第64話 「ただいま」を言うために

「…………ところで、霊峰って王都からどれくらいの距離にあるんですか? 今日中に着くってことはすぐ近く?」


 身支度と準備と朝食を終えると、ミーナちゃんとアルフレッドと所長に書き置きを残して、私たちは明け方の誰もいない静かな街をてくてくと歩いていました。

 いよいよ霊峰に向けて出発するわけですが、そういえば地図にも場所が乗っていなかったしいろいろと不明な点が多いのです。全部お任せしてついていくというのも嫌ですし、ある程度は知識を得ておかないと。

 するとシオンさんは「んー」と空を見上げ、ちょっと逡巡してから、ぽつりと呟きました。


「本当は同胞以外に場所を明かしてはいけないんですけど、トールさんは俺の番ですからね。俺の番であれば問題は無いでしょうから教えますね、俺の番なので」

「はあ」

 よく分かりませんが3回言われました。


 そして彼はぴっと指を立てると、何てこともないように告げるのです。


「大陸の最北端です」

「さいほく、たん」


 ちょっとかわいい響き、と思ったのは一瞬で。

 次の瞬間には、私は頬を押さえて絶叫していました。


「……え? えええ!? 北部だって馬車で数日はかかるんですよ、最北端!? しかもそこから山の頂まで登るって、誕生日は明日ですよね!? 無理じゃないですか時空越えるんですかSF好きだからって思考がぶっ飛びすぎじゃないですか!?」

「う……いや、馬車ならそうなんですけど、俺の足なら今夜には着くと思います、全速力で頑張れば」


 捲し立てる私からちょっと首をそらして目を細めつつ、シオンさんは言いづらそうに続けました。


「完全獣化した神山羊の姿なら、霊峰まで駆け抜けて一気に頂まで登ることも可能です。そういう計算で出発の期限を今日に設けてたんです、一人で帰る予定だったので……」

「……完全獣化って……」


 あの雄大で威厳たっぷりの、そびえ立つような神山羊さんのお姿を思い出し、まああれなら確かに颯爽と大陸の端から端まで駆け抜けちゃえそうですけど、と私は眉根を寄せます。……でも、


「それ、調停師わたしと一緒じゃ無理じゃないですか??」

「……です。だから絶対ダメって言ったんですよ、別にのけ者にしてるわけじゃなくて!」


 そうなのです、獣人さんの力を抑制するオーラを生まれ持つ調停師である私といる限り、シオンさんは完全獣化できないのです! なんてこった!!


「でも一つだけ方法はあります……考えたんですけど、獣化した俺のしっぽに1メートル以上の長さのロープを括り付けて、それをトールさんの体に繋いで全力疾走、ロープがピンと張った状態を霊峰まで保ち続ければ、オーラの範囲に入らずに二人で移動できるんじゃないかなと……!」

「移動できるかも知れませんけどそれ私死んでません?」


 空中で白目剥いて揺れている自分を想像して思わず遠い目になりました。

 い、犬のお散歩で全力ダッシュされてしまい逆に引っぱられてる飼い主……???

 ていうか命に代えても守るとか誓ってくれた矢先に立てる計画がそれなんですかシオンさん、番としていろいろ不安ですが「名案を閃いたので褒めてほしい」みたいなほくほく顔が可愛いので怒るに怒れませんでした。惚れた弱みというやつですね、先が思いやられます。


 ……ていうかこれ、本格的に詰んでますね?

 何があっても一緒について行くつもりでいましたが、このままでは私の存在が邪魔になって出発が危ぶまれ、ニグレドさんの猶予まで間に合わないなんて最悪の事態にまで繋がりかねません。

 ……身を切るようにつらいですが、ここは大人しく王都で帰りを待つのが正しい選択なのでしょうか……。


「ほーーんに馬鹿よの白き霊峰の神。そんなおつむで一丁前に番を持とうなんぞ片腹痛いわ。考え直すなら今のうちじゃぞトール、妾の炎ならその程度の契り、焼き払うのも容易いもんじゃからの?」


