第41話 吸血鬼事件3

「ハイ、38.5℃。審議の必要なし」

「行ぎまず……」

「病人に決定権はないよ。私から職場には連絡入れとくから全てを忘れてしっかり休むように」


 とん、と軽くミーナちゃんに肩を押されると、驚くほどあっさりとベッドに沈みこみ、私は呻きながら顔を覆いました。



 さて「温かくして寝るんだよ」とユージンさんにご忠告頂いたのに翌日、起き上がろうとしたらベッドから転がり落ちて慌ててミーナちゃんにより検温、ばっちり風邪を引いていたらしい私は今日はベッドの住人になること確定なようでした。無念……。


 テキパキと所長に休暇取得の申請を通し、自身の出勤の準備まで終えるミーナちゃんを眩しく見つめつつ、こっそりベッドから抜け出そうとしたら鬼の速さで戻ってきてベッドに押し倒されました。プロフェッショナル。


「死にたいの??」

「……今日、シオンさん、調停依頼を出してたんです……本が読めなくなったらきっと悲しい……」


 いっそミーナちゃんに殺されそうな剣幕にガタガタ震えつつ声を絞ると、彼女は呆れた様子で私の前髪を撫でながら言いました。


「あのさー、調停師ってトールちゃんだけじゃないんでしょ、一人ぐらい欠員出たって事務所もどうにか回してくれるって。それに吸血鬼が隠れてるかも知れない街で高熱だした人がうろうろするとかバカなの? 心配で私も仕事になんないよ。お願いだからちゃんと寝て元気になってね」

「………………はい」


 しゅんと落ち込んでいるとミーナちゃんはさり気なく私の鍵を奪いつつ(全然信用が無いですね??)安心させるように呟きました。


「吸血鬼騒動の余波でね、獣人もおいそれと居住区を出ようとはしないみたいだよ。キャンセルがあったからトールちゃんの抱えてた依頼はエミリア先輩が請け負ってくれるって。だからトールちゃんの神獣さんはちゃんと本が読めるから、余計なこと考えなくて大丈夫」


 ぐりぐり、と頭を撫でられて、エミリア先輩とシオンさんに申し訳なく思いつつ頷きます。


「……それにしても、吸血鬼の件は王都中を巻き込んだ問題になってるんですね……お役所にも何か?」

「ん。あの怪しいエセ牧師達、吸血鬼狩りだっけ? 住民課にも調査協力を要請してきたよ。王都に住んでる人間の出自に黒いところが無いか徹底的に洗えってさ…………吸血鬼なんかより怖いのは過労死だよトールちゃん、私が生きて帰ってくる頃まで熱下げといてね」

「む、無理はなさらぬよう……」


 戦地に赴く兵士のごとき後ろ姿を見送った後、一人になった部屋で私はほうっと天井を見上げて目を細めました。


「……熱なんていつぶりでしょう……」


 母が亡くなってからは、まだ赤ちゃんだったアルフレッドを私が育ててましたので、自分が倒れたら終わるという気合いだけでずーっと生きてきたようなものでした。

 自分は身体が丈夫なのだと勘違いしていましたが、単に気を張っていただけだったんですかね。


「アル、元気かしら……早く王都に呼べれば良いのですが」


 調停師のお給金が良いとは言っても歩合制、私の稼ぎはそこそこです。

 とても物価と賃貸料がお高い王都で、二人分の生活を養える余裕はありません。学費の積み立ても思うようには進んでいませんし。


 寂しい思いをさせていないかな、と胸が痛みますが、あの子は昔から強い子でした。寂しいのはきっと私の方なのです。

 姉さん、と無邪気に甘えてくれる声が懐かしくて、そっと目を塞ぎます。


「……アルは今15歳で、王立学院の規定入学年齢は18歳……あと3年は必死に働いて、できるだけ早くアルをこっちで暮らせるようにして……それから卒業までは学費を賄って……」


 アルが独り立ちするまでは父と母の代わりに私が支えてあげないと……あれ、その頃って私は何歳になってるんですかね……あー高熱のせいで数字がまともに数えられない……


「アル……アルフレッド、」


 5歳の春の日に我が家に舞い降りて、私をお姉ちゃんにしてくれた、あったかくて何よりも可愛い子でした。

 それからたったの1年でお母さんは死んでしまって、でも、あの子がただの一度も「会いたい」と口にしなかったのが、私には不憫でなりません。


 体が弱ると気持ちも弱気になるというのは本当ですね、アルフレッドのことを考えるとあの村に帰りたくなってしまうので意識的に遠ざけていたのですが、こうもまざまざと顔が思い浮かんでくるのでは参ってしまいます。

 だけどすがるようにぽろっとこぼれた名前はアルじゃなくて別の人のもので、私はぼーっと目を瞬きます。


「……シオンさん」


 …………なんでこんな時に。

 あー、あれですかね、彼はこのベッドで寝たこともあったし、今日は調停できなくて悪かったなーって思いもあるし、なんていうか……


「…………会いたいなー……」


 背中を走る寒気と汗、こみ上げる咳と倦怠感に苦しみながら、ただそう思って、私は目を閉じました。




 * * *



 それが夢の中だってことには、すぐに気づきました。

 だってどこまでも広がる青い草原には四季の花が共生していて、芽吹く春の上に冷たい雪が降り積もり、真夏の日差しがまぶしくこちらを照らしているから。


 そして何より、手が届きそうな距離で目の前に立つその人の白い髪の隙間からは、こんな間近ではお目にかかれないはずのふわふわした耳と立派な角が生えていたからです。


 だから夢ならいっか、と私は腕を伸ばし、そっとシオンさんの山羊の耳に触れます。

 ああ、柔らかくってあったかい。私が調停師である以上触れることは許されないと思っていましたが、まあ夢ですからね。


 現実なら拒絶されてそうな行為ですけど、シオンさんは気持ちよさそうに私の指を受け入れて、ふにふにとされるがままにしています。くすぐったいのか時折目を細めるのが可愛くて、私もつられて笑いました。


