第50話 アルフレッド・ホープスキン

 私たちの国の王都には二つの誇るべき遺産があると言われています。一つは獣人が住まう居住区。そしてもう一つは、国の叡智を一堂に集めた教育の最高機関、王立学院です。


 優秀な頭脳を持つ者だけが入学を許された学院は、多くの偉大な人材を世に送り出し、著名な学者や発明家はほぼ全員が王立学院卒業生、同窓会を開いたら一晩で世界が創れるだろうとか揶揄される程の逸材揃い、その頭脳が入った頭蓋骨を守るために衛兵さんが警備に当たっているという、村に住んでいた私からすれば作り話にしか思えないような特別な所なのでした。


 そんな王立学院の入試過去問集を、父の付き添いで隣町に出かけた弟のアルフレッドが、たまたま立ち寄った書店で珍しくねだったのは、12歳の誕生日を間近に控えた頃だったでしょうか。

 アルフレッドがその問題を──あっさり全問正解してしまった日、私はようやく気づきました。

 弟の人生は、平凡な村娘である私のそれとは、いつか決定的に異なる道へ進んでいくのだろうと。



 * * *



「……というわけで、姉がお世話になっております。トールの弟、アルフレッド・ホープスキンです。突然連絡もなく訪問してしまってすみません。こうしてお時間まで割いて頂いてありがとうございます、どうぞよろしくお願いします」


 事務所のソファに私と並んで座り、はきはきと挨拶を述べてぺこりとおじぎをするアルフレッドに、向かいに腰かける所長とグレイさんはぱちくりと目を瞬きました。


「ああこりゃどうも、ご丁寧に……」

「へえ、匂いは随分違いますが、こうして並んで見ると髪と目の色もおそろいですしやはりご姉弟ですね。微笑ましいものだ」


 しげしげと面白そうに金色の目を細めるグレイさんに、アルはにこにこと頷きます。

 ああアル、少し見ない間に背も伸びて立派になって……。昔は妹に間違えられたことも多かったぐらいですからまだまだ可愛いらしい印象ですけど、ちょっと体つきも男の子らしくなってきたように感じます。まだよちよち歩きだった1歳から育ててきた身としては感慨もひとしおですね。

 …………しかし、


「ねえアル、本当なの? この手紙に書いてあったこと……」

「本当だよ姉さん。王立学院への入学許可が下りた。来週から正式に在籍が認められて講義も受けられるそうだよ、これが通知」


 ついっ、と差し出された一枚の紙には、確かにアルフレッドの入学を許可する旨が記されています。んー、でも……


「確か王立学院の入学最低年齢は18歳からでは? それも制度的なもので、実際の入試合格平均年齢は20歳前後だった筈。アルフレッド君はまだ15歳でしたよね。おまけに入試の時期は例年冬の予定だ、この年齢でこの時期に編入が認められるというのは相当異例のことと思われますが。どんな裏技を使って働きかけたんですか?」

「いえ、入学したいとは一言も言っていません。ただ論文を二つほど書いて送り付けました。そうしたらぜひ買い取りたいと申し出があったので、学位も無い未成年が書いたものにそんな価値はないのでとお断りしたところ、まあそんな流れに」

「…………」

「…………」


 す、すごい整然と説明してくれたのにまったく意味が分からなーい…………。

 所長・グレイさん・私という永遠に理解し合えないと思ってた三名で心を一つにドン引きしていると、アルは私が入れたホットミルクをゆっくり味わいながら、淡々と続けました。


「姉と僕の生まれ育った村は交通の便も悪い山間の非常に辺鄙なところにあるのですが、よそ者が訪れれば必ず話題に上ります。その割に、そういえば過去に誰かが調査に来ただとかそんな話も聞いたことがないなと思いまして。探せば固有種の一つや二つあるんじゃないかなと思って確認してみたらまだ発表されていないマメ科の植物と蝶を見つけたので、採取して栽培・解剖、限定的な繁殖方法や土と気候に大きく依存する特殊な生態、豆の栄養価から見る食用としての可能性、蝶の羽から作れる染料の色味などなど、学者の真似事をして論文形式にまとめてみただけです。知識ある誰かが僕たちの村に入れば簡単に辿り着けたもので大した価値はありませんでしたが、ラッキーでしたね。評価して頂いてぜひ学院に招待をとお声がけいただけました。貧しい身であることをお伝えしたら学費も免除、衣食住が保障された学生寮も無料で使って良いと」


 さらっと言い終えるとアルは可愛く微笑んで、「姉さん、昔姉さんが『家の中に見たこともない蛾が!!』って言って叩き潰した蝶だよ。やっぱり姉さんは先見の明があるね、すごいねっ」とうれしそうにはしゃぎました。

 いやあの蛾相当な数叩き潰した覚えがあるんですけど希少種だったんですか……? ぜ、絶滅させてなくてよかったー……。


「そういうわけだから姉さん、僕への仕送りも学費の積み立てももう大丈夫。貯めてた分は姉さんの為に使ってね。もちろんブ何とかさんから貰っていた葡萄酒の売上げ金も全額返してやったからようやく縁も切れたし。仕事も住む場所も、ちゃんと一から考えて好きなようにしていいんだ」

