第25話 「生み出した責任を負え」

「さて、まあ、こんなところか」


 マナフ王国王城。

 その玉座の間で『本当の部下』からの戦況報告書を読んでいたベルセルカ・ベラスティはつぶやいた。


「して、皇帝陛下はなんと」


 ベルセルカは人払いをした玉座の間で、頭を垂れて膝をつく部下に訊ねる。


「マナフ王国はこのまま生かし、魔石の供給源として活用せよ、とのことです」

「ふむ」


 ベルセルカにそう告げる部下は、薄紅うすべに色の髪を持った美しい女だった。


「バルトローゼとの調整がやや面倒ですね」

「すでに陛下の方で『大帝』とは交渉が済んでいるとのことです」

「割合としては四対六というところでしょうか」

「――ご明察のとおりです」

「まったく、バルトローゼは力を振りかざして暴れ回っただけだというのに」


 ベルセルカは嘆くように言う。


「バルトローゼと敵対すれば、我々もただでは済みません」

「お前に言われなくてもそんなことわかっています、エリュン」


 ベルセルカはゴミでも見るような目で薄紅色の髪の少女を見下ろす。


「まあ、いいでしょう。私は私の役割をこなすまで。――で、アストレア王女の方はどうなってます?」

「地下室に幽閉しております。いつでも殺せる状態です」

「よろしい」


 ベルセルカは戦況報告書を少女――エリュンへ投げ返し、思案気しあんげにあごをなでた。


「あれはマナフ王国における唯一の希望です。バルトローゼの軍隊が到着次第、どさくさにまぎれて殺しましょう」

「今すぐにではなくてもよろしいのでしょうか」

「バカですか、あなたは」


 ベルセルカが目つきを鋭くしてエリュンをにらみつけた。


「次期王位継承者であるアストレアの心臓には〈マナフのかね〉の起動術式が刻み込まれています。死ぬとその起動式が発動して王城最上階にあるあの忌まわしいマナフの鐘が鳴るようになっているのです。今殺せば鐘が鳴り、バルトローゼの到着より先に何者かに殺されたことが露見します。当然、王女の近くにいる者が疑われる。……まったくマナフの民というのは魔術の才能ばかりあって扱いがこのうえなく面倒だ」


