第3話 天馬捕獲録 その3
琳洛の性格を一番表しているのは鋭い眼光を宿した目だろう。
その意志の強さは誇り高さ故であるが、同時に頑なさも伴っていた。
つまり、絶対に自分の失敗を認めようとはしなかった。
頬を紅潮させ、彼女は早口でまくし立てる。
「いや、もう少しだったしね! もうあれは、八割方成功していた。つまり、失敗したなんて間違いなのっ。というか、アンタが来るから失敗しただけだし!」
琳洛は劉剣とそれほど背丈も変わらない。
薄桃色の頬と長いまつ毛、艶やかな長髪がなければ少年のような外見だ。
中性的な雰囲気の持ち主である。
水月鏡は『はんっ』と嘲笑い、丁寧な口調で言う。
『自己正当化だけは仙人級ですね。琳洛道士殿?』
「一度だったら聞き逃してあげる。でも、本当だったらもっと準備していたのに! 劉剣が来たから発動させちゃったのよ!」
『おお、責任転嫁についても仙人級みたいですね。琳洛道士殿?』
「……あら、何か宝貝が言ったような気がするわね。ちょっと劉剣、火遁の練習を始めるから気をつけてね」
いきなり角突き合わせる二人に劉剣は苦笑する。
どちらも気が強いので相性が悪いのだ。
「絶対に僕も被弾するじゃないか。いきなり喧嘩しないでよ。それよりも、これからのことを話し合おうか」
結局、彼らは『漣』に残り、琳洛が瓢箪から取り出した
「確かに過去のことなんてどうでも良いわね。大切なのは未来よ、未来」
『反省のない者に進歩はないわよ』
「ア・ン・タねぇぇっ」
『――二人ともいい加減にしなされ』
再び口喧嘩を始めようとする二人の仲裁をしてくれたのは劉剣ではなかった。
天の助けは琳洛の腰から聞こえてきた。
「うぐっ」
『むぅ』
琳洛と水月鏡が同時に呻いた瞬間、琳洛の腰から
そして、煙が晴れたそこには一人の老人が座っていた。
年の頃は人間で七十代というところだろう。
見事な総白髪に腰の曲がった小柄な体躯だが、
老人はため息混じりに言う。
「口を出すまいと我慢しておりましたが、我慢の限界です。劉剣殿が建設的な話し合いをしようとしているのに二人とも一体何がしたいのか」
「き、
「琳洛様、言い訳は己の価値を下げますぞ」
その一言で琳洛はぐうの音も出ず、気まずそうに視線を彷徨わせた。
水月鏡は『あーあ』と面倒くさそうにぼやいている。
曲常瓶は瓢箪の宝貝である。
だが、人の形態も取ることができた。
これは使用者が拘束された際などに自らの意志で移動するためである。
もちろん、瓢箪の際と較べて機能は制限されるが、彼が瓢箪の宝貝であることに変わりはない。
ちなみに、人型を取る宝貝は珍しくない。
「水月鏡もいい加減にせんか。お主は昔からどうしてそう使用者に対して反抗的なのか」
『老人は説教臭くて堪らないわね。それに、私の使用者は琳洛道士じゃないわ』
劉剣の懐から水月鏡が転がり出た。
そして、先ほどと同じような爆煙が起きる。
そこには一人の女性が行儀悪く
水月鏡は水銀色の髪と目の美しい娘だ。
痩せていて小柄な劉剣よりも頭半分ほど背が高い。
作務衣のような簡素な服を着ている。
どこか
「んで、琳洛道士も天馬を捕獲するつもりだったの?」
琳洛は黙ったまま、拗ねたようにそっぽを向いている。
代わりに口を開いたのは曲常瓶だった。
「はい、劉剣殿。琳洛様もまずは天馬で小手調べのつもりだったのです」
劉剣は「なるほどね」と大きく頷く。
「そりゃ、いきなり
琳洛も劉剣と同じく道士であり、仙人資格取得のための試験を受けていた。
彼女の場合、特に制限はなかったのだが、劉剣が四凶を捕まえるという任を与えられた結果、対抗心からこう言ったのだ。
『私にも同じような試練をお願いします!』――と。
その結果、彼女は四瑞を捕獲することになった。
四瑞とは四凶と対になる、
善良とはいえ誇り高く、怒らせた場合の恐ろしさは四凶に比肩するほどである。
難度は実際大差ないのが実情であった。
劉剣は琳洛と曲常瓶に言う。
「それにしても、無茶をしたね。天馬相手に風遁?」
曲常瓶は我が意を得たりとばかりに大仰に頷いた。
「同感です。自分はお止めしたのですが、琳洛様ときたら……天馬相手に無計画にも風遁の術で制圧しようとしたのです。逃げられるに決まっているではありませんか。
「うるさいなぁ。悪かったわよ。無茶苦茶してっ」
琳洛の言葉に水月鏡が意地悪く笑う。
「悪かったと思っている人の口調じゃないわよね」
「水月鏡も注意する気がないのに注意する人の口調だよ。ただ責めているだけだ」
「……むぅ」
水月鏡が唸って押し黙る。
旗色が悪いと判断したのか、あっさりと引き下がった。
劉剣は琳洛に向き直りながら微笑む。
「水月鏡がゴメンね、でも、琳洛も自分が悪いと思ったら謝ってね?」
琳洛は返事せずに、フンッと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「それでどうやって捕獲するつもりだったか、教えてくれないかな」
琳洛はしばらく逡巡した後、ボソボソと話し始めた。
*
天馬の逃げ足は仙界一であり、単体で追いつける存在は基本的にはいない。
つまり、彼らが恐れている相手は『集団で襲ってくるもの』、『奇襲を仕掛けるもの』、『罠や策を弄するもの』である。
そして、琳洛が選んだのはその中でも『罠や策を弄する』であった。
「私はこの『漣』にアンタたちよりかなり早く到着していたんだ」
劉剣と琳洛はほぼ同時に任を言い渡されたのだが、出発したのは彼の方がかなり後だった。
いろいろと準備していたら出遅れたのである。
「それで天馬の習性を遠くから観察していたの。で、決まった時刻にこの付近を通るみたいだったから、
天霞は見えない網を空間に編み込み、それで絡んだ相手を捕らえるという罠だ。
基本的には仙術的にこの世から消滅させ、発動時まで具現化させない。
劉剣はすこし天馬の行動習性を考えてみる。
一定の行動を繰り返していると、罠を張られた時に困るのではないだろうか?
