者気

白と黒のパーカー

第1話 者気

 寝付けない......。

 中途半端に重くなりかけている瞼は、それでも完全には閉まらない。

 最近は薬に頼らずとも眠れていたのにもかかわらず、急にぶり返す不眠には参る。

 はあ、とため息を一つこぼしながら立ち上がって、台所へと向かう。確かそこら辺に薬箱があったはずだと確認してみれば、空。

 薬はしばらく飲んでいなかったこともあり、切らしていたことをすっかり忘れていた。つまりは、今日の夜更かしは確定したというわけだ。

 仕方ない、重い足取りを寝室まで戻し、パソコンを起動する。ヴーンという低い音を鳴らしつつのろまに立ち上がる画面をなんとはなしにぼーっと見つめていると、黒い画面には目の下に隈のこびりついた疲れ切った顔。見たくないものを見てしまったと、思考をそらす。

 

 それから五分ほどしてやっとデスクトップが立ち上がった。反応の悪いこいつとはもう十年来の付き合いである。古いタイプではあるものの何となく愛着がわいてズルズルと買い替える時期を逃し続けているのだ。

 新しいタイプも悪くはないのだろうが、なんというか、使い慣れた昔ながらのほうが結局は落ち着くものだと心の中で擁護しておく。

 懐古厨じみた感傷は置いておき、適当にインターネットの世界に飛び込む。

 新しいアニメの話や、漫画の話、様々なオタクカルチャーのそろうブックマークを飛び回っていると、ふと、見たことのないサイトの名前が現れる。


「なんだこれ、者気? なんて読むんだよ」


 好奇心でそのページに飛んでみれば、どうやらネットにのさばる怖い話を集めたよくあるまとめサイトのような場所だった。

 なんだ、とすぐに興味をなくしてブラウザバックしようとマウスを動かした先には者気という文字。

 サイト名と同様のその記事に少しだけ興味が戻ってきて、まあ袖振り合うも他生の縁ってなもんだと、記事に飛ぶ。

 ある程度、眺めてみれば、者気とはもののけ。読み方は同じでもモノノ怪とはまた別の類らしかったが、特段詳しくないためその辺は割愛する。

 なんとも、その者気とは二人以上で行う肝試しのようなものであり、実際に体験したことのある人間の記録のような内容になっていた。

 曰く、丑三つ時を過ぎたころ、二人以上の人間でN県のとある街中にある路地裏を通るだけというもので、ほかには特に条件のようなものは無し。やけに場所が具体的だという不気味さはあったものの、続く内容には、グループ内の誰かが居なくなってしまい、失ったことには気づけども、それが誰だったのかを知覚することができなくなる、といった特に面白みのないオチの記事だった。


 それでも一つやはり見逃せないのは、その場所が自宅からほど遠くない場所にあるという点である。

 特に伏せられることもせず、詳細が載っていることにネットリテラシーがなっていないと思いつつも、もしかしたら面白い体験ができるかもしれないという千載一遇のチャンスに好奇心が抑えられない。

 行ってみるか? 自問自答する。

 今から出ればちょうど丑三つ時を少し過ぎるころ、この時間でも起きている友人に心当たりはある。やろうと思えば行けてしまう。

 行くしかないだろう。

 そうと決まれば急いで友人に連絡を取り、自宅前のコンビニで待ち合わせの約束を取り付ける。

 急に連絡の来た友人は少し驚いていたものの、二つ返事で了承してくれた。我ながらにいい友達を持ったものだ。


 季節は冬も真っただ中ではあるが、動きやすさなどを考慮して薄手の濃紺のトレーナーの上から黒地に白いラインの入ったパーカーを羽織る。ズボンは伸縮性の高い生地で作られた黒いスキニーパンツを履き、着替えを終えた。

 玄関を少し出たところで思ったよりも寒い風が吹いていたこともあり、薄着してきたことに少し後悔するが、すでに待ち合わせの場所についているであろう友人をこれ以上待たせるわけにも行かず、さっさと自転車を飛ばす。


