけ、体が浮遊感を覚えた。


「ぐあっ……!!」


 吹き飛ぶ。

 地下書庫の壁に背中から激突してベルセルカの体はずるりと地面に落ちた。


「お前たちは俺の敵だ」

「はは、なにを偉そうに。ただの戦災孤児が、まるで私たちと同じ舞台に立っているとばかりの物言いだな」


 ベルセルカは体の悲鳴を聞きながらも、すぐに立ちあがってリリアスに言った。


「それは仮の肩書きだろう」

「なに?」


 食い違い。

 リリアスが言った。


「俺は、お前らが生んだ〈廃英雄〉だ」

「――」


 ベルセルカの時が止まった。

 そして、


「――貴様ら、まさか」

「お前が俺に教えたんだ。マナフの犯した最大の過ちを」


 マナフの恵まれた立地。

 豊富な魔石鉱脈。

 魔術では説明できないリリアスの力。

 ベルセルカの中でさまざまな情報が繋がり――そしてひとつの答えに行き着いた。


「貴様ら、廃英雄の多重生産を行ったのか……ッ!!」

「一緒にするな、すべてを計画したのはあの男だ」


 リリアスは吐き捨てるようにいう。

 マナフ王の顔がベルセルカの脳裏に浮かんだ。


「バカな……! 私が伝えたのは使い切りの半端な錬成式のはずだ……!」


 ベルセルカは混乱した。自分の知らないことが起こりすぎている。

 なにかがおかしい。

 もしかしたら誰かが、自分の計画の邪魔をしている。

 ベルセルカの脳裏に今度はあの悪霊として現れたマナフ王の顔がよぎった。

 右の頬に入った傷。

 かつての戦争で入ったものだという。


 ――右……?


 違う。

 あのときはありえない事態に驚いてそれどころではなかったが、今思うとあの悪霊のマナフ王は、左の頬に傷をつけていた気がする。


 だ。


 まるで鏡に映したかのような――


「き、貴様ら、廃英雄議定書の禁忌をやぶってどうなると思って――」


 ベルセルカがそう言いかけたとき、リリアスが突然口から血を吐いて床に膝をついた。


「っ――」


 その隙をベルセルカは見逃さない。

 すぐさま術機銃の銃口をアストレアに向けて引き金を引いた。


「くっ」


 リリアスが体を投げ出してその弾丸からアストレアを守る。


「しぶといやつめ」


 リリアスはすぐさま立ち上がる。

 しかしその目からは血の涙があふれていた。


「っ、なるほど、どうやらその魔術らしきものにもリスクがあるらしいな。まるで使い続けるたびに命の力を放出しているよう――」


 そこまで言いかけて、ベルセルカはハっとなにかに気づいたように目を丸くした。


「命……まさか命素エナか……? 貴様……魔素ではなく〈命素エナ〉で術式を発動させているのか……!」


 人の命は、その血や意志の巡行じゅんこうによって保たれているとは誰もが知る定説だが、術素の研究が進む段階でもう一つ、人の命をつかさどるものがあるとまことしやかにうわさされたことがあった。


 命素エナ


 血や、意志を巡らせる根本となるエネルギー。

 それが尽きると、人の体はたちまち機能不全に陥って干からびたように死ぬと言われている。

 生まれたときに一定量をどこからか持ってきて貯蔵し、あとから増えることはなく、おのが寿命をまっとうするまで時間とともに消費されていく。


「なるほど、わかったぞ。〈命素〉の意識的な活用、それが貴様の〈魂性能力アニマ・クリプト〉か!」


 命素は、どんな種類のエネルギーよりも大きな力を持っていると言われた。

 何十年もの長期間にわたって人の命を保全する力。

 学説が立ちあげられるような研究の最盛期には、この命素を意識的に活用し、どんなに魔石をかき集めても発動困難とされるような術式を発動できないかとさまざまな実験が行われた。

 しかし、やがてそういった実験も行われなくなる。

 ただ一人として命素の意識的な活用を行えた者がいなかったからだ。


「たしかに命素を術式に転用できれば今の貴様のような大いなる力を得ることもできるかもしれん」


 ベルセルカは歪んだ笑みを浮かべる。


「だが、それはいわば命の前借りだ。黙っていても一定量放出され、いずれ来たるべき死にぎわに尽きるものを、今に引っ張ってきて無理やりに放出している。さしたる傷もない貴様が血を吐いたのがその大きすぎる対価の証明だ……!」


