転がる生き物の話
松長良樹
転がる生き物の話
ある惑星に生命がいました。とても地球からは離れた星なので人間はその存在さえ知りません。ただその生き物はとても不可思議な生態を持っていました。
なんと説明しましょうか、地球の生物に似た者を探すのなら、それはマグロにちょっと似たところがあります。姿かたちは似ても似つかないのですが、マグロは回遊魚で、寝る時でさえ泳いでいますが(泳ぎを止めたら窒息する)その惑星の生物は、常に転がっていないと死んでしまうのです。
形は円盤型です。ちょうどタイヤみたいな形をして、車輪みたいに転がるのです。色はグレーで外側の皮膚が程よいかたさがあって、まさに大きな自転車のタイヤのようです。
彼らはもちろん複数いて、三十個ぐらいの、いくつものグループをつくっています。そしてその集団同士は決して干渉しません。
彼らにとって最も必要なのは傾斜地です。つまり坂がないと転がれないからです。もちろん自力で少しは転がれるのですが、すぐに疲れてしまいます。だから長い坂道が彼らは大好きです。長ければ長い程都合がよいのです。
長い滑らかな斜面を、全速力で滑走するとき彼らは無類の喜びを感じるのです。
でも坂道がなくなったら、谷底まで到達したら転がれないだろうと、そう思うかもしれませんが、これがこの惑星の一番、不可思議なところです。地形がループしているのです。それもいたるところでです。坂道の終わるところが、また坂道の始まるところに繋がっています。だからこそ彼らが存在できるのです。
坂道を全力で転がる時こそ彼らにとって、生まれてきて良かった! みたいな至福の瞬間なのです。とても理屈なんかで語れません。理由などないのです。
彼らが子を産むときは回転しながら出産します。とても難しい芸当なのですが、生まれてきたばかりの小さな子は、すぐに転がり始めますから凄いです。ただ転がる速度が遅いので直ぐに親から離れて、グループの最後方を転がって行きます。
つまり生まれてすぐ自立するという事です。もちろん彼らにも寿命というものがあります。だいたい平均して五十年位です。彼らの最後はだんだん体がいびつになってきて、回転も不自然になり、やがて止まります。それは彼らにとっての死を意味するのです
彼らの食糧は、坂道の周りに生えた蔦みたいな植物たちです。回転しながら彼らは体の中央部にある触手で巧みに、その葉や幹を絡めとって食べます。本当に器用です。
こういう彼らにも気持ちというものがあります。そう言う面でいうなら彼らは高等生物ともいえる程です。考え方は前向きで、気持ちはいつもはつらつとしています。細かい事など気にせず、おおらかでひたすらに転がるのです。時々彼らは歌を歌います。高速で回転していますと気持ちの底から湧き上がる喜びを、つい歌ってしまうのです。
でも我々人間がその歌声を聴いたら、それはゴーンと言うような風の音にしか聞こえません。
ある時、彼らの一個にアデムという子が生まれたのですが、その子は不幸な事に生まれたときから少し体が歪んでいました。遅いので知らず知らずのうちにグループから離れそうになってしまいます。
親はもちろん心配なので回転を緩めて様子を見るのですが、どうする事も出来ないのです。それにアデムは時々意識が薄れる時があります。それはとても危険な事で、例えば路の途中に障害物があったとき等は、それにぶつかれば命を失いかねません。アデムと同時期に生まれた子供たちは、アデムが心配になります。
それでなくても転がるのが辛そうなのです。実際アデムは身体が痛いのです。きれいな円でないので、体のいろんな箇所に負担がかかるのです。他のもののように転がるのが喜びに感じられないのです。
でも仲間たちはそんなアデムを両脇から支えるようにして、なんとか助けてくれましたが、それが嬉しいと同時に、だんだんアデムには苦痛になってきました。自分の存在が他のものに迷惑なような気がしてならないのです。精神的にも苦しい事でした。
そんなある時、仲間で一番早いイーマというものが、とてつもなく長い急坂を見つけました。それはいままで見たこともない急斜面で、絶壁といっていい程でした。イーマもそれを見たときさすがに怖くて、転がる勇気がありません。仲間たちも一緒です。
そこでアデムはこう言ったのです。「僕が転がってみる。もし大丈夫のようなら大声を出して合図する」と、こう言ったのです。
まわりは大反対です。とてもアデムには無理に思えたからです。でもアデムは様子を見るふりをして、不意にその絶壁に体を躍らせたのです。
みんなは驚き、やがて悲しみました。まさに自殺行為だったからです。みんなが涙ぐみながら絶壁の下を眺めていましたが、アデムからの合図などありません。いつまで待っても無駄でした。そしてみんなはまた転がり始めるのでした。
* *
アデムはその過酷な急斜面を今も転がっています。あまりに急な坂なので身体の痛みなど、どこかにすっ飛んでしまったのです。けれどアデムは自分の寿命がそう長くないのを知っています。
本能的に悟っています。でもアデムは泣くのが嫌いです。反対に歌い始めるのです。高らかに。それは小さなアデムの生命の歌です。
了
転がる生き物の話 松長良樹 @yoshiki2020
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