 背後から聞こえた声に、私は目を瞬き、シオンさんはうげっと目を細め──

 そして振り返り、見ました。横一列に仲良く並んで全員仁王立ちする、神獣会議のみなさんを。


「なっ……!」

「く、区長さん、カレイドさん、ソーマさん、ミニョルさん! どうしてここに?」

「なあに、我らが書記とその番がはるばる婚前旅行に出かけるとあれば、見送りを怠る妾たちではないよ。餞別じゃ、持ってけ」


 真っ赤な髪に朝日を受けて高らかに述べた区長さんは、私に向かって何かを放り投げました。

 キラキラと光を反射しながら放物線を描くそれをどうにかキャッチすると、私とシオンさんは手の内のそれを見て目を見張ります。


「……腕輪?」

「区長、これは……!」

「婚約祝い、っちゅーやつかの? 人間風に言うと。番の印なんておいそれと人目に晒すもんじゃないからの、隠すには丁度良いじゃろ。トールに似合うように仕上げたんじゃよ、どうか使っておくれ」


 くっくと笑う区長さんに促され、私はそれを──琥珀のように複雑な色を封じ込めた、薄らと赤い半透明の腕輪を、言われたとおりに左手首に嵌めてみます。

 すると、


「…………きゃっ!?」

「そんな古代遺産並みの超貴重な代物を婚約祝いとか、どうやって返させるつもりなんですか……」

「それはもちろん盛大な式を期待しとるよ。スピーチの座はあの狼男には譲らんからそこんとこよろしくな」

「いやどっちにも頼みませんからね絶対に」


 軽口を叩くシオンさんの──私の、すぐ隣に立っているシオンさんの頭上に。

 ぴょこんと可愛らしく生えてきた山羊の白い耳と角を見上げて、私は驚愕に目を見開きました。


「……ど、どうして!? オーラの範囲内なのに!」

「神獣の力を結集した、オーラ無力化装備……ってところですか。全く、神々の力を軽々と使ってくれるなぁ……」

「不死鳥の羽と、古代竜の鱗と、金獅子の鬣と、白鯨の髭で錬成した世界に一つの特注品じゃよ。それがあれば完全獣化したまま、愛しのトールを背に乗せて駆けることもできよう? 白き霊峰の神よ」


 ふっふと楽しげに笑う神獣会議の面々を、シオンさんはちょっと呆れたように──でもうれしそうに見つめ、照れたように笑って頷きました。


「はい。…………ありがたく使わせてもらいます、偉大なる神々よ」

「苦しゅうない。帰ってきたらたーっぷりこき使ってやるでの、覚悟しておけよ」


 区長さんはバシバシとシオンさんの背中を叩き、それに続いて、他のメンバーのみなさんも遠慮無く肩やら頭やらを叩いて激励されました。


「喧嘩なら我も加勢しよっか?」

古代竜アンタが暴れたら霊峰吹っ飛びますよ!」


「シオンに何かあっても心配するなよトール、オレのハーレムは未亡人も大歓迎だ」

「アンタは二度とトールさんに話しかけるな!!」


「しーちゃん、約束守ってね? トールちゃんとの赤ちゃんを、ミニョルにいちばん最初に抱っこさせてくれるって約束……」

「え……」

「してないしてない!!!」


 まあ、激励なのかどうかはイマイチでしたが、神様のすることなので気にしても仕方ありませんね。うんうん。


「……ていうかまじめに時間ないんでもう出発しますね。本当にありがとうございました、それじゃあ行って──」


 私の手を握って気恥ずかしそうに踵を返そうとしていたシオンさんの言葉を遮り、区長さんの空を裂くような凜とした声が響きます。


「なあシオン。男が『行ってきます』を言えるのは、『ただいま』を言う自信がある時だけじゃよ」


 まっすぐに裁くように見据える青い瞳を、シオンさんもまたまっすぐに逃げることなく見つめ返し──


「はい。行ってきます!」

「うん、行ってらっしゃい。必ず帰って来いよ、妾たちはちゃあんと、この街で待っているからの」


 元気よく頷くと、私の手を握る力をきゅっと強めて、シオンさんは振り返らずに街の出口へと駆け出します。

 私は置いて行かれないように走りながら、だんだんと見えなくなっていくみなさんに手を振り続け、大好きな街にしばしの別れを告げるのでした。

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