第13話 「兄と弟」

 英雄を求める声が、聞こえる。


「ああ……」


 亡霊のなげく声が、背すじをなでている。


「僕は……」


 ゼムナス・ファルムードはようやく自室へたどりつき、ベッドの上にどさりと倒れ込んだ。


「戦争というのは、やっぱり悲しいものだね……」


 体のふしぶしが痛む。

 それでも体の内にある魔素はあふれでてくる。

 この身のうちにある〈白銀の月〉は、あれだけの血を喰らってなお、世界で暴れようともがいている。


「勘弁してくれ……」


 生まれた当初に与えられた肉体的苦痛で、この魔素に目覚めた。

 まるで世界のすべてをおおい尽くそうとする無限の魔素。

 たしかにどれだけ魔術を使っても魔素が尽きないのは魅力的だが、人の体から発散させられる魔素には上限がある。


「僕が使うだけまだマシだろう……」


 自分には魔術の才能があった。

 編める術式の幅が広い。

 複雑な術式を編めば編むほど、必要な魔素も大きくなる。

 そして自分は人よりもその魔素を放出する才能にもめぐまれた。

 だからほかの人間がこの力を持つよりも、彼らには都合がいいはずだ。


「わがままを言わないでくれ……」


 身のうちの月が叫んでいる。

 もっと世界を覆わせろ。

 もっと世界で暴れさせろ。

 いつからゼムナスは、身の内にある〈枯れない月の魔素〉に人格すら覚えていた。


「僕の体と心がもたないよ……」


 迫りくる敵の兵士たちの顔が脳裏のうりをよぎる。


「……いや、これはまやかしだ」


 最初は覚えていたが、途中から攻撃する相手の顔を見ることすらしなくなった。

 大規模な魔術を発動し、戦場を一掃いっそうする。

 次々あふれ出てくる敵を、かたっぱしからなぎ払う。

 徐々に心が麻痺まひしていくのがわかった。

 術式を描き出す指と、攻撃を意図する心が、分離してしまったかのようだった。


「兄さんは大丈夫だったろうか……」


 一緒に出陣し、そして別の場所で戦っていたであろう兄、リリアス。


「……兄さんは大丈夫だろうな」


 自分と違ってあの兄の心は強い。

 目的のために自分を殺せてしまう苛烈かれつさが、ときおり目の中にちらつく。

 共同で訓練をしたときなんかは、よくその目を見た。

 鬼気迫るとはああいうことを指すのだろう。


「ゼムナス! いるか! わたしだ、アストレアだ!」


 と、ふいにドアの向こうから声が聞こえた。


「アストレア様?」


 ゼムナスは急いでベッドから起き上がってドアを開ける。


「無事でよかった、ゼムナス!」


 そこにはあの茜色の髪をした少女がいた。


 ――本当に……綺麗になったなぁ。


 たった三年かそこらだが、最初に見たころよりずいぶんと育った。

 自分もまた背は伸びたが、アストレアの美貌びぼうはそういうただの成長とは違ってどこか魔性的ましょうてきですらある。


「わざわざ隣国から戻って来てくれたんですか?」

「当然だ! 母国が侵略されたとあって戻ってこない王女がいるか!」


 胸を張って言う彼女を、ゼムナスは素直に尊敬した。

 もし負けたときには、きっと捕虜ほりょになる。

 その後の扱いは想像したくもない。

 それを恐れるのであれば、そのまま隣国に隠れていたほうがずっとマシだったろう。


「……すごいですね」


 なのに彼女は戻ってきた。

 それが彼女の王女としての矜持きょうじなのだろう。


「でも、きっと兄さんには怒られますよ」


 いつかそんな彼女の隣に、英雄として立つことができればと夢想した。


「ああ! さっき怒られてきた!」


 でも、いつしかその夢想はあわく消えた。


「まったく口うるさいやつめ。だからやつは女にモテんのだ」


 ぶつぶつと文句をたれるアストレア。

 その姿をゼムナスは苦笑を浮かべて見ていた。


