第15話 「宿命の足音」

 それから一年がった。

 あの戦争の勝利の勢いに乗って、マナフ王国は大きな徐々に繁栄のきざしを見せる。

 人々は活気にあふれ、魔術の振興もよりあつくなった。


 このころにはリリアスとゼムナスはほとんど別行動をしていることが多くなった。

 訓練に関しても、ゼムナスは王国の術式兵たちと、リリアスは歩兵団や騎兵団の面々と共同で行うことが増える。

 城の中で偶然会うこともあったが、前のように一緒に蔵書室にこもったり、時間を合わせて食事をとることもなくなった。


 そんなある日のこと。

 なにげない日常を切り裂くように、リリアスの部屋の扉が重くノックされた。

 侍女のエルザが扉を開ける。


「――アストレア王女殿下」


 そこにはおそろしく美しい女がひとり、立っていた。


「下がれ、エルザ。わたしはリリアスに用がある」


 アストレアは国民たちのうわさどおり、いな、うわさ以上に見目麗みめうるわしい美女になっていた。

 貴種でありながら隠れて研鑽けんさんを積んだその肉体は、細身ながらたしかな力強さをたたえている。

 生来の好奇心にちなんで蓄積ちくせきされたさまざまな知識が、彼女の瞳に端正たんせいな理性の光を宿らせていた。


「しかし、これからリリアス様には歩兵団との共同訓練が――」


 だがこのときの彼女の目は、そんな普段の彼女からは考えられないような、苛烈かれつな怒りを宿していた。


「黙れ、わたしの命令を聞けないのか」

「……は、かしこまりました」


 有無を言わさぬアストレアの言葉に、エルザはこうべを垂れて部屋を出て行く。

 部屋の中には真っ黒な軍装に身を包んだリリアスが残っていた。


「なんだ、えらく機嫌が悪そうだな」


 リリアスは軍装を整えたあと、腰に剣をいて振り返る。


「なぜ黙っていた」

「ん?」


 アストレアはエルザが出て行ったのを確認したあと、ずかずかとリリアスに近づき、その胸倉をつかんだ。


「なんのことだ」

「っ、すべてだ! 貴様の出自のこと、裏で行われていた非道な実験のこと! ゼムナスを戦いから遠ざけるために払っていた貴様自身の犠牲のこと! なにもかもだッ!!」

「――王はお前に話したのか」


 リリアスはアストレアの言葉ですべてを察する。

 一年前より少し長めに整えた黒髪の隙間から、わずかに見開かれた赤い瞳がのぞいた。


「ああ。……そして死んだ」

「死んだ? 病に伏せっているとは聞いていたが……」


 まさかそんなに状態が悪いとは知らなかった、とリリアスは素直に驚く。


「……違う。たしかに病にはかかっていたが、正確には病死ではない」


 すると、アストレアが唇をきゅっと引き絞りながら首を横に振った。


「あれはみずから死を望んだのだ。しかしナイフを自分の胸に突き立てる力もなかったあれは、側近に頼み、自死した。……そう、自死だ。わたしにすべてを話したあと、あれはすべての業を背負う覚悟すら曲げ、最後になにもかもを投げ捨てることを選んだのだ」

「――」


 真実を知っても、リリアスにさして感慨かんがいはなかった。


 ――いや、それが真実かどうかも、もう誰にもわからないからか。


「――アストレア、俺はこれまでの俺の生を、犠牲だとは思っていないよ」

「だがお前はゼムナスの代わりに廃棄されるのだろう!?」

「……本当に全部知ってしまったんだな」


 ふと見るとアストレアの手には一通の封書が握られている。

 堅苦しい封蝋ふうろうあとがあって、おそらくどこかの国からの令書なのだろうと予想がついた。


「〈英雄産業〉だと……!? ふざけてる! こんなのは――悪魔のやり方だッ!!」


 アストレアはいつの間にか目に涙を浮かべていた。

 それが悲しみによるものなのか、あるいは怒りによるものなのかはわからない。

 いや、もしかしたらどちらもなのかもしれないと、リリアスは思った。


「おまえはあの役回りを受け入れたのか!?」


 アストレアが髪を逆立てるかのような勢いでリリアスにせまった。


「――ああ」


 そんなアストレアを前にしても、リリアスは淡々と答えた。


「もっとはやくゼムナスと共に逃げ出せばよかった……っ!」

「それは無理だ」


 リリアスは首を振る。


「〈廃英雄〉がその使命を投げ出して逃げたとあっては、〈廃棄部隊〉が動き出す。英雄産業提携国が、この産業の存続をかけてもっとも力を入れた部隊。簡単には逃げられない。それに――」


