第69話 獣人さんはおうちに帰りたい

 神山羊の里ではこれより早速、大神代替わりの儀式の準備が進められるとのことで、無事に敗北を得て念願のお役御免となったシオンさんと私はさっさと霊峰を下りることにしました。


 真剣勝負を所望していたニグレドさんはムスッと口を尖らせてましたが、残念ながらあれ、本気も本気の全力の真剣勝負だったんですよね、シオンさんにとっては……。

 しかし二人とも腕っぷしに自信なしというのも心許ないですよね。やはりここはエミリア先輩より受け継ぎし吸血鬼拳法を自分が極めるしかないでしょう、と、番として勝手に気合いを入れる私なのでした。


「じゃあなニグレド、父さんによろしく。霊峰のことは頼んだから」

『……お前に、言われなくても』

「みんなも元気で。さよなら、健やかな冬と良き春を」


 未だ興奮冷めやらぬ儀式の広場を後にしながら、シオンさんは手短に別れの挨拶を済ませると、私の手を引いてそそくさと立ち去ろうとしました。腫れた頬が恥ずかしいんですね、見送る神山羊さんたちのにやにやした生暖かい目と霊峰の大自然の『元気だしてー』『お肉いっぱい食べてー』という激励が更に羞恥を煽りまくります。


『……たまになら』


 しかし一刻も早く姿を消そうと早歩きしていたシオンさんを、引き留めたのは意外にもニグレドさんの声でした。

 振り返れば巨大な黒山羊と化した彼は、夕暮れの色をした瞳を不機嫌そうに細めてシオンさんを見下ろし、ぼそぼそとした声音で嫌そうに呟きます。


『たまになら、お前が霊峰に立ち入ることを許してやらなくもない……その代わり、また本を読んで聞かせろ。今度は新しいやつを』


 ニグレドさんの言葉に、シオンさんは驚いたように青空の色をした瞳を瞬かせて──


「うん。がんばれよ、お兄ちゃんはいつも応援してるぞ」

『……っ、だから!俺が兄だと言ってるだろうが!』


 そう軽口を叩き合いながら、とても楽しそうに屈託無く笑うのでした。



 * * *



「……さて、帰りを待ってるみなさんに心配をかけるのもよくないですが、さすがに不眠不休で戦いを終えた後ですし。シオンさん、少しだけ仮眠を取ってから出発しませんか? 私が見張りをしてますので……」


 霊峰を下りて、北部の何もない広い平原をとりあえずてくてくと進んでいると。

 くるりと振り返れば、シオンさんは私から少し離れた地点で立ち止まり、少し遠くなった霊峰を見上げていました。距離がありますので、ふわふわした髪の隙間からは耳と角が覗いています。


「シオンさん?」

「……あなたに会えなかった期間。ずっとね、『帰りたい』って想いが胸の中にあったんです」


 切なげに霊峰の頂を見つめてそう言ったシオンさんの横顔に、私はドクンと心臓が鳴るのを感じます。

 ──シオンさん、やっぱり霊峰に……


「でも、いざ霊峰に戻ってみて分かった。俺が帰りたかったのは故郷じゃない。なんです」


 不安にびくびくとうつむいていた私に歩み寄り、シオンさんはふっと柔らかく笑います。

 見上げたその頭には、私のオーラの範囲内に入った証として、既に山羊の耳も角も消えていて。

 そうして彼は空色の瞳に情けない顔をした私だけを映して、とても嬉しそうに告げました。


「あなたの半径1メートル以内が、俺がこの世界で一番安心できる、俺らしくいられる場所だったんです。ずっとここに帰ってきたかった。これからもずっと、俺はあなたのそばに帰りたい」


 照れたようにはにかんで、広大な世界を背にしながら、そんなささやかなことをただ願うシオンさんは、もうとても神様になんて見えませんでした。


 私はそれをうれしく思いながら、満ち足りた顔をしているシオンさんにふっと笑って、更にもう一歩そばに歩み出ます。

 そして呪いの消えた胸にトン、と指を置いた私に、シオンさんが戸惑うのを目を細めて見上げながら。


「……半径1メートル以内で満足なんですか?」


 少し試すようにそう言うと、シオンさんはかあっと頬を染めて、それから悔しそうに眉根を寄せて。

 大きく一歩、最後の距離を詰めて私を抱きしめると怒ったように言いました。


「……全然!全然足りないです!」

「ええ。……おかえりなさい、シオンさん」


 私もいつだって、シオンさんの帰る場所でいたいな。

 そう心から思いながら、私はその温かい世界で一番安心できる場所で、幸せを堪えきれずにくすくすと笑いました。




 * * *



 少しの休憩の後、再びすばらしき揺れに身を委ねて神山羊なシオンさんの全力疾走におんぶされて王都に帰ると、街の入り口から盛大なお出迎えを受けて二人で面食らいました。


「わあ……」

「英雄の凱旋じゃないんだから……どうせ区長でしょ、ほんといい加減にしろよ俺で遊ぶのも!!」


 真っ赤な顔で憤慨するシオンさんの視線の先、門に掲げられた大きな大きな横断幕──

『おかえりなさい!シオン&トール ~祝帰還・祝誕生・祝つがいの契り~』

 の恥ずかしすぎる字面に、私は言葉も発せず口をぱくぱくさせるばかりでした。


 なななんですかこのカラフルかつ目立ちまくる邪魔な布は!!撤去したい!シオンさんに至っては角で八つ裂きにせんと私から離れようとしてます!賛同したいけどここで獣化すると門崩れちゃうので駄目ですー!


