第25話 囁く声

夏美に修哉さんのことを聞かれた定時後。


疲れ切った体を引きずるように駅に向かい、電車に乗った瞬間、睡魔に襲われていた。


なんとか意識を保とうとしても、油断をすると意識が飛んでしまい、視界が真っ暗になりそうになってしまう。


睡魔と格闘しながら電車に揺られていると、頭の中にエコーがかかった声が響いてきた。


≪着くよ≫


びっくりして目を開けると、そこは自宅最寄り駅。


後ろを振り返っても、いつも背後から囁いてくる修哉さんの姿はなく、不思議な気持ちを抱えたまま自宅に戻っていた。



…まただ。 あの声、誰なんだろう? 修哉さんの声に似てるけど、修哉さんじゃないし…



夕食を食べながら声のことを思い出しても、同じ声の持ち主がわからない。


エコーがかかっているように聞こえるせいか、同じ声の人を見つけ出すことができないままでいた。



翌朝になっても、頭の中に響く声のことが気になって仕方ない。


電車に揺られながら、真剣に声のことを思い出そうとしていると、左隣に立っていた中年男性がもそもそと動き始め、カバンを持った手が私の足に触れている。


…この人、動きすぎじゃない? 当たってるんだけど…


少しだけ離れようとしたんだけど、中年男性は距離を詰めるように近づき、気持ち悪さを隠せなかった。


…何この人、ホント気持ち悪い…


少しずつ移動していると、耳元で囁く声が聞こえてくる。


「…おはよ」


声に反応するように振り返ると、修哉さんが立っていたんだけど、頭の中に響く声は、修哉さんの声よりも高い。


「…おはようございます」


「どうかした?」


「いえ… なんでもないです」


小声で返事をした途端、修哉さんは私の体をグッと引き寄せ、近づこうとしてくる中年男性と私の距離を引き離した。


中年男性はもそもそと動き、人ごみの中に少しずつ移動していく。


…もしかして、あの人が紗耶香ちゃんの言ってた痴漢? え? 嘘でしょ?…


しばらくすると、少し離れた場所から女性の叫び声が聞こえ、思わず視線を向けると、さっきの中年男性は、両手から大量の血を流し、周囲にいた人たちは、狭い車内で自然と距離を開けている。


孤立された男性の足元には、カバンと血に染められたカッターナイフが転がり、中年男性は痛みに顔を歪めていた。


思わず駆け寄ろうとしてしまうと、修哉さんが私をしっかり抱きかかえ、私の顔を胸に押し付けてくる。


「…見ないほうがいい」


「で、でも…」


「行くな」


修哉さんの腕に抱かれ、何が起きたかもわからないまま駅に着き、男性は駅員に連れられてホームに降りていた。


電車はすぐに出発することができず、遅延することが決まっていたんだけど、どれくらい止まるのかもわからず、修哉さんとホームに降り、会社に電話をしていた。


会社に電話をした後、ふと怪我をした男性のほうを見ると、男性の両手の手のひらにある大きなバツ印の傷から、血があふれ出している。


…×印…


思わず固まっていると、修哉さんが私の頭をポンっと叩き、耳元で囁くように切り出してきた。


「…どうかした?」


「あ、あの… 手にバツ印の傷が…」


「あの人、痴漢の常習犯だし、バツを受けるのは当然だよ」


「ご存じなんですか?」


「前に乗ってた路線にいたんだよ。 何度も捕まったところを見たことがあるし、路線を変えたんだろうな。 相当恨みを買ってるんだと思う」


「…そうだったんですね」


修哉さんに返事をした後、駅員に連れていかれる中年男性の方を見て、小さな違和感を感じていた。



誤って自分で手を切ってしまったとしたら、片手だけだろうし、バツ印にはならないはず。


もし、誰かが傷つけたとしたなら、最初に切られた段階で、大声を上げるだろうし、声も上げずに、しかも両手の掌にバツ印をつけるなんて考えにくい。



…後ろから口を押えられてたから声を出せなかった? でも、あの人、カバン持ってたし、わざわざカバンを持ち替えさせて、恨みを持った女性が切ったとか?…



言葉には出さずに考えていると、頭の中に囁く声が聞こえてきた。


≪違うよ≫


びっくりして修哉さんを見ると、修哉さんは離れた場所で電話をしている最中。



…え? 修哉さんの声じゃない? じゃあ誰の声?…



電話で話す修哉さんの背中を見ながら、頭の中で囁く声のことばかりを、ずっと考え込んでいた。

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