しかし、全く同じ行動を繰り返すことで些細な違和感にも敏感になるのかもしれない。
そして、いざ罠を張られたことさえ見破ってしまえば、逃げ出すことは容易だ、と。
天馬は臆病な仙獣だが、同時にとても勇敢なのだろう。
「なるほど、つまり、風遁の術は追い立てるために使用したのか」
「ええ、でも、罠が作動する前に逃げられたの」
「天霞が具現化する際に逃げられたの? それとも、具現化した後に逃げられた?」
「具現化する前ね。でも、その二つに違いなんてあるの? 問題なのは天馬の速度でしょ」
「うん、違いはあるんだけど、その違いを有効利用できるかどうかは微妙かな」
琳洛は「よく分からないや」と首を傾げつつ、説明を続ける。
「で、天霞の範囲は大体一里四方くらいに張り巡らせておいたわ」
一里は三百六十歩である。
天馬一頭を捕獲するためには十分すぎる広さだ。
「しかし、どうして気づかれたのかな? 天馬って観測系の仙術にも長けているって考えた方が良いのか」
「分からないけど、当然じゃない? 私たちが使う観測系仙術じゃ捉えられないほどの速度だよ。それよりも優れてないと危なくて走れないでしょ」
「そうか……僕が調べた資料には載ってなかったよ」
天馬の足が速いことは自明の理である。
知られても問題のない情報だと言える。
どうしようもないからだ。
それに対して、観測能力・知覚能力の詳細は致命的な問題になる可能性があった。
どうにかするとしたら、そこを惑乱させる手段に出る可能性が高いからだ。
故に、文献や資料に残されていないのだろう。
これらの情報から導き出せる答えは、目と脚が自分たちよりはるかに優れた相手を捕まえろ、という難題だった。
「ちなみに、琳洛が風遁の術で追い立てようとして作動するまでどのくらいの時間差があったの?」
「ほぼ同時よ」
「具体的に」
「……
心臓が一度鼓動する時間が『
その十分の一の時間を『
更に十分の一の時間を『
そうやって十分の一ずつ短縮され――
それまで黙って聞いていた曲常瓶が口を挟む。
「琳洛様、見栄を張らないでください。一忽はかかりましたよ」
「う、うるさいなぁ。心意気は一微くらいだったもん!」
曲常瓶がずっと黙っていたということはあとの情報は正確だったということだろう。
より正確な言い方をすれば、曲常瓶の視点からは正確だった、になる。
ただ、一万分の一分だろうが、十万分の一分だろうが大差ないのだった。
劉剣が苦笑しながら教える。
「僕が琳洛よりも遅れたのはちょっと仙獣について文献を漁っていたからなんだよね」
「それが?」
「ある研究書には、天馬が一里を
一微の十分の一が
続けて、
一渺は百億分の一分である。
一微という短時間も一渺に比べれば永遠に等しい。
琳洛は目を丸くする。
「そ、そんなに? い、異常じゃない? その速度」
「それくらい調べておこうよ。いくら実践派とはいえ、あまりにも行き当たりばったりじゃ痛い目に遭うよ」
「いや、だってさ、天馬って温厚な種族なんでしょ。なんとかなるって思ったし」
ボソッと水月鏡が毒づく。
「んで、失敗したんだ。どうしようもないわね」
「ぐぬぬぬっ」
睨む琳洛に楽しくて仕方ないという具合の水月鏡。
劉剣は苦笑する。
「いくら温厚といっても天馬にだって逆鱗はあるんだよ?」
「そういや、天馬は応龍の
「現在じゃ疑問視されているけどね。で、天馬にとっての
「っさいなぁ、分かったわよ」
劉剣は話を戻す。
「話を戻すけど、あらかじめ発動して風遁で追い立てた方が成功率は高かったかもね」
言った後に劉剣は自分の言葉の誤りを悟る。
発動させてから追い立てても余裕で逃げられるに決まっていた。
絶対速度が違うのだから意味がない。
つまり、基本的に琳洛は仙術も戦術も間違っていたということだ。
技を競い合っても仕方がない。
「とにかく、真っ向勝負は不利だね。罠役と追い立て役に分かれて、同時に発動させても勝算はあんまりない気がする」
そもそも、仙獣は仙人と較べて一点突破に優れている。
たとえば、天馬の体は人体よりも走力と視界の広さに特化した造りになっている。
だから、それに適した仙術を彼らは身につけていた。
それこそが仙人の移動術とは比べ物にならない走力であった。
仙術を学問として体系化したのは八仙の一人【
単純な力技は通用しない。
だから、仙人資格取得試験で計られているのは思考の柔軟さであり、臨機応変さである。
劉剣は琳洛に提案する。
「ねぇ、琳洛。ちょっと手を組まない?」
「手を組む? どうするつもりよ」
「うん、天馬を捕まえようと思うんだけど、僕の作戦聞いてくれないかな」
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