第3話 和泉純の世界

登校時は苦痛を与える坂も、疲れた体で帰る下校時にはありがたみを感じるから不思議なものだ。なんて、人間は何でも都合よく解釈するものだ。そんなことを考えながら玄関をくぐると兄の靴があった。

 「ただいま」

 「おかえり」

 和泉秀一。私の兄だ。

 「秀兄今日バイトは?」

 「今日はお休みだよ。純は学校か。どうだ、友達はできそうか?」

 「別に、どっちでもいいよ」

 「子どもでいれるうちは短いんだぞ。楽しんだらどうだ」

 「・・・楽しいか楽しくないかは私が決める」

 「確かにそうだね。でもね・・・。いや、なんでもないや」

 会話が途切れ、黙って二階にある自分の部屋に入った。兄が言おうとして言わなかったことは何となく察しがついていた。でも、わかっていても何も言わない。それが今の私達の距離だ。兄は私に思うところがあるように、私にも兄に思うことがある。でもそれを伝えるのはまだ今じゃない。

 兄は少し年が離れていて、昨年大学を卒業した。地域ではそれなりに偏差値の高い大学に進学し、友達も多く自慢の兄だったが、就職活動に失敗し、今はフリーターだ。

 それなりに仲は良かったが、それをきっかけに私達家族の関係には隔たりができてしまった。

 単純なようで複雑な気持ち悪さを投げ出すようにベッドに倒れ込む。

 今はどうにかできることじゃなくて、家族でも超えてはいけない壁があって、ただ待つことしか出来ないもどかしさがあり、何も出来ない無力感にも苛まれる。いっそこれが解決したあとの世界にタイムスリップ出来たらなんて、あるはずのない空想に願ってしまうほどには私にとって難しい問題なのだ。

 このままでは暗い感情に支配されてしまう。そんな気配を感じ、とりあえず大量に持って帰ってきた教科書を机に並べ、提出が必要な書類に手を付け気を紛らわせた。

 書類に必要項目を記入し、これから始まる授業のためにノートと教科書に名前を書き、膨らんだ負の感情が落ち着いていくのを待つ。そしてすべての作業が終わった頃には夕日が登っていた。

 きれいな夕日を見ていると心が洗われると言うが、私にとってそれはただのオレンジ色でしかない。

 景色に感動できない感覚。

 例えば誰かとどこかに行くようなことがあったとき、私はどうすればその人と同じ時間を過ごせるのだろうか。

 もちろん誰かと行く予定も、行くような人もいないのだが、それができないと感じている事自体に虚しさを感じる。そんな自分を代えたいと思う気持ちと、変えてしまうことへの抵抗がせめぎ合い、結局動けないままでいる。答えが出たとき、きっとそれが全て問題が初めて前へと進むのだろう。

 窓に手を伸ばし虚空をつかむ。手の中は空っぽでも、きっとつかめる日が来ると信じて部屋を出た。

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