「えーと……でも私……」

「さっきも『クソ所長め、調停師なんて絶対辞めてやるー!!』って泣きながら走ってく男の人とすれ違ったよ」

「その人に関しては何とも言えないのですが……」


 スロウさん……強く生きて下さい……。


 いや、というか、ずっとアル優先に自分の人生設計を考えてたので、急にもう大丈夫だよと言われると途方に暮れますね。

 確かに調停師は単純にお給金の高さから選んだ仕事でしたが、今はそれ以外のやりがいも感じてますし、家賃を節約するために始めたルームシェアだって、狭いけれどミーナちゃんとの暮らしはとても楽しいものですし……。


 突然広い野原に放り出されたような感覚に困惑していると、黙って聞いていた所長がくわっと吊り目を開けて、頬の傷を赤らめながら噛みつくように吠えました。怖い。


「イヤイヤちょっと待て、何辞めるかどうかみたいな話を進めてんだ勝手に!? おいホープスキン弟、ホープスキン姉とうちの事務所とはそう簡単に契約は切れないからな! 契約書にサインしたからには!」

「……姉さん、そうなの?」

「え? 契約書? あー最初に腱鞘炎になるほどサインさせられた無駄に字の小さい紙の束……?」


 後半は意識が朦朧として流し読み程度にしか目を通してませんでしたが、そう言えば退職に関わる項とかまじめに読んでなかったような……!?


 虚ろな目をしているとアルフレッドは冷静に頷いて、「契約書を見せてもらえますか」と冷めた声で述べました。

 所長がムッと目を細めてグレイさんに片手で指示をすると、運ばれてきた分厚い紙の束を受け取ってアルフレッドは「どうも」と軽く頭を下げます。

 そしてパラパラと膨大な量の紙をめくって所々に眉根を寄せて目を留めながら、あっという間に全てを読み終えて目を伏せ、ぽつりと呟きました。


「なるほど」

「おう」

「訴えますね」

「はああ!!??」

「あっはっはっは! だから言ったじゃないですかみんな優しいから突っ込んでこないだけでいつか痛い目見るって! あー面白い、僕やってみたかったんです、被告人友人として裁判に出たくせに突然不利な証言して法廷ざわつかせるの!」

「オイこらグレイどっちの味方だ!?」

「そりゃもちろん面白い方の?」


 所長に胸ぐら掴まれてゆさゆさ揺すられてる楽しそうなグレイさんを横目に、アルは契約書を指で示しながら続けます。


「ほぼ全文に曖昧な表現が散見されますね。例えばここの部分、『勤務時間は指示のある場合を除いて基本的に8時間を越えないものとする』……これは一見良心的ですが、言いようによっては『8時間を越えて勤務させることもざらにある』という意味にも解釈できる。それでいて最長勤務時間の指定は無し。つまり雇用主次第で24時間働かせることも可能ということです。このような雇用主に有利で職員に不利な条件が他に45項目もある……退職についても、『所長の了解を得られれば』なんて条件は実質権利が認められてないのに等しい。労基違反で王都の労働局に訴えれば確実に指導が入るはずです。責任者の処分は避けられないかと」

「    」

「あっはっは、15歳の子供に完全に言い負かされて反論も出来ないとか面白すぎる! こんなこともあろうかと契約書作る時にテキトーなことばっか吹き込んでおいて良かったな~」

「この狼男ホンモノの愉快犯だぁ……」


 燃え尽きてる所長と今までで一番輝いてるグレイさんとを半目で眺めつつ、私はちらりとアルの特に何も感じて無さそうな横顔を盗み見ます。

 ……あ、あのワインボトル景気よく割ってた浮気目撃の夜もそうでしたけど、アルフレッド、家族思いなあまりに私が何か困っているとちょっとやり過ぎる傾向がありまして……


 ありがたいとは思いますけど、今は少し気がかりなこともあります。

 ……手紙が届いてないだろうということは、シオンさんのこともまだ……


「姉さん、僕これから学院の方に挨拶と手続きに行ってくるから。仕事上がる頃迎えに来てもいい?」

「え? ああうん、もちろん。寮の方が大丈夫ならうちでご飯食べていきませんか、ルームメイトにも紹介したいし」

「わあ、やったあ! 僕久しぶりに姉さんの作った鶏のシチューが食べたいなあ」

「ふふ、いいですよ、ちっちゃい頃から大好物でしたもんね。…………」


 無邪気に笑うあどけない顔に、さっきまでの不安は少し和らぎ、私も笑い返します。

 それからアルが去った後、所長は契約書の健全な改訂作業という追加業務に半ギレで没頭し、グレイさんはずっと楽しそうに尻尾を揺らしてお手伝いしていたのでした。どうもすみません……。

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