第6話 決して届かないもの
午後五時を少し回ったくらいの時間。夏も近づき徐々に夜の時間が短くなり、未だ太陽は私達を僅かに照らしていた。高校に入学して以来初となる誰かと一緒の下校。それがこんな形になるとは予想だにしなかった。
隣では一ノ瀬さんが歩いている。彼女は背筋が伸びており、歩いているだけでも様になる。そんな隣を歩くのが、クラスでも空気に近い存在である私なのだから、かなりおかしな組み合わせのはずだ。改めて考えても、なぜ彼女が私に固執しているのかがわからない。
お互い言葉を発することなく黙々と帰路を行く。少し先に見える信号は青で走れば間に合うが、一ノ瀬さんがどうするのか距離を測りかねていると、光が点滅しだした。
横断歩道の前で立ち止まる。坂のきつい傾斜の中に建てられた学校なだけあり、周りに目立った商業施設もないこの道は、車の通りが殆ど無い。普段なら静かで良い場所と感じるが、今はただひたすら沈黙が苦しい。
「あのさ、どうしてあたしに構うわけ?」
結局我慢できず、この前はぐらかされた質問を投げかけてみる。
「あら、押して駄目なら引いてみろとはよく言ったものね」
噛み合わない話に首を傾げていると、一ノ瀬さんはその答えをよこす。
「初めてあなたから私に話しかけられた」
「ああ、そんなこと」
「そんなこととは失礼な。私にとっては大きな一歩よ」
確かに私達の会話は一ノ瀬さんが話しかけてくることでスタートする。私から話しかけることは一度もなかった。でもそれは私が一ノ瀬さんに対して、興味がないということの裏返しだということに気がついてほしいものだが。
「なんでもいいけど質問しているのだから答えてよ」
「そうね。座席が・・・・・・」
「それは本音じゃない。建前とかそういうの嫌いだ」
「そう、ごめんなさい」
私がピシャリと言葉を遮ると、一ノ瀬さんも態度を改めた。
「あなたが他の人とは違うと思ったからよ」
「は?」
信号が青に変わり、歩くことを再開してすぐに一ノ瀬さんは語り始めた。
「あなた入学してすぐなのに、浮足立つこともせずに常に冷静で、というより冷めた目をしていた。他の人が期待に胸を躍らせつつも、友人を作らないとなんていう誰かに植え付けられた強迫観念にかられて奔走している中、あなたは素知らぬ顔で雲の数を数えていた。そんな姿に興味を持った。おおよその一般から離れたあなたにね」
奥歯を噛む。
信号を渡りきったところで、一度立ち止まり、問う。
「つまり何。あんたは普通じゃない人間がいて、面白そうだからちょっかいを出してるってこと?」
信号が再び赤になり、私の後ろを一台の車が駆け抜ける。
一ノ瀬さんはそれを見過ごし、静かになったところで答えた。
「ニュアンスはどうあれそんな感じね。どう、期待に添える答えだったかしら」
別に一ノ瀬さんに対して何も期待しているわけではないが、私にとって気分のいい答えではなかったのは確かだ。
私は普通ではない。
(じゃあ普通って何なの)
それを問い詰めたら一ノ瀬さんはどんな反応をするのだろうか?
きっと私とは反対の人間の説明を淡々とされるのだろう。わかりきっている。それはきっと意味のないことだ。
私の心を移すかのように雲が太陽を覆い隠し、少し暗くなった道を静かに歩く。
一ノ瀬さんとの間には先程とは違う、淀んだ空気が流れている。原因は私にある。
「気を悪くしちゃったかしら。別にあなたが変って言ってるわけではないのよ」
一ノ瀬さんも悪気があっていったことじゃないことはわかっている。だからきっと悪いのは私だ。わかっていたとしても、私は普通ではない自分を指摘されることが嫌いだ。
「なんとなく言いたいことはわかってる。あんたに怒っているわけじゃない。多分」
「そう?けどどう見たって怒ってるでしょ」
「怒ってないわよ。あんた本当に性格悪いよな。私がどれだけ嫌がっても突っかかってくるし」
「お友達とお話したり、一緒のペアを組んで授業に取り組んでいるだけじゃない」
「いつおまえと友達になったって?こっちはいい迷惑だ」
「迷惑だなんて。私がいなかったらあなた一人じゃない?」
「私は一人がいいんだよ。別に友達なんていらない」
友達はいらない。私達はまだ人間として未熟で、間違いを犯しやすい。そしてそれは得てして他人を傷つける。それを引きずって私達は大人になっていく。なら傷は少ないほうがいい。私はきっと楽しいよりも悲しいを多く手に入れやすい質だから。
「せっかく人が良くしてあげているのに」
「あんたのはお節介みたいなものじゃなくて、ただの好奇心だろ。どうせ心の中では周りを見下して、そのくせに皆が頼ってくるのが嬉しくて悦に浸ってるんだ。だからクラス委員に抜擢されるときだってわかっていながら抵抗しなかったし、今だってやめれるのにやめない。違うか?」
つい熱くなってしまう。ナイーブな心に自制が効かなくなり思いをぶつけすぎてしまう。
完全に言いすぎだった。憶測でしかなく、それをわざわざ言う必要もない。反省というものはいつも何かが怒ってから出ないとできない。だからいつも手遅れなのだ。
一ノ瀬さんは一瞬驚いた顔を見せ、しかしすぐに何かを考え込む仕草を見せていた。
二人の足はいつの間にか止まっており、後悔でここから逃げ出したい衝動に駆られるが、足はこの場に釘付けにされていた。
「そう・・・・・・ね。確かにあなたの言うとおりなのかもしれないわね」
ようやく帰ってきた言葉は予想とは違う斜め上の回答だった。否定や呆れ、怒り、そのいずれでもなく、肯定。
「たしかに私は頭が良くて、それでも他の人より努力してきたわ。そんな自信がいつの間にか自尊心に変わって、自覚はなかったけど皆を下に見ていたのね」
一つ一つ自分のことを見つめるように、言葉を噛み締めている。
「思えば私がクラス委員になることは当然のような気がして、やめることなんて考えもしなかった。面倒だと思いながらも、先生やクラスメイトに頼られてどこか嬉しさのようなものを感じていた。違う。嬉しいなんてきれいな言葉じゃない。ただ優越感を感じていただけなのかもしれないわね」
思考が加速し、同時に語りも早くなる。
彼女の場合、他人から褒められることはあれど、否定されることは少なかったのかもしれない。
私が口を挟めずに戸惑っていると、一ノ瀬さんはピタリとつぶやくことをやめ、こちらに首を向けた。
「あなたやっぱり面白いわね。私が気に入った理由はそういうところだったのかもしれないわね」
どうやら失敗ではなかったらしい。
「申し訳ないけど、やっぱりあなたとはお友達になりたいとますます思ってしまったわ」
「なんで今の流れからそう・・・・・・」
「だってあなたと私は似ているからよ」
「え?」
「じゃあ私はこっちだから。また明日ね」
戸惑うばかりの私を置き去りにして、返事も待たずに風のように去ってしまう。
似ている。不真面目な私と、真面目な一ノ瀬さんが。その言葉が引っかかって、その日の夜は寝付けなかった。
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