第51話 ごあいさつ①
さて事務所では所長を青ざめさせるほど冷徹な表情を見せていたアルフレッドですが、いざ湯気の立つ野菜と鶏肉がごろごろ入ったクリームシチューの皿を目の前に出されると、一転して子供らしいあどけなさで顔を綻ばせるのでした。ちょっとほっとしますね、育てた責任者としては……。
「わあ、本当に姉さんのシチューだ……! うれしいなぁ、学院に招待された時より千倍うれしい!」
「さ、さすがにそれはお世辞が過ぎるのでは……? さあ冷めないうちにいただきましょう、ミーナちゃんもお腹ペコペコでしょうし」
パチン、と手を合わせて三人仲良くいただきますの声を揃えると、アルフレッドとミーナちゃんは我先にとスプーンでたっぷりシチューをすくって息を吹きかけてから口に運びました。そして同時に唸ります。
「お、おいしい……」
「美味い、美味すぎる、残業でボコボコ穴の開きかけた胃に優しく染み渡る滋味ッ!」
「な、泣かないでくださいおかわり多めに作りましたから……」
リビングにおいおいと響く弟とルームメイトのむせび泣く声に、私はちょっと疎外感を感じつつどうどうとなだめるばかりなのでした。
勤務時間を終えて迎えに来てくれたアルと共に自宅に戻り、リクエストのシチューを作りながら他愛も無い思い出話に花を咲かせてミーナちゃんの帰りを待っていると、帰ってきた彼女は残業からの生還で虫の息でした。
吸血鬼事件の際にエミリア先輩を庇ったお咎めで数日自宅謹慎してたのですが、その間溜まった仕事が山のように積まれてるそうで……本当にお疲れさまです。私の虚無時間を分けてあげたい。
「それにしても弟君はトールちゃんが育てたにしてはあんまり似てないね。トールちゃんは騙されやすいタイプだけど、アル君は絶対に騙されないで逆に貶めるタイプって感じだ」
「どういう分類なんですかそれ!?」
いやあっさり浮気されるし区長さんにまんまとおびき出されて自殺幇助させられそうになるし先輩が吸血鬼だったこともさっぱり気づかなかったし当たってる気もしますが……ていうか当たってますね??
似てないと言われたアルはとてもうれしそうににこっと笑って、「はい。姉が僕に似なくてとてもうれしいです」などと頬を染めていました。その構文は普通逆なんじゃないでしょうか、ていうかどういう意味なんでしょうかそれ?
うーんと首を捻っていると、アルはシチューを味わいながら上機嫌で続けました。
「そもそも僕が生まれたのは、弟か妹が欲しいと言ってくれた姉の後押しもあってのことですからね。生まれる前から僕は姉さんに頭が上がらないんです。その上、母が亡くなってからは仕事で忙しい父に代わって僕をここまで育ててくれました。勉強にしたって今は好きでやっていますが、元は姉が褒めてくれるのがうれしかったことがきっかけでしたし」
「もう、アルってばそんなことばっかり言って……。家族なんだから助け合うのは普通のことでしょう、そんな風に感謝されることじゃないです」
「いや、私も弟いるけどお互いに喋る毛虫みたいにしか思ってないよ」
「けむし」
「この前も実家に帰ったら私の部屋が勝手に物置にされててね、およそこの世に存在する全ての罵詈雑言を投げ合って夜通し争ってたら親に二人で閉め出されたよ」
「世の中いろんな家族がいるんですね……」
どっちがポピュラーな姉弟の形なのかは分かりませんが……。戦慄してたら隣のアルが「喋る毛虫って、捕獲したら良い研究対象になりそうですね」とか変な食いつき方をしてしまったので一気にどうでもよくなりました。すっかり学者脳になって……。
うーん、それにしてもアルがうれしそうで私もうれしいです。村を出る時はお父さんが亡くなって間も無かったし、ブラッドのことでゴタゴタもしちゃったし、暗い顔してましたからね。
シオンさんのこと、早く教えたいなと思ってましたが、できれば二人きりの時が良いですし、今夜はただ再会を喜び合うにとどめておいた方が良いのかもしれません。
そしてアルのシチューの皿が空になったのを見て、おかわりをよそいに行こうかと言いかけた瞬間、彼はふっと目を細めて噛みしめるように呟きました。
「でも本当に元気そうで良かった。……あんなろくでなしでも一度は共に生きていくことを考えた相手だ、情もあるだろう。そんなすぐに見切りを付けて切り替えるなんて心優しい姉さんには難しいだろうけど、少し休んで気持ちの整理が付くのをゆっくり待てばいいよ」
「…………」
「? 姉さん?」
あ、しまった、うっかり「誰?」みたいな顔をしてしまいましたが、どう考えてもブラッドのことですね。私の幼なじみということはアルの幼なじみでもあるのです。
……どうしよう、『もうすっかり気持ちを切り替えて別の方とお付き合いまでして特に思い返しもせず過ごしてます』とは言いづらい流れ……!
アルフレッド、あなたの姉はそこまで義理堅い淑女じゃ全然ないです夢をぶち壊すようで悪いですが!!
