第42話 吸血鬼事件4
さて久々のお仕事はもちろんシオンさんからの調停依頼だったのですが、場所がいつもと違っていました。本日は図書館に行く予定はありません。ただただ東区をくまなくぐるりと練り歩くだけ。まさしくお散歩係です。
「シオンさん……」
「本が読みたい本が読みたい本が読みたい……」
「わー、中毒症状が出てるー……」
ギラついた目で私の隣を歩き街を睨んでいるシオンさんに心から同情しつつ、オーラの範囲から外れないように歩調を合わせます。
どうも話を聞くにシオンさん、昨日も一昨日も事務所に調停を依頼してくださったそうなのですが、そのどちらも図書館には向かわなかったそうなのです。
と言うのも、
「…………吸血鬼を早急に見つけ出して保護し、吸血鬼狩り達をこの地から追い払うことが居住区の総意です……禁種とは言え彼らも同じ獣人ですから、住まわせられないとしても見殺しにはできません。なので神獣会議の中から捜索係を派遣することになったんですけど、…………うー、せっっかく東区まで出たのに本が読めないなんて拷問です! さっきから本屋さんも何件か通り過ぎてるし!酷い!あんまりだ!」
「し、シオンさんおちついてー……ノルマが早めに終わったら図書館に行きましょう? お付き合いしますよ」
「…………はい…………がんばります」
涙目で頷きつつ、シオンさんは目を細めてじっと『捜索』に集中されました。
──街に植えられた街路樹や花たちの声を聞き、彼らから吸血鬼の目撃情報を聞き出すこと。
なるほど、神山羊さんであるシオンさんにしかできない適任な捜査方法です。
カレイドさんが上空から探知しても良さそうですが、吸血鬼狩りはそもそも獣人そのものに対しても好意的な印象を持っていないそうなので、下手に刺激したくないんでしょうね。あと誤射で街が火の海になりそうですし。
私は苦笑しつつ、街中の私には聞こえない囁きに耳を澄ませるシオンさんの隣を、邪魔しないように静かに歩き続けました。
* * *
「…………どうでした?」
「……手がかりは何も。皆、そんな怪しい人物を見かけたことは無いようでした」
神獣の能力を使うことは、霊峰を降りた身であるシオンさんには疲労を伴います。
東区をぐるっと回り終えた私たちは、足を休めようと街角の小さなカフェに入ってお茶休憩を取ることにしました。
しかしこれだけ探しても何も掴めない吸血鬼さんって一体……? もうこの街にはいないんじゃないでしょうか。
街を歩く間もちらほらと吸血鬼狩りの物々しい黒衣の集団を見かけましたが、街の人も怖がっているし、早く何とかしたいものなのですが。
コーヒーに2杯半砂糖を入れて差し出すと、シオンさんは「覚えてたんですね」とうれしそうに、少し青白い顔で弱々しく微笑みました。
こちらとしては忘れるはずもない超重要情報なのですが、それは内緒です。
「すみませんトールさん、病み上がりなのに無理をさせて。熱を出したと聞いて俺すごく心配で、お見舞いに行きたかったんですけど仕事が詰まっていたので何もできなくて……」
「ああいえ、寝ていただけなので大丈夫です!あと夢にならシオンさん出てきましたし」
「え……そうなんですか? どんな夢?」
「んー、それが実は記憶が曖昧なのですが……」
良い夢だったような悪い夢だったような、うれしいような悲しいような、総合するとよく分からないぼんやりした感想しか残ってないのです。残念ながら。
眉根を寄せているとシオンさんはそわそわとコーヒーカップの中身を軽く揺らして、意を決したように切り出します。
「あの、実は俺もトールさんの夢見ました」
「えっ、そうなんですか? すごい偶然ですね! どんな夢です?」
「…………んーと」
シオンさんは大切なアルバムをめくるような面持ちで目を細めると、やがて小さく首を振り、ふっと笑って呟きました。
「忘れちゃいました」
あれ、それは残念です。夢の中の私、失礼なことしてないといいですけど……
「ああでも、昨日はユージンさん、一昨日はエミリア先輩のご予定が空いていて助かりましたね。お二人の調停は素晴らしかったでしょう? とても尊敬している先輩方なんです、あとできちんとお礼を言わなくては」
「ああ……エミリア先輩と、ユージンさん。はい、二人ともきちんと俺の本能を抑えてくれましたし、人としても好ましかったです、でも」
シオンさんはふと口をつぐみ、それから、言いにくそうにおずおずと尋ねます。
「……あの。エミリア先輩とユージンさんて一卵性の双子なんですか?」
「は?」
思わずぽかんと目を瞬いて、首をくりっと傾げてしまいました。
……いや、獣人さんがどうかは知りませんがだって、まず男女の一卵性双生児はありえません。
おまけにお二人の顔は似ても似つかないし、その上エミリア先輩は21歳でユージンさんは24歳だったはず。
これが推理小説なら誤植を疑われるほどの迷推理です、賢いシオンさんにしては珍しいですね。
まあシオンさんにとっても否定は前提だったようで、可能性潰しという意味が強かったのでしょうか。
それにはすんなりと頷くと、本題に入るように息を詰め、そしてなぜだか顔をほんの少し赤くして、こんなことを尋ねました。
「ええと……じゃあ、その、深い関係だったりしますか? 一緒に住んでいるとか、その……」
濁される言葉と言いにくそうな雰囲気に、何となく意味することを察し、私もカーッと頬を染めます。
……た、確かにお二人は大人の男女ですし、距離も近いですけど、でもかつて聞いた先輩の言葉に嘘は無いと思います。
私は平静を装いつつ、ちょっと震えるカップを慌ててソーサーに置き、冷静に返答しました。
「いえ。お付き合いはされていないと伺っています」
するとシオンさんは意外そうな顔をして、それから何かを考察するように真剣な表情で視線を落としました。
そして顔を上げたとき、こちらを見つめる空色の瞳のまっすぐさに、どきりと胸を鳴らし目をそらせずにいると。
「……トールさん。俺の思い過ごしならいいんですけど、たぶんあの二人……」
私はシオンさんの言葉にただ耳を傾けました。
それからようやく口を付けたコーヒーの冷たさに、自分が呆けていた時間の長さを思い驚くのでした。
* * *
鍵を回してドアを開けると、真夜中の調停事務所は暗闇を箱に詰めたように黒く、カーテンを開ければぽっかりと開く穴のような大きな月がわずかにこちらを照らしてくれました。
ああ、いつの間にかまた満月が近いんですね。
「月、丸くなってきたね。グレイさんには悪いけどきっと綺麗な満月になるんだろうな」
背後から聞こえた声に、私は振り返らず、同じ月を見つめながら頷きます。
「来てくれるとは思いませんでした。ではやはり、あなたが吸血鬼なんですね?」
私はずっと月を眺めていたい気持ちを振り切って、ゆっくり後ろを振り返ります。
そして、そこに立っていた人────
闇でも映える金色の長い髪と、今は血のように赤く輝く瞳。いつも優しく名前を呼んでくれた口元から、わずかばかりの尖った牙を覗かせて微笑む彼女。
「このままでお話しよっか。オーラの範囲に入ると私も日和っちゃって話しづらいし……正体が目に見えてた方が追及しやすいよね」
「貴女を責めるつもりはありません。私が知りたいのは、なぜそうしたかだけですから。エミリア先輩」
月の光を浴びて佇む先輩は、人ではないものの美しさをたたえてそこに佇み──
ちょっとだけ恥ずかしそうに、獣の姿を私に晒すのでした。
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