第22話 「悲劇の中の光」

「本来〈廃英雄〉とは、〈廃英雄議定書〉に基づき国家間の戦争に軍事転用してはならないという盟約がありますが、特例的に一年前の戦争でそれを利用することが許されました。なんでも、そのときの相手がかつて英雄産業に加担し、そして最後にすべてを裏切った国家であるから、とのことで」


 ベルセルカの言葉をアストレアは注意深く聞いた。


「おかげでマナフは勝利しました。いずれくるであろうバルトローゼとの再戦に向けて、民の意志を支えることができたのです」

「……」


 そして現にいま、バルトローゼとマナフは再び刃を交えようとしている。


「そして今回も、相手がさきの国家と同じような境遇にあるバルトローゼということでその使用が認められました。しかし同時に、〈廃英雄〉の処分も決まってしまったのです」


 ベルセルカはうなだれた。


「してやられた、と思いましたよ。もしかするとザラシュールは、最初からこれを待っていたのではないかと」

「これ、とは?」

「ザラシュールははじめからマナフの領土を欲しがっていたにすぎない。そしてあわよくば、憎きバルトローゼに打撃を喰らわせてやりたかった。そこでちょうどいいこまとしてマナフを選定したのです」

「……」


 そこはアストレアと同じ見解だった。


「ただしこれは、ザラシュールがバルトローゼの力をおそれていることの証明でもあります。もしザラシュールにはじめからマナフを独占する力があれば、そもそも今回の軍事転用を認めなかったはずなので」

「どういう意味だ」

「だって、もしザラシュールがマナフを奪いたいだけなら、今回の軍事転用を単に認めなければいいだけの話ではないですか。そうすれば廃英雄議定書に背いたということでマナフを攻める大義名分が生まれる。あとはマナフを滅ぼし、そこに横槍を入れてきたバルトローゼも退しりぞけて、万事解決します」

「それなのにあえて軍事転用を認めたのは、ザラシュールがまだ自分たちだけではバルトローゼにはかなわないと思ったからか」

「はい。おそらく裏で取引でもしたんじゃないでしょうか。邪魔な廃英雄は処分してやる。しかしマナフの領土の一部をよこせ、なんて」

「そう言いつつ取引をしたバルトローゼに対して打撃も加えようとしている……まったく欲が深い国があったものだな」


 五日後というなにげない期日設定から、逆にこれだけの予想を書き立てられるあたりにザラシュールのごうの深さを感じられた。

 ともあれ、これはもはやマナフという国家を使ったザラシュールとバルトローゼの冷戦だ。


「まるで……玩具おもちゃだな」


 アストレアは自嘲じちょうするように言った。

 舞台にあがれないマナフ。

 ザラシュールにもかなわず、そしてバルトローゼにも届かない。


「……いや」


 〈廃英雄〉の力があれば、まだわからない。

 アストレアは折れ掛けた心を強く保つ。


「話を戻す。さっきお前は〈廃英雄〉をひとり錬成したと言ったな」


 アストレアはそこに引っ掛かりを覚えていた。

 父から聞いた話とは食い違っている。


「ええ」


 正直にいえば、このとき少し危なかった。

 アストレアは事を急ぐあまり、自分から『リリアスとゼムナスという二人の廃英雄について』と口にしてしまいそうだった。

 この食い違いが父によるなんらかの計画の一部であったとすれば、それをバラしてしまうことによって二人の命に関わるかもしれない。


「貴様は――」


 この男がリリアスとゼムナス、どちらのことを指して〈廃英雄〉と言っているのか。

 それを確かめようと口を開き――次の瞬間。


「がっ……!」


 アストレアは首の後ろを誰かに打たれた。

 振り向くより前にうしろから体を押さえられて地面に倒される。

 顔をあげた。

 牢の中のベルセルカがあやしい笑みを浮かべていた。


「き、きさま……」

「申し訳ありません、殿下。時間が来たようです」

「時間……だと……」


 アストレアはすぐに体を起こそうとするが、後ろから自分を押さえつけている者の力が強く身動きが取れない。


「正直、牢に拘束されるとは思いませんでした」

「貴様……やはり……」

「いえ、勘違いをしないでいただきたいのですが、私は本当にあなたの父を殺してはいません。何者のしわざなのかは知りませんが、うまくやったものです」


 ベルセルカが何事もなかったかのように足の鎖を解いて牢から出てくる。


「殿下、あなたの覚悟には恐れ入ります。隣国でおとなしく学園に通っていれば、こうなることもなかったでしょうに」

「貴様、何者……だ」

「私ですか?」


 ベルセルカは服を整えたあとにこう言った。


「私はベルセルカ・ベラスティ。マナフ王の忠実なる臣下にして――かの英雄産業宗主国ザラシュールの密偵みっていです」


 すべては仕組まれていた。

 アストレアの中にえもいわれぬ怖気と怒りが走った。


「ああ、怖いですね、アストレア様。そして悲しいですね、アストレア様。親しんだ二人の男が死んでいくのは」

「っ」

「しかも一方は――愛しているのでしょう。あなたは道行くどんな男たちからも恋慕れんぼの情を抱かれましたが、そんなあなた自身は実に一途でしたね」


 ベルセルカはウェーブのかかった金の前髪を手で払って一歩アストレアに近づく。


「リリアス・リリエンタール。あなたの愛した男も、今日あの場所で死にます」

「く……そ……」

「王族が孤児を愛してしまうなど、陳腐ちんぷな悲劇ですね」

「孤……児……?」


 リリアス・リリエンタールは〈廃英雄〉である。

 それは父からも聞いたし、なにより本人に確認した。


 ――知らない……のか?


