第34話 獅子の宮殿と、花園
丁寧に髪を梳かれながらふいに耳を触られて、ヒクッと肩が跳ね上がります。そうこうしているうちに細い指でぱかっと唇を割り開かれて、口の中をじーっと覗き込まれました。怖い。
「ふーん、人間の女の子って本当に毛の生えた耳も牙もないのね」
「いやていうか私たちのそれらが全く出てこなくなったわね」
「調停師に近づくと獣化できなくなるってホントなんだ~」
「おもしろーい、ソーマ様も『超おもしれー女が来るから超可愛がってやれ』って言ってたものね!」
シオンさんが読んでいたSF小説の中に、宇宙人に体を調査されまくるシーンがありましたが、アレを彷彿とさせます。もはやされるがまま。
何しろ私は今、肉食動物の群れに取り囲まれているのですから。抵抗は無意味でしょう。瞬きすら出来ず目が乾いてきました。つらい。
「おうちにかえりたい……」
「やーん、ソーマ様の宮殿に招かれて帰りたがった女の子初めて見た~~」
「トールって変わってるよね、そういうところがお気に召したのかしら?」
さてさて、何がどうしてこんなことになったのかと思い起こすと、まず私を指名した依頼主は神獣会議の一人、
とにかく待たせるなという所長に急かされて慌てて正門を通ったところ、扉の向こうで待ち構えていた目がチカチカするような美女数人にあれよあれよと連行され……辿り着いたのは異国の宮殿を思わせる、妙に派手派手しく金に輝くソーマさんのご自宅なのでした。
そうしてその中の一室、広々かつギラギラしたサロンのような場所に放り込まれた私は、そこに集っていた美女の皆さんにじろじろと値踏みされ……
「地味ね。そんなことではこの弱肉強食のハーレムでは生き残れない」
という哀れみがすごい謎の同情をされた結果、こうして取り囲まれて髪やら顔やら爪やら熱心にいじくりまわされているのでした。ていうかおもちゃにされてます、お人形的な。
「完全に騙された……」
そういえば会議で初めて会った時ソーマさん、オレのハーレムに入れてやるハハハ的なことを仰ってましたが……あれ本気だったんですね。さすが百獣の王、有言実行の強引さが桁違いです。
一夫多妻制なライオンさんのハーレムは10名ほどで構成されていて、一人一人が宝石のごとく鮮やかに輝くとんでもない美女でした。
ちらっと見えた耳の様子から、ソーマさんと同じ獅子や豹や虎なんかの狩猟系肉食獣人さんがほとんどのようです。強い、圧が強い。
みなさん妙に艶めかしいオーラを纏っておりまして、私などはもはや村から転がってきて迷い込んでしまった芋のようなものです。本当に帰りたい。
「ねえトール、どうしてそんなに死んだ魚みたいな目をしているの? ソーマ様の寵愛を受けられるなんて至上の喜びじゃない。あの直視できないほど輝く顔面と逞しい肢体、驚異の俺様オーラになびかないなんてどこかに頭ぶつけておかしくなったの?」
「あ、私知ってる。トールって確か草食王子のお気に入りなのよね」
誰でしょうその質素なのか高貴なのか分からない二つ名の人は……。
とぼんやり瞑想しましたが、どなたかが「ああ、この前のお祭りの最後、花のあれは良かったわね。ソーマ様の火の輪くぐりの次に痺れたわ」と呟いたので、どうやらシオンさんのことらしいと遅れて察します。
彼が私の調停で図書館に通っているということは居住区でも知られていることなのでしょうか、お気に入りと言われるとちょっと気恥ずかしいですが誇らしい気もします。
「あ、そうなの? でも私あの子ちょっと苦手だわ」
意外な発言に思わず反論しかけましたが、ちょうどその瞬間に尻尾が生えてないか確認(手段は説明を割愛します)されてましたので口を開くこともできませんでした。こわい……。
んー、シオンさん、あんなに人当たりの良い方なのに?
「ソーマ様には負けるけど良い男だし、祭りでの雄姿もなかなかのものだったでしょ? お茶でもいかがかしらって声をかけたんだけど、すぱっと断られちゃって」
「そりゃそうよ、神山羊って
「みんなに等しくめいっぱいの愛を与えてくれるソーマ様ってやっぱり偉大だわ~」
そこからは、キャー、とソーマ様がいかに最高かを語り合う会が始まってしまいました。
うーん、ハーレムってもっと嫉妬とか蹴落とし合いとか殺伐としてるのかなと思いましたけど、なんだかみんな幸せそうだし仲良しなものなんですね……。混ざりたいとは思いませんが……
「あの……番って人間で言う結婚のようなものなんですか?」
「え? そうよー。特に神山羊の男性は愛情深くてね、番になった相手だけを死ぬまで守り抜くらしいわ。草食王子も成人を迎えてるし、そろそろ誰かを選ばなきゃいけない時期なんじゃないかしら?」
「はあ……」
シオンさん、いっそ図書館の本と結婚しそうな感じで全くそんな様子ない気がしますけど……。
でもなんだかざわざわして、落ち着かない胸に眉根を寄せていると。
「待たせたなオレの花たち!! ただいま帰った、さあ高らかに叫ぶが良い!!」
「ッキャーーーソーマ様おかえりなさーーーい!!!!」
バーーーンと開かれたドアとドカーーーンと部屋に響き渡った雄々しい声、そしてそれをかき消すほどの非常に訓練された甲高いソーマ様コールに私は面くらい耳を塞ぎました。こ、これが主を迎え入れたハーレムの熱狂……!
