第33話 名前のない関係


「え? それで?」

「はい。それで昨日はそのまま一言も喋らずに読書に集中されまして、十冊も読破されてとっても幸せそうでした! シオンさんてすごく読むのが速いんですよ。帰りの馬車で感想を教えてくれる顔がまた無邪気でとても可愛くて……次は私もおすすめの本を読んでみようかな、って話をしてお別れしました」

「いやお別れすな!!!」


 バターンッ、とエミリア先輩がテーブルを叩くと、上に所狭しと並べられた皿やコップが軽やかに跳ねます。

 倒れかけたコーヒーカップを慌ててキャッチすると、脇のデスクで書類とにらめっこしていた所長が「備品!」と叫んで大きく咳払いをしました。無視します。


 時刻は昼下がり、王都獣人調停事務所、いつものソファの上に腰かけて。

 私とエミリア先輩、そしてフロム先輩(調停前なのでさすがに着ぐるみではありませんでした)の三人は、次の依頼の前に腹ごしらえを済ませようと、デリで買ってきた軽食を机に並べてランチタイムを楽しんでおりました。


 女子三人が揃うことも珍しいのでとてもうれしいです。なんか脇のデスクからたまに野太い呻き声が聞こえるのを気にしなければ最高の昼食と言えるでしょう。

 いえ、次の依頼があるのは先輩たちだけで、私は今日も雑務と所長のコーヒー係で一日を終えそうなのですが……。


 ちなみに男性陣三名は現在調停で外出中。ソファにかけられたブラウンのジャケットは確かユージンさんの物、朝出勤した時に置いていったのでしょう。今日は少し暑くなりそうですからね、お疲れさまです。


 なお、狼男のグレイさんは本日、居住区で不死鳥区長さんに呼び出されてるとのことでご不在です。

 昨日準禁種の話を知った後ですから、それがおそらくシオンさんの言っていた『安全な居住のための審査』とやらであることは想像が付きました。本当に難儀な指定ですね……。

 そのせいで所長は雑務が増えていつも以上に機嫌が悪いです。本来は彼の仕事なので同情の余地は皆無ですが。


 ──さて、そんなわけで先ほど、昨日のシオンさんの調停についてエミリア先輩にわくわくと詰問されましたのでありのままご報告したところ、先輩はひどく落胆し憤慨されるのでした。


 浮いた話がなくて申し訳ありませんが……。でも私としては、ようやく婚約のあれこれも区切りが付いたばかりだし、今はただそばにいられるだけで幸せだったりするのです。シオンさんも清々しいほどにいつも通りですしね。

 美人は取り乱しても絵になりますね、とまじまじ見つめながら、あお虫のごとくサラダを咀嚼します。


「いやいや……あっちもなんでさっさとはっきり言わないかな、まあ理由は大方予想がつくけど……。シオン君てばこんな甲斐性無しだと思わなかった、ガツンといこうよガツンと! こんなんじゃ最近しょっちゅう一緒に野球観戦してるらしいロキ君の方がよっぽどデート感があるよ!」

「先輩先輩、私セカンドゴロを狙う天賦の才があるってロキ君に褒められました!」

「あーはいはいよかったねえなんてピンポイントな才能なんだ攻略されてボロ負けしてしまえ!」


 シオンさんからの依頼が無いと適度に暇していた私ですが、牛のロッテちゃんやお祭りで知り合った猫舌ネコさんがたまーに依頼をしてくれるし、死んだ目をしているとロキ君が子犬獣人さんの野球調停に混ぜてくれたりするので、そこそこ事務所の雑用係を脱却しつつあります。良い傾向です、この調子で所長と顔を合わせる時間をどんどん短縮していきたいものですね。


 ……というか、私のことよりも。


「あの……。懇親会の時からずっと気になっていたのですが、エミリア先輩とユージンさんはいつからお付き合いされてるのですか? 差し支えなければ色々聞いてみたいのですが……!」


 そう、ずーーーっと気になってたのに修羅場やら祭りの準備やらで聞けずじまいだったのです。

 お二人の間に流れるただならぬ大人な空気。村育ちで恋愛経験値ゴミな私としては憧れのカップルです、ぜひともご教授いただきたい!


 だけどエミリア先輩はきょとんと目を瞬いて、小海老のフリットをぽいっと口に放り込んでむぐむぐと首を傾げました。


「え? 付き合ってないけど」


 ………………ん゛っ?


「はい?」

「やだなートールちゃん、なんでよりによってユージン? そこはせめてグレイさんとかシャッフル君とか、百歩譲ってロキ君にしてほしかったよ」

「本人を目の前にしてるから敢えて一人だけ除外したんだよな?」

「あーほら所長がめんどくさいこと言い始めちゃった……やめてよねトールちゃん、私、あんなお小言ばっかの頭でっかちな奴全っっ然タイプじゃないから」

「悪かったな、お小言ばっかの頭でっかちな奴で」


 ツーンとそっぽを向いてしまったエミリア先輩に困惑していると、ふいに事務所のドアが勢い良く開けられて。

 走ってきたのでしょうか、そこで息を切らす男性──お小言ばっかの頭でっかちな奴ことユージンさんが、少し眉根を寄せてエミリア先輩を軽く睨んでいたのでした。


 すたすたと早歩きでこちらに歩み寄るユージンさんに、エミリア先輩はうっと目を細めて、所在なさそうに海老のフリットをぽいぽい口に放り込んでいます。リスっぽくて可愛いですね。


「ユージンさん、調停お疲れさまでした。これから休憩ですか? よろしければご一緒に……」

「ああいや、この後すぐにもう一件入ってるんだ。お気遣いありがとねトール君。上着のポケットに指定場所のメモ入れてたのすっかり忘れてて……ああ、あった。それじゃ行ってきます」


 ユージンさんはもそもそと海老をほおばるエミリア先輩の脇にジャケットをかけ直すと、爽やかに微笑んでくるりと踵を返されました。

 こ、これが売れっ子調停師の振る舞い……! これから食後のデザートまでのんびり味わおうとしていた私の時間を分けてあげたい!