 この男はずっと王に付き従ってきた。

 事実、戦のたびにリリアスとゼムナスに出撃の命令を伝達していたのはこの男だ。


「たしかに、どこにも帰属しない〈廃英雄〉にまともな人間性を持たせるには、ああいう役目の者がいてもおかしくはない。廃英雄に兄弟というのもおかしな話だが、結果はうまくいったわけだ」


 ベルセルカはポケットから取り出した片眼鏡モノクルを左眼にかけた。

 そこでアストレアはハっとした。


「貴様……モノクルを……」

「はい?」


 左に掛けている。

 記憶が定かではないが、城の中ですれ違ったとき、本当に何度か、右にモノクルをかけているのを見たことがある気がした。


「……ひとつ訊く」

「ふむ……いいでしょう、冥途の土産に答えてさしあげます」

「貴様がそのモノクルを右眼にかけたことはあるか」


 妙な質問にベルセルカは首をかしげた。


「いえ? 私は生まれつき左目の視力が悪いもので、長年これをかけていますが、右眼はよく見えるのでかけませんね」


 逆像ぎゃくぞうだ。

 その事実がなにを意味するのかはわからないが、無視してはならない意味があるように思えた。


「さて、ここからは後処理ですね」

「もう勝った気でいるのか」


 アストレアはいつくばったままベルセルカをにらむ。


「ええ。マナフは今日ここで滅びます」

「まだわからない。まだわたしは生きている」

「はは、それは無理な話だ。たとえここでわたしを退けても、あなたがたはバルトローゼによって滅ぼされる」


 ベルセルカは芝居ぶった身振りで言った。


「あなたがたマナフはこの一年で驚くほど復興した。かつてのバルトローゼとの戦争によって衰退した力を、だいぶ取り戻した。――けれど、それは元に戻ったというだけで、バルトローゼに勝てるようになったわけではない」


 マナフが復興しているとき、バルトローゼはさらに力を増した。

 最先端の術機。戦いのための術式開発。歩兵や騎兵の練度も、他大陸の列強と比較してもまるで見劣りしない。


「こちらには、二人の〈英雄〉がいる」


 アストレアは言った。


「ゼムナスに関しては〈廃英雄〉の間違いでしょう。いずれにしてもゼムナス・ファルムードという〈廃英雄〉がいたとてどうにもなりません。もはや〈廃英雄〉の時代は終わった。もともとあれはベスジアという架空の暴国に対抗するために形だけ整えられた仮初の英雄です。たとえ〈魂性能力〉があったとしても、かつての〈青い瞳の勇者〉や〈赤い瞳の魔王〉のようにひとりで大きな戦争を変えるほどの力はない」

「わからない……だろう……っ!」

「わかります。そもそもリリアスにいたっては〈廃英雄〉ですらない。そのうえ満足な魔術も使えない。たしかに一兵士として見たときアレはおそるべき力を持っていますが、大規模な軍隊相手ではできることにかぎりがある」


 リリアスの力は対単体にたいしておそらく世界最高峰に位置する。

 しかしそれは個人対個人においての話で、戦略単位での攻防が基本となる今の戦争においては限界がある。

 闘技大会でもあれば最強の戦士として名を残したかもしれない。

 だが今はそういう時代ではない。


「アレもここで死にます。それこそ〈青い瞳の勇者〉のように常軌を逸した〈魂性能力〉にでも目覚めないかぎり」

「だがリリアスにはマナフのすいを結集した生存のための刻印術式がある」

「刻印術式……?」


 ふと、ベルセルカが首をかしげた。


「貴様、やはり知らないな……!」


 そのときアストレアは、父が残した最後の希望を見る。


「父上、罪深いあなたは、それでもせめて、どちらかだけでも救いたかったのでしょうか」


 父は絶望していた。

 最後の望みを〈英雄産業〉に賭けた。

 そしてもう、この世にはいない。

 けれど――


「あなたの意志は、わたしが継ぎます」


 犯した罪の償いを、彼をなんとかして生かすという形で為したかった。


「ベルセルカ、貴様らにリリアスは殺せない」

「どういう意味です。刻印術式とは――」


 次の瞬間、ベルセルカが見せた一瞬の隙をついてアストレアが体を起こそうとした。


「ッ、エリュン!!」


 ベルセルカが誰かの名を呼んだ。

 アストレアの首筋に衝撃があって――


「どうか……生き残ってくれ……リリアス……」


 そしてアストレアは気を失った。

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