第35話 二人だけの庭
宮殿を抜けて青空の下に戻ってからも、シオンさんは一度も振り返らず大きな歩幅でずんずんと前に進んで行かれました。
悲しいことに我々の脚の長さには随分と格差がありますので、私は早歩きのような格好になり、端から見たら何ともちぐはぐなことになってます。あと今にもつまづいてシオンさんごとすっ転びそうで怖いです。
「あ、あの、シオンさん。待って……」
「……………………」
「あ……あのっ! すみません! 立ち止まるか、もう少しゆっくり歩くか、あるいは脚の長さを今すぐ短くしていただけるとありがたいのですが!」
「…………」
ぴた、と歩みを止めて、シオンさんはくっくと笑って広い背中を揺らしていました。
選択肢その1を選んでいただけたようで何より、と私は胸を撫で下ろします。よかったその3じゃなくて……
シオンさんは笑いを堪えつつようやくこちらを振り返り、それから、ばつが悪そうに恥ずかしげに眉根を寄せて苦笑しました。
「……ごめんなさい、ついむしゃくしゃしてしまって……。子供っぽくてすみません」
「ああいえ、そんなことはないです」
というかシオンさん、二つ年下のはずなのに私より大人びていて焦るぐらいでしたので、年相応な顔を見られるのはうれしかったりします。あんな風に怒ったりもするんですね。
「俺、本当にあの人苦手で……。いい人だと思うし尊敬してるところもたくさんありますけど、女性関係の奔放さだけはどうも理解できなくて。あの、他に何も嫌なことされてませんか?」
ああそう言えば、ソーマさんに泣かされた草食種の女性はみんなシオンさんの所に抗議に来るんでしたっけ。温厚なシオンさんの本気で嫌そうなお顔に、日頃の苦労がうかがい知れます。お疲れさまです。
んー、嫌なことって言ってもソーマさん、シオンさんとほぼ同時にご帰宅されましたので接触はほとんどなかったで、す……し……
「…………ハッ」
……そこで私の耳たぶとか口の中とか臀部とかあられもないところにサーッと悪寒が走り、そこを這う指の感触がまざまざと思い起こされるのでした。思わず青ざめてガタガタ震えます。
「トールさん?」
「た、食べられちゃうかと思いました……」
「たべ、」
「ハーレムのおねえさまたちに……」
「あ、そっちですか?」
死ぬ程美人な肉食獣×10に宇宙人のごとく体を取り調べされた記憶が蘇り体を震わせる私に、なぜだかシオンさんも「???」と困惑しつつ顔を真っ赤にするのでした。いや何を想像したんでしょうか。
「……ハッ、いや、とにかく! これからはソーマさんから依頼があっても絶対にホイホイ受けちゃだめですよ。せめて男性調停師に限定するように所長さんに言っておいて下さいね。ね?」
「あ、ハイ。言うだけ言ってみます」
あの所長が私の意見をまじめに採用するかーと考えるとまあ首を水平に傾けてしまうのですが、シオンさんにこんなに不安げにお願いされては、私も頷くしかないのでした。
神獣会議の先輩が訴えられたりしたらシオンさんも困りますもんね。私としてもまたあのハーレムに放り込まれるのはちょっと遠慮したいです……怖……。
「全く……あんな自由な人に居住区の入門許諾権を与えるなんて区長も何考えてるんだ……」
「ああそういえば……入門許諾権って神獣さんならみんな持ってるものなんですか?」
「いいえ、現在許諾権を有しているのは区長、カレイドさん、ソーマさんの3人だけです。俺とミニョルはまだ十代だし議員の歴が浅いので、神獣ではありますがまだその権利はありません」
ふむ、なるほど。ということはやはり、居住区に人間が立ち入るなんて機会、そうそうないことのようです。
くるりと青白い居住区の街並みを眺めながら、次にここに来られるのはいつになるのでしょうかと少し寂しく思います。
「トールさん、正門まで……」
「あ、はい。…………」
送ります、と言いかけてくれたシオンさんはしかし、私の目を見ると口をつぐみ、困ったように目を瞬きました。
……あ!しまった!「まだ帰りたくないなー」オーラがだだ漏れてしまった気がします!
ああ大人げない、ここは年上らしく颯爽とスマートに立ち去るべきところでしょうに……
などと羞恥に口を引き結んでいると、シオンさんは何だか居心地悪そうに視線をそらして、明日の天気を知らせるような何気ない声音で言いました。
「……あの、まだ日が落ちるには時間がありますし、良かったら家に寄っていきませんか? 俺、もっとトールさんと一緒にいたいです」
そう言って、とても可愛くはにかんだ顔に、私は返事も返せずただこくんと頷くだけなのでした。
* * *
ソーマさんのご自宅が引くぐらいキラキラした豪奢な宮殿でしたので、同じ神獣であるシオンさんの住居もそれと同じ傾向だろうと身構えていたら、案内された先にあったのはびっくりするほどこじんまりとした、かわいらしい一階建てのお家でした。
丸みを帯びた白い石造りのそれの横に、小さな庭があって、色取り取りに咲く花が風にそよそよと揺れています。
「ソーマさんの宮殿に比べると手狭ですみません。……本当は区長に、もっと大きなお屋敷みたいなのを用意してもらってたんですけど、俺は山育ちが長かったから雨風を避けて眠れる場所があればそれでいいので。広すぎても管理できませんし」
恥ずかしそうにそう言うシオンさんに、私はぶんぶんと首を横に振ります。
私も葡萄農家の娘でしたので分かりますが、お庭の草花はよく手入れがされていて、大事に可愛がられていることが見て取れます。
「その人の心根を知りたければ、その人が育てた植物を見てみなさい」
と、父がよく言っていたのを思い出し、私はふっと目を細めて笑いました。
「素敵なお庭ですね。みんな穏やかで生き生きとしています」
「山を捨てて降りてきた身で恥ずかしい話ですが、緑がそばにない暮らしができないんです。霊峰の大自然とは比べものにもなりませんけどね」
「いえ、私も自然に囲まれた田舎で育ちましたので、分かる気がします。王都に来てからずっと充実した日々でしたが、なんとなく寂しいような思いがしていたのは、きっと土に根ざす草花を恋しく思う気持ちだったのでしょうね」
私は庭の前にしゃがみこんで目を閉じ、すっと息を吸い込みました。
懐かしい土と陽の光と、生きてこの瞬間も育ち続ける植物の匂いがする。
遠くなった故郷と父と母、そして弟のことを思い、少しだけ切なくてきゅっと眉根を寄せます。
「トールさん……」
「……ごめんなさい。何だか、忙しくて考えないようにしてたことを一気に思い出しちゃって……。でも私、このお庭好きです。いつかまた見に来られたらいいな……」
ミーナちゃんとルームシェアしているアパートではさすがに家庭菜園は無理ですけど、鉢植えのお花ぐらいなら育てられるでしょうか…………
なんてぼんやり考えていると、隣のシオンさんはなぜだかぐっと拳を握り、力強く頷きながら声を上げられました。
「はい! 分かりました、早く出世して入門許諾権を行使できるように俺がんばりますね!」
「え? えっと、私が庭を見るためにですか? そこまでしていただかなくても……」
「打倒区長」
「権利の獲得条件が物理的だ!?」
よく分かりませんがメラメラ燃えているシオンさんに放水するのも気が引けて、私はくすくすと笑いながら、ぎこちなく手を引かれて家の中へと招かれるのでした。
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