第4話 天馬捕獲録 その4

 天馬の首領は優嵐ゆうらんと呼ばれている。

『漣』という草原をわずかに波立てる優しい嵐であれ、という由来だ。

 ちなみに、この草原が音を立てる理由は主として天馬の疾駆のためである。


 その時、優嵐は嫌な臭いを嗅ぎとった。

 危険と密接した臭いだったので、群れに停止を命じる。


『止まれ……何かいる……』


 天馬たちに緊張が走り、幼い子どもたちを匿う陣形へと移行する。

 彼らは臆病だからこそ警戒し、長生きできることを知っていた。

 超速移動する天馬たちは目が優れているわけではない。

 ただ、他の仙獣たちよりも耳と鼻は利くのだ。

 優嵐はその危険な臭いの正体を思い出していた。

 つい先日、風遁と罠でこちらに仇なそうとした道士の臭いだった。

 しかし、対話を要求しているようで、何か供物を用意しているようだった。

 優嵐は警戒しながら、群れを慎重に率いてその方向へと足を運んだ。


     *


 草原の上、簀巻きで少女道士が転がっていた。

 その娘は猿轡さるぐつわを噛まされ、不平不満を隠そうともせず暴れているが、簀巻すまきの上から符で厳重に封印され、拘束から逃れることなどできないようだった。

 そして、その傍らに少年道士の姿があった。

 両膝をつき、軽く顔を伏せ、袖をまくった両手は高々と掲げている。

 つまり、無手を強調していた。

 武器など保持していないという平和な対話を望む姿だ。


 優嵐は少年道士のことも思い出していた。

 後から来た仲間だと区別していたのだが、少女を拘束しているのは噓でも演技でもなさそうだった。

 奇妙な話だった。

 優嵐は群れを遠ざけて、己の身一つで一里ほど離れた場所で停止した。

 少年道士は仙術で増幅した声を張り上げた。


「天馬の代表の方はおられますか? 僕の名前は劉剣。平和な対話を望んでいます」


 優嵐はいつでも逃げ出せるように警戒は怠らず応じる。


『我だ。名前は優嵐。それで道士殿。貴様、何用か』

「はい、実はお願いがあって参りました」


 天馬の嗅覚と聴覚は桁違いに鋭敏である。

 それは感情や心理を読み取ることどころか、簡単な未来予知さえ可能であった。

 それこそが天馬の隠された能力。


 だから、劉剣の言葉にある種の緊張が隠れていることを悟る。

 これは何かを隠している者の感情だった。

 だが、それが何なのか分からず、優嵐は彼の言葉を信用すまいと思う。


『言え、道士殿』


「実は――」と劉剣は説明を始める。

 自分が仙人資格取得の為に四凶を捕獲しなければならないこと。

 無策では返り討ちに遭うので、仙獣を確保して事に挑むこと。

 よろしければ、同行して貰えないだろうか、ということ。

 あまり説明し慣れていないのだろう、劉剣はたどたどしい口調だったが、必要な情報は過不足なく含まれ、理解しやすかった。

 頭の良い道士だ、と優嵐は密かに感心しながら答えた。

 すべてを聞き終え、彼が出した答えはひとつだった。


『断る』

「……即断ですね。どうしてですか?」

『君たちの頼みを受け入れる理由も義理もない』


 仙人資格を得たいという理由は一方的なものだし、その為に自分たちが手を貸さなければならない道理はない。

 何の利益もないのだ。

 むしろ、危険という不利益しかない。


『そもそも、だ。その少女道士は君の仲間か?』

「はい、そうですね。同門の姉弟子です」

『それならば、その道士が我らに何をしたのか、知らないわけではあるまい?』


 優嵐は劉剣があの場にいたことを知っていたが、敢えてそう訊いた。


「はい……風遁の術と天霞で無理やり捕縛しようとしたとか……」

『そうだ。我らがその程度の罠に引っかかるわけもなく、未遂で終わったが――万が一、我らが負傷、死亡したらどうするつもりだったのか?』

「申し訳ありません……浅慮せんりょでした」

『君に謝られても仕方がない。君には何の罪もないのだから。とがなき者を糾弾きゅうだんする気はない。我らは人間とは違い理性ある一族だ。その少女の口から直接謝罪が聞きたい。許すかどうかは別問題だがな』