 そこからはリリアスの独断だった。しかし確信もあった。


「追われ続け、逃げ続ける人生を、ゼムナスはたぶん送れない。それにあいつには、そんな人生は似合わない」


 リリアスはふと表情をほころばせて言った。


「俺はあいつに、英雄になってほしいんだ」


 リリアスの脳裏に、「この国が好きだ」とやわらかい笑顔で言うゼムナスの姿が浮かんだ。


「あいつはさ……良いやつなんだよ。こんな境遇の俺たちだけど、ゼムナスはマナフ王国のことを心から大切に思っている。それにあいつには英雄になれる力もある。あいつは――この国の英雄にふさわしいんだ」


 リリアスはゼムナスのことを誰よりも近くで見てきた。

 そして自分と同じ境遇で、しかし自分とは違いまっすぐに英雄になろうとしている彼を、少し尊敬すらしている。


「俺は兄だからさ。そんな弟を守るのも悪くないって、ちょっと思った」


 最初は嫌々だった。

 でもいつの間にかそう思うようになった。

 これはきっとゼムナスの魂の力だろう。

 〈枯れない月の魔素〉という〈魂性能力アニマ・クリプト〉なんかとは違う、本当の意味での、魂の力。


「あいつはなにかと人を魅了する」


 リリアスはそこで訓練に出るのを諦めたように再び椅子に腰かけた。


「王が俺に〈廃英雄〉の運命を知らせたのは、俺の〈魂性能力〉の覚醒をうながしたかったからだろう。――『死を想え』。死を自覚したとき、廃英雄は〈魂性能力〉に目覚める」

「そこまでわかっていて……」

「でも不思議なもんで、それを伝えられても俺は〈魂性能力〉に目覚めなかった。肉体的苦痛、精神的苦痛、最後に王は俺に〈廃英雄〉としての運命を知らせた。なのに、まだダメだ」


 自嘲するような笑み。


「……はは、こうなると自分でもどうやったら死を自覚するのかわからない」


 今度はあっけらかんと、リリアスは笑った。

 ひとつひとつに違う意味のある笑みを浮かべるリリアスを見て、アストレアはまた目尻に涙を浮かべていた。


「でもまあ、俺にはそういう廃英雄らしい力を抜きにして実用に足る戦闘力と、ある特質があった。だから王は、最後には〈魂性能力〉を諦めて俺を普通に軍事転用することにした」


 リリアスの戦闘力はすでにまともな人間の上限を突破している。

 それは死を自覚するために行われるような激しい訓練の数々を、リリアスがこなしてしまったがゆえでもある。


術機マキナってあるだろ?」


 加えて、自分の魔素を持たないリリアスだからこそのある施術も、ほどこされていた。


「物に術式を刻印こくいんし、そこに魔素を通すだけで効果を得られるようにした魔道具」


 術式を刻み込む触媒しょくばいは、魔素を含まない鉱石などが使われる。

 魔素を含む物体を触媒に使った場合、その潜在魔素が使用者の魔素を阻害そがいしたり、そもそも術式の刻印自体を阻害することがあったからだ。


「魔素耐久性という観点からも、俺の体は触媒としてとても優れていたらしい」


 この世に存在するすべての物には、『魔素耐久性』という先天的な耐久度が存在する。

 どれほどの魔素圧に耐えられるか。どれくらい魔素を通すと壊れるのか。


「……まさか」


 アストレアがそこで大きく目を見開く。


「そう」


 リリアスの『魔素耐久性』はその肉体的能力と同じように常軌じょうきいっしていた。

 だから魔導振興国マナフの魔術師たちは、その体にさまざまな術式を刻み込んだ。

 あまりに複雑で、自分では発動させられない特級の魔術の数々を。


「俺はある意味、マナフという魔導振興国が粋を集めて作り上げた『魔導兵器』でもあるんだ」


 マナフの民は世界的に見ても魔術の素質に恵まれている。

 ただ彼らの場合、その素質を戦いの方面にあまり使わなかった。

 しかし国家の滅亡を前にして、彼らはついに一線を越える。


「いつも身に着けているこの魔石は、俺の魔術を発動させるためのものじゃない。この体に刻み込まれたマナフの至高術式を使うための燃料だ」


 ふと、リリアスのベルトから吊り下がっていた六つの魔石のうちひとつがパリンと割れた。

 直後、リリアスの腕や首に複雑怪奇な術式模様が浮かぶ。


「俺の体は、魔術的な生体実験によって極限まで改造されている」


 膂力りょりょく、感覚機能、反射速度やその他もろもろ。

 リリアスの眼の中にすら魔法陣が浮かんだのを見て、アストレアは愕然がくぜんとした表情を浮かべた。


「飛んでくる弾丸を正確に見極めることができるのも、それをこれみよがしにまんで見せることができるのも、こういうもろもろが原因だ」

「バカな……すべて禁術ばかりではないか……」


 アストレアは魔導振興国の王女として、そして天稟てんぴんを生まれ持った者として、望む望まないにかかわらず、リリアスの体に刻まれた無数の術式の内容を理解してしまった。


