第二幕 【太陽の鼓動】

第12話 「国家戦乱の香り」

「マナフ王国が〈廃英雄〉を生み出したらしい」


 大陸西方、バルトローゼ帝国。

 その帝都に立つ荘厳そうごんな城の中で、黒い髪と青い瞳を持つ男が頬杖ほおづえをついて書面を眺めながら言った。


「いまごろ、ですか」

「そうだな、いまごろだ」

「このご時世に廃英雄を作ったとて、なんの役に立つのでしょうか。廃英雄は対ベスジア以外に使ってはならないというルールがあるのに……」


 品のある内装の部屋には、青い瞳の男のほかに若い少年のような兵士がひとり。

 武器を携行けいこうしているが雰囲気にはどこか気品があって、顔立ちも中性的で美しかった。


「お前はどう考える?」


 青い瞳の男もまた、普通とは一線をかくす気品をまとっている。

 しかし目の中にある光は平和ボケした貴族たちとはちがって、歴戦の軍人のように鋭い。


「最後のわるあがき、ではないでしょうか。マナフ王国はわれらとの戦争で滅亡一歩手前まで衰弱しました。停戦条約を結んだものの、もろもろ条件は不利なものです」

「敗戦国のつねだな」

「ええ。だからそんな状態で民の意気いきを支えるために、お飾りでもいいから人々を熱狂させる英雄の実像がほしかった、とか」

「なるほど」

「とはいえ、正直いまごろ英雄を作ったとて、それで国家情勢がどうこうなるものとは思えませんが……」


 少年兵士が言うと、青い瞳の男は小さくうなずいた。


「そうだ。もはやマナフに世界情勢に参画さんかくする力はない。あとは他国に食われながらゆるやかに衰退していくだけ。いまさら〈廃英雄議定書〉に印を押して協定連合に参加したとて、特段にえきはない」


 青い瞳の男は書面から視線を外し、天井を見上げた。

 そこには天使の肖像画が描かれていた。


「唯一の益があるとすれば、まさしくという権利を得ることくらいだ」

「いずれ廃棄されるものをいまさら作ったとて、そこになんの益がありましょう。たしかに廃英雄は民を奮起ふんきさせる材料にはなりえますが、もはやそういう時代でもありません。〈暴国ベスジア〉は形骸化けいがいかしています。英雄産業最盛期には人々の口に多くの悪感とともに乗ったその名前も、ほとんど忘れかけられています」

「国家間の戦争が再び起こるようになって、目先の危険のほうが大きくなったからな」


 青い瞳の男が苦笑する。


「しかし、〈暴国ベスジア〉か。……人の欲はずいぶんな代物を作ったものだ」


 青い瞳の男は今度は自嘲じちょうするように笑う。


「正直、私はその成立自体が奇跡だったと思います。存在しない架空の暴国を、世界全体が連携して作るだなんて」

「ある意味それが、前時代の戦争の悲惨さと、その戦争によって得た文明の大きさを物語ってもいる。……あれは人間の欲が作り上げた怪物なのだ」


 わずかな沈黙。

 ややあって少年兵士が話題を戻すように口を開いた。


「マナフ王国は、やはり廃英雄をベスジアの地に送り出すのでしょうか」

「……どうかな」


 青い瞳の男はふと考える素振りを見せた。


「廃英雄は特殊な力を持つ。それがばれた魂によるものなのか、あの第二時代の神々の術式によるものなのかはわからないが、そんな力を持つ英雄を滅亡間近のマナフはやすやすと手放したくはないだろう」

「〈魂性能力アニマ・クリプト〉ですね」

「そうだ」


 廃英雄として生みだされた者には、ある特殊な力が宿ると言われていた。

 もともとその人間が持ちうる身体能力、魔素器官、そういった才能と呼ぶべきものとほぼ同義でありながら、かの錬成術式によって生まれた者にしか発現しないと言われる特殊能力。

 一説には、一度魂だけになった存在が、己の魂の形を自覚することで目覚める『アニマの力』とも言われていた。


「魂性能力は廃英雄たちが死を強く自覚したときに発現することが多いと言われている。かの第二時代を滅ぼした〈青い瞳の勇者〉も、〈赤い瞳の魔王〉と対峙したときににそれを発現させたという」

