第54話 ごあいさつ④

「………………」

「よーし、無事に持ち出し成功! ありがとうございます、トールさん」

「いえ、どういたしまして……」


 一度図書館に寄って、数冊の本の貸し出し手続きを済ませると、シオンさんの要望により我々は広い公園に移動しました。

 平日の昼間ですのでそんなに人も多くなく、芝生の上に腰かけると風の音と小鳥の鳴き声だけが耳をくすぐります。のどか。


「一回やってみたかったんですよね、図書館じゃなくて、青空の下で本を読むの」

「でもシオンさん、どうして同じ本を三冊も借りたんですか? 読書用・観賞用・間違って食べちゃった時用?」

「さ、最後のは笑えないジョークなんですが……違いますよ、三人いて三冊あればやることは一つでしょう」


 同じタイトルが記された同じ表紙の本を手に持って、シオンさんはすちゃっと指を立てるとキリリと述べました。


「俺のひそかな夢その3。人間さんと読書感想会を開くことです!」


 ぽかんとしてる私たちを前にシオンさんは鼻歌まじりに目を閉じて、じーんと感極まった感じでうっとりと続けます。


「これは俺の好きな作家の短編集です。せーので一編ずつ読んで感想を言い合うのが基本の流れです。原則として相手の感想の批判はしないこと、疑問があれば忌憚なく聞いてみること。合わないと思えば読むのを途中でやめるのも流し読みするのも有りです。ではスタート~」

「あ、説明する時間も惜しいぜって感じだー……」


 言うが早いか読書に集中し始めたシオンさんに焦っていると、アルフレッドはムッと値踏みするような目はそのままに、大人しく本を開き静かに読み込み始めました。じゅ、順応性が高い弟だあ……私も姉として負けていられません!


 そうして意気込んで読書を始めたのですが、内容は小難しい造語と設定の詰められたSF小説でして、学のない私は読むのに非常に難儀しました。

 が、仕方ないので難しい部分は流し読みして台詞や登場人物の心理描写だけを拾って読んでみても、不思議と意味が通って内容が追えることに感心します。

 ふむふむ、人間不信である主人公の孤独、人工生命体との悲恋、……なかなかにドラマチックなお話でした。だいぶ細かいところ端折って読んだので著者の方には頭を下げたいですが。


「じゃあアルフレッド君からどうぞ」


 とっくの昔に読み終えて私の読了を待っていたシオンさんは、同じく暇そうにしていたアルを優しく指名して促します。

 アルは少し考え込むように紙面に視線を落とし、流れるように感想を述べました。


「……空想的な近未来を描いたよく出来た世界観だけど、ところどころその環境で人類が繁栄してきたと考えるには思考が現代人寄りなとこが気になったかな。主題はそこじゃないと前提すれば感想はだいぶ変わるけど」

「そうですね、この作者の長編は大分細かいところまで設定が詰められてるんですけど、この短編において重要なテーマは特殊なギミックを用いて一人の男の成長と挫折を描くことだったと俺も思います。むしろ読者に近い思考を持たせることで感情移入しやすくしているんでしょうね。でも最後は日和らずバッドエンドで終わらせた方が潔かったんじゃないかなとは感じますが」

「僕もその方が好みだな。まあ後味は最悪だろうから気持ちは分かるけど」

「同感です。では次、トールさん」


「えっ、…………えっと、主人公は、大変なこともあったけれど、最後に希望をもててよかったなあ、と、おもいました……」

「………………」

「………………」

「や、やめてくださいその生暖かい目!!」


 あまりにも低レベルな感想を披露する私に、アルフレッドとシオンさんはやけに息ぴったりに目を細め満足そうにうんうんと頷くのでした。仲よさげでうれしいけど屈辱ですねこれ!?