 リリアスは口から血を吐き、目からは血涙を流している。

 あるいは体の内側の機能がすでにいくつか壊れてしまっているのかもしれない。


「どちらだ? 単純に貴様の命がその術式を発動させたことで尽きかけているのか、はたまた無理な使用で器の方が悲鳴をあげているのか。まあ、どちらでも構わん。壊れかけの玩具にできることなど大人しく捨てられることくらいだからな!」


 さらに二発、ベルセルカは銃弾を放った。

 一発はリリアスの腹部に当たり、もう一発はそのももを貫く。


「っ……」

「早く倒れてしまえ。貴様のあがきはすべて無駄だ」

「黙れ」

「観衆は飽いている。でしゃばるべきではない役者が舞台に留まり続けるものだから、劇自体に嫌気が差してきているのだ」

「そんなもの、お前らの勝手だ」


 リリアスはそれでも倒れない。

 ちらりと後ろを見やると、アストレアが目に涙を浮かべて口を開けていた。


「リ、リリアス……」

「俺は、お前まで失うわけにはいかないんだ」


 その言葉がアストレアにすべてを知らせた。

 リリアスにまつわる者たちの死。

 エルザの死。そして――


「それは私も同じだっ!」


 知っている。

 アストレアはこの場面で、自分の命を惜しんでいるわけではない。


「私は、お前がっ……!」

「みなまで言わなくていい。……そう思ってくれる人間が一人でもいるかぎり、俺の命に意味はある。だから――」


 ふと、リリアスはベルセルカに背を向けた。


「馬鹿が」


 もはや隙と呼ぶようなものでもない。

 撃ってくれと言わんばかりの様相。


「もう少し持ってくれよ、俺の体」


 しかしベルセルカが撃ち込んだ弾丸は、勢いを巻き返したリリアスの炎によってすべて溶かされた。


「命素転換術式――〈太陽の翼〉」


 さらにリリアスが手を合わせる。

 瞬時に目の前の魔法陣が展開され、それは事象となった。


「バ、バケモノめ……」


 それは金色の炎の翼。

 まずは右に一翼。

 リリアスはそのまま第二術式を装填そうてんする。

 が――


【兄さん、それ以上はダメだよ】


 ふと、声が聞こえた。


   ◆◆◆


「ゼムナス……?」

【兄さんは、これから先も生きるんだ。ここで死ぬなんて僕は許さないよ】


 ちゃりん、と、ゼムナスから受け継いだ左耳の月のイヤリングが揺れた。


【僕の力を使って。それは自分の魔素器官を持たない兄さんのためにのこしたものだ】


 瞬間、銀色の魔素が月のイヤリングから漏れだす。


「ああ……」


 すうっとリリアスの左目が青く変色した。


「お前はここにいるんだな……」

【僕はいつまでもここにいるよ。僕はここで、ずっと兄さんを見守るよ。兄さんには、成し遂げたいことがあるんだろう?】

「……ああ」


 リリアスの中には、廃英雄として死ぬこと以外の目的が生まれていた。


【じゃあ、やっぱり僕はその道行きを助けるよ。血は繋がっていないけど――僕たちは兄弟だから】


 やがて漏れ出た銀色の魔素がリリアスの背にもう一枚の翼を形成する。


「……お前は俺の……自慢の弟だったよ」

【ありがとう。僕にとってはそれが、なによりの褒め言葉だ】


 そしてリリアスは術式を完成させた。


「命魔混成術式――〈太陽と月の翼〉」


 羽ばたきもせず、ただそこにあるだけで周囲のすべてを圧潰あっかいせしめんとする金と銀の翼。

 城が崩れ始める。瓦礫が落ちてくる。しかしすべて――金と銀の双翼が灰燼かいじんと帰す。


「俺は、〈ベスジアの王〉になろう」


 リリアスは言った。


「すべての廃英雄に生きる意味をもたらす――この世界にとっての暴王に」


 そしてリリアスはアストレアを抱え上げ、その巨大な双翼をはばたかせた。

 

 その日、マナフ王城は、この世に現れた〈ベスジアの王〉の力によって、崩れ落ちた。

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