第16話 「花と銅貨」
次の日、
――この景色もずいぶん見慣れたな。
最初は未知の世界だった。
しかし街へ自由に出ることを許されてから、この活気ある街をくまなく歩き回った。
顔見知りもできたし、一応行きつけの店なんかもある。
――でも。
リリアスはいつもなにかを探していた。
なにを探しているのかは自分でもわからないのだが、心の中にぽっかりあいた穴を埋められるなにかを、探していた。
「あ、黒い髪のお兄ちゃん!」
と、リリアスが
「――ああ、昨日の」
昨日もバルトローゼからの宣戦布告が届いたあと、
そのとき、小さな花屋の前でうんうんとうなる一人の少女に出会った。
明るい茶色の髪がきれいな少女だった。
「昨日はお花、ありがとう!」
その少女はどうやら花を欲しがっていたようだった。
そのときは周りに保護者の姿はなくて、お使いかなにかの帰りなんだろうと勝手に思った。
手荷物を持った彼女はごそごそと服のポケットをあさるが、出てきたのは銅貨が一枚。
リリアスがなにげなく近くまで行って彼女の視線の先をうかがうと、どうやら白い花をほしがっているようだった。
「どういたしまして」
その白い花の値段は銅貨二枚だった。
リリアスはほんの少し悩んだあと、少女のうしろから花屋の店主に声をかけ、彼女がしきりに眺めていた花を買った。
「あっ」と少女が残念がるような声をあげたが、リリアスがそれを「あげるよ」と言って渡すと、少女の顔はみるみるうちに小さな太陽のように明るくなった。
「これ、お返しにきたの!」
すると、少女がリリアスになにかを差し出した。
少女の小さな手ににぎられていたのはぴかぴかに磨かれた一枚の銅貨。
「昨日の?」
「そう! せっかくお返しするから、ぴかぴかにしてきたの!」
通貨は、たいていの場合それがきたなかろうがきれいだろうが普通に使用できる。
だからあえて磨く意味もない。
だが、そのぴかぴかに光る銅貨を見て、リリアスはふと、妙にうれしくなってしまった。
「――うん、ありがとう」
「ううん、お礼を言うのはあたしのほう!」
少女は手に本を持っていた。
「黒髪のお兄ちゃん、これ見て!」
中には押し花がある。昨日彼女にプレゼントした花だ。
「お花、本当はそのままにしておきたかったんだけど、いずれは枯れちゃうからってお母さんが」
「そうだね」
「でも、どうしても残しておきたいなら、こうするといいよって! これ、魔術で細工がされてるんだよ! 夜になるときれいに光るの!」
「そっか」
彼女は本当に楽しそうに目をきらきらさせて話した。
リリアスはその話を終始ほのかな笑みを浮かべて聞いていた。
「このお花はね、お兄ちゃんにもらった大事なお花なの! 普通のお花と違うの!」
「そうかな。花は花だよ」
「ちーがーうーのー! これは、お兄ちゃんがわたしのために買ってくれた花なの!」
「俺が?」
「そう、お兄ちゃんが!」
なぜだか少女の言葉が胸に響いた。
ぽっかりと空いていた心の穴が、その少女の言葉ですうっと満たされた気がした。
「――ああ」
そのときリリアスは、はじめて自分が探していたものを知った。
「俺は、この世界に生きているのか」
「……?」
少女が首をかしげる。
リリアスは珍しく慌てた様子ですぐに続けた。
「ああ、ごめん。変なことを言ったね。とにかく、ありがとう。きみから返してもらったこの銅貨も、大事にするよ」
「うん! でもお金はお金だよ!」
「それをきみが言うのか」
このあたりは幼い少女らしい。そんなことを思いながら、リリアスは少女にもらったぴかぴかの銅貨を胸のポケットにしまった。
「じゃあ、俺はそろそろ家に帰らないといけないから」
「うん!」
「きみも気をつけて帰るんだよ」
「大丈夫! 今日はお母さんも一緒だから!」
少女が指差した先に、目鼻立ちの整った女性が立っていた。
リリアスが赤い瞳を向けると、はにかむような顔をしてぺこりと頭を下げる。