 なんて必死にシオンさんを食い止めていると、大通りの入り口に集まっていた群衆、その先頭に立っている懐かしい人影が目に飛び込んで、私はぱっと顔をほころばせました。


「姉さん! シオンさん!」

「アルフレッド……! ごめんね、何も言わずに出て行ったりして」


 シオンさんと二人で駆け寄ると、アルはふるふると健気に首を振ってうれしそうに微笑みました。


「ううん、僕は二人ならきっと帰ってくるって信じてたから、怖くなかったよ。それより心配してくれた人達にちゃんと謝らないと」


 アルがすっと視線を向けた先──隣に立っていた赤髪のルームメイトの顔を見て、私は息を飲みます。


「ミーナちゃん……」

「……バカ、バカバカバカ、トールちゃんのバカ! あんな『ありがとう』と『ごめんなさい』だらけの不穏な手紙置いて遠くに行ったりしないでよ! わ、わたし、もう二度と会えないかもって、う、うう~…………」


 怒りながら駆け寄って、私の胸で泣くミーナちゃんの悲痛な声に、さすがに私まで泣きそうになります。

 ああそういえば、ちょっと出かけてくる旨の書き置きのついでに、日頃の感謝やら迷惑をかけたことへの謝罪を書き連ねていたら、ちょっと遺書っぽくなってしまいましたね……。

 ひどいことをしました、後でたくさんたくさん埋め合わせをさせてほしいです。

 震える背中をよしよしと宥めながら、私はぎゅーっとミーナちゃんを抱きしめ返して思うのでした。


 そうしているとミーナちゃんの向こうから聞き慣れた舌打ちとくたびれた声が聞こえて、私は感動の再会に水を差されたようでムッと眉根を寄せつつミーナちゃんごしに顔を覗かせます。案の定所長でした。

 あとグレイさんにロキ君にフロム先輩にシャッフルさん!皆さんにも迷惑かけちゃいましたね、きちんとお礼をしなくては!


「ったく、上司に許可も取らずに無断欠勤しやがって……後で覚えとけよホープスキン」

「あはは、すみませんでした……あれ、スロウさんは?」

「過労死した」

「冗談ですよね!!??」


 真実味がありすぎてどっちだか分からないっ!!!


「トール嬢の分も! とはりきりすぎて自宅で爆睡してますよ、生ける屍です」とグレイさんが笑ってくれたので事なきを得ましたが、いやこの人の言うこと信じて良いんですかね……?とさすがに青ざめます。生きて……


 騒がしい私の横で、シオンさんは神獣会議の面々にバシバシ叩かれながら熱烈に歓迎されていました。

 あー、腫れた頬を散々いじられてすっかり拗ねてますね、あとで慰めてあげないと……。


「ま、よく無事で帰ったのうシオン。おかえり」

「……ただいまです、区長。腕輪のおかげでどうにかなりました、本当にありがとうございます」


 深々と頭を下げるシオンさんにニカッと笑って、区長さんはパチンと手を叩いて集まった街の人達に向かって高らかに宣言します。


「さーて無事に我らの書記とその番が帰ったことじゃし、景気よくまたパーッと祭りでも開くとするかのー! 飲めや歌えや騒げや踊れ! カッカッカッカ」

「あ、いえ、そんな悪いです。お気遣い無く……」

「なあに、そなた達だけのためでもないよ。居住区の新しい住民の歓迎会もせねばならんかったからの?」

「新しい住民? …………あ!」


「約束じゃったからの。大急ぎで準備を進めてようやく間に合ったわい」と目を細める区長さんが、すっと横に身を避けると。

 その後ろから現れたのは、少しばつの悪そうな顔をして笑うユージンさんでした。

 そして彼の背中からひょこっと顔を覗かせたのは、この街に来たばかりの頃憧れた、金の長い髪にお人形みたいに綺麗な大人びた顔立ち。

 だけど今は少し年相応に後ろで手を組んで、気恥ずかしそうに微笑んで私を見る、大好きだった優しい瞳──


「ただいま、トールちゃん。……いっぱい心配かけて、ごめんね」

「…………っ、おかえりなさい、エミリア先輩!」


 私が人目も憚らず泣きながら胸に飛びつくと、エミリア先輩は泣き笑いで「もうすっかり上手な泣き虫だね」と何度もうんうん頷いて頭を撫でてくれます。


 それを見てすかさず叫んだユージンさんとシオンさんの「俺のエミリアに!」「俺のトールさんに!!」という必死な声が奇跡的に重なって、そこにいた全員がけらけらと笑い。

 私たちの大好きな王都にはその日、いつまでも明るい笑い声が絶えず響き渡っていたのでした。

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