 その後もそんな調子で短編集を読み進めたのですが、


「ここは異星人の台詞にしてはちょっと唐突に感じません?」

「おそらくこの話自体が過去の国家間紛争のオマージュになってるんだと思うな。宇宙を海と置き換えればしっくりくる。史実と真逆の結果になってるのは皮肉を込めたお遊び要素だろうね」

「ああ、なるほど! 俺は人間の歴史にはまだ見識が浅いので、その考察は目から鱗です。ありがとうございます」

「どうして凍らせると長生きできるんですか……? 冷凍したお魚が長持ちするのと同じ理屈……?」


 ……みたいな悲しい感想会と慈愛に満ちた二人の視線に私が耐えられなくなり、途中から私はごろごろふて寝して男の子二人で楽しそうに議論を交わすのをぼんやり聞いて暇してました。調停が退屈だと感じたのは初めてのことですが…………。


「……さん、姉さん」

「トールさん起きて下さい、それ以上転がっていかれると俺が本を食べ始めて大変なことになります」

「ん…………ハッ、すみません勤務中にうたた寝を! あれ、読書感想会は?」

「全部読み終えましたよ。いやあ幸せな時間だった……図書館じゃあーだこーだと騒ぐこともできませんしね」


 言いませんでしたが「トールさんが相手ではまともな感想会になりそうにないし」という一言が暗に続くようで、私は目を細めました。いや事実ですが……。

 くすくすと笑うシオンさんとアルフレッドの間に、今朝の初対面であったような壁も緊張感もすっかり無くなっていることに、私は目を瞬きました。本を読んで感想を教えあっただけでこんな風になるものなんでしょうか……。


「人の頭の中が知りたければ、その人の本棚に並ぶ本を全て読んでみればいい……なんて言葉も聞いたことがありますが。俺のこと、少しは分かってもらえましたか?」


 そう言ってにこやかに笑うシオンさんに、アルフレッドはムッと口を尖らせます。

 ふむ、本を読むという自分の目的は絶対に譲らずに、かつアルフレッドに自分の人となりや考え方、価値観なんかを知ってもらう……一石二鳥の手段だったということでしょうか。やはりシオンさん、なかなかの策士ですね。


「…………悪い人じゃないっていうのは、たぶん分かった。賢いし常識もあるし、気まぐれで姉さんの気持ちを弄んでるわけじゃなさそうだってことも、たぶん」


 ちょっと悔しそうに言うアルフレッドの顔に、私はふっと目を細めます。

 アル、村では話の合う大人なんていなかったし、私もアルの難しい話をちっとも理解してあげられなかったから……対等に議論ができる相手ができて楽しかったんでしょうね。


「試すような真似をしてごめんなさい。そもそも姉さんとあなたとの関係に、いくら弟でも僕が口を挟んで良いわけじゃない。もう十分に」

「でも、本を読むだけじゃ伝えられないこともある。……アルフレッド君は俺にとっても大切な人だ、良いこと以上に悪いことだってちゃんと知っておいて欲しい」


 言葉を遮ってそう切り出したシオンさんの真剣な瞳に、アルは少したじろいで息を飲みます。


「俺はある人に呪いを受けている。だからトールさんとずっと一緒にいる約束はできない」


 目を見開いたアルに、シオンさんはつらそうに眉根を寄せながら続けます。


「そのことに納得できないなら、たった一人の家族として君には俺を糾弾する権利がある。トールさんが望んでいるからとかそういう遠慮はしないで、俺を認められないなら認めなくたっていいんだ」


 ……認めて祝福してもらえたらうれしいなと思うのは、シオンさんだって同じだったのでしょう。

 だけど言い切ったシオンさんに、アルは表情を変えず、じっとその空色の瞳を見つめ返して言います。


「その顔が気に食わない」

「は?」

「顔の良さで誤魔化されてる気がする。紙を食べてるところを見せろとは言わないけど、見せられるものは全部見せてからそういうことを言って欲しい」


 アルの言葉に、シオンさんは少しだけ刮目し……それから、不安げに私に目配せしました。

 私は頷き、決して目に触れないように本を鞄に収めてから、背中を押すように微笑みます。それから、何も言わずに二人から距離を置きました。ちょうど1メートルと少し。


 芽吹くように生えてきた山羊の耳と角に、初めて獣化を見たアルフレッドはビクッと肩を震わせて驚きます。それをほんの少し傷ついたように眺めながら、シオンさんは静かに目を細め──