リリアスもそれに応えるように小さく頭を下げた。
「それじゃあ」
そう言って少女の横を通り過ぎる。
「あ、お兄ちゃん!」
「ん?」
と、最後に少女がリリアスを呼び止めた。
「またね!」
振り返るとそこに、あの太陽のように明るい笑みを浮かべた少女がいた。
ぴょんぴょんと跳ねながら手を振る姿はなによりも無邪気で――
「うん、またね」
リリアスはやわらかな笑みを浮かべて、少女に手を振りかえした。
なにげない一幕だった。
街中を探せばどこにでもありそうな。
けれどこのささやかな出会いと出来事が、のちのリリアスの生き方に大きな影響をもたらした。
◆◆◆
出陣の一日前。
リリアスはまたあの夢を見た。
赤い荒野。
ぽつりと立つ赤い瞳の少女。
けれど青い瞳の少年の姿は、そこにはない。
『行くのか』
「――うん」
そして赤い瞳の少女は、リリアスを見ていた。
『なんだ、妙に毒気を抜かれたような顔をして。最初に会ったときと比べるとずいぶんやわらかい表情をするようになったじゃないか』
「まあ、いろいろあったからな」
リリアスは苦笑を浮かべた。
「なにより、最後の日が決まったから。変な話だけど、少しすっきりしたのかもしれない」
赤い瞳の少女はそう言うリリアスを見て悲しそうに眉尻を下げた。
『ほかに方法はないのか』
「ないよ」
『ゼムナスを捨てるという選択肢は』
「もっとない」
『……わたしはお前に、もっとわがままに生きて欲しかった』
リリアスはぶれない。
ゼムナスを生かすという一点に関して、たとえ世界が崩壊しようと決定をくつがえさないだろう。
「俺はこの戦争が終わったあと、その足でベスジアの地へ向かう」
場所は今回の戦で予想される戦場の近く。
「無事に廃棄されるためにも、この戦争は勝たなきゃならない」
『相手は例のバルトローゼか』
「そう。やつらはとても強い。でも俺が前線を支え、ゼムナスが魔術で先制できれば勝機はある」
バルトローゼは術機を主兵装にする国だった。
供給元はわからないが、バルトローゼには無数の術機があり、元来魔術を使えない者までが魔石の力を使って魔術的な力を使ってくる。
「近接兵の練度は当然向こうのほうが上だ。兵の数も同じく。でもゼムナスなら魔術戦に関しては一人で大勢を相手取れる」
ゼムナスの魔素は尽きない。
向こうは魔石を燃料源にしている以上、いずれはそれが枯渇する。
「先手を取られるのはまずい。後手に回ればさすがのゼムナスでも対処しきれないだろう」
リリアスはゼムナスとは別の隊で動く。
最初の戦場は森林になるだろうと戦術官たちが告げた。
リリアスもまた、己の知識と経験によってその目測に同意している。
「森林戦は視界も悪く、同士討ちの危険もあって数の利を生かしづらい。ここをいかにすばやく制圧できるかがカギだ」
数でも練度でも劣る自分たちは、常に先手を打つくらいの
「俺たち白兵部隊が森を制圧できれば、主戦場になると思われる開けた平原に対し、常に圧力をかけることができるし、伏兵に回り込まれる危険を減らすことができる」
リリアスは淡々と戦局予想図を脳裏に展開した。
もうリリアスの頭はいかにしてこの戦いを制するかしか考えていない。
まるで無邪気に未来に思いを
『リリアス』
「ん?」
『お前の思い描く未来に、お前自身の姿はないのか』
「……」
リリアスは
おそらくそのことをリリアス自身も知っている。
だが少女は、その歪みがリリアスの『無理』によって生じたものだと信じたかった。
「……」
リリアスは少女の問いに答えなかった。
けれど最後に一度だけ、さみしげに笑った。
それを見て少女はおもわず一歩前に踏み出した。
『リリア――』
だが、そこで夢が終わる。
少女の伸ばした手がリリアスに触れることはなかった。
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