第8話 「影の凱旋」

 そしてマナフ王国は戦争に勝った。

 大々的だいだいてきにゼムナス率いる魔導兵団の戦果が喧伝けんでんされ、民衆は敗戦後はじめての勝利と、新たな英雄の誕生を大いに喜んだ。


「マナフの〈白き英雄〉の誕生だ!」

「ゼムナス・ファルムード万歳!」


 勝利の凱旋。

 ひとあし先に吉報が伝えられた王都では、歓喜に沸くマナフの民が大勢待ち構えていた。

 その中をゼムナスが護衛兵に囲まれながら進んでいく。

 ゼムナスは終始手を振ったり笑みを浮かべたりして民たちに応えていたが、その表情にはどこか陰もあった。

 そして勝利の凱旋の中に――リリアスの姿はなかった。


   ◆◆◆


「――リリアスッ!」


 場所は変わって王城。

 外では戦いを終えた戦士たちがみなに祝福されている中、王城の一室にひとりの少女が飛びこんだ。

 アストレア・ウォフ・マナフ。

 あの茜色あかねいろの髪がうつくしいマナフの第一王女である。


「なんだアストレア、そんなに慌てて。あと入るときはノックぐらいしろ」

「ばっ、ばか! ノックなどしている暇があるかっ! 戦争があって、しかもお前が戦場に出たと聞いて、わたしはっ――」


 アストレアはこの時期、隣国の教導学園へ遠征に出ていた。

 ほかに類を見ない美貌のみならず、文武両道にすぐれていた彼女は、たっての希望で他国の文化を学ぶためにマナフを留守にしていたのだ。

 ちょうどそれが戦争の時期と重なり、もし本土まで攻め入られたら、という不測の時代に備えて、アストレアには戦争の話が伝えられなかった。


「そうか、お前は知らなかったのか」


 リリアスは部屋の中で服を着替えているところだった。

 脱いだ衣装は軍服。

 ところどころ破れていたりほこりにまみれたりしているが、大きな損傷はない。


「父上もひどいことをする……! たしかにわたしはまだ成人していないが、これでも王女だ。国の命運を左右するときぐらい教えてくれていいものを……。もしものときはわたしとて戦うのに」


 アストレアは目鼻立ちの整った顔をしかめて、文句を垂れる。

 その顔ですら、どこかうつくしさを感じさせた。


「お前がそういう女だから、あえて伝えられなかったんだろう」

「そういう女とはどういう女だ!」


 と、リリアスの言葉に一転してアストレアがずいと近づく。

 切れ長の目には怜悧れいりな輝きと少しの怒り。

 怒りとはいっても重いものではないが、リリアスはそれを見て「しまったな」と自分の言動を反省した。


「お転婆娘てんばむすめ

「お転婆で悪かったな!」

「褒めてるんだよ」

「どこがだっ!?」


 アストレアはおよそ常人とはかけ離れた麗女れいじょに育った。

 そのうえ中身まですぐれている。

 才色兼備という言葉がここまで似合う者はなかなかいないだろう。


 ――それでいてどこか子どもっぽい。


 王族という普通とは違う立場にいる者は、良くも悪くも同年代の子どもよりも早くに大人びるが、アストレアは気品を保持しつつも子どもらしさを失わない稀有けうな存在だった。


