第9話 「赤い瞳の魔王」

 その日、リリアスは夢を見た。


「こんな世界は、滅びたほうがいい」


 生まれたときからときおり呪いのように聞こえるあの言葉。


 ――ここは……。


 ふと気づくと、リリアスの目の前に荒れ果てた荒野が広がっていた。

 えぐれた大地、砕けた巨岩。

 一部は不自然なほど更地さらちに――そして無数の死体と血花が地面に咲いていた。


「ぼくは、なんのために生まれてきたんだ。魔王、きみは知っているか?」


 その荒野に、まだ生きている者が二人いた。

 ひとりは白い髪に青い瞳をした少年。

 もうひとりは黒い髪と赤い瞳を持った少女。


「わからない。それは自分で見つけるものだから」


 剣を大地に突き刺し、ひざまずきながら言った青い瞳の少年の言葉に、少女はあわれむような表情で答えた。


「もうぼくに、きみを倒す以外の生きる意味を見つけるのは難しいよ」


 少年は首を振る。


「ぼくは故郷を知らない。親も知らなければ、どこかの民族に属しているわけでもない。最初からひとりだったぼくには、この世界はあまりにも空虚くうきょすぎる」


 少年は自分の手のひらを見つめながら自嘲じちょうするように言う。


「気づいたらこの世界にいて、きみを倒せと世界に命令された。からっぽだったぼくにとっては、その使命こそが生きる意味だった。……話に聞くと、きみはとても悪いやつらしい。世界の敵。いろいろと話を聞いて、やがて自分でもそう思うようになった。でも――」


 本当は違った。

 少年はなげくように言った。


「きみはぼくと同じなのに、ぼくよりもずっとかしこく、そして強かった。ただ盲目に与えられた使命を果たそうとしたぼくとは違って、ちゃんと目を開いて、このくだらない世界を直視した」


 少年は周りに倒れたいくつもの死体を見る。

 その瞳に悲痛な色が宿った。


「ぼくは――取り返しのつかないことをしてしまったんだ」

「……」


 少年はがくりとうなだれる。


「……まだ取り返せる」


 そんな少年に、少女は言う。


「無理だよ。きみが集めたホムンクルスたちは、ぼくがみんな殺してしまった。そしてきみも、これから死ぬ」


 赤い瞳の少女の口の端から、ツ、と血が流れた。

 よく見ると彼女のマントの内側――その腹のあたりに小さな剣が刺さっている。


「ぼくはこの世界を呪う。こんな世界は滅びたほうがいい」


 ふと、青い瞳の少年が立ちあがる。

 赤い瞳の女は立ち上がった少年の目を見て――悲しげに目をつむった。


「お前が目覚めた力はただ壊す力じゃない。照らす力だ」

「いまさらなにを照らすっていうんだ」

「お前やわたしと同じ、帰属することなく生まれた者たちの生を照らすため」

「……」


 赤い瞳の少女は血を流しながらもひざまずかない。

 再び目をひらき、まっすぐに青い瞳の男を見て続ける。


「もしお前が少しでもわたしに同情してくれるのなら、そうしてくれるとうれしい」

「……無理だ。ぼくは君のようには生きられない」


 少年は天に手をかかげる。


「……でも、そうだな。もし僕が生まれ変わって、また君に出会うことがあったなら、そのときはきっと――」


 君のためにこの命を捧げよう。


「まあ、もう生まれ変わることなどないのかもしれないけれど」


 その体から青い炎が燃え上がった。


「あのまわしい魔術もろとも、この世界をリセットしよう。二度とぼくたちのような存在が生まれないように。そしてもし生まれてしまったら、再びすべてをリセットできるように。ぼくの魂はこの世界を呪うために生まれてきた」