 ――この人の隣には、きっと僕ではなく兄さんの方が似合うだろう。


 いつからかそう思うようになった。

 そのことを考えるといつも胸がちくりと痛む。


 ――でも、かまわない。


 あの尊敬する兄が、同じく尊敬するこの少女の隣にいるのなら、自分は納得できる。


「兄さん、怪我とかしてませんでした?」

「ん? ああ、細かい傷はところどころにあったが、元気だったぞ。そのへんで山登りでもしてきたのかという程度のものだ」

「本当にあの人はすごいな……」


 きっと自分とは違う戦場で、激しい戦いに巻き込まれていたはずだ。

 それなのに傷が山登り程度とはおそれいる。

 たまにあの兄は本当に魔術を使えないのかと疑いたくすらなる。


「リリアスはお前のことを心配していたぞ。あいつをなぐさめてやってくれ、と」

「はは、兄さんは本当に心配性だなぁ」


 ゼムナスは困ったように頭をかいた。


「まあ、なんだ。お前も泣きたくなったらわたしのところに来るといい。いつでも胸を貸してやる!」


 どん、と胸を張るアストレアを見てゼムナスは笑った。


「……僕は大丈夫ですよ、アストレア様」

「ん、そうか? まあ気が変わったら来い。わたしはいつでもここにいるからな」


 本当は飛び込みたかった。

 きっと年下の少女に泣きつく無様ぶざまな絵になったことだろう。

 でも、それはできない。


「ではな!」


 アストレアがきびすを返す。


「――アストレア様」

「ん?」


 きっと、一度でも飛び込んだら――


「……いえ、なんでもないです」


 自分はもう、この気持ちを殺せないだろう。

 ゼムナスは微笑を浮かべて手を振る。

 そして二人は別れた。


   ◆◆◆


「ゼムナス様、本当によかったんですかー?」

「なにがだい、ニーナ」


 アストレアが去ったあと、部屋の中にはゼムナスともう一つの小さな人影が残っていた。


「アストレア様のおっきな胸に飛び込まなくて」


 侍女服に身をつつんだ少女。

 名を〈ニーナ・ガーラント〉という。

 淡い紫の髪と、同じ色の眼を持った小柄な少女だが、実年齢はゼムナスと同じだ。


「ほんとアレ、わたしより年下っていうのが信じられないんですけど」

「きみのお姉さんだってアストレア様に負けず劣らずじゃないか」

「あー、お姉ちゃんは発育がいいから」


 侍女にしてはあっけらかんとした雰囲気を放つ少女は、自分の胸をぺたぺたとさわりながらゼムナスが座るベッドへ近づいていく。


「なんか甘酸っぱい光景だったなぁ」

「きみ、一応僕の従順な侍女なんだよね」

「そうですけど?」


 ニーナは三年前にゼムナスにつけられた専属の侍女だった。

 姓からもわかるとおり、リリアスの専属侍女である〈エルザ〉の実の妹である。


「きみはなんというか、自由奔放だよね」

「よく言われますー」

「きみのお姉さんは、きみを含む家族を助けるために貴族という立場を捨てて侍女になったんだろう」

「そうみたいですね」

「そんなきみが同じように貴族位を捨ててしまったら、お姉さんの意志に反するんじゃないかな」

「そんなのあたしが知ったことじゃないです」


 ニーナは左右で縛った髪をほどきながら、ゼムナスの隣に腰かける。


「わたしは助けてなんて言ってないし、助けられたとも思ってない。というか、ダメになったらダメになったで自分でなんとかします」

「はは、強いね」

「べつに特別強いわけじゃないと思いますけど」


 ニーナは喋りながら今度は白い靴下を脱ぎはじめた。


「自分の生き方は、自分で決めます。たしかにお姉ちゃんが身を売って家にお金が入ったことはたしかだし、そのおかげで選択肢が増えたのもそのとおりだけど、別にあたしはお姉ちゃんに助けてほしかったわけじゃない。というか、なんか勝手に決めつけられて頭にきたんですよー」


