第23話 「なんのために生まれたのか」

「つまるところ、お前たちはバルトローゼとザラシュールの冷戦の道具として使われていたにすぎない」

「なにを……言っているんだ……」


 ツェーザル・バルトローゼからすべてを聞いたゼムナスは、めまいを覚えた。


「おまえはザラシュールがマナフを攻める大義名分を得るために生み出された廃英雄。しかしわれわれバルトローゼが先に宣戦を布告したものだから、ザラシュールは裏で抜け目なく取引を持ちかけてきて、そのうえであわよくばわれらにも打撃を加えようと画策かくさくした。まったく狐のような国だな。自分たちの手ではなにもしようとしない」


 ツェーザルは吐き捨てるように言った。


「まあ、マナフもマナフだ。英雄産業などというものに最後の希望を乗せたのは、悪手だった」


 そういうツェーザルの顔には悪感が乗っている。

 この男は英雄産業というものに嫌悪を抱いているのだろう、ということはゼムナスにもわかった。


「僕は、マナフ王国に裏切られるのか」

「違う、最初から裏切られていた。英雄として持てはやし、使うだけ使って、最後には捨てる算段だった」


 同じ人間にする仕打ちではない。ゼムナスは思った。


「ああ、ちなみに貴様の隣にニーナという侍女がいただろう。あれはバルトローゼ帝国の密偵みっていだ。マナフの英雄産業の実態を逐一ちくいちバルトローゼに知らせるため潜伏させたスパイだ」

「え……?」


 ニーナが密偵だった。

 証拠などない。

 だが今のゼムナスにはそれを真っ向から否定できるほどの気力がなかった。


「マナフ王国は最初から失敗していた。英雄産業などという使い古された欠陥品を使わずに、初めから滅ぶ準備をしておけばよかったのだ。おかげでわれわれが手をわずらわすことになった」


 ひどい都合だ。


「ザラシュールからの取引にもある程度応じなければならなくなった。まあ、そのおかげでマナフを潰しやすくなったという側面もあるが……。ともあれ、いまごろマナフ本国では王位継承者の惨殺ざんさつが行われているだろう」

「そんな……」


 アストレアの姿が脳裏をよぎる。


「マナフは滅びる。バルトローゼとザラシュールはその領土の半分ずつを得、またこの地で小競り合いを繰り返す。マナフは消えても、世界はこうして回る」


 まるでマナフ王国が最初から蚊帳かやの外にいたみたいではないか。

 マナフ王国のような小国は、世界の流れの外に置かれて、力を持った国が都合のいいときに刈れるように、気まぐれで延命させられていたみたいではないか。


「僕たちは、なんのために――」


 何のために、生まれたのか。

 何のために生み出されて、何のためにこれまで生きてきたのか。


「廃棄されるために生まれた。意味もなく、無残に、なにも成し遂げることなく、ただ静寂の中で、お前は死ぬために生まれてきた」


 急に世界のすべてが敵に回ってしまったように思えた。

 マナフ王国も、ニーナも、アストレアや、街のみんなでさえも。


所詮しょせん、確固たる力がなければ悪あがきなど無駄でしかない。力がなければ、英雄にはなれん。仮初の英雄でいいならいくらでもなれるだろうが――どうやらお前にはそれすらも無理であるらしい」


