第24話 「おまえは英雄になるんだ」
リリアスがマズローの森を抜け、ゼムナスたちが主戦場としていた荒野へたどり着いたのは最後の爆発音が鳴ってから二十分ほど経ったあとだった。
「……なんだ、これは」
一面が血の海になっている。
そこで戦っているはずの兵士たちの姿はない。
リリアスは辺りを見回し、ふと見慣れた姿を見つけた。
「ゼムナスッ!!」
白銀の髪を血に濡らした弟の姿である。
リリアスはすぐにゼムナスの元へ駆け寄って、無事をたしかめた。
「ゼムナス、怪我はないか?」
「ああ……兄さん。うん、僕は大丈夫だよ」
力ない笑みを浮かべていうゼムナスを見て、リリアスはひとまず安心する。
「ごめんね、兄さん。僕はみんなを守れなかった」
「ゼムナス……」
周りを見渡してゼムナスが悲しげに言った。
「まだお前は生きている。彼らの無念を晴らす機会はある。バルトローゼ軍はどうした?」
「一度退いたみたいだ。おそらく術機の燃料補給だと思う。そう離れてはいないから、時間をおいてまた攻めてくるだろう」
リリアスは遠くを見た。
たしかに動く波のようなものが見える。
「くそ……」
戦況は変わらない。
マナフの術式兵団は壊滅した。
「次の手を考える。いったんこっちも退こう」
そういってリリアスがゼムナスの肩を引っ張ろうとした。
「……ごめんね、兄さん。僕は今まで、なにも知らなかった」
「……どうした?」
ところがゼムナスの様子がおかしいことに気づいて、リリアスは動きを止める。
「僕は、〈廃英雄〉だったんだね」
「っ」
ゼムナスに伝えられるはずのなかった事実。
「バルトローゼか……!」
事情を知っている。密偵でも忍ばせていたのだろうか。
あるいはザラシュールとグルということも考えられる。
「違う、ゼムナス。おまえは〈廃英雄〉なんかじゃない」
廃英雄として死ぬのは、自分だ。
「おまえは英雄だ、ゼムナス」
ゼムナスは廃棄されない。そういう手はずになっている。
「兄さんは、どうなのかな」
「俺は……」
ここで自分が廃英雄であることを言ってしまっていいのだろうか。
聡明なゼムナスは、もしかしたら自分がゼムナスの代わりに死のうとしていたことを察知してしまうのではないか。
そのときゼムナスはどんな気持ちになるのだろう。
「兄さんは僕を守ろうとしてくれたんだね」
だが、リリアスが口で言わずとも、ゼムナスはその表情でなにかに気づいたようだった。
まるで、本当の兄弟のように――
「ゼムナス……」
「僕たちは、何のために生まれてきたのかな」
リリアスはその問いにすぐには答えられなかった。
「ごめんね、兄さん……。僕は最後まで、英雄にはなれなかった」
「違う、ゼムナス。まだ最後じゃない。まだお前は生きている。これから英雄になればいいだろう」
「はは、兄さんは優しいね。ありがとう。……でも、もういいんだ。僕は、もう――」
と、次の瞬間。
横から飛んできた青白い砲撃が、ゼムナスの体を横に薙ぎ払って飛んでいった。
「ゼムナスッ!!」
目と鼻の先。
リリアスは自分の身が危険にさらされたことではなく、ゼムナスがその砲撃に巻き込まれたことに心臓を跳ねさせた。
が――
「ごめんね、兄さん」
「ゼム……ナス……?」
たしかに砲撃に吹き飛ばされたはずのゼムナスは、さきほどとなにも変わらずそこに立っている。
なにかが、おかしい。
リリアスは砲撃が飛んできた方向を見る。
はるか遠くに、青白い
――術機……この距離でも届くのか……!