 許す気などなかったが、優嵐は嘲笑うようにして伝えた。


「それは……分かりました」


 劉剣は迷ったように視線を逸らすが、結局、少女道士の猿轡を解いた。


「ちゃんと謝るんだよ?」


 少女道士は一度深呼吸してニッコリと笑った。


「いきなり騙し討ちしやがって。お前ら最悪だなっ! 私は何も悪いことしてないのに謝るわけないだろっ!」


 いきなり飛び出た罵声に優嵐は思わず笑ってしまう。


『少女道士、名前は?』

「琳洛だっ!」

『何故、悪いことをしていないと思うのか?』

「目的遂行の為に必要な手段を取っただけだ。それの何が悪い?」

『凄まじい理屈だな。最近は道士の質も下がってしまったようだな』


 その時、劉剣が何か言いたそうな顔で顔を上げたが、すぐ伏せた。

 先ほど優嵐が他人の謝罪になど興味ないと説教した直後だからだろう。

 言葉にしないのは賢明だと思う。

 こちらの道士だけならば、交渉するのも悪くはなかった。

 話が通じる相手と交渉する程度の度量を優嵐は持っているつもりだ。

 だが、相棒を謝罪させるためだろうが、連れてきたのは劉剣の失策だ。

 それくらいなら切り捨てて無関係を貫き通すべきだ。

 俎上そじょうに載せないのが正解だったのに、その判断を誤った点は減じなければならない。

 琳洛はムスッと黙っていたが、ボソッと言う。


「それなら、お前らの法に照らし合わせて裁いてみせろ」

『……つまり、罪を認めるということだな』

「違う。私は悪いとは思っていないけど、そうしないと話が進まないだろ。私はもうあんなことはしない。でも、お前ら、それを信じないだろ? だから、罰を与えてくれ。それで対等だ。話し合いをしてやるよ」

「り、琳洛……その言い方は……」

『琳洛とやら、罪人らしくはないが――ふむ、貴様ら、一体、何を企んでいる?』


 劉剣は青い顔で言う。


「企んでいることなどありません。本当です。私たちは平等な話し合いを望んでいます」


 琳洛は不敵に笑いながら言う。


「別に何も企んでないよ。そっちが企んでいると思って警戒するのは勝手だし、許してくれるのならありがたいけどね」


 優嵐は考える。

 これは絶対に罠だ。

 琳洛たちはこちらを罠にかけようとしている。

 では、それが何なのか?

 琳洛がここまで余裕がある理由は何なのか?

 こちらの罰は命を失いかねないものである。

 それを知らないからこその余裕だろうか?

 試してみよう、と一種嗜虐的な気持ちで優嵐は提案する。


『……それでは、望み通り罰を与えてやろう』


 劉剣は一層顔を青くしたが、口出ししなかった。

 琳洛はあくまでもふてぶてしい態度を崩さない。


「ふん、ああ。こちらの思惑通りだよ。わざわざ悪いね」

『……一刻、天馬の全速力に引きずり回す。それに耐えられたら許してやろう』

「……っ」


 劉剣は今にも倒れそうな顔色で言葉を失っている。


「本気で?」と琳洛も息を呑んだ。

 彼女の強い眼の光が一瞬揺れる。


『嫌なら、止めても構わないが?』


 優嵐は琳洛が「止める」と言い出すと思った。

 だが、琳洛が顔色を変えたのはほんの一瞬だった。


「ふん、望むところだって言ったでしょ」


 優嵐は意外だった。

 天馬の全速力で引きずり回されたら、並の生物では跡形も残らないはずだ。

 道士なのによほど防御術に自信があるのだろうか?

 もしかしたら、今見えている琳洛は幻術で実体がないのか?

 だからこそ、死なないと分かっているのか?