「発動時、放散ほうさんされる魔素が背部で赤い光輪をかたどることから〈灼輪しゃくりん術式〉と呼ばれてる。マナフの民はすごいよ。彼らは滅ぶべきではないと、俺もこれを刻まれたときに思った」


 マナフの民は戦乱の時代を生きることに適していなかった。

 これだけの力を持ちながら、戦うことに精神が順応しなかった。


「俺はこの力を使って、ゼムナスを守る。あいつを〈廃英雄〉としては死なせない」


 リリアスには決意がある。

 この先の人生をすべてふいにしても成し遂げたい思い。


「俺が、あいつの代わりに〈廃英雄〉として死ぬ」


 そう告げたリリアスの顔を見たとき、アストレアはもうなにをしてもリリアスが止まらないことを知った。


「お、お前は……っ」


 なにを言ったら自分を大切にしてくれるのか。

 その言葉をかけてしまったらゼムナスを捨てろと言うことにはつながらないか。


「なんだ、このどうしようもない状況はっ……!」


 誰が悪い。

 いったい誰がこんなことにした。


「また泣いてるのか、アストレア。お前は本当に泣き虫だなぁ」


 怒るように、はたまた悲しむように、アストレアが震えながら目のはしに涙を浮かべているのを見て、リリアスはやはり笑った。


「は、話をそらすな! わたしは、お前に……っ」

「わかってる。だから言わなくていいよ」


 生きていてほしいと、言ってしまいそうになった。

 それを知っていたかのように、リリアスがアストレアの言葉の先を止めた。

 リリアスだって死にたくないとは思っているだろう。

 だがゼムナスを生かし続けるためにはそうするしかなくて。

 ほかに良い方法も思いつかなかった。

 だからリリアスは選んだ。

 それをまわりから揶揄やゆするのは簡単だ。

 生きていてほしいと言うのも同じ。

 けれどそうすればゼムナスは――死ぬ。


「うう……」


 アストレアは床に崩れ落ちて泣いた。

 この状況を変える力がない自分がうらめしかった。


「――ありがとう、アストレア」


 そんな彼女に、リリアスはやさしく告げる。


「こんな俺だけど、俺のために泣いてくれるやつがいるだけで、今まで生きてきたかいがあったと思うよ」


 リリアスは失われた記憶に思いをはせる。

 かつての自分はどんな人生を送っていたのだろうか。

 今ではすっかり気にならなくなったが、生まれた当初はときおりかつての記憶がちらついた。


「……たしかに、自分が明日死ぬと思えばある程度は必死に生きられるのかもしれない」


 でもそれはとても大変なことだとも思う。


「俺はたぶん、ゼムナスがいなかったらとっくに心を折っていた」


 そして同じく、たった数年後に終わりが見えていたからこそ、今までがんばってこられた。

 人は死ぬ。いつか死ぬ。でも普通、いつ死ぬのかはわからない。


 ――やろうと思えば死に場所と死にどきくらいは決められるかもしれない。


 あるいはそれこそが、人に許された唯一にして完全な自由なのだろう。


「でも俺は、死に時を選べない。〈廃英雄〉としてベスジアの地で死ねと言われれば、死ぬしかない。それでも、やっぱり――」


 目をつむる。

 脳裏のうりにあののやさしい弟の笑顔がよぎった。


「それが無意味じゃないというのなら、俺はこの役回りに魂を捧げられる」

「ああ……」


 アストレアの声は震えていた。

 それはけっしてうなずきではなかった。

 一切ゆるがないリリアスを見て、むしろ彼女の方が絶望してしまったかのような、諦観ていかんの声だった。

 魂をしぼりだすかのように漏れ出た彼女の声を最後に、二人は言葉をかわさなくなる。

 アストレアが手に持っていた封書が、ぱさりと床に力なく落ちた。

 そこにはこう書かれていた。


【五日後、貴国の〈廃英雄〉を処分することに決定した】


 この世の終わりのような静寂せいじゃくが、小さな部屋の中を揺れていた。


   ◆◆◆


 その十分後。

 まるでマナフの〈廃英雄〉の処分日に合わせたかのように――

 バルトローゼ帝国がマナフ王国へ宣戦布告した。

 

 一年前の勝利にいていたマナフは再び断崖だんがいへと追いやられる。

 そしてこれから起こる戦いが、リリアスの人生を大きく変える転機となることを――彼はまだ知らなかった。

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