第三幕 【再誕】

第20話 「マナフの白き英雄」

 ゼムナス=ファルムードはリリアスから遅れること三時間ほどでマナフ王国を出立した。

 周りを大勢の近衛兵に守られ、民衆の凱旋歌がいせんかを耳に一歩を歩む。


「気が早いね、もう凱旋歌なんて」

「確信は力になるからねー」

「というか、ニーナまでついてくる必要はなかったんじゃない?」

「ダメダメ、わたしはゼムナス様の侍女なんだから」

「いや、普通侍女って戦場までついてこないでしょ……」


 ゼムナスは隣を歩く小柄な侍女――ニーナに嘆息を返す。

 対するニーナの方はこんな状況でも楽しげな笑みを崩さず、手の中に銀色の魔術炎を灯してもてあそびながら、軽い足取りで歩いていた。


「……」


 と、ゼムナスがそんなニーナを一瞥いちべつしたあと後ろを振り向く。

 見えたのはマナフ王国の紋章を刻んだ巨大な旗。

 正門の上に屹然きつぜんと立てられたそれは、日の光に照らされてうつくしく輝いていた。


「アストレア様のこと探してる?」

「えっ!」

「あ、図星だー!」

「違うって!」

「別に隠さなくてもいいのにぃ」


 ニーナが悪戯いたずらっぽくゼムナスを見上げると、ゼムナスはその視線をけるように顔をそむけた。


「ゼムナス様、ホントにアストレア様のことが好きだよねー」

「そんなんじゃない」

「こんな美少女がいつも隣にいるっていうのに、まったく見向きもしないし」


 ゼムナスは言われてようやくニーナに視線を戻す。

 たしかに彼女は美しい容姿をしていた。

 ニーナ=ガーラント。

 かつてマナフ王国で権勢を振るった貴族の末女。


「本当に、どうしてニーナは僕なんかの侍女になっちゃったかな」


 彼女が姉への反骨心のようなものから自分の侍女に立候補したことは知っている。

 だがそれでも、やはり彼女は自分の侍女になるべきではなかったとゼムナスは思っていた。


「えー、今さらぁ?」

「まあ、そうなんだけど……」


 対するニーナはわざとらしく顔をしかめる。

 主人と侍女という関係性ではありえない対応だが、ゼムナスにとってはこれくらいの方が気を遣わなくてすむので逆にありがたかった。


「うーん、これは言ってなかったことなんだけど、最初はわたしの担当、ゼムナス様じゃなかったんだ」

「え? そうなの?」

「そう。わたしのお姉ちゃんが、最初はゼムナス様の侍女になるはずだったの」


 初耳だった。


「でも、わたしはそれが嫌だったから、わたしも立候補して侍女になった。わたしはお姉ちゃんに助けられたくない。というかわたしの方が魔術の腕だって高いし、スタイルは――まだお姉ちゃんの方が上だけど、いずれは女としてもわたしの方が上になる」

