レンノの或る日

プラのペンギン

或る日

 エンカリノ共和国の首都にそびえる宮殿の北、北街のとある仕立て屋の二階に一人の女が住んでいた。艶のある長い黒髪を窓から差し込む光が透かしていた。まだ寝ているらしい。ブランケットはベッドから落ち、ネグリジェの肩紐は片方外れている。女はやっとのことで上体を起こし髪をかいて陽を目一杯に浴びる。ネグリジェが透け、体のラインが露わになる。決してグラマラスではないが、滑らかな曲線を描きつまずくところがない。別に貧相というわけではない。決して。

 その女の名前はレンノという。齢は20~30で高身長、体重は不明。レンノが体を起こしたことで、下に潰されていたらしい何かがバタバタと這い出てきた。身長は30cmほどで人形(ひとがた)だ。麻の茶色いコートのフードを深くかぶり、顔は見ることができない。

「ああ、ごめんね」

 レンノはその人形ひとがたに「ノイ」と呼びかけて抱き上げた。始めはジタバタと藻掻いていたが、観念したのかフードの中からレンノの目を見つめた。

「おはよう、ノイ」

 ノイがコクリと頷いて、それで二人の朝のルーティンが終わるのだっった。

 朝食を済ませ、身なりを整えたレンノは部屋にしっかり鍵をしてから外階段を降りた。一階には仕立て屋の老店主ジェペットが住んでいる。

「おはようございます。ジェペットさん」

「おはよう」

 口は長い白ひげに隠れて見えないが、ひげをもぞもぞと動かしながら優しい声で挨拶をした。

「今日もお願いしますね、コレ」

 レンノはノイの首根っこを掴んで仕立て屋のカウンターに置いた。普段薬屋をしている彼女は仕事をしている間、ジェペットにノイを預けている。あまりに忙しいため、邪魔になってしまうらしい。ちょっとは優しく持ってやりなさいと、ジェペットは優しくノイを抱えるながら言ったが、レンノの耳にはもう届いていないようだった。ノイを置いてさっさと店を出ると、レンノは職場に向かった。

 北街の宮殿にもほど近い場所に構える彼女の薬屋は決して大きいものではない。夜逃げして空きになった小さな服屋を改装して作ったので、薬を置くにはあまり適してはいない。ただ店内の見えるところにある薬は、薬というよりはエンターテインメントグッズというのが正しい。小さな花火が出る粉や、記憶を追体験する魔法を閉じ込めたものなどが置いてある。それが彼女の薬屋の特徴であった。サンハリノとエンカリノのハーフである彼女は魔導も純血のサンハリノ人ほど扱えず、出来損ないとして半ば追い出されるようにエンカリノにて薬師を始めた。サンハリノでは誰もが扱えるような魔導を小瓶に詰め、エンカリノで蓄えた知識で薬を作り、そうして店を営んでいた。

 開店準備を済ませ、店の扉に「OPEN」の看板をかけると、程ないうちに男が一人入ってきた。見たところ軍人らしい。軍服を着て胸には略綬がいくつもついている。明らかに個人的な用では来ていないらしい。外で部下を待たせているのだ。

「いらっしゃいませ」

 レンノは緊張してすこし片言になっていた。軍人は彼女の目をまっすぐ見つめて、こう言った。

「薬を作っていただきたい。兵士の痛みを和らげるための薬をつくっていただきたい。これは軍からの依頼です」

 情を感じない喋り方の軍人にレンノは少し物怖じする。今までも軍や国からの依頼はあったが、こういった無機質な人を派遣してこなかったので、どうも違和感があったのだ。

「……その薬はどういった場面で、どんな人に使用するものですか」

「それは依頼を受けていただいてから説明します。これを置いていきますので、もし受けていただけるなら軍務局宛にお送りください。受けていただけないようでしたらそれは捨てていただいて構いません」

 渡された羊皮紙には魔導を施した契約が記されてあった。よっぽど重要な契約らしい。

「それでは失礼します。次は娘の誕生日に来ます」

 軍人は最後に前金と言わんばかりの小切手を置いていった。この手の依頼は受けないという選択肢は無いようなもので、断ると何があるかわからないのだ。

「朝早くからこういうのが来ると困るわね」

 そんな風に嘆いていても、仕事は向こうからやってくるというのが世の定めである。来店を伝える鈴が寂れた店内に響いた。

「あ、いらっしゃいませー」


 日が傾き店を閉じて、帰路に就くと少し先に顔見知りがいるのを見つけた。彼女は街で一番お話好きで、噂好きで口か軽いと名の高い主婦だ。見たところ、ご近所さんが彼女に捕まってしまっているようだ。レンノは軍人からの依頼のことを思い出していた。受けるのならば店はしばらく空けなくてはならないだろう。しかし、この広い街でそれを人々みんなに伝えるのは難しい。彼女を利用すればあるいはそれも苦ではないかもしれない。そう思ったのだ。早速レンノはそのご婦人に声をかけた。