 存在意義が、消えていく。

 ゼムナスは自分の手が薄くなったような感覚を覚えた。


「ゼムナス・ファルムード、お前は英雄ではない。廃英雄ですらない。ベスジアの王に殺されることなく、お前はここで私に殺されて死ぬ。お前の生は、すべてが無駄だった」


 心が砕ける音がする。

 破片が体の内側に刺さって、痛い。


「僕は……」

「死にたくないと思っているか?」


 ふと、ツェーザルが身をかがめてゼムナスに聞いた。


「本気で死にたくないと思っているなら、チャンスをくれてやろう。私も〈廃英雄〉とは多少縁があってな」

「チャンス……?」

「お前のその〈魂性能力〉をバルトローゼのために使うと誓うのであれば、今回はマナフを助けてやろう。つまり、お前は祖国を救った英雄になる」


 唯一残っていた存在意義。

 その復活。

 ゼムナスの心がぎりぎりのところで崩壊を止めた。


「取引だ。お前は自己を犠牲にして、祖国を救え」


 英雄になりたかった。

 なぜだかはわからない。

 でも生まれたときにはすでにその衝動があった。

 誰かを救いたかった。

 こんな自分でも誰かを救えるのだと、信じたかった。


「応じるつもりがあるのなら、この手を取れ」


 ツェーザルが手を差し伸べてくる。

 英雄への扉がそこにあった。


「――」


 ゼムナスは体を起こし、服を払う。

 そしてまっすぐツェーザルを見え――


「わかった」


 言った。


「僕は――」


 手を伸ばし――


「〈英雄〉になる」

「っ!」


 ゼムナスは手の中に生成した白銀の剣で、ツェーザルの心臓を突こうとした。


   ◆◆◆


「血迷ったか、ゼムナス・ファルムード」


 剣の切っ先はツェーザルの鎧をかすめ、その表面に傷をつけた。

 ツェーザルは素早く後ろへ引き、腰の剣に手をかける。


「つまらない誘導の仕方だったよ、ツェーザル・バルトローゼ」


 ゼムナスはさらに四本の剣を生成し、自分の周りに滞空させる。


「兄さんでももっとまともなやり方をする」

「私が嘘を言っているとでも?」


 ツェーザルは剣を引き抜きながら言った。


「すべてではないだろう。でも確実に嘘だと言えることはある。僕がお前に協力すると誓ったところで、お前たちはマナフ王国を蹂躙じゅうりんする。取引なんてはなから意味がない。取引は、対等な者同士で行ってはじめて意味を持つものだ」


 マナフ王国はすでに戦争に負けていた。

 大きな戦乱の流れの中でもがくことしかできていなかった。

 抗えてはいなかった。

 それがまぎれもない真実。


「なるほど、多少は頭が回るらしい」

「バカにするのもいい加減にしろ」

「いやなに、元は頭が回る方であっても、戦場の狂気に慣れていない者はそれだけでまともな理性を失う。自制心を失い、まともな判断を行えなくなる。そして〈廃英雄〉のように、後天的に強い力を得た者は、特に心が壊れやすい」

「なにを根拠に」

「経験だ」


 ツェーザルが笑う。

 不気味でありながら美しい笑みだった。


「まあ、しかたない。もとよりあまり期待はしていなかった」

「お前はここで死んでいけ。僕はマナフの白き英雄。祖国を蹂躙しようとするお前たちを、ここで倒す」

「できるものなら」


 ツェーザルが構えた剣がふいに光を放った。

 つかに埋め込まれた青い宝玉が魔素を発している。


「魔石――術機か」

「それも最上級のな。だがそれだけではない。お前が私に勝てない理由は、別にある」


 刀身に術素が充満し、青い光を宿した。


「お前がどれだけ魔術に優れていようが、それが魔素を使って発動されるものであるかぎり、わたしの前では意味を持たない」

「やってみなくちゃわからない」

「わかるとも」


 ツェーザルが言った。


「それが、私の受け継いだ〈|魂性能力(アニマ・クリプト)〉だから」


 〈魂性能力〉。

 それは〈廃英雄〉だけが持ちうる未知の力。

 このツェーザル・バルトローゼという男が英雄産業に悪感を抱いている理由が、なんとなくゼムナスにはわかった。


「そうか――」


 しかしもう、それを確かめる気にはなれなかった。

 この男の背景を知れば、きっと戦いづらくなる。

 そしてたとえこの男にどんな事情があれ、マナフを滅ぼそうとしていることに変わりはない。

 だから、立ち向かわねばならない。


「僕は、マナフの〈英雄〉だから」


 ゼムナスは言った。


「……」


 そのまっすぐに言い切ったゼムナスを見て、ツェーザルは一度まぶたを閉じた。

 そして――


「では、最後に問おう」

「……」

「お前は、〈廃英雄〉として死にたいか?」


 ゼムナスの瞳の光が、わずかに揺れる。


「じきに〈廃棄部隊〉が来るだろう。もしやつらが到着すればお前は〈廃英雄〉として処分される」


 そしてゼムナスの役目は終わる。


「……どうして」


 ほうっておけばそうなる。

 しかしあえてこのツェーザルという男は訊ねた。

 きっとそこに、この男の持つ複雑な思いが隠れている。


「もう一度訊く。お前は、〈廃英雄〉として死にたいか」


 二度目。


「僕は……」


 ゼムナスはほんの一瞬考えた。

 そして答えた。


「――――」


 ツェーザルはその答えを聞いて、小さくうなずく。

 その顔はどこか、悲しげでもあった。


「では、ここで死んでいけ」


 しかし、ツェーザルはすぐに鋭い光を目に宿らせて剣を構える。

 ゼムナスもまた魔術剣を手に握った。

 二人の剣が――交差する。

 戦いは長くは続かなかった。

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