第68話 神々の黄昏
選定の儀が行われる『儀式の広場』は、霊峰の頂に位置する神山羊の里、そこから更に数メートル高く積まれた石の上に設けられた、言わば円形の競技場でした。
私は完全獣化したシオンさんに運ばれて神聖なる広場へ降り立つと、そこで待ち構えていた巨大な黒山羊──さっきまで私の隣で本の世界に嬉々としていたニグレドさんと、儀式の審判らしい長毛の貫禄ある老齢な神山羊さんの姿を認めて息を飲みました。
ちらりと下を見やれば、地上では広場をぐるりと囲むように霊峰に住まう全ての神山羊さんたちが集い、戦いの始まりを今か今かと心待ちにしています。
……ほ、本当に今からここで、神様を決める戦いが始まるのですね。
ていうか私ついてきて良かったんでしょうか、普通に邪魔じゃないです? この巨大な神山羊さん同士の戦いなんて、すぐに虫のごとくはじき飛ばされて場外に落っこちそうですが……。
──などと狼狽えていたのに、シオンさんが「腕輪を外して下さい」なんて頼むものですから、さすがに面食らいました。
私が言われた通り相対する白黒の山羊、シオンさんとニグレドさんの間に立ってオーラを放つと、二人の雄大な姿は一瞬の光に包まれ、──後には相対しにらみ合う、同じ顔をした白と黒の青年だけが残るのでした。
「……どういうことだシオン? 神聖なる儀式を前に戯れている暇は……」
「まあ聞けよニグレド、きっとそう悪い話じゃないさ……お前にとってもな」
訝しがるニグレドさんにシオンさんは不適に微笑み、すうっと息を吸い込むと。
天に向かい口を開き、高らかに告げました。
「聞け! 霊峰の同胞達よ。大神が第一の子、シオンがここに告げる! 貴殿らはこれより、偉大なる神々の頂を決する正当なる戦いの見届け人となる! 刮目し、そして祝え! 新たなる神の誕生を!」
地上に広がるざわめきと動揺の地鳴りに、シオンさんはなおも余裕たっぷりに目を細めると、神託を告げる神様のように威厳たっぷりに続けます。
「我らは獣に非ず『獣人』なれば、獣の姿でのみ覇を競っても真の勝利者とは言えぬ。……故に此度の選定の儀は人化形態で執り行う。角も蹄も無く、ただ己の力のみで、我らは雌雄を決しよう。今日まで霊峰を守り続けてくれた偉大なる大神に敬意を。では準備が良ければ始めようか、ニグレド。生憎俺もお前も人化は不得手だ、調停はトールさんに依頼する。……しますね? トールさん」
「……今度から事後申請は認めませんので……」
「あはは。ありがとうございます」
笑うシオンさんの宣言に、ニグレドさんは静かに審判の老山羊さんを見やります。
そして彼が戸惑いながらも小さく頷いたのを見て、観念したようにやれやれと首を振り、重くため息を吐いて言いました。
「……相当な自信だな。人の世に堕ちて久しく、獣の姿で戦うには分が悪いと判断した故の苦肉の策か?」
「まさか。どんな姿だろうと俺は俺だし、手を抜くつもりだってないよ。……それじゃあ父さんに見せつけてやろうじゃないか。果たしてどちらの息子が、後を継ぐのにふさわしい男なのか!」
「……ああ。では始めよう、兄弟の義理など捨てた、全身全霊の死闘を!」
拳を握って構え、対峙した二人の大神候補を目前に、私はごくりと唾を飲み込みました。
……お二人の人化を保つために、私は調停師としてこの位置から動かずに見守るしかありません。
シオンさんにはきっと何か考えがあるはずですが、これまでの勝負は幼少期からも含めて全てシオンさんの圧勝だったそうですし。
どうしましょう、このままシオンさんが勝ってしまったら、彼は霊峰の自然に身を捧げてしまう。
駄目です、そんなの私には耐えられな────
「せいっ!」
「痛っ」
「………………」
一人で苦悩してたら目の前でクリーンヒットしてました、ニグレドさんの右ストレートがシオンさんの左頬に鋭く。
重い一撃をノーガードで受けたシオンさんは、振り下ろそうとしていたらしい拳ごとあっさりと沈み込み、地面にどさっと倒れました。
「………………」
「………………」
「………………痛ぁー……」
『……さ、3、2、1……そこまで! 勝負あり!!』
全員絶句してましたが立派にお役目を果たさんと奮い立った審判さんが頬を押さえて悶えているシオンさんにカウントを浴びせ、無事に儀式は執り行われました。たぶん。
…………これってもしかしてあれでしょうか、武器(※角)を使った戦いは大得意だけど、近距離の肉弾戦となると全然体が動かないっていうタイプ…………?
『……しょ、勝者ニグレド! ここに新たなる大神の名を称えよ! 偉大なる我らがニグレドに敬意を!!』
どうにか言い切った審判さんの声により、地上からは割れんばかりの歓声とニグレドコールが起こり──
紛れもない勝者たるニグレドさんは、ぽかんとした表情のままあれよあれよと担がれてその群衆の方へと誘われていくのでした。
ニグレドさん、勝ったのにすごい唖然としてましたね、そりゃ一世一代の大神の座を懸けた聖戦が開幕五秒の一撃で終了したらああもなりますが……。
ともあれ戦いを終えた闘技場に、残されたのはシオンさんと私だけ。
私はハッとすると、「うー……」と頬をさするシオンさんの元へしゃがみこみ涙目で肩を揺すりました。
「し、シオンさん、シオンさん! 大丈夫ですか!?」
「うあー……やだなー、そっとしておいて下さいよこういう時はー……。格好悪いとこ見せてすみません、あれでも全力で挑んだんですけど……やっぱり直接殴ったり蹴ったりするのって苦手で。目論見通りの大成功で嬉しいですけど、がっかりさせちゃいましたよね……」
照れくさそうに笑いながら腫れた頬を隠すように顔をそらすシオンさんを、私は無理やり顎に手を添えて向き直らせると、痛ましい頬を撫でながら力強く否定します。
「いいえ。とってもとってもかっこよかったです。私の中ではぶっちぎりの優勝です、惚れ直しました。愛してます」
そうして目を瞬いているシオンさんの許可も得ず、少し熱い頬にそっと口づけて言いました。
「帰りましょっか、シオンさん。私たちの街に」
笑ってもう一度キスを贈るとシオンさんは顔を真っ赤にしてしまって、腫れがどこだったかも、何だかよく分からなくなるのでした。
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