「ニーナのお姉さんって、兄さんの侍女だよね?」

「そうだよ」


 何度か顔を合わせることがあった。

 今思うと、彼女が自分の侍女でなくてよかったと思う。


「ニーナに助けられたかも……」

「どういうこと?」


 おそらくいたたまれなかっただろう。

 あのリリアスについている侍女は、おそろしく目つきが鋭い。

 それは見た目の問題ではなく、


 ――内心を、見透かされている気がする。


「さっきのは撤回するよ。きみが僕の侍女でよかった」

「でしょ?」


 ニーナはにかっと笑う。


「ともあれ、きみもいろいろ大変そうだね」

「あっ! あんまり真面目に考えないで話を終わらせようとしてるー! アストレア様を探すのに夢中になったんだー!」


 ニーナがゼムナスの脇腹を小突く。


「そ、そんなことないよ」

「ホントにアストレア様以外の女は眼中にないよねー」

「だから違うって……それに、アストレア様は――」


 もう一度だけゼムナスは後ろを振り返る。

 そこにアストレアの姿を探した。

 けれども彼女の姿は見つけられなかった。


「アストレア様は?」

「……いや、なんでもない」


 ゼムナスは脳裏のうりに兄の姿を浮かべた。

 無愛想ぶあいそうだけれど、いざというときはいつだって自分を助けてくれる血の繋がらない兄。

 自分たちの出生を考えれば、はたして兄弟なのかということさえあいまいだが、それでもゼムナスにとってはリリアスこそが兄だった。


「ニーナ」

「ん?」

「生きて帰ろう」

「そうだねー」


 ゼムナスは意志を燃やす。

 二度目の戦場。

 だが今回は質、規模、ともに前回とは比較にならない。


 ――あれは前哨戦ぜんしょうせんだった。


 それでも心に衝撃を受けた。

 今回はもっと強い衝撃があるだろう。

 だから、気を強く持たねばならない。

 ゼムナスは深呼吸をした。


「さっさとバルトローゼを追い返して、兄さんを助けに行かないと」


 戦場でくらい、兄を助けたい。

 城の中や街の中では、いつも助けられていた。

 街の中で同年代の若者に〈英雄〉であることをからかわれて絡まれたとき。

 城の中で心無い臣下に毒を吐かれたとき。

 特別扱いされる者は、相応に悪い意味でも特別扱いされる。

 でもいつだってリリアスが自分を支えてくれた。


 ――ちょっと手が早いときがあるけど。


 街の中で自分を守るために絡んできた若者を殴った。

 臣下には悪戯と称してどこかから捕まえてきた無毒な蛇を部屋に解き放った。

 発想が突飛とっぴだが、それもまた自分の心を癒してくれた。


「僕は、〈英雄〉」


 マナフ史上最高と言われる魔術の素養をさずかった。

 しかし戦場でこれを発揮できなければ意味はない。

 自分と違って魔術を使えない兄は、より過酷な状態にある。


「僕は、〈白銀の月の子〉」


 太陽の光を受けて、大地を照らす。

 そして太陽に、一人ではないことを知らせる。

 夜に大地を照らせない太陽を助けるのは、月の役目だ。

 ゼムナスには確信があった。

 周りの人間は、自分の方を〈英雄〉と呼ぶが、本当に英雄に近いのは兄の方なのだ。

 リリアスは、きっとこの世界で大きななにかを為す。

 そういう気がする。


 ――兄さんは、強いから。


 ゼムナスは前を向いた。

 遠くで運命の大地が雄叫びをあげていた。


   ◆◆◆


 ゼムナスが帝国との決戦場になるカラーリスの丘に到着したとき、すでに戦端は開けていた。

 丘の向こうにある森林で、ときの声が上がっている。

 マナフ王国の白兵部隊と、森の奥に駐留ちゅうりゅうしていたバルトローゼの白兵軍団が激突したのだ。


「森林側には最低限の人員を置け! 重要なのは西からやってくる帝国の術式兵団だ!」


 マナフの術式兵団を率いる兵団長が指示を出した。


「団長、僕はどこに」


 ゼムナスはすでに戦闘がはじまっていることに体の強張こわばりを感じながらも、兵団長にたずねた。


「ゼムナス様は最後尾で援護をお願い致します。方角は西、敵の術式兵団の大規模斉射せいしゃを防いでいただければ幸いです」


 兵団長はしわの寄ったいかめしい顔でゼムナスに言う。

 こんな顔だが年齢は意外に若く、普段はとても柔和な人物だ。

 それでいて魔導振興国の術式兵団を率いるほどの傑物けつぶつであることを、今までの共同訓練でよく知っている。


「わかりました。任せてください。すべて防ぎます」

「心強いかぎりです」


 兵団長はいかめしい顔に最大限の柔和な笑みを乗せてうなずいた。


   ◆◆◆


 それから一時間後。

 魔術士たちの戦いは唐突にして幕を開ける。


「団長! 西から雷の槍――」


 丘の上で固まっていた術士たちの一人が、西の空を指差して叫んだ。

 叫んだ術士は、次の瞬間に頭を雷の槍に貫かれて絶命した。


「っ、術式性の投擲槍だッ!! 総員迎撃せよッ!!」


 兵団長のすさまじい大声が響き渡る。

 ゼムナスはその声に応じて西の空を向き、そこに膨大な数の雷槍が飛んでいるのを見た。


「やって、くれたな……!」


 ゼムナスは術士の頭が無残にも吹き飛ばされる瞬間を見ていた。

 込み上げた嗚咽おえつを呑みこみ、その震えを怒りに転換する。


「月のうたげ、青銀の器、すべてを寄せて呑みこめ、〈月光紋げっこうもん〉!」


 ゼムナスがその一瞬で発動させたのは、優秀な魔術士が数十人単位で発動させるような広域防御術式だった。

 すさまじい速度で空間に描写された術式が、分厚い青銀の盾となって現れる。


「素晴らしい」


 兵団長がその巨大な盾を見て思わず言った。

 投擲されてきた雷の槍は一つ残らずその盾に阻まれ、マナフの術士たちを無傷で守りきる。


