第14話 「馬鹿を言え」

 リリアスは食事を終えたあと一度自室に戻り、それからまた街へ出た。

 見慣れた景色の中、リリアスの視界には本来映るべきではない者が映っている。


『ここがお前の住む国か』


 昨日、夢を見たあとに現れた黒い髪の少女。

 ふわふわと霊のごとく宙を舞うその姿が、リリアスにはまだ見えていた。


「外で話しかけるのはやめろ」

『なに、小声ならどうってことないだろう?』


 赤い瞳に楽しげな色を乗せて少女が言う。


『お前の弟を見た。なるほど、あれは天稟てんぴんだ。お前が自慢したくなるのもわかる』

「べつにおまえに自慢したことはない」

『顔もよかったな。かつての勇者に負けず劣らずだ。ああ案ずるな、おまえもなかなか良い顔だぞ』

「バカにしてるのか」

『ははは、本心だとも。世が世、立場が立場ならお前だって社交界の花形はながたになっていただろう。もう少し無愛想を直せばなおさらな』


 よけいなお世話だ、と小さくこぼしてリリアスは街を歩く。


「ゼムナスの中に青い瞳の勇者の思念はあったか」

『いや、ない。どうやら本当にお前の弟には勇者がいていないようだ』

「……そうか」


 よかった。

 リリアスはたしかにそうつぶやいた。


『おそらく勇者の思念の本体は別の場所にある。お前の中にあるのは残滓ざんしにすぎない。かわりにわたしの思念がたっぷりと入り込んではいるが――』


 少女がふわりとリリアスの背中に張り付いて、その腕を首に回す。


『まったくうらやましいな。こんな美女に取りつかれて』

「いますぐ消したいところだ」

『そう言うな。お前には力を貸してやる』

「力?」

『魔術の教鞭きょうべんを取ってやろう』

「なに?」


 魔術という言葉にリリアスは思わず肩をぴくりと反応させる。


『夢の中でお前に魔術を教えてやる。これでもわたしは魔王と呼ばれた身だ。お前の弟に負けず劣らず、魔術が得意だ』


 それはリリアスにとって魅力的な提案だった。

 リリアスは昔から魔術に対して強い憧れを抱いている。

 しかしどうにも才能がない。

 人並以上の修練をしているものの、なかなか身にならないでいる。


『お前は別に魔術の才能がないというわけではない。ただ、ホムンクルスとして生まれたせいか、いまだに魂と体がうまく連動していないのだ。逆にいうとその状態でそれだけ動けることが驚異的なのだが』


 少女は続けた。


『しかし、魔術は肉体的な技術というよりもっと感覚的、あるいは精神的な技術だ。お前が寝ている間、その齟齬そごをわたしが矯正してやる』

「そんなことができるのか」

『できる。お前の精神と強く癒着ゆちゃくしているわたしならば。……ただし夢の中でだけだ。お前の精神が覚醒している間は、その無駄に強すぎる自我が邪魔でうまく干渉できない。……それともうひとつ』

「なんだ?」


 いつの間にかリリアスは周りの目など気にせずわくわくと目を輝かせている。


『ふふっ、本当にのお前は無邪気な子どものようだな』


 そんなリリアスを見て少女がやさしげな笑みを浮かべた。


「う、うるさい。で、なにがあるんだ」

『お前は夢の中でも精神を酷使こくしすることになる。普段は肉体の鍛練におそるべき執念しゅうねんを燃やしているだろう。寝ている間までそれとは別種の修練を重ねることになれば――』