「……残念だ」


 そう言ってついに赤い瞳の少女が倒れた。

 青い瞳の少年はその姿を見て涙を流した。

 そして――


「今日ここで、時代を終わらせよう」


 少年の体から噴き出した青い光が、世界を覆った。


   ◆◆◆


「っ……」


 リリアスが目覚めたとき、外は真っ暗な闇に呑まれていた。


「夢……か」


 ベッドから起き上がったリリアスはしばらく夢の内容を頭の中で反芻はんすうしたあと、立ち上がって机の上にあったコップから水を喉に流し込む。


「……なんだったんだ」


 青い瞳の少年と、赤い瞳の少女の夢。


『わたしの夢を見たか』


 と、ふいにリリアスの耳に声が響いた。


「誰だっ!」

『さあ、誰だろうね』


 声の方を見る。部屋の出入り口のほう。


「夢の……」


 赤い瞳をした少女が、皮肉っぽい笑みを浮かべて立っていた。

 とてもうつくしい――そして自分によく似た顔をしていた。


『お前はたぶん、わたしと同じ装置から生まれたんだろうね』


 年のころはリリアスと変わらない。

 夢で見たときは不鮮明だった顔は、はっきりとリリアスの赤い瞳に映っている。


『名前を聞いてもいいかな』

「え? あ……」


 突然の出来事にさすがのリリアスもたじろぐ。


「リ、リリアス」

『そう、リリアス。――はは、名前までとても似ている。けれど、お前の力はどちらかというと勇者のものに近いな』


 赤い瞳の少女はゆっくりとリリアスに近づき、リリアスが座っていた椅子の真正面に立った。


『お前は、自分がどういう存在だか知っているか?』

「……」


 リリアスは知っている。

 ゼムナスには伝えられていないが、リリアスは自分がどういう役割を負ってこの世に生まれたか、すでに知らされていた。


「……知っている」

『なるほど、それは重畳ちょうじょうだ』

「俺は、自分が〈英雄〉のために死ぬことを知らされているから」

『英雄? ……ふむ、わたしたちのときとまったく同じというわけではないんだな』


 少女が思案気しあんげにうなずく。

 その様子をリリアスはある程度の冷静さを取り戻して見ていた。


「お前は、誰だ」

『わたし? わたしはわたしだよ』

「そういうことをいているんじゃない」

『はは、そう怒らないでくれ、こわいな。……そうだな、わたしはかつての時代の、〈世界の敵〉だ』

「……魔王か」

『そうとも呼ばれていた』


 やはり夢の中の少女。


「実体じゃないな」


 月明かりの差しこむ部屋。少女の足元には影がなかった。


『どうやらね。わたしもどうしてここにるのかはわからないんだが、まあ出て来てしまったものはしかたない。もしかしたらおまえの中にある勇者の思念に引かれたのかな』

「勇者の思念?」

『聞こえるだろう? この世界は滅びたほうがいいと呪詛じゅそのように繰り返す少年の声が』


 生まれたときから聞こえるあの声。


『勇者はこの世界を呪ったんだ。ホムンクルスを生み出すあの神々の術式をすべて壊す気でいた。けれど、彼の力をもってしてもすべては壊せなかった。それで――たぶん、壊しきれなかった神々の術式には勇者の思念が宿っている。そしてそれを、この時代に生きる誰かが見つけて、再び使った』

「……そして俺たちが生まれた」

『ああ、やっぱり、お前だけではないんだね』


 リリアスの「俺たち」という言葉で少女はすぐに状況を察する。


「お前はゼムナスのところにもいけるのか」

『いいや、そのゼムナスというのが誰なのかはわからないが、おそらく無理だろう』

「でもあいつも、俺と同じ古代遺跡の魔法陣から生まれたと聞いた」

『勇者が掛けた呪いは、最初に生まれたお前のほうにほとんど引っ張られたんじゃないだろうか。勇者の思念の有無が、わたしがこうして姿を現すことができたことに関係しているのなら、同じ理由で、わたしはそのゼムナスとやらのところにはいけない』

「……ひどい話だ」


 リリアスはふと自嘲気味な笑みを浮かべる。

 すると少女は、ふいにリリアスの胸に手をおいた。


『……ああ、お前は……』

「なんだ」


 リリアスはふと、自分の奥底にあるなにかに触れられた感じを覚えた。


『……しまったな、えらそうな口を聞いてしまった』

「なにを言っている?」

『いいえ、なんでもありませんよ、リリアス様』


 少女がふと敬語をり交ぜて頭を下げる。

 なぜだかリリアスはその様子が気に食わなかった。


「やめろ。いまさら態度を変えられるとなんだか癇に障る」

『ふふ、じゃあそうしよう』


 少女は楽しげに笑った。

 これまでの超然としたとらえどころのない雰囲気とは違って、そのときの少女は年相応としそうおうの子どものように見えた。


『あらためて、リリアス。お前は自分があの神々の術式によって生み出されたホムンクルスであることを知っているね』

「ああ」

『魂をどこかから呼び出された。体はあの術式によってその魂をもとに作り出された。そして――目覚めたときに使命を与えられた』

「……そうだ」

『その使命がどんなものだか、聞かせてくれるかい』

「……」


 リリアスは迷った。

 目の前の少女はあきらかに普通の存在ではない。

 けれどこれが、必ずしも現実ではないという保証もない。

 自分の使命は、死ぬまで黙ったまま抱えていかなければならないもの。

 けっして民衆に口外してはならないと口止めもされたし、リリアス自身、言うべきではないと思っていた。


「俺は……」


 しかしリリアスも完璧な超人ではなかった。

 どこまでいっても人は人。


 ――どうか、おれだけの夢であれ。


 リリアスが背負わされた使命は、人がたったひとりで背負えるようなものではなかった。

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