第55話 嵐の前の願いごと


 鼻歌まじりに足を弾ませて事務所のドアを開けると、所長が机の上で死んでいてその頭上で獣化した黒ポメもといグレイさんがくああと欠伸をしていました。平和な朝の光景ですね。


「おはようございますグレイさん、今日は皆さん調停中ですか?」

「やあトール嬢、見ての通り生き物はこの部屋に僕だけですよ。トール嬢は今日は週休日の筈では?」

「ええ。普段あまり役に立てていない分せめて差し入れをと思って……でも、お供えものになっちゃいましたね?」

「ハハハ、そうですね。ハハハハハハハハ」

「勝手に殺すなや……お前の弟のせいだぞホープスキン……」


 和やかに談笑していたら机の上の死体、もとい死にかけの所長さんが顔を伏せたまま力無く一括りの紙の束を放り投げてきました。おお、ニュー契約書。これで労務局からのご指導は受けずに済みそうですね、健全健全。


「それにしても良い匂いだなあ。そのバスケット、中身はサンドイッチ……ですか? 変わった隠し味を使うんですね」

「わ、嗅いだだけで分かるなんてさすがですねグレイさん。母のレシピを使ってるんです、アルフレッドの好物なので、学院に持って行こうと思って」


 アルフレッドの名を出した瞬間に死に度が上昇した所長を見てグレイさんは上機嫌で尻尾を揺らしつつ、にやりと意地悪く犬歯を覗かせて微笑みます。


「ここと、王立学院と。それだけですか?」

「あ、う……い、一応、居住区にも。許可を取ってないので正門までですが……」

「それは良いお話です。白ヤギくんも神獣会議の方が最近忙しそうでお疲れですからねぇ、愛しのトール嬢からの顔見せと手料理なんて何よりの活力になるでしょう」


 かーっと頬を染める私をにやにや眺めつつ、ふいにグレイさんは窓の外に視線をやって首を傾げます。


「……んー、でも、白ヤギ君と言えば最近、なんだか僕の鼻の調子が悪いのか……妙な感じなんですよねぇ、血の匂いが濃くなっているような……何でも無いと良いんですけど」

「?」


 怪訝そうなご様子に首を傾げつつ、獣化を解いてもかわいいが削がれるのでローテーブルの上にバスケットを置いてそそくさと事務所を後にします。

 スロウさんにもぜひ食べてほしいですけどあの人休憩時間とかあるんですかね、契約書改善されたからその辺もマシになってると良いのですが……。




 王立学院の敷地は広く、周囲は高い壁で覆われ、鉄の扉は物々しい番兵さんががっちりと守っていました。居住区に勝るとも劣らない厳重っぷりにちょっと辟易してしまいます。

 アルフレッド、本当にとんでもないところに果たし状を送り付けたわけですね、姉に似ず大胆な子です……。


 学生の親族であることの承認とサンドイッチの毒味(美味しいと言われて二つ食べられました。次はもっと多めに用意しましょう)を無事に済ませて中に立ち入ると、緑の多く配置された涼しげなキャンパスが目に飛び込み、私は田舎者らしくきょろきょろと目を泳がせてしまいました。


 通り過ぎる学生さんたちはみな一様に明るい顔をして、楽しげに談笑したり、すれ違う誰とでも気軽にあいさつを交わしたりしています。愚痴を言い合って肩を叩く人、眠たげにあくびをする人。でもみんな自分の好きなことを突き詰めている幸せがにじみ出ているように感じました。

 ……学校、家の手伝いがしたくて結局ほとんど行けずじまいでしたから、ちょっと憧れます。

 アルフレッドにぜひ今度いろいろ聞かせてもらいましょう。


 私はくいっと上を向いて、アルフレッドに教えてもらった学部の研究室を訪ねるべく足を早めます。迷いに迷って清掃員の方に道を尋ねるに至りましたが……。

 どうにか『生命医学研究棟』と表札の打たれた三階建ての建物に辿り着き、私はほっと息を吐きました。だいぶ年季の入った建物ですね、歴史を感じます。弟を通わせる身としては建て替えの必要も感じますが。

 階段を上っておそるおそる『第三研究室』と書かれた部屋の前に立つと、私はコンコンとノックをして震える声を振り絞ります。


「すみません、こちらでお世話になっているアルフレッド・ホープスキンの姉の者ですが……」


 姉の者って何でしょう、思いきり馬鹿丸出しの挨拶をしてしまいました。帰りたい。

 だけどドアを開けて顔を見せてくれたのは運良くアルフレッド本人で、私は胸を撫で下ろします。


「姉さん! どうしたのこんなとこまで?」

「アル、研究お疲れさま。差し入れ持ってきたの、良かったら皆さんで食べてね」

「うわあ、姉さんのたまごサンドだ! うれしいな、蜂蜜とマスタードが隠し味のやつだっ。ありがたくいただくよ」


 るんるんとバスケットを受け取るアルでしたが、部屋から漏れ出る空気が妙に暑く、アルの額にも汗が滲んでいるのが気になって私は眉根を寄せます。


「ねえアル、このお部屋暑すぎない? いくら近ごろ冷え込むとは言っても薪の使いすぎは良くないよ」

「いや、これでも寒いぐらいなんだ。先輩がカメの人工ふ化の研究をしてるからその手伝いをしてるんだけど」

「………………」

「かわいいよ、カメの赤ちゃん」


 にこっと微笑むアルにとりあえず笑い返しましたが、人がサンドイッチ作ってる間にすごいことしてる弟にただただおののくばかりでした。

 は、母ガメと生き別れた卵とかも助けられるってことですかね?それって神様レベルにすごい御業では……!?