「せわしねぇなーユージン、コーヒーぐらい飲んでけば?」

「あのねえ、ほいほい依頼受けてギチギチにスケジュール詰めたのあんたでしょうが……こっちは昼飯食う暇もありませんよ。休憩分ちゃんと付けてもらいますからね」


 所長を睨みつつ早足で通り過ぎようとしたユージンさんでしたが、しかし翻したネクタイをくいっと引っぱられてカエルみたいな声を漏らして強制停止しました。


「ぐえっ」

「ユージン、またネクタイ曲がってる。そろそろ結び方ぐらい覚えなよ」


 エミリア先輩が軽くネクタイの先を引くと、ユージンさんは何だか慣れた様子で身をかがめ、彼女の白い指が首元に届くように丁度良く姿勢を落としました。


「お前がこうやってすぐ結ぶから練習する機会が減ってる気がするんだけどなー……」

「は? 人のせいにするのやめてよね。ほら行ってらっしゃい」


 目を瞑っても出来そうな手つきであっという間にネクタイを結び終えると、エミリア先輩は呆れ気味にとん、とユージンさんの肩を押して口を尖らせました。


「うん、じゃあなエミリア、また後で。ごちそうさん」

「あーー!最後の一個だったのに!!」


 ひょいっとエミリア先輩から小海老のフリットを一つ奪い、一瞬で飲み込んでから、ユージンさんは振り返らずに颯爽と事務所を後にして行かれるのでした。


「………………」


 流れるように目の前で繰り広げられたやりとりにぽーっと頬を赤くする私の横で、当のエミリア先輩は

「海老泥棒!信じらんない! 所長っ、給料から天引きしといて下さい!!」

「小エビのフリット一個分をかぁ?計算めんどくさいわ」

 などと所長とやんややんや口論しておられました。


 つ……


 つきあってない……ツキアッテナイって、何……?


 アルフレッド、姉さんは今人生で一番困惑しています、村では二十歳超えた男女がちょっとでも仲良かったらおじいさんおばあさんズに取り囲まれてハイ入籍入籍~って感じでしたよね……!?


 私の困惑の収束を待たぬうちに、ジリリと所長のデスク上で電話のベルが鳴り、めんどくさそうに応対した所長がめんどくさそうに声を投げてきます。


「エミリア、依頼主が予定を15分繰り上げたいってよ。行けるか?」

「おっと……ええ、問題ありません。それじゃあフロム先輩、トールちゃん、またご一緒しましょうね」


 飲みかけのコーヒーをくいっと飲み干して微笑むと、エミリア先輩は艶のある長い金髪をなびかせて、これまた颯爽と調停に向かわれるのでした。

 事務所に取り残され、私はしばらくぼけーーーっとしてましたが、すぐに慌てて目を見開き叫びます。


「ふっ……フロム先輩、本当にあの二人なんでもないんですか? 都会ってこわい!」

「男女とは奇々怪々なもの……ユージン君の好みはお淑やかな女性だし、エミちゃんの好みはグイグイオラオラ系……ちなみに私は」

「それは聞かなくてもよく分かるのでダイジョウブです」


 モフモフについて熱く語り始めてしまいそうだったのですかさずキャンセルを試みると、先輩はしゅんと肩を落としてしまいました。

 いや、フロム先輩には次の依頼がありますから、こんなことで遅刻させるわけにもいかないもので……。

 先輩は残念そうにしつつ、ちらと私を見て、ぽそっと告げます。


「……でも、エミちゃんを調停事務所にスカウトしてきたのはユージン君だから。師弟関係というのが近いのかもしれない……」


 なるほど、師匠と弟子、ですか。

 うーん、でも本当にそれだけなんでしょうか……?


 なんて思ってたらまたまたベルが鳴り響いて、所長は舌打ちしつつ乱暴に受話器を取ります。


「はいはい王都獣人調停事務……所……あ?」


 受話器の向こうから聞こえた声に応じてか、見る見るうちに所長の半目は見開かれていき、冷や汗まで流れていく様に私も目を見張ります。

 どうやらお相手はよっぽど驚くべき人物のようです。


「あー……承りたいのは山々ですけどね、生憎あなたを調停できそうなうちの稼ぎ頭ツートップはついさっき外に出たばかりで……え? 指名がしたい? は??? 正気か??」


 まあるくなった目がこちらに向けられ、私は「へ」とまぬけな声を漏らします。これはもしや。


「ホープスキン、ご指名だ。行ってこい」


 なんと! 久しぶりのシオンさん以外からのご指名です、これは俄然気合いも入るというもの!


「はいっ、謹んでお受けいたします! それで場所はどちらに?」

「居住区だ。既にお前の名前で入門申請も下りてる」


 居住区?

 居住区に入門許可を出せる獣人さんなんてごくごく限られているのでは……。

 でも区長さんは今、準禁種の審査とやらをしているはずですから……


「二人目の神獣調停とはいいご身分になったもんだ。心してかかれよホープスキン、アレのご機嫌を損ねると俺の首が飛ぶからな」


 顔をしかめてそう言う所長に、いや別にそれはどうでも、と思いつつ、私はごくりと唾を飲み込み気を引き締めるのでした。

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