「撃ち貫け、〈月光槍げっこうそう〉!」


 さらにゼムナスは魔術を発動させる。

 天を指差し、今飛んできた無数の雷槍を優に超える数の青銀の槍を、そこに生成した。

 ゼムナスは敵の位置を確認する。

 遠い。


 ――でも当てる。


「行けッ!」


 手を振り下ろす。

 天に現れた青銀の槍が、遠方に映る黒の巨群に向かって飛んだ。


「このまま敵の魔術を防ぎます! 団長たちは落ち着いて敵を迎撃げいげきしてください!」


 丘の上に陣取ったのは魔術による斉射をしやすくするためだ。

 攻撃されやすいという弱点もあるが、それさえ防げてしまえば高所からの打ち合いは負けない。


「感謝します、マナフの〈白き英雄〉よ!」


 たった一人で一つの術式兵団に匹敵する。

 その無限の魔素と卓越した魔術の技で、ゼムナスは瞬く間に戦場の要所になった。

 兵団長たちが一気に攻撃に転じる。

 敵の兵団はゼムナスの一撃で浮足立った。


 ――いける。


 少なくともこのときのゼムナスはそう思っていた。


   ◆◆◆


 戦況が大きく変化したのは、敵の姿が鮮明に見える段階になってからだった。


「なんだ……」


 ゼムナスは敵の群衆の中に見たこともないような巨大な大砲を見つける。

 それにはいたるところに日の光を反射する宝石のような鉱石がはめ込まれていた。


「魔石……あれは〈術機マキナ〉だよ! ゼムナス様!」


 隣にいたニーナが注意を喚起かんきする。

 その瞬間――大砲が青白い光を発した。


「あ」


 一瞬遅れて爆発音が鳴る。

 ゼムナスの顔になにか生暖かいものが付着した。

 横を向く。


「ニーナ?」


 ニーナの体が、下半身を残して吹き飛んでいた。


「え……?」

「ゼムナス様ッ! あの術機は危険です! 防いでください!!」

「防……ぐ?」


 見えなかった。

 光を発したと思ったら青い光弾が横を過ぎ去っていた。

 ニーナの上半身だけをり取って。


「ああ……」


 ゼムナスは死を知覚する。

 あの術機の一撃は止められない。

 たった一発でそれを確信してしまった。

 確信は力になる。

 良い意味でも、悪い意味でも。


「だめだ……」

「ゼムナス様!?」


 術機の特性は一撃の重さにこそある。

 細やかな魔術は代替だいたいできないが、『魔素耐久性』の高い形成素材を使えば、人間が一度に使える量をはるかに超える魔素を発散させることができる。

 ゼムナスにはその〈魂性能力〉として尽きない無限の術素があったが、ゼムナスという人間の体から一度に放出できる魔素の量には限りがあった。


「あれは……僕にも止められないッ……!」


 無論、ゼムナスが一度に放出できる魔素の量は人間レベルで言えば最上級である。

 しかし術機技術の発展がそれを超えた。

 そしてそのことを確信してしまったゼムナスには、もはやあの一撃を止めるだけの魔術を使う気力が残っていなかった。


「っ……」


 魔術は構成式と同時に使う者の思念にも影響を受ける。

 人の思念に感応かんのうするのが、魔素の特性でもあった。


「ひ、退けッ!! 狙い撃ちにされるぞ!!」


 兵団長が叫ぶ。

 二発目。

 青白い死神の光が明滅した。

 ゼムナスの立っていたカラーリスの丘が、そこにいた術士たちもろともはじけ飛んだ。


「ああ……」


 ――兄さん。


 もろく崩れ去った英雄の矜持きょうじと共に、ゼムナスは自分の死を見る。

 この諦めの早さこそ、自分の魂の本質なのだと、ゼムナスは昔から知っていた。


   ◆◆◆


 ゼムナスが目覚めたとき、周りは血の海だった。

 もうゼムナスには嗚咽おえつを止めるだけの力がない。

 息のある者の頭を潰して回る黒の鎧甲冑の兵士たちが、悪魔に見えた。


「目覚めたか、マナフの〈白い英雄〉」


 するとふいに、ゼムナスは後ろから声を掛けられた。

 荒れ果てた大地に座り込んだまま振り返ると、そこには黒い髪と青い瞳を持った鋭い目つきの男が立っている。

 軽装ながら、まるで力を誇示こじするかのような華美かびな装飾の施された鎧。

 顔は異様に整い、さらに薄く化粧が塗られていることが男の中性的な美しさを際立たせていた。


「お前は……」

「ツェーザル・バルトローゼ。貴様を生んだ廃英雄生産国を、これから蹂躙じゅうりんする男だ」


 異様な雰囲気をまとった男。

 しかしゼムナスはその男にリリアスと似た空気を感じ取った。

 内に秘めた苛烈かれつな意志。

 自分とは違う、成し遂げる者の目。


「お前にいくつか聞きたいことがある」


 ツェーザルは黒塗りの爪の生えた手でゼムナスを指差し、言った。


「お前は自分が〈廃英雄〉であることを知っているか?」

「廃……英雄?」


 廃英雄。

 それは人の欲が生み出した怪物。

 だがゼムナスはそのことを知らされていない。


「なるほど、知らないか。ニーナの報告どおりだな」


 なぜこの男からニーナの名前が出てくる。

 ゼムナスの背に冷たいものが走った。


「〈廃英雄〉とは、いずれ廃棄される仮初かりそめの英雄のことを言う」

「廃棄? 廃棄ってなんだ」

「第二時代の神族が残した人体錬成術式により生産され、最終的に架空の暴国〈ベスジア〉によって滅ぼされる運命を背負った哀れな人柱ひとばしらだ」


 言っている言葉の意味がわからない。


「一から説明するのは面倒だな」


 ツェーザルは面倒くさそうに言いながら腕を組む。


「簡単に言おう。貴様は、今日ここで死ぬ運命にある。そしてそれを計画したのは――なにを隠そう、マナフ王国だ」


 ゼムナスの中でなにかが砕ける音がした。

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