「悪い、遅れた」

「お前さ、待ち合わせ場所に自分の家に近いところを指定しておいて遅れてくるってどういう了見してんだよ」

「まぁ、そこが俺の魅力? みたいな?」


 とぼける俺の反応にあきれるような顔を浮かべ、実際に「あきれたよ、馬鹿野郎」と言ってくるのでコンビニで適当にジュースをおごってお茶を濁す。

 ジュースなのにお茶を濁すって言う言葉が個人的にツボったので一人で笑っていると友人のSが怪訝な顔でこちらをにらんでくる。



「はぁ!? 断る!」断固とした決意で嫌がる声がSの口から飛び出す。


 ごほんと一つ咳払いをして、ムードを変える。

 実は呼び出したはいいものの特に何をするかはまだ伝えていなかったのだ。

 というのもSの奴はホラーとかそういったもの全般が苦手なタイプの人種で、先にネタを明かしてしまっていれば、おそらく今日ここには来なかっただろう。

 

「いや大丈夫だって、ただここから少し行ったところの路地裏をちょちょっと通り抜けるだけだから」

「あのなぁ、俺は規模の話をしているんじゃないんだよ。怖いものが怖い人間には大小関係なくそういう類の話にはまったくもって触れたくないものなの!」

 

 思ったよりもごねる。

 これは動かすのに、骨がいるやつかと覚悟したところで「でも」とSが少し真剣な顔でこちらに向き直って話し始める。

 

「でも、お前が少しは元気になって外に出ようって気になってくれたのは素直に嬉しいよ。だから仕方ない、今日ばかりはお前の口車に乗ってやる」

「お? お、おお。サンキュー」


 どういうことだろうか、俺は心配かけたくないという理由もあって不眠症気味なことはSには言っていないはずなのだが......。

 よく話が見えてこなかったが、まぁ深く考える必要もないだろう。そんなことより折角行く気になってくれたのだ、気が変わらないうちにさっさと向うべきだ。


 今日に限って夜の帳は濃密で、月が出ているはずなのに厭に辺りは暗い。

 自転車に備え付きのライトも今夜ばかりは調子が悪いらしく、ボタンを押してもうんともすんとも言わず、道の先を照らすことすらできなかった。

 Sのライトも同じようで、お互い無灯火運転のまま住宅街を抜けていく。

 これから何が起こるのかという好奇心と恐怖心に苛まれた心臓の鼓動が、お互いの耳を通して聴きこえてくるほどに静かな夜。

 時折こちらをあざ笑うかのようにカラスが鳴き、飛び立っていく音が混ざる程度だ。

 なんだか、間が持たないなと思った俺はSに話しかける。


「お前さ、最近学校はどうよ」

「......なんだよ急に」

「いや、別に。こんな深夜に男二人が黙って自転車デートなんて寂しいじゃんかよ」


 軽口を交えて返したつもりだったのだが、Sは何かを逡巡した後普段より少し明るめの声で返事を返してきた。


「そうだな、学校はボチボチだな。面白くもねー授業を夢に片足突っ込みながらひーこら受けてるよ」

「はは、そりゃ笑えるな。でもま、俺んとこも大体そんな感じだな。興味のない授業で興味のない教師が興味のない言葉を壊れたラジオのように垂れ流し続けてる」

「お前はさ、これからどうするんだ? 何かやりたいこととか、見つけたか?」

「なんだよ急に。いやな話を振ってきやがって。お前はいいよ、夢があんだからさ。それに向かってがむしゃらに頑張れる。でも何にもない俺は頑張る対象すら見つけられない。スタートラインに立つ資格すらないんだぜ? 何がホラーって俺が今いる立ち位置が一番ホラーだよ」


 嘘偽りのない言葉、Sにはなんだか本音を隠してはいけないような気がして柄にもなく少し弱音を吐いてしまう。

 「痛っ!」瞬間、頭にするどい痛みが走る。なんだこれは。

 低気圧が迫っているわけでもないし、単に寝不足のせいなのだろうか? 突然の頭痛に今になって嫌な予感がしてくる。

 