青ざめているとアルフレッドは困ったように苦笑して、
「ごめん、せっかく久しぶりに会えたのに。もっと楽しい話をしよっか」
などと明るい調子で言うのでした。五つ下の弟に思いっきり気を遣わせてしまった……
「えー? 何言ってんのアルくん、いくらトールちゃんでもさすがにあんな浮気野郎のこといつまでも引きずってるわけないよ。ていうかそんな義理堅い淑女だったらこんな早く次の恋愛に気持ちなんか向かないでしょ変なの~~」
罪悪感に苛まれてたらこちらは全く気を遣ってくれませんでしたミーナちゃん。いやそんなストレートなところが好きなのですが!
顔面が漂白される勢いで血の気の引いてる私に、アルフレッドは「次の恋愛?」と眉根を寄せて無垢な視線を投げました。ので、素早く目をそらしました。
いや何がので……? すっごい不審の目で見られてるー……。
「ミーナさん、それってどういう意味ですか?」
あーーアル賢い、私に聞いてもまともな回答が得られないと瞬時に判断し質問の矛先を変えましたね!天才!こりゃもう駄目だー!
「え、何トールちゃん、まだ話してないの?」
「いえ、手紙に書いたのですがまだ届かないうちに再会しまして……切り出すタイミングを失ったまま今に至る次第……」
「えー? だめでしょさすがに、アルフレッド君にとっても重要なことでしょ。だってトールちゃんの相手は」
目が死んでる私、固唾をのむアルの視線を受けながら、ミーナちゃんはぴっと指を立てて事も無げにとんでもないことを言いました。
「アルフレッド君を叔父さんにするかもしれない男なんだからね」
「…………」
「…………」
絶句する私の横でアルはあんぐりと口を開けてギギギと首を回し、信じられないといった面持ちで私の腹部をちらっと見ました。
いやいやいや考えうる限り最悪の紹介の仕方ですね!?
「違う!違いますよアル、まだそんな段階じゃ全然ないので!」
「まだ?」
「あ……いや……ていうかミーナちゃん何で敢えてその表現使ったんですか、せめて『義兄になるかもしれない人』でしょう!?」
「義兄……?」
「あー……」
墓穴をものすごい勢いで掘りまくった私はいっそ穴に埋まりたい気持ちを堪えつつ目を覆いました。終わりましたね私の和やか報告計画。
「いやー言ってないとは思わなかったな、この前も玄関先ですごい格好でいちゃいちゃしてたしてっきりとっくに家族にも紹介済みかと……」
「ルームメイトが火炎瓶……」
いや嘘は言ってないんですけどここまで完全に大暴落してるのにまだ落としますか私のまともな姉株?
お花畑の水やりぐらいののどかさで大炎上地帯に油を撒くミーナちゃんに舌を巻いていると、アルは無言で立ち上がり外套を手に取ります。
「あ、アル? 帰るの? いや無理もないですよね、怒って……」
「いや、その義兄だか何だかに挨拶に行こうと思って。東区に住んでるの? 案内してくれるかな」
「目が全然笑ってないよ!?」
こ、この笑顔、確実にあの「はい、あーん」目撃現場で見せたものと同種!! まずいです、今度こそ弟が前科者に……!?
「待ってアル! あの、お付き合いしてる人がいるのは本当で……話すのが遅くなってごめんなさい。でも今は会いには行けないの!」
「……どうしてさ。恋人なのに」
「だって許可が下りてないから……」
「は?」
「あ」
珍しくぽかん、と理解出来なさそうな顔をした弟に、私は遅れてハッと口を押さえます。
……いや、確かにそうですよね、居住区の入門許諾権だとかその辺の話も説明しないとにわかには……
どうやって分かりやすく伝えようかと考えあぐねる私を待たず、アルは表情を険しくして冷たく言います。
「……よく分からないけど、じゃあその人をここに呼んでくれないかな。図々しいことを言ってる自覚はあるけど、姉さんは前回が前回だ。……どんな相手か知らないでは僕も安心して眠れそうにない」
つらそうに目を細めるアルに、私は今までかけた心配の深さを思い目を伏せます。
……いえ、ですがしかし……。
「駄目なのアル。会いに来てはもらえないの」
「…………っ、どうして!?」
「もう夜だから」
「???」
私の言葉にアルは完全に理解不能な様子で黙り込み、私は口を引き結びます。
……い、いや、確かに異質ですね、許可が無いと会いに行けないし会いに来てももらえないっていうのも……でもそういうものなので……。
いえ違うんです、シオンさんを知ってもらうにはこんな情報じゃなくて、もっとあの人の優しさとか、あったかさとか、頑張ってることとか、そういうことを伝えたいなと思ってたのに!
私は憤りつつ、困惑するアルの視線からは逃れられず、意を決して切り出します。
「……私のお付き合いしている人は、東区じゃなくて居住区に住んでるの。だから許可が無いと私から会いに行くことはできないし、許可が無いと夜間に会い来てもらうこともできない」
「居住区……王都の共生特区? それってつまり、」
隠すことでも言いづらいことでもありません。
言い当てられる前にせめて自分の口から話そうと、私は顔を上げ素早く声を振り絞りました。
「人間じゃなくて、獣人さんなの」
どうにか言い切った私に、アルはただ目を瞬いて沈黙するのでした。
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