第37話 願い

紗耶香ちゃんの機嫌が直らないまま数週間経ち、紗耶香ちゃんはますます不機嫌に。


というのも、数日前、滝川君がうっかり『スイートルームに私が一人で泊まった』ということを、松崎君に話してしまい、その噂が紗耶香ちゃんの耳に入ったようで、手の施しようがなくなっていた。


野口さんのようにガミガミ言うわけではないし、放っておけばそれでいいから楽なんだけど、部署内の空気を一人で重くしてしまい、息が詰まり続けてた。



そんなある日のこと。


紗耶香ちゃんがミスをしてしまい、部長と共に急いで工場へ。


工場長に謝罪をしたんだけど、工場長は顔を横に振るばかりだった。


「本当に申し訳ありませんでした!」


「ここのところ、そんなミスばっかりじゃん。 この前なんて、3日で100着作れとか言われたんだよ? 急いで作ったら全キャンセルとか普通に言ってくるしさぁ… そんなことされるとこっちも困るんだよ」


「確かにそうですね…」


「最近、たるんでるんじゃないの? こっちはそちらのデータの通りに作ってるんだからさぁ~~~~」


工場長の愚痴に頭を下げることしかできなかったんだけど、工場長はグチグチ言いながらアチコチ歩き回る。


工場長の後を追いかけながら駐車場に出て、謝罪をし続けていると、配送部の部長が合流し、二人からお説教開始。


二人と比べたら、営業部長のほうが若いし、勤続歴も浅い。



なにより、完全にこちらのミスだから、ただただ頭を下げていたんだけど、ふと頭の中に、バツ印の傷を足に負った工場長の姿が、はっきりと思い浮かんだ。



…え? 工場長の足にバツ印の傷? なんで?…



慌てて周囲を見回すと、道路を歩く、フードを被った男性の姿が視界に飛び込んだんだけど、その人は私が見ていることに気が付いたように、フードを外し、ニヤリと笑いかけてきた。



…修哉さん!!…



慌てて修哉さんに駆け寄り、腕を掴んだ。


「お願い! あの人は何も悪くないの!! 何も悪くないから! お願いだから何もしないで!!」


「何もって… 何言ってんの?」


「修哉さんなんでしょ!? お願い!! 悪いのはこっちだから!!」


「ちょっと落ち着けって! 何がどうしたよ?」


「バツ印つけたの、修哉さんなんでしょ!?」


「バツ? 何の話?」


「笑いかけたじゃん!!」


「普通に知り合いが怒られてるところ見たら笑うだろ? つーかマジで落ち着きなって。 何をそんなに必死になってるのか知らないけど、俺はたまたますぐそこに用事があって来ただけ」


「…用事?」


「そ。 俺、会社辞めて独立するんだ。 知り合いがすぐそこに住んでて、そいつが既に独立してるから、参考に話を聞きに来たってだけだよ」


修哉さんの話を聞き、どんどん血の気が引いていくのが分かった。



…違う。 修哉さんじゃない…



少し考えれば、バツ印の傷を作るように操ったのが、修哉さんじゃないことくらいわかる。


そもそも接触もせずに、何の接点もない他人を、操ることなんてできないことくらいわかりきっている。


なのに、修哉さんの笑顔を見ただけで、自然と体が動いていた。



「…すいません。 本当に申し訳ないです」


「今度、何があったか教えてくれる?」


黙ったまま小さくうなずくと、修哉さんは私の頭をポンポンと軽く叩き、駅のほうへと向かっていた。



…私、何してるんだろ? 修哉さんなわけないじゃん…



小さくため息をついた後、部長のもとへ駆け寄り、頭を下げ続けていた。

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