ツカツカと金の髪をかき上げながらこの上なく格好良く闊歩して来たソーマさんは、迷わず私の前で立ち止まるとフッと顎を上げて高らかに述べました。
「よく来たなトール、歓迎しよう。どうだオレの花園は? 最高だろう、オレの瞳に映るお前もまた最高に綺麗だぞ、手も出さずに散々放置してるシオンの分もめいっぱい可愛がってやろう。ハッハッハ」
「えーと……調停じゃないなら規約違反ですので帰らせていただきたいんですけど……」
これでもかと男性的なゴツゴツして分厚い指を顎に添えられ、クイッと上向けられると、黄金色の力強い瞳に自分のまぬけな顔が映っているのが近くでよく見えます。はあ、確かに綺麗ですね、ソーマさんの目が。
なんてぼんやりしていたら、いつのまにか太陽のごとき吸い込まれそうな瞳がほぼ目の前にあって、そして触れそうなぐらいにソーマさんの顔が近づいていることに気づいて、熱い吐息に息を飲みかけた直後。
「ほんっっっとにいい加減にしてくださいよこの肉食バカ!! 今日は妙に浮かれてると思ったら……ここにトールさんが入ってくのを見たって情報もう漏れてるんですからね! 先輩だろうが今日という今日は絶対に許さ……な……???」
ドカドカと椅子を蹴飛ばす勢いで部屋に乱入してきた草食王子──もとい、シオンさんが、ほぼ接触しかけていた私とソーマさんの唇を見て目を見開き、絶句して立ち止まりました。
「シオンさ……」
「…………表に出て下さいソーマさん。完全獣化して決着を付けましょう」
「シオンさーん!?」
「ハッハッハッハ! 面白い、ヤギがライオンに勝とうってか? 優等生ぶったつまらん男だと思ってたがたまにはアホほど面白いことを言う! いいぜシオン、オレも霊峰の神とはいつか力比べをしてみたいと思ってたしな。肉食と草食の統括同士、どちらが上かはっきりさせようじゃねぇか!!このトールを賭けて!」
「いや勝手に賭けないで下さい本当に帰っていいですか!!??」
ワッハッハとがっちり腕に抱かれて退路を塞がれ大迷惑していると、ふいに視線の先のシオンさんの頭に、黄金色の角が鈍く光を放っているのが見えてぎょっと目を剥きます。ちょ、ちょっとちょっと、ここで獣化はさすがにまずいです!
「っ……、すみません、ご無礼をお許し下さいっ!」
「おっと」
私はドン、と力いっぱいソーマさんの厚い胸板を押しのけて腕の中から逃れると、キャーキャー楽しんでるハーレムの皆さんをかき分けてテーブルの上に土足で飛び乗ります。
そしてテーブルの向こう側、神々しい光に包まれて唖然とした顔をしているシオンさんを睨むと、勢い良くそこに向かって飛び降りました。
「そりゃー!!」
「あ痛っ!?」
どーん、と飛び込んだ勢いのまま、シオンさんは私ごと床に倒れ込みます。
当然その体は調停師のオーラの範囲内、眩いばかりの光もたちまち消えて、角も消失しシオンさんはいつもの姿に戻ってただただ目を瞬いていました。
…………ま、間に合った…………。
宮殿の大崩落を防いだ達成感で私は息を吐きます。神山羊さんはとにかく大きいですからね……。
「すみませんシオンさん、強硬手段に及んでしまって……頭打ったりしてませんか?」
「あ、はい、してませんけど、あの……」
さっきまで怖い顔をしていたシオンさんが一転、目を丸くしてみるみるうちに顔を赤く染めていくのを、不思議に思って眺めていると。
「……こんな!大勢の人の前で!こういうの! 良くないと思います!!!」
「あ」
冷静に考えると完全に押し倒したポーズになっていることに気付き、私も遅れておそろいに赤面するのでした。
「トールってば真面目そうに見えて大胆ね~」
「ハッハッハ別にいいけど一応ここ人の家だぞー」
「やーんソーマさま気前が良い~~」
やんややんやとハーレムの皆様にはやし立てられて羞恥に頭を抱えていると、ひょいと起き上がったシオンさんに手を引かれ、そのまま無言で引っぱられてしまいました。
ずかずかと大股で宮殿の廊下を進む無言の背中に、ピリピリしたものを感じてちょっと怯えつつ声をかけます。
「し、シオンさん、あの……」
「…………口。さっきの」
ああ、と指で唇に触れて、そういえば本当にあと数ミリまで近づいてましたね、と今さらながら肝が冷えます。
婚約はしたことがありますがキスはまだしたことがありませんでしたので、残念な初めてにならずに済んだのは、シオンさんに感謝しなければいけないでしょう。
「おかげでギリギリくっつく前に未遂で終わりました。ありがとうございます、シオンさん」
「……別に、トールさんのためにやったわけじゃないので」
なぜだかいつもの優しさを引っ込めてそっけなく言う声に、私はちょっとしゅんとしつつ、でも握る手のあたたかさにほっとして、少し弾む足取りで宮殿の外へと手を繋ぎ進むのでした。
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