第18話 残業

紗耶香ちゃんの不機嫌な態度が直らないまま数日が過ぎ、みんなは紗耶香ちゃんに触れないように作業をし続け、松崎君と滝川君は外回りばかりで、部署に戻らなくなっていた。



週末の定時間際、帰り支度を始めようとすると同時に、紗耶香ちゃんが猫なで声で切り出してきた。


「あかりさぁ~ん。 お願いがあるんですけど良いですかぁ?」


「な、何?」


「坂崎さんの案件で、今日中に仕上げないといけない書類があるんですぅ。 けど、今日はどうしても用事があって~~~」



…だと思った。 用事ってデートでしょ? 毎回毎回、正直にデートって言えばいいのに…



そんな事は言えず、かと言って、断ってしまえば、更に不機嫌になることも目に見えている。


「…わかった。 どの案件?」


了承してしまったが最後。


「よろしくお願いしまぁ~す」


紗耶香ちゃんは『1週間分?』と聞きたくなるくらいのファイルをどっかりと私のデスクに置き、浮足立つ感じでさっさと会社を後にしていた。


「あ~あ。 またやられてる」


夏美は呆れかえったようにため息をつき、その隣でため息をつくことしかできない。


「仕方ないよ。 滝川君、今日は直帰だって言ってたし、残業するよ」


「ったく…。 私も手伝うって言いたいけど、今日は坂崎さんと接待が入ってるんだよね…」


「飲みすぎないように気を付けてね」


後ろ髪をひかれるような表情で見てくる夏美に手を振り、一人残業をしていた。



しばらく作業をした後、コンビニに行き、軽く食べながら作業を続けていると、部署の扉が開き、松崎君が部署の中へ。


「あれ? まだやってんの?」


黙ったままサンドイッチを頬張って頷き、手を動かしていると、松崎君は夏美の席に座り、紗耶香ちゃんが渡してきたファイルに手を伸ばした。


「これって坂崎さんの案件じゃね?」


「そうだよ。 紗耶香ちゃんにお願いされた」


「温泉に連れて行かなかった当て付け?」


「そんな感じ」


「ったく… 断ればいいのに…」


「いいの。 どうせ帰ってもやることないしさ」


ため息交じりに言い切ると、松崎君は数冊のファイルを手に取り、自分のデスクについていた。


「帰っていいよ?」


「どうせ帰ってもやることないし」


「…彼女作れば?」


「うっせ」


それ以上の言葉は交わす余裕がないくらいに手を動かし、二人で黙々と作業を続けていた。



すべての作業を終え、時計を見ると、終電を過ぎている。


「まだかかりそう?」


「いや、もう終わるよ」


松崎君はそういうと、勢いよくエンターキーを『ターン』と叩き、大きく伸びをしていた。


「ありがと。 助かった」


そう言いながら後片付けをしていると、松崎君が切り出してくる。


「終電ないだろ? どうすんの?」


「タクシーで帰るよ。 お金ならあるし」


「ちょっと前のあかりからは信じらんねぇ言葉だな」


小さく笑いながら後片付けを終え、松崎君と会社を後に。


タクシー乗り場に向かって歩いていると、松崎君が切り出してきた。


「飯、食っていかね?」


「やめとく。 さっき、サンドイッチ食べたからお腹空いてないし」


「そっか。 奢ってもらおうかと思ったんだけどなぁ」


笑いながら歩き、タクシー乗り場に着いたんだけど、松崎君はタクシー乗り場に着くなり、いきなり真顔で切り出してきた。


「なんかあったら、すぐ連絡しろよ」


「なんかって?」


「悟、ストーカー化しそうなんだろ?」


松崎君の言葉に耳を疑い、思わず固まってしまった。


「どうした?」


「何で知ってるのかなって…」


「あ~、夏美が言ってたからさ。 温泉行ってるとき、電話あったんだろ?」


「あ、そういうことか! あれ以来連絡ないし、たぶん大丈夫だよ」


「用心しろよ? じゃな」


松崎君はそう言い切った後、私の頭をポンポンと軽く叩き、歩き始めていた。


…用心か。 用心のために引っ越さなきゃなぁ…


そんな風に思いながら窓の外を眺め、タクシーに揺られていた。

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