 ――いや、と優嵐は考え直す。

 この琳洛には実体がある。

 優嵐の鋭敏な感覚が間違いないと太鼓判を押す。

 紛れもない本物だ。

 臭いが幻影ではないことを物語っている。

 優嵐はあまりにも不可解だったので、こちらから「やはり止めよう」と言うつもりだった。

 臆病さで彼らは生き残ってきたのだ。

 だが、その前に琳洛は言った。


「所詮、天馬なんて神馬より鈍足じゃない。私が死ぬわけないし」


 その一言で優嵐は心を決める。

 侮辱には死を。

 天馬の誇りにかけて鉄槌てっついを下す必要が生まれた。

 安い挑発だが、十分に効果的だった。


『ふむ、琳洛道士。死んでくれるなよ』

「当然。私は仙人になるんだからな」


 優嵐は笑いながら、裁判用の綱を仙術で出現させる。

 一町(約六十歩)ほども長さがある長い綱だ。


『これは応龍の髭で創られた綱だよ』

「ああ、そういや、天馬と応龍の関係って本当なのか?」

『ただの伝説だと思うが、我にその知識はない。

 劉剣道士、琳洛道士を解放してやって欲しい』

「は、はい……」


 劉剣はぎこちない仕草で琳洛を解放する。


「痛たたっ。うー、肩凝ったぁ」


 解放された琳洛道士は呑気に伸びをしているが、それに対して劉剣は不安そうに言う。


「り、琳洛……大丈夫?」

「問題ない、問題ない。これくらい耐えてみせるよ」


 優嵐はそのやり取りに違和感を覚えたが、その正体は分からなかった。

 そこでふと思いつき、背後の同胞に確認する。


『誰か、我に代わり引き回したいものはいるか?』


 優嵐の予想通り誰も名乗りを上げなかった。

 だから、自分が不在時の指示をあらかじめ出しておく。


『もしも、この劉剣道士が何かしでかしそうだと思ったら、すぐに逃げろ。違和感を覚えた時点で距離を取れ。人質があるとはいえ、その可能性は捨てるな』


 群れの次席――優嵐の次の責任者が神妙に頷く。

 勇気は若干不足しているが、判断力といざという時の決断力には信が置ける。

 大丈夫だろう。


『では――』


 優嵐は仙術を用い、綱を自在に操る。

 その一端は優嵐の胴体に走る邪魔にならないよう巻きつき、もう一端は琳洛の足に括りついた。


『手は自由に使わせてやる。防御陣を張るなり、何なりして耐えろ』

「ふん、ご厚意感謝する」


 琳洛は血の気の失せた顔に強がりの表情を浮かべている。

 その態度を鼻で笑ってから優嵐は翼を広げる。

 どんな鳥よりも美しいと言われる天馬の純白の翼である。

 琳洛が即座に何らかの仙術を使うため印を結んだ。

 だが、関係ない。無礼者の状況など斟酌してやる必要などない。


『我、天馬が頭領優嵐――全速で参る――』


 一度だけ高々といななき、優嵐は駈け出す。


     *


 天馬が本気になれば一歩で全速力に達する。

 しかし、今の優嵐は様子見をしながら走っていた。

 実際、優嵐は琳洛にかなり痛い目見て貰うつもりだったが、殺す気まではなかった。

 別にそれは慈悲ではなく、今後のことを考えたからだ。

 劉剣程度の道士は別に問題ではない。

 本気で逃走すれば彼は追って来られないだろう。

 しかし、その師匠や一門が徒党を組めばどうなるだろうか?