再び視線をゼムナスに戻そうとして、そこでようやく――
「え……?」
リリアスは地面に
「どうしても、兄さんに謝らないとって思ったんだ」
なら、今目の前にいるのは――
「ゼム……ナス……?」
「ごめん、兄さん。僕はできない弟だった。ごめん、兄さん。また兄さんだけを残して行って。――ごめん、無責任なことを言うけど、兄さんは……生きてくれると嬉しい」
二発目の砲撃がゼムナスの体を薙ぐ。
遠くで爆発音が鳴った。
「僕たちは、何のために生まれてきたのかな」
ただその言葉を繰り返すゼムナスが、ふいに薄くなった。
「やめろッ! 行くな、ゼムナスッ!!」
リリアスはとっさにゼムナスの手を取ろうとした。
しかしその手はまるで空気をつかむように、なんの感触もなくゼムナスの手を通過する。
ゼムナスが涙に濡れた顔をリリアスに向けた。
「兄さん、アストレア様を――」
ゼムナスの体はその言葉を残して消えた。
「っ、死なせてたまるか!!」
リリアスはすぐに地面に倒れていた方のゼムナスへ近づく。
肩から脇腹に向かって伸びた切り傷。
地面を濡らす赤い血の量はおびただしい。
そしてすでに、ゼムナスの心臓は鼓動を打っていなかった。
「嘘だ……」
これは夢だ。意地の悪い夢魔が見せている、たちの悪い夢だ。
そう思ったリリアスを、手についたゼムナスの血が現実に引き戻す。
その血はまだ、生温かかった。
「……ゼムナス、お前にはまだやることがあるだろう」
お前は自分と違って、できるやつだ。
頭が良くて、誰よりも正義感が強くて、その思いに見合った力もあって――
「っ! アストレアはどうする! お前、あいつに惚れていたんだろう!? なにも伝えないまま死んでいくのかッ!!」
黄金の炎がリリアスの体から燃え上がる。
それはまるで万物を照らす
「お前は英雄になるんだ……! なりたかったものになれ……! 俺が傍にいるから、だから――」
リリアスはゼムナスの心臓を押した。
何度も、何度も。
息を吹き返せとばかりに。
「俺を、一人にするな……!!」
だがゼムナスの体は無感情に揺れるばかりで。
そこにはもう魂がないのだと、リリアスに知らせていた。
「お、お前はっ……」
リリアスの目から涙がこぼれる。
砲撃が頭上を通過した。
それでもリリアスはゼムナスの傍を離れない。
「お前は……英雄に……なるんだろ。マナフ王国を救って、国を救った英雄に、なるんだ……。それで……いずれはベスジアの王も討って、世界を救う、英雄になるんだ……」
そのとき、リリアスの心にある一つの答えが浮かんだ。
「そうだ、ゼムナス」
ゼムナスが何度も問い続けた存在意義。
「俺が、〈ベスジアの王〉になろう。だからお前、俺を倒しに来いよ。それで、俺を倒せたら、アストレアもお前にやるよ。……お前には言わなかったけど、俺もアストレアのことが好きなんだ。まあ、
もっと話がしたい。
どんなにひどい境遇にあっても、隣でゼムナスとなにげない話をしているだけで、救われている気がした。
「〈ベスジアの王〉になった俺を倒して、世界を救った英雄になって、マナフ王国に凱旋する。それが英雄になるべくして生まれた、お前の存在意義だ。だから――」
太陽は叫んだ。
「生きていて、くれよ…………ああああああああああああああああああッ!!」
その日、世界の片隅で白銀の月が地に落ちた。
太陽が月をすくい上げようとして伸ばした手は、世界の大きな流れに
◆◆◆
「この世界は……狂ってる」
リリアスの中には多くの感情が渦巻いていた。
混乱する。
どこに感情を追いやればいいのかわからない。
と、リリアスは抱いていたゼムナスの
それはゼムナスがいつも右耳につけていた月を模したイヤリングだった。
リリアスもまた左耳に太陽を模したイヤリングをつけている。
リリアスはその銀色のイヤリングを拾って、空いていた右耳につけた。
そしてリリアスはゼムナスの
「……そうだ、こんな世界は――」
【滅びたほうがいい】
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