 マナフの鐘は、もともと古代マナフの民が完全な時刻計を作ろうとして生み出した金属製の鐘である。

 その鐘は、外界からのあらゆる干渉を跳ね除け、狂うことのない完璧なタイミングで時を刻む。

 もともと魔術の使用に長けていたマナフの民が、莫大な時間とそのたぐいまれな執着心で生み出した魔導鑑賞器具だ。


「あんなものを作っている暇があったのなら兵器の一つや二つ作ればよかったものを」


 ベルセルカは魔術が得意ではない。

 むしろ得体の知れないものとして毛嫌いしているところがある。

 だから術士と呼ばれる奇特な人種が、なぜ戦いの役にも立たない、もはや飾りにも近いあの鐘を作ろうとしたのかが理解できなかった。

 術士たちいわく、マナフの鐘は魔術的な観点で見ればこの世に二つとない悪魔的精緻せいちさで生み出されているらしいが、だからなんだというのだ。

 時計ならばそこらへんにあるし、どの街にも最低一つは時計塔が存在する。


「まったく人の欲というのは理解しがたい」


 ベルセルカは心底不思議そうな顔でそう言った。


◆◆◆


 そんなベルセルカのもとに予期せぬ来訪者があったのはすぐのことだった。

 ふいに執務室の扉がノックされる。


「……こんなときに」


 エリュンは地下牢の見張りに向かわせた。護衛はいない。

 開けるかどうか迷ったが、やがてベルセルカは背に隠した短剣に手をかけ、逆の手でゆっくりと扉をあけた。

 そこには――


「……夢だ」


 死んだはずのマナフ王が、立っていた。


「夢とはまたなことをいう、ベルセルカ。――よくも私をたばかってくれたな」


 ベルセルカは思わずあとずさった。

 目の前の光景が信じられなかった。


「ありえない……」

「なにをもってありえないとするか」


 死んだはずだ。

 その死体をこの眼で確認した。


「こうして私はここにいるというのに」


 王がゆっくりと一歩を踏む。


「近づくなッ!!」


 ベルセルカは背に隠していた短剣を突きだした。


「そんなもので悪霊わたしを殺せるとでも?」


 しかしそれにひるむこともなくマナフ王がさらに一歩ベルセルカに近づく。


「幻影魔術か……! どこのだれだかは知らないが趣味の悪い……!」

「幻影ではない。私はここにいる」


 王が手を伸ばす。

 ベルセルカはそれを振り払った。


「そう怯えなくてもいい。私は忠告をしにきただけだ」

「忠告……だと?」

「そう」


 王はようやく足を止めた。

 しかしその存在感はベルセルカに冷や汗をかかせるのに十分な圧力をたたえていた。


「せいぜいリリアス・リリエンタールに気をつけるがいい」

「なに……?」

「私の計画が完成するのには、貴様らにある程度粘ってもらわねばならない。簡単に負けてもらっては困る」

「なんの話をしている……!」

「これからの貴様らの道行みちゆきについて」


 死出しでの旅。

 王はそう言った。


「貴様らは死ぬ。リリアス・リリエンタールという怪物に食い殺される。あれは〈ベスジアの王〉だ」

「ベスジアの……王……」


 存在しない架空の暴国。

 英雄産業のすべての出発点にして終着点。


「おもしろい冗談だな……。ベスジアなどというものは存在しない。あれは英雄産業を民草たみくさに強いるために作られた架空の国家だ」

「いいや、ベスジアは存在する」


 王はおもむろにベルセルカの頭を指差した。


◆◆◆



◆◆◆


 ぞくりとベルセルカの背筋に悪寒が走った。


「生み出した責任を負え、ザラシュール」


 王が一歩退く。

 まるで冥界に再び誘われるようだった。


「貴様らが生んだ暴王は、今日ここに実体を持って再誕する。そしてこの王の出現によって民草は忘れかけていた真実を再び思い出すだろう――ベスジアは実在した、と」


 そして王は姿を消した。


「なに……が……」


 事態を把握できないままのベルセルカが、部屋に残った。


   ◆◆◆


 マナフ王国の周辺に異変が起きたのはそれから数十分後のことだった。


閣下かっか、西方からなにか来ます」


 再びベルセルカの元を訪れたエリュンが言った。


「……なにかとはなんだ。報告は正確に行え」


 ベルセルカはあれからすぐにエリュンを呼び戻し、部屋の警備を厳重にしたうえでバルトローゼの到来を待っていた。

 エリュンからの報告がそれかとも思ったが、どうにも様子がおかしい。


「……申し訳ございません。私の中にはあれを形容できる言葉が見当たらないのです」


 普段は淡々とそつなく任務をこなすエリュンが、ここに来て珍しく狼狽うろたえている。

 最初はなにげなく受け止めた言葉を、ベルセルカは一転して重く受け止めた。


「どこから見える」

「すでに、この部屋の窓からでも」


 ベルセルカは執務室のソファから立ち上がって窓辺に歩み寄る。

 西日に面したその窓からは、マナフ王国の西部に広がる広大な平原が見えた。

 そして――


「なんだ、あれは……」


 そこに異様なまでに巨大な黄金の炎が噴きあがっているのを見る。

 大地から突如として火山でも噴火したのかと錯覚するほどの巨大炎だ。

 天に向かってゆらゆらと燃え上がるその炎は、雲にまで届くのではないかと思うほどにどんどんと勢いを強めている。


「わかりません。しかし、危険です」

「普通の炎ではないな……魔術か」

「あれほどの魔術であれば魔素の奔流ほんりゅうが感じられます。しかし、あれからはまったく魔素を感じません」


 では、なんだというのだ。

 ベルセルカは内心で思って、さきほどのエリュンの報告に合点した。

 ベルセルカの中にも、あれを形容できる言葉がなかった。


「バルトローゼの制圧部隊はどうした。予定ではそろそろ到着する予定だったが」

「今さきほど、定期連絡が途絶えました。五時三十分の連絡以降、こちらへ伝書は届いておりません」


 嫌な予感がする。

 ベルセルカはふたたび悪寒を感じた。

 得体の知れないなにかが、自分の計画を邪魔しようとしている。

 それも、どうにもできない理不尽なまでの力強さを伴って。


「人だ」


 と、またたきもせずに黄金の炎を見ていたベルセルカは、ふとその炎の噴き上がる中心に影を見つけた。

 まばゆい光にまぎれてかろうじてという感じではあるが、四肢ししが確認できる。

 その影はただまっすぐにマナフ王国へと歩いてきていた。

 そして――


「っ」


 今、目が合った。

 おそろしく遠い距離であるのにベルセルカは確信した。


「エリュン、計画を変更する。今すぐアストレアを殺せ」

「え?」

「早く行け!!」


 叫んだ瞬間、遠くの影が邪魔なものをどけるように右手を横に振るったのを見る。

 直後、執務室が爆炎に包まれた。


   ◆◆◆


「エリュンッ!!」

「閣下……わ、私は……ここに」


 なにもかもが一瞬で砕け散った。

 部屋の中で黄金の炎が踊っている。

 ベルセルカはとっさに部下の姿を探し、爆風で倒れた本棚の下敷きになっているエリュンを見つけた。


「なにが起こった……!」

「魔術です……。魔素の奔流はやはり感じられませんが、術式の展開が確認できました」

「あれの仕業か……!」


 ベルセルカはエリュンの上にのしかかった本棚をどかし、彼女の体を抱き起こしながら再び窓の外を見る。

 するとそこには、さきほどまでとは比べものにならないほど近い位置で燃える黄金の炎柱があった。


 ――今の一瞬でここまで移動して来たのか……!!


 おそらくマナフ王国の外門あたりには到達しているだろう。

 まるで瞬間移動したかのような接近の速さだ。


「私が直接いく! 今の一撃を利用し、バルトローゼの攻撃によってアストレアが死亡したものとする!」


 いささか穴はあるが、この際しかたがない。

 この状況は異様だ。

 なにか決定的な事故が起こって、計画そのものがダメになるよりは良い。


「私は捨ておいてください。この足ではかえって邪魔になります」


 エリュンの足は本棚の重みに耐えかねてか曲がるべきではない方向に曲がっていた。


「ちっ……」


 ベルセルカはそれを見て舌打ちをする。


「〈廃棄部隊〉の駒を死なせたとあってはサイネーに顔向けできん。置いていくが死ぬな。命令だ」

「御意」


 ベルセルカはエリュンの腰から短剣を抜いて、彼女の体を地面に横たえる。

 そして抜身の短剣を持ったまま、部屋の外へと走り出した。

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