「ねえトールさん、これは俺の夢の中だから、俺が何してもきっと忘れてくれますよね」

「はあ。どっちかと言うと私の夢の中なので、シオンさんも忘れてくれるとうれしいですね」


 目が覚めて耳を触った罪で糾弾されてもやだなあと思っていたら、ふいにシオンさんは一歩踏み出して、ぎゅっと私を優しく抱きしめました。

 ふーん、夢でも、あったかいのってちゃんと伝わるんだな。

 私はそう思いながら、体格差で包まれるようになった姿勢にちょっと照れつつ、夢の中ですので素直に胸に頬をすり寄せて甘えます。


「あの、うれしいですけどどうしてぎゅっとしてくれるんですか?」

「好きだからです」

「すごいこと言いますね」

「夢の中ですからね。現実では絶対に言いません」

「絶対にですか? 何があっても?」

「はい。死んでも言いません」


 そっか、それは残念、と私は目を閉じます。

 まあ夢の中ですからね、深く考えても仕方ないでしょう。どうせ目が覚めたら忘れてるんだし今ぐらい、と、私は浅ましくも抱きつく腕に力を込めて、現実ではありえない幸せにうっとりと微睡むのでした。




 * * *




「…………んー」


 なんでしょう、なんだか恐ろしく自分に都合の良い夢を見ていたような……。もはや思い出せませんが。


 目を開けると熱はさっぱり下がってはいないものの、ふらつきながらも起き上がれるくらいには回復していました。

 あまり食欲もなくとりあえず水だけは飲んで、ぼけーっとベッドの上で壁を見つめます。

 んー、中途半端に元気になっても暇ですね……。


「……あ、そうだ、一応知識はつけておいた方がいいでしょうか……」


 私はずるずると毛布を巻き付けたまま立ち歩き、一冊の本を手に取ると再びベッドに寝転びました。

 ロキ君からありがたくお借りしている獣人さん辞典のような分厚いそれを開き、目次から『幻獣種』、次いで『吸血鬼』の表記を探り当てると、私はぱらぱらと頁をめくり視線を滑らせました。


「──獣人とは言っても吸血鬼は限りなく人に近い姿、生態を持つ獣である。完全獣化したとしてもコウモリのような翼と鋭い牙を生やす程度で、人化を最も得意とし、人との違いを傍目に推し量る術は無い。その本能を除けば」


 以降記述されているのは、よく知られる吸血衝動、それにより人の世から迫害されてきた歴史、吸血鬼狩りにより葬り去られた結末……大方は既知の情報でした。新たな知識としては、


「……吸血鬼の本能、吸血の衝動が芽生えるのは身体が成熟してから……概ね十六歳を迎えてからとされている。それ以前は自身に吸血鬼としての自覚や誇りもなく、まったく人間の赤子と同じように育ち成長すると言われている」


 ふむ、ということはもしかして十五歳までその意識なく住民としてこの王都に暮らしていた方が、十六歳を迎えたのを期に吸血鬼として目覚め、吸血鬼狩りに察知されるに至った……という可能性もあるのでしょうか?


 であればミーナちゃんたち住民課の皆さんに課せられた、住民の出自の確認というのも可哀想ですが重要な作業でしょう。……いずれにしろ、その吸血鬼さんが今の今まで血を吸わずに隠れていられる理由は分かりませんが。


 早く騒動が落ち着いてくれればいいなと思います。区長さんは部外者が幅を利かせているこの状況にお怒りに違いありません、そしてそのイライラの矛先はほぼ間違いなくシオンさんへ……かわいそう……



 さて本が読めるくらい調子が上がってきたぞーと思っていた私は頭を使ったせいで再び身体に鞭打っていたようで、本を顔にかけたままうなされていたところをミーナちゃんに発見されしこたま怒られました。

 ……そして結局3日も仕事を休む羽目になりまして、死にたさと戦いながらどうにか元の調子を取り戻したのでした。


「ああそういえば……吸血鬼騒動は解決したんですか?」

「んー、停滞状態。全然見つからないけど奴らも諦めないし……でも、住民課の調査の方は終わったよ」

「そうですか! お疲れさまでした。して、結果のほどは?」

「…………ううん、怪しい人はいなかったよ。いっそサクッと見つけてお引き取り願おうと思ったけど無駄足だったね」

「まあ……」


 うーん、ますます謎は深まりますね……

 いえ、探偵ごっこをしてる暇はありません。私は調停師ですので、お仕事を頑張るのみです。

 無理だけはしないでねと念を押してくれるミーナちゃんに笑顔で返し、私は久しぶりのシオンさんからの調停依頼に胸を躍らせ出勤するのでした。

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