 天馬なら逃げ続けることも不可能ではないだろうが、それは辛い生活になるだろう。


 だから、徹底的に痛める程度に収める予定だったが、優嵐は背後を確認して感心する。

 まだ彼女は無傷だった。

 というのも、衝撃を受け流すための仙術を用いていたからだ。

 これは防護術ではなく、自身の存在そのものを薄めているのだ。

 限りなく空虚になることで加速に耐えていた。

 大した度胸だった。

 抵抗をしないことで受け流すという理屈は優嵐にも分かるが、普通であればそう簡単に実践できるものではない。

 防護術とは違い、すこしでも失敗したら生命はないのだから。


『漣』は何もない空間だから障害物はほとんどないが、それでも耐えられる精神力は賞賛しょうさんに値する。

 しかし、それは同時に狂気の沙汰でもあった。

 その時、『漣』の短い草が風で音を立てた。

 それは弱い風だったが、高速で移動する優嵐は大きく揺れ、琳洛は地面に叩きつけられそうになる。

 彼女はとっさに自動反射系の防護術で受けたが、衝撃を受け流す仙術の効果が途切れる。

 悪手といえたが、すぐに衝撃を受け流す仙術を再開することでどうにか事なきを得た。 

 琳洛は内臓を損傷したのか骨が折れたのか分からないが、ゴホッと吐血する。

 致命傷というほどではないようだが、全く軽傷でもない。

 術を発動させる動きがおかしいが、琳洛の目の光はそれでも消えていない。

 術そのものは全く途切れないのがその証拠である。

 しかし、余分に治癒術を施す余裕まではない。

 道士なら仙骨さえ破壊されなければ死ぬことはないので、約束の刻限までこのまま激痛に耐えて貰うしかない。

 優嵐は弱いものを甚振いたぶる趣味がないので、もう背後は見ない。

 ただ、罰を遂行するだけ。

 走り続けるだけだった。


 そして、一刻が経過した。


 優嵐は他の天馬たちの待つ元の地点に帰ってきた。

 つまり、劉剣は仲間たちに一切手を出さなかったのだ。

 その点については一定の評価を与えたい、と優嵐は考えていた。

 琳洛の体に巻きついていた綱を外すと、彼女はその場に崩折れた。


 少女道士は見るも無残な姿に変わり果てていた。

 ぼろ布と大差ない状態で、裂傷や擦過傷さっかしょうの数は限りなく、胴体が半ばから千切れかけている。

 だが、この程度であればそれなりの仙人であれば仙桃せんとうと治癒術でどうにかできるだろう。

 そもそも、優嵐が気にするのはお門違いというものだった。

 琳洛は立ち上がろうとしながら、息も絶え絶えになりながら言う。


「私の……勝ち……だね」

『勝ち負けの問題ではない。裁きを終えた。それだけの話だ』

「なら……これで……裁きは、終わりだね……?」

『……ふむ、確かにそうなるな』


 その言葉に安心したかのように微笑んで、琳洛は失神する。

 失神した琳洛は爆煙を発し、煙が晴れたそこに転がっていたのは一匹の猫だった。


『ふむ、琳洛道士は猫が化生していたのか』


 その時、真っ青になり固まっていた劉剣が涙目で琳洛に駆け寄る。


 


 優嵐は劉剣が錯乱したと最初思った。

 どうして自分の名前で琳洛を呼んでいるのか、説明がつかなかったからだ。

 だが、次の瞬間、彼は嫌な感覚を味わう。

 何かを間違えていないか、おかしくないのか、と心のどこかが警鐘を鳴らしている。

 しかし、その答えは分からなかった。

 その時、劉剣が懐から大量の式符を取り出し、治癒術を発動させる。

 次の瞬間、優嵐は驚愕する。


 劉剣から立ち昇る仙気の量は万の時を重ねた霊樹に匹敵するものだったからだ。

 発動させた仙術はとても道士が行ったものとは思えなかった。

 復元と見紛うばかりの速度でみるみるうちに琳洛の傷が消えていく。

 こんなに腕の良い道士だったのか、と考えてやはり優嵐は違和感に襲われる。

 服はぼろのままだが、けがの治った琳洛が人間に化けてから起き上がり言う。


調


 琳洛と呼ばれた劉剣も何の躊躇もなく応じる。


「無茶しすぎ! 死んだらどうするの!」

「いやいや、師匠が言っていたけど、人間界では猫って不死身の代名詞らしいからね。僕は簡単には死なないよ」

「何よ、それ? そんな話聞いたことないんだけど」

「いや、心臓が九つあるって伝説があるらしいんだけどね……。ところで、水月鏡返して貰えるかな? ちょっと仙気を回復しないと倒れそうだ」


 琳洛は水月鏡と共に仙酒と仙桃を手渡した。

 劉剣は「ありがとう」とお礼を言って嬉しそうに仙桃にかぶりつく。


「おっと、優嵐さんを置いてけぼりにしちゃ問題だよね」


 その場には何故かになっていた。

 治癒術を使った劉剣と先ほどまで琳洛だった劉剣がお互いに会話している姿は奇妙の一言だ。

 そこでようやく優嵐は何が起きたのか理解する。

 そう、確かにこれは琳洛だった劉剣の言う通り勝ち負けの問題だったのだ。

 即ち、『見破れるか見破れないか』というそういう戦いだった。

 そして、琳洛だった劉剣は言う。


「うん、優嵐さんも気づいたみたいだけど、ちょっと遅かったね。琳洛、そろそろ元の姿に戻ろうか」

「あ、うん、そうね」


 そして、劉剣だった琳洛が元の姿に戻った。

 そこにいたのは、琳洛の姿をしていた劉剣と劉剣の姿をしていた琳洛である。

 二人は変化の術で姿を交換していたのだ。

 臭いをごまかすために服まで交換していたのだ。

 優嵐は劉剣が琳洛の代わりに罰を受けなければならない理由が分からず絶句する。

 服もボロボロで疲労困憊しているが、劉剣はニッコリと笑い告げる。


「さて、話し合い、しましょうか?」

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