「どうした? 大丈夫か」


 Sが自転車を漕ぐ足を止めて心配そうにこちらに近寄ってくる。


「ああ、大丈夫だよ。そら、もう少しで目的地だ。さっさと行ってしまおう」


 不安げな友人の顔を見ているとなんだかより嫌な予感が強くなる気がして、自転車のペダルに再び足をかけて力強く漕ぎ出す。


「先に行っちまうぜ」

「ま、待てよ」



 目的の路地裏はもうすぐそこまで迫っている。

 後ろから追いかけてくるSの声がだんだん離れていく。

 次第に小さくなって小さくなって、やがて聞こえなくなった。


 目的地は近い。

 三十メートルほど進めばやってくる、暗い闇に飲み込まれてしまいそうな路地裏。

 近寄ってはいけない、まるで空気がそう忠告してきているかのような不気味な右折可能箇所。

 どこからかリンという鈴の音が聞こえる。

 道の先からはシャリンという錫杖の音が聞こえる。

 暗い道の先にあるのは一つの電灯で、それが点いては消えを繰り返す。

 電灯に近づけば道が伸びるような錯覚を起こして、たどり着くことができない。

 ペダルを漕ぐ足が、まるで鉛にでもなってしまったかのように重く自由に動かすことができない。

 汗が噴き出す、後ろからズリズリとまるで何か大きな石を引きずるような音が聞こえるのだ。

 先に行くことはできずに、後ろに引き下がることもできない。

 ヴーンという重低音が響き、耳元では「んーーー」という男とも女とも取れない声色が唸り続けている。

 気づけば、地べたに這いつくばり両腕は前方に投げ出し土下座のような体制をとっている。

 後ろからくる石は近づくのをやめない、左右からくる声は唸ることをやめない、目の前にいるはこちらをジッと見下ろして不気味に微笑む。

 リン、シャリン、ズルズル、「んーーー」、リン、シャリン、ズルズル、「んーーー」、リン、シャリン、ズルズル、「んーーー」

 終わりがないかのように延々と自分の周りを包み込む異常は、頭痛で割れそうになる頭の中でもまた繰り返し繰り返し鳴り響く。

 訳も分からず、痛みと恐怖に侵され涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら頭を掻きむしる。皮膚を傷つけ血が垂れてこようが構わずに掻き続ける。痒いんだ、意味が分からないけどとにかく体中が痒い。

 全身のかゆみに悶え、体をアスファルトに擦り付ける。赤い絵の具が地面をキャンバスに飛び散るが、それを知覚することはできない。

 かゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆい「あ」



 寝付けない......。

 中途半端に重くなりかけている瞼は、それでも完全には閉まらない。

 最近は薬に頼らずとも眠れていたのにもかかわらず、急にぶり返す不眠には参る。

 はあ、とため息を一つこぼしながら立ち上がって、台所へと向かう。確かそこら辺に薬箱があったはずだと確認してみれば、空。

 薬はしばらく飲んでいなかったこともあり、切らしていたことをすっかり忘れていた。つまりは、今日の夜更かしは確定したというわけだ。

 仕方ない、重い足取りを寝室まで戻し、パソコンを起動する。ヴーンという低い音を鳴らしつつのろまに立ち上がる画面をなんとはなしにぼーっと見つめていると、黒い画面には目の下に隈のこびりついた疲れ切った顔と顎の部分には無精ひげ。あれ、こんなに髭生えていたっけなと少し疑問に思うが、頭に鋭い痛みが走ってそれどころではなくなる。

 嫌なことを思い出しそうになったと、頭を振って思考をそらす。 


 そうだ、今日は先日作ったサイトの整理をしなくてはならない。

 サイトといってもそこまで複雑なものではなくて、大体がどこかで聞いたことがあるような都市伝説や怖い話を拾ってまとめているだけ。

 それでもその中に一つだけ面白い記事を用意している。

 その記事の名前は者気。

 N県のとある街中にある路地裏に二人以上の人間で向かうだけで、無作為に一人誰かが消えてしまうという有り体な怪談。

 でも、場所を実在する場所にすることによって、空想だったはずの怪異の存在を現実と少しだけ近づけるのだ。

 実際にそんなことが起こるなんてことは自分自身も信じていない。でももしかしたら、そんな気持ちがどこかにあって、友人を巻き込んで試しに向かってみようと思う。

 そう思い立った俺は友人のHに電話を掛けた。

 

 


 

 

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者気 白と黒のパーカー @shirokuro87

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