第17話 「明日、自分が死ぬとわかっていたら」

 バルトローゼ軍が駐留ちゅうりゅうしているという森が、目と鼻の先まで迫っていた。

 先行するマナフの白兵部隊は数個隊。

 その中に、リリアスの姿があった。 


「よう、リリアス。今日もシケたつらしてやがるな」


 その白兵部隊の中には、リリアスの見知った顔もあった。


「そっちは相変わらず軽薄けいはくそうな顔をしているな、ナウロン」

「ははっ、まあな。いつでもどこでも軽薄にってのがオレのモットーだ」


 かつて南方から小規模な旅団が攻め入ってきたことがあった。

 戦争といえば戦争だが、勝利の美酒に酔っていた民衆をここで不安がらせるわけにはいかないとして、秘密裏に迎撃げいげき部隊が出された。

 ゼムナスはそのときすでに〈白き英雄〉になっていて、表だって動かすことができない。

 そこで、リリアスに白羽の矢が立った。

 この〈ナウロン・ピースウォーカー〉という人物とは、そこではじめて会った。


「重く考えたってしかたねえ。オレは騎士じゃねえからな」


 ナウロンは長い砂色の髪を後ろで一本に結った優男だ。

 曲剣の名手で、軽鎧を身にまとって敵軍をするする切り抜けていく身軽な傭兵だった。


「騎士ってのはどうにも忠義だとか礼節だとかそういうのにうるせえ。『死んだ魂に安寧あんねいを』とかうすら寒いぜ。殺したのはおめえだろって話」


 リリアスはこの男が嫌いではなかった。

 その飾らない姿勢はどこか好感が持てる。


「あいつらたぶん、この世界にゃ生きてねえんだぜ。あいつらは騎士の世界に生きてんだ。だから殺したやつにそういううすら寒い台詞セリフを吐けるし、殺したことを正当化できる。あいつらは自分が人を殺してるってことを言葉ほど自覚してねえんだ」

「でも、そうでもしないと良心の呵責かしゃくに耐えられないんじゃないかな」

「良心の呵責、なぁ」

「そういうナウロンはどうなの?」

「オレ?」


 リリアスが訊ねると、ナウロンはしばらく考え込んだ。


「オレはいっつも『わりぃな、オレの方が強くて』って思ってぶっ殺してる」

「なんだそれ」

「だってそうだろうが。戦場じゃ強ぇやつがぶっ殺して、弱ぇやつが死ぬ。戦場に出てきてる時点で死ぬ覚悟くらいしてくるもんだろ。だからわざわざ相手の死後のことまで考えねぇし、わざわざ『安寧を』だなんておもんばかったりもしねぇ。オレはこの仕事が金払い良いからやってるだけであって、そしてオレが使い勝手のいい道具だから国も使う。そう、これは仕事。それだけだ」


 ナウロンはこの世界に生きていた。

 割り切っているとも少し違う。

 リリアスにはそれをうまく言語化することができなかったが、なぜかナウロンはこの世界に『いる』と思った。


「おめえはどうなんだよ、リリアス」

「俺は……」


 リリアスは何度か戦場に出ている。そしてそのとき敵を殺してもいる。


「たぶん、騎士よりもひどい」

「ていうと?」

「さしてなにも考えず、殺した。単純に殺されるわけにはいかないと思って」


 感触も覚えていない。

 ただ剣を相手の胸に刺しこみ、相手が胸から血を流し、動かなくなった。

 そういう外的な作用の経過だけを淡々と観察し、そしてそのまま受容した。


「はっ、いいじゃねえか。戦争に駆り出される兵士なんてそんなもんだろ。殺しが大好き、みたいな快楽殺人者をのぞいて、戦場で相手の命を奪う理由なんざそいつらの中にそれぞれあるもんだ。だがそういう理由とかを考えるのは戦いの前か後だけでいい。苦悩するのも同じだ。むしろ自分を殺しにくるやつを前にしてあれこれ考えて動けねえやつは、最初っから戦いに関わるべきじゃない」


