第21話 トラウマ

野口さんの話を聞いた翌日。


部長から『担当者の変更』を命じられていた。


滝川君のサポートを紗耶香ちゃんがするようになり、私が坂崎さんのサポートをすることに。


紗耶香ちゃんは抱える案件が減ったんだけど、部長は外出することを減らし、坂崎さんと松坂君に行かせるようになったせいで、さぼらないように目を光らせ始め、残業を頼んでくることがなくなっていた。



滝川君はレストランでの出来事がトラウマになっているようで、物静かになってしまい、部署に帰ってきても口数が少ない。


夏美や私が話しかけても、気のない返事をするばかりで、仕事でもミスが目立ち始め、数日後には部長命令で心療内科に行き、『PTSD』と診断がおりたようで、しばらくの間休むことが決まっていた。


当の野口さんはと言うと、退院後、1日だけ出社をしたんだけど、舌をかなり深く切ったせいで、うまく話すことができず。


伝わらないことに苛立って、経理部の女の子に怪我を負わせてしまい、自宅謹慎処分が下されていた。



野口さんと滝川君がいなくなったせいか、社内は妙に静かで、逆に落ち着かない。



普段だったら、滝川君がわからないことを聞いてきたり、ミスを見つけるとことあるごとに声をかけていたんだけど、大ベテランの坂崎さんがミスをすることはほとんどない。


少し寂しい気持ちになりながらも、日々を過ごしていた。



数か月が過ぎたある日のこと。


滝川君が職場復帰する少し前に、野口さんが自主退社をしていた。


復職した滝川君は、野口さんが退社したことを知るなり、以前のような明るさを取り戻しつつあったんだけど、野口さんと二人で行ったお店の名前を聞いたり、近くに営業しに行くことになると、表情が曇ってしまい、一気に落ち込んでしまうのが手に取るようにわかる。


サポートとして着いていくのは紗耶香ちゃんなんだけど、紗耶香ちゃんは無神経というか何というか…


平気でお店の名前を出してしまうせいで、滝川君のテンションはがた落ち。


周囲が何度注意しても、紗耶香ちゃんは聞き入れず、結局、私が滝川君のサポートに戻っていた。



…滝川君の数字が落ちてる。 今度、飲みに誘ってみるか…


久しぶりに引き受けた仕事をこなしながらそう思っていた。



そんなある日のこと。


滝川君と車で外出したんだけど、滝川君はハンドルを握りながら、申し訳なさそうに切り出してきた。


「…ホントすいません」


「何が?」


「俺、あかりさんに迷惑ばっかりかけてますよね… あの時も真っ先に連絡しちゃったし…」


「気にしないの! 困ったときはお互い様でしょ? それより今度、飲みに行こうよ」


冗談を交えながら話をし、取引先である『Nファクトリー』に向かっていた。


大きなビルの応接室に案内され、担当者の『市橋さん』を待っていたんだけど、市橋さんは中年太りのおなかを揺らし、不機嫌そうに部屋に入ってくる。


しばらくの間、滝川君の説明を聞いていたんだけど、市橋さんは資料を見ながらため息をつき切り出してきた。


「ったく、制服なんて変える必要ないんだよ…」


市橋さんが吐き捨てるように言った瞬間、応接室の扉が開き、スーツ姿の男性が中に入ってきたんだけど、その姿を見た途端、体が固まり、息が詰まっていた。



…修哉さん? じゃないか。 修哉さんに似てる…



パッと見で見間違えるほど、修哉さんに似た男性は、挨拶をした後、私と滝川君に名刺を差し出してきた。


「突然すいません。 副社長の笹本哲人です。 よろしくお願いします」


慌てて名刺交換をした後、ソファに座り、滝川君主導のもと、話を続けていたんだけど、さっきまで横柄な態度をとっていた市橋さんは、急に縮こまっていた。


流暢に話す滝川君の横で、副社長を見ていたんだけど、よく見ると修哉さんよりも甘い顔立ちをしていて、まっすぐな髪も短く切りそろえられている。


…雰囲気が似てると思ったけど、修哉さんはこんなに細くないし、もっとがっしりしてたっけなぁ…


そんな風に思いながら話を聞いていると、副社長は資料にある一番高い制服を、指さしながら頷き切り出してきた。


「ではこの制服を1000着、お願いできますか?」


「1000!? ふ、副社長、それは多すぎです!」


たまらず市橋さんが声を上げたんだけど、副社長は平然としている。


「一人2着ずつ持たせますし、子会社にも送るつもりなので、1000では足りないくらいです」


「いや、でも、予算が…」


「グループ会社の仲間意識を高めるためなら、予算は何とでもしますよ。 それとも、僕の決定に異論があるのですか?」


副社長は市橋さんをキッと睨み、市橋さんはさらに縮こまっていた。


その後も滝川君と副社長で話を続け、最後に滝川君と副社長はがっしりと握手をしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る