「お前はずぶといからな」


 おそらく精神的に強いのだろう、とリリアスは勝手に思っている。


「ずぶとっ――こ、この腰を見ろ! 一時期ちょっと太って気にしてたんだぞ! だから今はこんなにスリムだっ!」

「いや体のことを言ってるんじゃない……」


 自分の両腰に手をやって「ほら!」と迫ってくる美少女にリリアスはため息を返す。


「お前、頭はいいのにたまにバカなのがきずだ」

「貴様には言われたくない! リリアスのバカ! アホ! 野生児!」


 言い合えば言い合うほど精神年齢が下がっていくアストレアを見て、リリアスは面倒になって降参のポーズをする。

 両手をあげて、参ったと――


「おわっ」


 するとその瞬間、アストレアがリリアスの胸に飛び込んだ。


「……無事でよかった」

「……ああ」


 アストレアの声は震えていた。

 だからリリアスは、王女ではないひとりの少女をあやすように、優しくその頭をなでた。


「もうすぐゼムナスも戻ってくる。俺は大丈夫だから、あいつをなぐさめてやってくれ」


 リリアスは部屋の窓から街を見下ろす。

 その常人離れした視力が、民衆に持てはやれるゼムナスの表情を捉えた。


「……少し、時間が掛かるかな」


 リリアスだけは、ゼムナスの笑みの裏に隠れた陰を見抜いていた。


「あ、そういえばいまさらなんだが、どうしてお前は凱旋に加わっていないんだ?」

「そのほうが都合がいいからだ」

「なんの都合だ」

「こっちの都合」


 胸の中から子犬のように見上げてくるアストレアにリリアスは適当に返す。


「……」


 じっと見つめてくるアストレアの目力は強い。

 距離が距離だけにさすがのリリアスも若干たじろいだ。


「俺はいない方がいいんだよ」

「意味がわからん。お前はいた方がいいに決まっている。王の側近から聞いた。お前の活躍はめざましかったと」

「あいつが言ったのか」


 リリアスは脳裏にあの金髪片眼鏡の優男を思い浮かべ、彼が自分の出陣をアストレアに言ったことに引っ掛かりを覚えた。


「リリアス、わたしはまださっきの問いの明確な答えを聞いていない」

「こういうときだけ明察めいさつになるのはやめろよ」

「そういうわけにはいかん」


 さすがにめんどうになってアストレアを引き離そうとするが、今度はアストレアがリリアスの背に手を回してがっちりと体を固める。


「……お前、自分がそれなりに育った女だってこと忘れてないか」

「なにをいう。わたしは日々自分の体を鍛えている。だからちゃんと自分の体の状態くらい把握している」


 アストレアの背はリリアスより少し低い。

 ちょうどリリアスの腹のあたりに女性特有の柔らかい感触があった。


 ――わかってやってるのかどうか判断がつかない……。


 けろっとしているアストレアを見ると、言葉としては伝わっているのかもしれないが、その含んだ意味は伝わっていないのかもしれない。

 ともあれ、こうなってはリリアスに逃げ場はなかった。


「俺が今回の戦争に出陣していたことが他国にバレるのは、いろいろと都合が悪いんだ」

「そうなのか。リリアスは秘密兵器かなにかなのか?」

「ああ、そういうこと。手の内をバラす意味はないだろう」

「……ふむ、たしかに」


 どうやら納得したようで、ようやくアストレアはリリアスの体を解放した。


「……そうだな、今度は戦略や戦術についても学んでみよう」

「さっさと隣国の学園に戻れ」

「いや、わたしはもうここを離れないぞ」

「なに?」

「誰がなんと言おうがもう離れん。わたしは王女だ。いても戦争で役に立つわけではないかもしれんが、王族として、最後の責任くらいは取れる」

「変なことをいうな。マナフは負けないし、敗戦の責任をお前が負う必要もない」

「そうもいかん。王族として生まれた者には、ほかの者にはない責務がある。そしてその責務を果たす役目は、やはりわたしにしかできないのだ」


 リリアスはアストレアの顔を見る。

 その顔には覚悟を決めた者に特有のあっけらかんとした表情があった。

 けっして逃避とうひしているわけではない。

 むしろ逆に、覚悟を決めているからこそ明るくいられる。

 そんな印象だった。


「お前、敗戦国の王族がどんな扱いを受けるかわかってるのか。相手が蛮族ばんぞくだったらどうする。お前の人としての尊厳すら、たやすく踏みにじられるかもしれないんだぞ」

「それでもわたしはマナフの王女であることをやめるつもりはない。まあ、やめるといってやめられるものでもないが」


 胸を張って言いきるアストレアに、ついにリリアスは折れた。

 そして同時に――


「……くそ、俺には時間がないのに」


 小さくそうつぶやいた。


「ん? なにか言ったか?」

「なにも言ってない。だからお前は早く部屋を出て行け。俺は寝るんだ。さすがに寝ずの強行軍は疲れた」


 そういってベッドに倒れ込むリリアス。


「うむ、ごくろうだった」


 そんなリリアスに芝居ぶって声をかけたアストレアは、しばらくリリアスの横たわった後ろ姿を見ていたあと、ようやく部屋から出ていった。


「やっと出ていったか……」

「あ、リリアス」

「うおっ」


 一度閉まった扉が再びがちゃりと空く。

 外からアストレアがひょっこりと顔を出した。


「戦争のいろいろを思い出して泣きたくなったら――わたしの胸を貸してやる。だからいつでも来い。わたしはここにいるからな」


 そういって浮かべた彼女の無垢むくな笑顔は、暗い心を照らす太陽のようだった。


「っ、……よけいなお世話だ」


 本当に、めざとい女だ。

 そう思ってリリアスは心の中でため息をつく。


「……」


 しかしこのときばかりは、彼女の思いやりが少しありがたかった。


「……俺は俺のために、何人殺したんだろうな」


 それでもリリアスは、アストレアの胸を借りることもなければ、人知れず折れることもなかった。

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