「かまわない!」


 リリアスが少し大きめの声をあげる。

 周りの人々がびくりとリリアスの方を振り返った。


『お前、どれだけ魔術が使いたいんだ……』


 さすがの少女も今の大声は予想外だったのか、若干じゃっかんたじろいだ様子で頬をひきつらせている。


「……ゴホン。とにかく、俺の体調の心配はいらない。俺はけっこう頑丈がんじょうだ」

『そうだろうとも。だが限界が来たと思ったらいったん休憩を入れる』

「魔術がもっとうまく使えるように……」


 リリアスがうれしげにつぶやく。

 その姿を見て少女はまた笑った。


『出来の悪い弟子ができたみたいでわたしも楽しい』


 少女は長い黒髪をかきあげる。


『……わたしの残した思念が消えるまでに、お前を一人前にできればいいな』

「ん? なにかいったか?」

『いいや、なにも。さあ、これからどこへ行く? 午後はまた訓練なのだろう?』

「今のうちに武器の手入れだ。戦いでだいぶ削れてしまった」

『ふむ。おまえの力に耐えきれなかったのだろうな』

「もっと頑丈な武器がほしい。めいいっぱい打ち込んでも折れない剣が」


 リリアスはそういって再び歩きはじめる。

 やがてたどりついた場所は、マナフにいくつかある鍛冶屋のひとつだった。


 ◆◆◆


「……おい、リリアス」

「……はい」

「おめえ、なにをどうやったらわしの打った剣がこんなんなるんだ?」

「鎧ごと……敵を斬ったら……?」

「ハァ!? 鎧ごとだぁ!? 何度も言っただろうが!! 剣ってのは鎧を叩き斬るためにあるんじゃねえ! 肉を斬るためにあるんだよぉぉぉおおおおおお!!」

「すみません……」


 リリアスは鍛冶屋に入るやいなや、そこの鍛冶長かじおさに剣を見せ、そしてまず頭をぶんなぐられた。

 鍛冶長はもさもさのひげが特徴の初老の男性で、その肉体は年齢詐称ではないかと思うほどに筋骨隆々きんこつりゅうりゅうである。

 鍛冶長はさらにもう一発リリアスの頭をぶんなぐり、そして手に持っていた剣をクズ鉄入れにほうりなげた。


「あっ」

「ありゃあもうダメだ。打ち直してももろくなる」

「いや、でも……」


 最近では比較的長持ちしていたもので、それなりに愛着があった。


「はあ……、もっといいもんを作ってやる。聞いた話じゃおめえ、今回の戦でだいぶでかい戦功をあげたらしいじゃねえか」

「え?」


 リリアスは自分の戦いが街の人にまで伝わっているとは思わなかった。

 自分は〈廃英雄〉。いずれ廃棄される仮初の英雄。

 それを王国も知っているからこそ、自分をあまり目立たせたりはしない。

 だから今回も隠れるように戦に出た。

 なのに――


「おめえにはどんだけ頑丈な武器を渡してもその馬鹿力でダメにしちまう。だから、素材の段階からマナフ鍛冶師直伝の術式補強を入れて、完成後にさらに本職の魔術師に刻印式のコーティングを頼もうと思ってる。前代未聞ぜんだいみもんだが今後はマナフも抵抗する力をたくわえなきゃならねえ。こういう技術に着手するにはちょうどいい機会だ」


 鍛冶長がうなるように言った。


「まあ、武器ってのぁどこまでいっても人を殺すためのもんだ。バルトローゼに襲われる前にゃ儀礼用の武器ばっかり作ってたが、これも時代の流れかね。……ともかく、俺たちが鍛冶師生命をかけて良い武器を作ってやるから、おめぇはマナフを守るためにその武器を振るえ」

「……うん。あ、じゃあお代は――」

「いらねえよ。どうせおめぇらが負けたらわしらも死ぬ。そんなときにこまけぇ金のどうこうなんて気にしてられっか」


 鍛冶長はけむたそうに手を振って言った。


「――ありがとう」

「まあ、今回の戦はしょせん前哨戦ぜんしょうせんだ。マナフの西にバルトローゼがあるかぎり、わしらに安寧あんねいは来ない」

「……そうだね」

「だが、いつかはまた平和な時代がやってくる。どういう過程を経てそうなるのかはわからねえが、せめてそのときにはマナフがまだ存在していることを願うばかりよ」

「大丈夫。マナフは滅びないよ。この国には〈ゼムナス・ファルムード〉がいる」


 こたびの戦争でマナフに現れた、〈白き英雄〉。

 その名を出したとき、鍛冶長は少し複雑な表情だった。


「……どうだろうな。あの坊ちゃんは少しやさしすぎる。戦乱の時代には向いてねえ。ああ、けなしてるわけじゃねえんだ。これは心配ってぇのかな」

「それもわかってる。だから俺がいる」


 そう言ったときのリリアスの目は、鍛冶屋に飾られている剣以上に鋭い光を宿していた。

 それを見た鍛冶長は、まいったとばかりに頭をぼりぼりかいて続ける。


「ああ、心配してねえよ。おめえのことはおめえがこの国に来てからずっと見てる。だから心配してねえ。どんな激しい訓練を課されても、おめえは泣きごと一つあげなかったしな」


 最初のころはよくここに来ていた。

 訓練のたびにその内容が激しすぎて武器が壊れたからだ。

 リリアスは最初、本当に無愛想だった。

 鍛冶長もあまりしゃべるほうではなかったからちょうどよかったが、今となってはこうして皮肉を言い合うくらいの仲になっている。


「ただ、おめえもたまに消え入りそうな顔をするからな」

「大丈夫だよ。俺は消えない」


 〈廃英雄〉として死ぬまでは、けっして。


「じゃあ、行くよ。今日も午後から訓練なんだ」

「ああ。とりあえず試作段階で出来たそこそこ良いやつを渡しとく。あ、試作っていっても普通の武器と比べたら高級品だ。折るんじゃねえぞ」

「折ったらまた来るよ」

「ぶっ飛ばすぞ!」

「あはは」


 最後にリリアスは無邪気に笑って鍛冶屋をあとにした。

 逃げるようにけていくリリアスの姿を、鍛冶長は――


「心配してねえだ? ……バカをいえ」


 まるで帰っていく孫の姿を見送るかのように、ずっと見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る