 ニーナは靴下をすべて脱ぐと、次に侍女服のボタンをひとつずつ外していった。


「ねえ、さっきからなにしてるの、ニーナ」

「え? 失恋しちゃったゼムナス様をあたしがなぐさめてあげようと思って」


 次の瞬間、ニーナがゼムナスの体を押し倒す。

 ボタンが外れていた衣装ははだけ、ゼムナスの見上げた先に彼女の白い肌がしげもなく映った。


「あたしは名実ともにゼムナス様のものだから、好きに使ってくれていいですよ?」


 そういって彼女が浮かべた表情は、とても年相応の少女が浮かべるような笑みではなかった。


「……妖艶ようえんだね」

「中身はお姉ちゃんよりおとなびてますから」

「でも、そういう気分じゃないんだ」

「うっそだー!」


 ちゃかすようにニーナが言った直後、ゼムナスはふとまっすぐに彼女の目を見据みすえた。


「っ」


 その目は普段の穏和おんわなゼムナスから考えられないほど鋭く、そしてどこか狂気を孕んでいるようにも見えた。


「今、少し怖がったでしょ」

「そ、そんなことないし……」

「僕、こんなだけど本気になったら結構すごいよ」

「えっ?」

「今は戦いのあとだし、きみを壊しちゃうかもね」


 ゼムナスが冗談っぽく言うと、すぐにその表情は元に戻った。


「まあでも、少し疲れたからこのまま寝かせてくれるとうれしい。時間になったら起こして」

「え、ホントに寝る? このまま寝ちゃえるの?」


 ニーナが言ったときにはゼムナスは目を閉じて寝息を立てていた。


「はやっ」


 ニーナは小さく「失敗したぁ」と頭をかいて、再び服を着直す。

 それから数時間、ゼムナスはまったく起きなかった。


   ◆◆◆


 そんなゼムナスとリリアスが顔を合わせたのは、次の日の昼のこと。

 ちょうど王城付属の食事場で昼食を取ろうとしていたときだ。


「……」


 先にその場にいたのはリリアスだった。

 その食事場はおもに王宮警護の兵のための食事場で、専属のコックに注文をするとなかなか出来のいい料理が出てくる。

 貴族の晩餐会ばんさんかいのようにはいかないが、それでも侍女風のウェイトレスはいるし、食事も勝手に運ばれてくるので、評判がよかった。――たまに魔術でふわふわと食器が届くこともあるが、マナフにおいてはよくある光景だ。

 リリアスはその食事場の一角に座って、やはりふわふわと飛んできた銀食器をまじまじと観察しているところだった。


「……兄さん、またあの銀食器を止めようとしてるの?」


 リリアスはよくその銀食器を自分の魔術で干渉して止めようとしていた。昔からそうだ。

 「むむむ」と小さくうなりながら真剣な顔で宙に手をかざす姿は、いまとなってはどことなく恥ずかしい感じでもあるが、それでもリリアスはあいかわらず魔術を発動させようとしている。


「……」


 そしてやはりなにも起こらない。


「てい」


 すると注文を終えたゼムナスが片手でリリアスの近くを飛んでいた銀食器を逆方向に飛ばす。


「あっ!」

「フフフ」


 そのいたずらもよくやっていたものだった。

 魔術を使えないリリアスをおちょくるように、ゼムナスが銀食器を自在に操る光景。


「……おまえ、ホントに意地がわるくなったな」


 ようやくリリアスがゼムナスのほうを見る。


「兄さんが言う? 僕はまだマシなほうだと思うなぁ」


 にやにやとした笑みを浮かべながらリリアスの正面に座ったゼムナスは、飛ばしていた銀食器をリリアスの机の上に置いた。

 リリアスは目の前に置かれた食器をつかんで、くやしそうに顔をしかめている。


「その顔、全然変わらないね。王城の人たちには僕の方が子どもっぽいって言われるけど、実際は逆だよね」

「そんなことはない」

「そんなことあるよ。兄さんの中身は実はアストレア様より子どもなんじゃないかな」

「あれ以下はやめろ」


 むすっとした表情で机にあごを乗せるリリアス。


「兄さん」

「なんだ」

「怪我はない?」


 そこで二人ははじめて目を合わせた。


「――あるわけないだろう。俺は激戦部にはいなかったんだから」

「ウソだね」

「本当だ。俺はおまえと違って魔術がからっきしだからな」

「魔術を使えないからって前線に出られないわけじゃない。むしろ乱戦になったら広範囲に効果がおよぶ魔術は撃ちづらくなる。なんだかんだいっても戦争で大事なのは近接兵だ」


 ゼムナスは今回の戦でそのことを実感した。

 だからこそリリアスというたぐいまれな戦闘者がどれだけ貴重な存在だかも理解している。


「……とにかく、俺はなんともない。そういうおまえはどうなんだ」

「僕? ハハ、僕が傷を負うわけないじゃないか。僕を誰だと思ってるんだい」

「はいはい、マナフの白き英雄様」

「よくできました」


 わざとらしく鼻を高くして言うゼムナス。

 するとリリアスがふと真面目な顔をして言った。


「無事ならいい」

「――うん」


 二人はそれ以上戦いのことを口にしなかった。

 食事が運ばれてきてからは普通のなにげない会話。

 やがて先に食事を終えたリリアスが、侍女エルザの呼び声に応じてその場を離れる。


「ゼムナス」


 するとリリアスが、席を離れる間際にこんなことをいた。


「おまえ、昨日夢を見たか?」

「夢? いや、見なかったけど」


 そう答えると、リリアスは少し安心したような顔をした。


「そうか。ならいい」

「気になるね」

「なんでもない。今のは忘れろ」

「兄さんはいつもそうだ」

「そうだな。だからお前もいつもどおり納得しておけ」


 そういってリリアスは食事場をあとにする。

 ゼムナスは去っていくリリアスの後姿を、困ったようにため息をつきながら見ていた。

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