「こんばんは、今日は温かいですね」

 主婦は振り向くやいなや、

「あら!レンノさん!聞きましたー?最近王宮がなにやら忙しくしてるそうですよ。女中たちが特に忙しいらしいですから、もしかしたらお妃さまが決まったのかもしれないわね!」

 と、あいさつを返す前に噂話を始めてしまった。横にいたご近所さんも苦笑いをして帰りたそうにしているので、レンノは本題に入った。

「ちょっとした相談があるんですけど、二人だけでお話できますか」

 このご婦人は相談と聞けばすぐに親身になってくれるとともにそれを言いふらすのである。

「ええ、もちろん!いいですわよ。そういうことだからあなたはまた明日ね」

 そうご近所さんを追い払うように別れを告げた。ご近所さんは笑顔でこちらに会釈をして帰っていた。

「それで、相談ってなにかしら」

「実は、一週間ほどしたらしばらく休業しようと思いまして……」

 わざともったいぶって、深刻そうな顔をすればこのご婦人はさらに熱くなる。休業とは言ったが、そのまま店を畳んでしまいそうな調子でしゃべるとご婦人は余計に親身になってくれたのだ。

「あら!それは大変ね。なにか大事なご用でもあるの?」

 レンノと似たように深刻そうな顔をして彼女は手を握りそうな勢いで体を寄せる。そこに本当に同情や憐れみがあるかは正直わからない。実際のところ彼女は面白そうな話だと思っているかもしれない。彼女と話すといつもそんな気分になる。しかしレンノも商売人であるから、マーケティングに彼女を利用しない手は無いのだった。「これはまだ秘密なんですけど……」とつけると彼女はそれを全力で言いふらす。いわばプレスリリースのようなものであった。今回も例に漏れず言うのだった。

「これは秘密ですよ?実はちょっと偉いところからの大きな仕事が来ましてね、店を空けなきゃいけないんですよ。これはご婦人だけですからね」

 ご婦人はニンマリとして話を聞いている。おおよそ、いい話のネタができたと大喜びしているのだろう。そうしてご婦人はこう言った。

「私になにか手伝えることあるかしら」

 実のところ、相談という形で話をした時点で目標はほとんど達成していた。こちらがなにかをお願いしなくても話は自然と広がっていくはずであるからだ。だから余計なことはあまり言いたくないので、やんわりと断る他なかった。

「……そうだ、近いうちにお店に来てください。化粧品の試供品を作ってみたので」

「あら、それはいいわね。じゃあ明日にでもお邪魔するわね」

 ちょうど話に区切りがついたタイミングで6時半を知らせる鐘が鳴った。国民に王宮の終業を知らせ、これから街が夜の活動を始める合図である。ダイニングレストランが明かりをつけ、酔っぱらいたちの時間がくるのだ。

「もうこんな時間ですね。失礼します」

「そうね、じゃあまた明日。お仕事、頑張ってね」

 流石のご婦人も時間には勝てないのだ。彼女は会釈をして足早に家へと帰っていった。

 ジェペットのところにノイを迎えにいくと、ノイはミニチュアのドレスを着ていた。レンノは思わず「え」と声に出した。ジェペット曰く、預かっている間店のドレスワンピースに興味を示していたので服の切れ端で作ってやったらしい。頑なにフードを脱ぎたがらなかったので、フードも付けたという。ノイは見せびらかすようにカウンターの上でくるくる回ってみせた。ノイには性別が無いものだと思っていたレンノは、その女の子らしい仕草に驚き、ノイについて考察し直してみる必要があると思うのだった。

「大事にしなよ」

 ジェペットからノイを受け取るとレンノは優しく言った。部屋に戻ってからも服にはしゃいでいるノイを横目に、レンノは契約書と睨み合っていた。既に依頼を受けることは決まっているのだが、魔導の施されたものにサインするのは中々勇気がいるものである。契約の内容も契約してからというのも詐欺まがいなもので、公的機関でなければ糾弾されていただろう。意を決してサインをする文字が少し光って消えた。それをお気に入りではない地味な便箋に入れて、レンノ薬屋印の封蝋をした。

「明日、郵便局に持っていこう」

 そう呟いたのは、自分に言い聞かせるためだった。独り言はあまりしない質なのでノイが反応して寄ってきたが、レンノは「なんでもないよ」と頭を撫でた。

「さ、寝ようか」

 二人はささっと体を拭いて、寝間着に着替えて、柔らかなブランケットを被り眠るのだった。

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