「青い瞳の勇者も〈廃英雄〉だったのですか!?」


 少年兵士は驚いたように目を丸くした。


「事実はわからない。だが考えてもみろ。あの術式は第二時代のものだ。であれば、彼らの時代にこそ使われていたことは想像に難くない。青い瞳の勇者はあの術式によって呼ばれたホムンクルスだった。そして〈赤い瞳の魔王〉を前にして死を自覚し、人智を超越した力に目覚める。そして――魔王もろとも時代を滅ぼした」

「……なるほど」

「魔術最盛期と言われるこの第三時代にも、世界を滅ぼせるような術式は存在しない。だから、そういうシナリオが大衆間で事実のように語られている。まあ、何度も言うが想像の話ではあるがな」


 青い瞳の男は自分の手のひらをじっと見つめながら続けた。


「ともあれ、もしマナフが意図的に廃英雄を軍事転用しようとすれば、おそらく呼んだ廃英雄に過酷な鍛練や、へたをすると『いずれ自分が死ぬ』という事実を早い段階で知らせるかもしれない」

「そうして魂性能力に目覚めさせ、その力を対国家で使う、と。……しかし、そもそもマナフが廃英雄をベスジア送りにすることを拒否すれば、それは〈廃英雄議定書〉に反する行いとみなされます」

「もともと破るつもりだったのかもしれん」

「まさか」


 少年兵士はありえないとでも言いたげに目を丸くした。


「議定書のルールを破れば〈廃棄部隊〉が動きます。あの精鋭部隊から逃げ切るなど不可能です」


 英雄産業と呼ばれる産業で提携している各国は、その国でもっとも優秀な者をひとり、〈廃棄部隊〉と呼ばれる合同軍に参加させることが決まっている。

 それが〈廃英雄議定書〉に判を押した国家の義務であり、使命でもある。


「基本はそうだ。だがもし、その廃棄部隊から逃げ切る力がマナフの生み出した廃英雄にあったら?」

「……めんどうですね」


 それほどの力があれば、単騎でも十分に脅威だ。少年兵士は眉をひそめて予想する。


「でも、実際のところはどうなんでしょう。たしかマナフ王国にはザラシュールの密偵みっていが入り込んでいますよね」

「ああ」


 英雄産業に参加するうち、中でも特に力を持つ宗主国そうしゅこく〈ザラシュール〉。

 廃英雄を作り出すためのそもそもの『錬成術式』を広めた国であり、〈廃英雄議定書〉という秩序をこの英雄産業内に持ち込んだ国でもある。


「ザラシュールも最近はきなくさい」


 青い瞳の男は窓の外に広がる夜空を見上げた。


「また戦乱の時代が目と鼻の先まで来ている。人々の欲が復活する。それは国家という人の集合体にしても同じこと。ザラシュールも例外ではない」

「……まさか、魔素鉱石ですか?」

「ザラシュールもマナフと同じ魔導国家だからな。マナフほど恵まれてはいない立地が、一抹いちまつ嫉妬心しっとしんいだかせてもおかしくはない」

「……ひどい話ですね」

「戦乱の世など、こんなものだ。まあ、とはいえザラシュールも〈廃英雄議定書〉という他国の行動を縛るような代物を持ち出した手前、好き勝手はできない」

「だから逆に、その〈廃英雄議定書〉をうまく使うことにした、と。マナフ王国を攻め立てる大義名分を得るために」

「……あくまで私の憶測だ。しかしその憶測が正しければ、そろそろ私にも声が掛かるかな」


 そこでふいに部屋の扉がノックされた。


『ツェーザル様、大帝陛下より出撃命令が下りました』


 外から聞こえたのは緊張した兵士の声。


「どうやら私の憶測も捨てたものではないらしい」

「お供します、ツェーザル様」


 そうして青い瞳の男、ツェーザルは椅子から立ち上がった。

 少年兵士もそのあとに続く。


「あ、ツェーザル様、そういえばマナフの生み出した廃英雄というのは、どういう人物なのですか?」


 ふと、部屋から出るところで少年兵士が訊ねた。


「ああ、なんでも――」


―――

――

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