 その言葉は数々の戦場を渡り歩いたナウロンだからこそ意味が宿る言葉だと思った。


「その点おまえは才能がある。おまえが戦場に出る理由は知らねえけど、目的のためにある一定の倫理観を捨てられるやつは、よくもわるくも大成するからな」

「よくもわるくも、ってのがよけいだ」

「事実だろ」


 ナウロンは笑った。


「まあ、こういうまじめっぽい話の続きをするためにも、まずは生き残んねえとな」

「そうだね」


 ふと、そこでリリアスはナウロンに訊ねてみたくなった。


「ナウロンはさ。明日自分が死ぬってわかってたら今日なにをする?」

「ん? 急になんだよ」

「いや、これから戦場に出る前にちょうどいい話題かと思って」

「まあそれもそうだな。てかおまえ、たまに無邪気な顔するよな。こういうなにげない質問も前のおまえはしてこなかった」

「そうかな」


 そうかもしれない。


「今はなんかこう、年相応の無邪気さっていうか、子どもっぽさっていうか。なんか、そういう好奇心まるだしのおまえのほうが素っぽくていいぞ」

「はは、いいかどうかはともかく、少しき物は落ちたのかもしれない」


 あるいは、最後の覚悟が決まったからか。


「……へえ」


 ナウロンは興味深そうにリリアスの顔をのぞきこむ。


「で、さっきの質問なんだけど」

「ああ、そうだったな」


 リリアスは顔をのぞきこまれるのが急に恥ずかしくなって、ナウロンに先をうながした。


「明日死ぬとわかってたら、か。そうだなぁ……オレは全財産使って遊びほうけるかなぁ」

「はは、ナウロンらしい」

「だろ? まあでも、死んだ両親の墓参りもするかもな。『もうすぐそっち行くから』って。『良い席とっとけよ』とも」

「席?」

「死んだらもうこの世界に参加者としていられねえじゃねえか。でも逆にいうと上からじっくり観戦できる。あいつはどう動いた、こいつはこう考えてる。――いや、死んだあとにどうなるのかはわかんねえが、そういう楽しみがあるって思ってたほうがいいじゃん?」

「そうだね」

「んで、オレたちより前に死んだやつなんて大勢いるわけだ。でばがめしたがってるやつが大勢いるなら良い席はとられちまってる。だから先に死んだやつに、オレのために良い席を確保しとけってお願いしにいくんだよ」

「ナウロンは、どんな世界が見たいの?」

「平和な世界――って言ったらおまえ笑うだろ」

「笑わないよ」

「ウソだな」

「うんウソ」

「このやろ」


 ナウロンがリリアスの頭を腕でかためて、ぐりぐりと拳を押しつける。


「あはは、いたい、いたいって」

「お前、やっぱり前より明るくなったな」

「そうかな」

「ああ間違いねえ。美人に告白でもされたかよ?」


 ナウロンがにやにやしながら聞いてくる。


「うーん」

「おいマジかよ」

「いや、告白はされてない。でもプレゼントをもらったよ」

「よし、見せろ」

「嫌だ」

「おいおい、そりゃないぜ」

「取らない?」

「心外だな。オレは軽薄の極みみたいな人間だが、人のプレゼントぶんどるほど落ちぶれちゃいねえぜ」


 身の潔白を証明するかのように大きく腕を広げてみせるナウロン。

 リリアスはその様子を見てしかたないとため息をつき、ローブの内側から一枚の銅貨を取り出した。


「それか?」

「そう」

「ただの銅貨じゃねえか。まあ、やたら磨かれてはいるが」

「でも、俺にとっては大切なものだ」


 リリアスはまたすぐに銅貨をローブの中にしまい、毒の抜けた顔で前を見る。


「俺の、心の穴を埋めるものだ」

「ふーん。まあ、いいんじゃねえの?」

「なにが?」

「その銅貨がおまえをこの世界に留めるくさびになるわけだ。おまえ、ちょっと前まで目を離したらどっか消えちまうんじゃねえかってくらい変に存在感が薄かったからな」


 目立っていいことはない。自分の立場上、来たるべきときまでは〈廃英雄〉であることも知られないほうがいいだろう。

 自分がいわゆるホムンクルスで、廃棄されるために生まれた哀れな英雄像であることなど、この世界の大部分は知らなくていい。


「ナウロンは、俺が死んでも俺を覚えてくれているかな」

「おいおい、縁起でもねえこというなよ。……でもまあ、覚えちゃいると思うぞ。オレは傭兵で、あんまひとところに留まらねえが、このマナフ王国で出会ってやたらめったらつええ若造ってことで、忘れたくても忘れられねえだろう」

「はは、じゃあ俺もナウロンが覚えていてくれるかぎりは、この世界に生きているって言えるのかもね」

「おいリリアス、やっぱおまえ変なもんでも食ったか? 毒が抜けた以外にもずいぶんセンチになりやがって」

「俺は若いからね。心境の変化くらいいくらでもあるさ」

「はっ、かなわねえな」


 それから何度か楽しい皮肉の言い合いをして、二人は目的地の一歩手前にたどりついた。


   ◆◆◆


「あれか」

「うん、マズローの森だ」

「はー、森林戦って嫌いなんだよなぁ」


 ナウロンが頭の裏で手を組んでめんどうくさそうに言う。


「さて、こっからはオレら第一白兵旅団が先行するんだったな」

「無事で、ナウロン」

「心配すんなよ。オレは帰ってから女遊びしなきゃならねえんだ。約束もしてる。だからそうそう死なねえさ」


 最後までナウロンは軽薄な言葉を口にして、それから二人は別れた。

 リリアスはこれを最後に、この戦場でナウロンと再会することはなかった。

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