そして
ある日、部室に行くと、彼女しかいなかった。
思わす、部室のドアを開けた手でそのままドアを閉めかけた。
「あ、斉藤くん」
彼女の声が俺の名前を呼んだ。
え、でも、待て。彼女だけしかいない部室に入っていくなんて考えられない。
「斉藤くん、この写真の撮り方わかる?」
俺の気持ちなんかまったく考えてない彼女が、手に持っていた写真集を俺に見せるようにして傾けた。
そこには、細いポールに立てかけてある自転車が映っていた。背景をセピア色にぼかしてあって、自転車が黒く陰になって浮かび上がっている。
ね、ね、って言って、細い綺麗な手で僕を手招きする。
僕はふらふらと足を運んで、彼女の隣に立った。
「ね、ほら。このぼかすの、どうやるの?」
彼女が隣の椅子に座るように、ぽんぽんとその椅子を叩いた。
僕は体中が心臓になったみたいに、ドキドキしながら、もつれるような足取りで椅子に座った。
しどろもどろで撮り方の説明をする。
「すごいね。さすが」
感心したような彼女の声が口から漏れた。
「いや……」
「ね、あの……」
彼女が言葉を切って、ちらっと俺を見た。
――?
「あの、覚えてるかな。入学式の日」
え?
「写真撮ってもらったの」
覚えてるも何も。
「すごく綺麗に撮れてたの」
――うん。
「すごく嬉しかったんだ」
「……」
「ねえ、聞いてる?」
反応のない俺にしびれを切らしたように、彼女がぷんと唇を尖らせる。
「あ、うん。聞いてる。……覚えてる」
「ほんと?」
「うん」
「私もね、こんな写真が撮りたいなって思って。写真部に入ったの」
「うん」
「……斉藤くんもいたしね」
「……」
「もう、何か反応してよ」
何が何だか分からない。手の平に汗がべっとりだ。
彼女が隣で僕に話をしている。
なに?僕がいたから写真部に入ったって?いや、それは僕の都合のいい解釈か?
何か返事をしなくてはいけないのは分かっているんだけど、声が出ない。
「なんかさ、斉藤くん、私のこと避けてない?」
「え?」
「せっかく同じ部活なのに、あんまり話してくれないし。さっきは私の顔見て帰ろうとしたでしょ」
バレてた。
でもそれは、嫌で避けてるんじゃなくて。あまりに彼女が眩しすぎるから。彼女を前にするとどうしていいか分からない自分がいるから。
「嫌われてるのかな……」
瞳を伏せて彼女がポツンと呟いた。
「あ、……」
思わす、膝から浮かした手を、所在なげにバタバタと振る。
「え、あ、違う。違うよ。嫌うなんてそんな……」
彼女はうつむいたままだ。
「本当に、俺なんかが、臼井さんと話していいのかとか……えっと」
思いっきりネガティブなことを言いそうになって、慌てて口をつぐんだ。
彼女がぱっと顔を上げた。
「なに、言ってんの、斎藤くん」
「いや、その」
「もう、じゃあ、嫌じゃないなら、今度一緒に写真を撮りに行こう。――そう、鎌倉とか」
「え?」
「今、新緑も綺麗だし。海もあるし」
「海……」
「そう、海の撮り方も教えて」
え?それって、二人で?
僕が呆然として彼女を見ていると、長い睫毛を揺らせてニコッと微笑んだ。
ああ、モテる女の自信か?自信あるんだろうな。でも、なんで僕?
写真部には僕より写真の上手い人なんていくらでもいるのに。
その週の週末、彼女と僕は二人きりで鎌倉に行った。
これって、デートだろうか。
デートでいいのか。
ああ、でも、付き合ってるわけじゃないから。デートじゃないか。
落ち着かない心臓を持て余して、悶々と余計なことを考えながら、横を歩く彼女を見る。
私服姿の彼女は、彼女いない歴イコール年齢の僕には、刺激が強かった。
膝上の赤と茶色のチェックのスカートに大きめのオフホワイトのパーカー。長めのハイソックスに洒落たブーツ風の運動靴。
完璧すぎる。それに比べて僕のオタクファッションに引かないだろうか。これでも、少しでも自分なりに格好をつけてきたつもりだが。
まるっきり自信がなかった。
彼女は上機嫌で。にこにこと僕に話しかけてくる。対応に逐一困りながらも、なんとか、一日が過ぎて行った。
その後も、彼女に誘われて、何回か一緒に写真を撮りに行った。
そして、2度目の鎌倉。
寿福寺から銭洗弁財天、最後は由比ガ浜に出て二人で砂浜にある手ごろな岩に腰を降ろした。
ちらっと伺うように彼女が僕を見る。
「ね、あのね」
「うん?」
僕もだいぶ慣れてきた。この近い距離でも彼女と普通に話せるようになった。
「……確認、していい?」
「うん?」
「これって、デート、だよね?」
「え?」
思わず、大きな声が出して、彼女を見てしまった。
「え?違うの?」
彼女の大きな瞳が揺れる。
「あ、いや」
「もうっ……えっと、その、分かってると思うんだけど……」
「……?」
「私、斉藤くんのこと、好きだし」
は?え?
「斉藤くんは、その……」
彼女がきゅっと唇を噛んだ。
ああ、僕が、今、僕が言わなくちゃ。
「僕も、僕も……好き……です」
彼女の瞳が俺を見つめる。その瞳が水分をたたえて揺蕩っている。
本当に、本当に、これは現実なのだろうか。
僕は、自分の右手の先にある、彼女の手をぎゅっと握った。
彼女の瞳から雫が零れ落ちた。
彼女の頬に触れていいだろうか。彼女の涙をぬぐってもいいだろうか。
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