 やがて黄金色に輝く光に包まれたかと思うと、後に現れたのは、巨大な獣でした。


「……………………」


 目の前に毅然と立つ、真っ白な毛に覆われた神山羊の雄大さに、アルフレッドはただ目を見開いて呆然と見上げるだけでした。

 獣の姿になっても、不安げなのが見て取れて私は思わず励ますように視線を注ぎます。シオンさん、最初は私にも頑なに正体を明かさなかったぐらい自分の種族がコンプレックスのようですから……個人的には竜や獅子よりも凜々しくて素敵だなって思うのですが。

 アルはしばらくそうしていましたが、やがて静かに口を開き呟きました。


「触ってもいい?」

『え? あ、はい、どうぞ』


 威厳たっぷりの姿から発せられた腰の低い声に吹き出しつつ、アルはシオンさんの前に歩み出て、ふわふわの毛で覆われた前脚にぽふっと抱きつきました。


「あったかい」


 そう言ってけらけらと可笑しそうに笑うアルフレッドに、シオンさんは目を瞬き、私はそっと目を伏せます。


 ────ねえお姉ちゃん、いつかお兄ちゃんができたら、僕にもちょっとだけ甘えさせてね。


 そう言って恥ずかしそうに笑った、子供の頃の弟の顔を思い出して、ほんの少し泣きそうになりながら。



 * * *



 じゃあシオンさん、また一緒に本読もうね、と言って笑うアルフレッドを寮まで送り届けると、シオンさんは今まで聞いたこともないような最大級のため息をついてへなへなとその場にしゃがみ込みました。


「ど、どうしましたシオンさん!? お祭りぶりに完全獣化なんてしたから疲れたのでは……!?」

「き、緊張したぁー……『絶対認めない、こんな男と付き合うぐらいなら絶縁する』とか言われたらどうしようかと思った……」


 泣きそうな声でそんなことを言われて、私はきょとんと目を瞬き、それから笑いを堪えました。


「やだ、ずっとそんなこと心配してたんですか? 全然そんな風に見えなかった」

「してましたよ、してたんですよ一日中……手とか震えまくるし死ぬかと思いました、ああよかった、嫌われなくて……」


 隣にしゃがんでぽんぽんと肩を叩くと、シオンさんはぐすっと鼻を啜って恨めしげに私をちょっと睨みました。


「なんでトールさんは平然としてられたんですか……アル君が反対したらそれはそれでって思ってたんですか?」

「え? まさか。アルに反対されたらそれは悲しいですけど、いつか理解を得られれば良いと思っていただけです」


 ぽかんとしている顔がかわいくて、私は柔らかな白い髪を撫でながら、秘密を打ち明けるようにそっと告げます。


「アルに絶縁するって言われても、私はシオンさんと別れたりしませんよ。ていうかできないです、父や母には悪いですけどね」


 親不孝っぷりに苦笑しつつ肩を揺らすと、シオンさんは唖然としたような顔で私を見つめて言いました。


「キスしてもいいですか……」

「往来なのでダメです」

「生殺しだー……」


 いえ、人目のあるところでいちゃいちゃするのはやめましょうって提言したのシオンさんなんですけど、ひょっとしてあれって背伸びをした発言だったんですかね?


 もしかしたら精神年齢が私より上というのも時と場合に寄りけりなのでしょうか、と新たな発見に口をゆるませつつ、私はせめてもの自分の慰めにそっと手を繋いで、指を絡めてみるのでした。

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