 気が遠くなってる姉のことなど知らず、にこにことバスケットの中を覗き込みながらアルフレッドは上機嫌に目を輝かせていました。


「いっぱい作ってくれたんだね。教授にも食べさせてあげよっと」

「教授?」

「うん。僕の指導教官で、論文を評価してくれた人でもあるんだけど……すっごく優秀なんだけど人間としては全然ダメなタイプなんだ、この学院そういう人ばっかりなんだけど。研究が楽しくなると睡眠や食事を忘れちゃう人だから、新入りがお世話する伝統になってるんだって。だから僕が今の教授生命維持責任係」

「ものすごい大役じゃないですか……」


 なんか分からないけど弟の恩人ですし死なないで、と願いつつ。

 私はカメが生まれる室温に汗を掻きながら、名残惜しくアルに別れを告げるのでした。



 * * *



 居住区へと繋がる正門の扉を開けると、ちょっとぐったりした感じのシオンさんの青い顔がそこにあって、さすがに面食らいました。


「あ、トールさん……本当に来てくれたんですね、うれしいなー……へへ、疲れすぎて見てる俺の幻覚とかじゃないですよね?」

「ええ、そのつもりですけど……シオンさん大丈夫ですか? すっごくお疲れみたいですけど」

「んー、ここ最近会議が立て込んでてちょっと……。でも平気です、トールさんの顔見たら元気になりました、あと三徹はできます。えへへ」

「しないでくださいよ!! 可愛く笑ってもダメ!」


 などと怒りましたがわーいと抱きつかれて甘えられては毒気も抜かれまくり、私はよしよしと少し痩せた気すらする背中を撫でて労をねぎらいました。


「それにしてもどうしてそんなに頻繁に会議を? またお祭りでも企画してるんですか?」

「あーいえ、区長の言い出しっぺなのは同じですけど……誕生祭だそうです、内輪の。飲んで食べて騒ぎたいだけの口実だと思うんですけど……ていうかこういうのって普通本人に内緒でやるもんじゃないです?」

「誕生祭……お誕生日会、ですか? 誰の?」

「俺のです。そのせいで連日寝不足です、こんなことならいっそ生まれてこなければ良かったと思っちゃうのでやめてほしいですほんとに」

「………………」

「? トールさん?」


 私は固まり、しばらく時間の概念を無視すると、ハッとしてシオンさんの腕から抜け出して叫びました。


「いつ!!??」

「は、はい?」

「いつ生まれたんですか、もう生まれたんですか、なんで言わないんですかそっちがサプライズしてどうするんですか!!」

「え?俺の誕生日ですか?ちょうど二週間後ですけど……」

「もうすぐじゃないですかーー! ど、どうしよう何にも準備してないのに……! あの、何が欲しいですか? 今からじゃ大したものは用意できないかもしれないけど……」


 ああ、痛恨です、恋人の誕生日を把握していなかったなんて……!

 自分の粗忽さに打ちひしがれていると、シオンさんはきょとんと目を瞬いて、おずおずと尋ねました。


「何でもいいんですか?」

「もちろんです。シオンさんが喜ぶことなら何でもしてあげたいです」

「んー、じゃあ……」


 シオンさんは少し考えて、それからちょっと気恥ずかしそうに眉を下げると、


「じゃあ、トールさんの時間が欲しい。誕生日は二人っきりで過ごしたいです」


 そんなささやかな願いを、懇願するように自信なさげに告げて、目を伏せました。


 私が「あ、いいですよ。所長に有給申請しときます」と答えると、ちょっと肩すかしを食らったようにずっこけてましたが。

 んー、そのプレゼント、むしろ私へのプレゼントでは? 一日二人きりなんて初めてですね、どんなプランが良いでしょう、新書読み放題とか?紙飛行機大会?ごちそうもいっぱい作らなくては! 区長さんのお許しが得られれば夜間外出許可も頂きたいですね。


 私はフンと気合いを入れ、鞄から赤い革の手帳を取り出すと、日付に大きく丸をして『シオンさんの誕生日!』と書き込みました。

 それをぱちくり見下ろしていたシオンさんにずいっと手渡すと、彼は少し間を置いてから小さく微笑んで頷き、私の字の下に『俺の誕生日』と丁寧に記しました。

 うんうん、うれしそうですね、ぜひとも最高の誕生日にしてさしあげましょう!


 燃えている私をちょっと暑苦しそうにしつつ、ふとシオンさんは足下に置いたバスケットを見て首を傾げます。


「トールさん、それは?」

「ああ、本題を忘れてました。がんばってるシオンさんに昼食の差し入れです、サンドイッチ。ぜひ神獣のみなさんとご一緒にどうぞ」

「えー……絶対いやです、一つ残らず食い散らかされる……あとあの人達に餌付けはやめた方がいいですよ、味を占めて死ぬほどたかられます。区長は高級食材とかカレイドさんはアツアツできたてとかソーマさんは生肉とかミニョルは新鮮な魚とか要求高いし。これはもう俺のものなので、俺が一人で全部いただきますね」


 ひょいっとバスケットを持ち上げて山賊みたいなことを言うシオンさんに、口では「もう……」などとたしなめつつ。ちょっとうれしくて、私はくすくすと笑うのでした。

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