第29話 祝祭の夜に②
ブラッドは隣とは呼べない距離のところで足を止めて、気まずそうに視線を泳がせていました。
私は石段に座ったまま夜空を見上げ、そこを支配するカレイドさんの雄姿を眺めてつぶやきます。
「あの竜、悪い人を見つけたら焼き払ってくれるそうですよ」
「えっ」
「悪いことをしたっていう自覚はあるんですね。良かったです」
揚げて蜜をかけたほくほくの芋を味わいつつ言うと、青い顔をしていたブラッドはハッとしたように目を見開いて、私に向かって深々と頭を下げました。
「……済まなかった。君を手酷く裏切った上に助けられた。トールのおかげでうちの醸造所は何とか潰れずにやっていけそうだよ。本当にありが」
「発注をかけたのは役所の方だと聞きましたが。私は何も。こんな風に仕事中に会いに来られても迷惑ですよ」
「…………そう、だね。でも、ありがとう」
無視していると、ブラッドは上空の古代竜を物珍しそうに見上げて、「すごいな、獣人なんて初めて見た。本当に調停師になったんだ……」と呟きました。それから再び頭を下げて、言いにくそうに続けます。
「その、急にうちみたいな田舎の醸造所に都から発注があるなんておかしいと思って問い詰めたら……エリーゼが君の職場に押しかけたって聞いて」
当時の様子をまざまざと思い出して目が死んだ私を見て、ブラッドは下げる頭を深くしました。土下座されたら吐いてたかもしれません、トラウマが根深いな………。
「本当に申し訳ない、彼女にも厳しく言ってあるけど、今後二度と俺も彼女も君に近づかないと誓うよ。アルフレッド君に迷惑をかけることもしない。それだけは安心して欲しい」
私はブラッドの方を見ないまま、時計の針を見下ろしつつ呟きます。
「エリーゼさん、あなたに説明をした時に泣いてました?」
「え? いや、言いにくそうにはしてたけど泣きはしなかったな……」
「そうですか」
だったらずるいなぁと思っていたので、それを聞いて少しは気が楽になりました。
……私がエリーゼさんに対して一番腹を立てていたのは、こっちは母が亡くなってからもう十何年も泣けなくて困ってるっていうのに、素直に涙をこぼして周りに甘えられる、あの器用さだったのだと思います。
「……在庫の件では、随分苦労をしたみたいですね。少し痩せたんじゃないですか」
ちら、と一瞬だけ顔を見てまた視線をそらすと、ブラッドは何だか死にそうな乾いた笑いと共に震える声で返します。
「ああいや、それは別に……。というかアルフレッド君からのネチネチとした法律スレスレの嫌がらせが毎日凄すぎて先日ついに胃に穴が……」
「……うわ……」
アル、殺してないならとりあえずいっかーと思って敢えて詳しく聞いてませんでしたけど、やっぱり黙って大人しくしてるわけなかったんですね……。
「村中の人から『よお浮気のブラッド!』『ワシにもはいあーんしとくれよ浮気のブラッド!』とか笑顔で言われる……既に君の弟は村民すべてを完全に懐柔している、もはや裏村長だよ……」
「ゆ、優秀な子だと思ってましたが手腕を発揮しすぎてるっ……」
お母さん、トールはあなたの代わりにあの子を赤子の頃から一生懸命育ててきたつもりでしたが、なんか違う方向に成長しまくってしまった気がします……!
嘆いているとブラッドは苦笑して、少しだけ寂しそうに言います。
「トールは何だか変わったね。一瞬誰だか分からなかった」
「……まあ色々ありましたからね」
色々、と睨んでやると、痛そうに目を伏せてブラッドは黙りました。
「というかあなたがエリーゼさんに出会わなくても、あの夜に私が浮気現場を目撃しなくても、私たちの夫婦関係なんてすぐに破綻していたと思いません? だって私はあなたを愛していなかったし、あなたも私を愛していなかったんですから。むしろ早めに気づけて良かったんだと思います、そう思わないとやってられないっていうのもありますけど……」
「…………許してほしいとは言わないよ」
「許しませんよ。一生許しません。でも怒ったり恨んだりもしたくないんです、それってすごく疲れるし、時間が勿体ないから」
だから過去の男はお星様にしてさっさと前に進まなければいけないのだと、ミーナちゃんは言いました。
「私も、前にあなたが造ってくれたお酒を飲もうともしなかったから……ごめんなさい。エリーゼさんはあなたにお似合いだと思います、あんなにあなたを愛してくれる女性もそうそういないでしょう。大事にしてあげてください」
何か言いたげなブラッドを、「それに」と制して、私は目を閉じました。
「……あなたが私を捨てたから、私はこの街に来ることができました。お母さんがね、言っていたんです。『まだ知らない誰かのための、あなたにしかできないことがきっとある』よって」
ブラッドは静かに私を見て尋ねました。
「それはもう見つかった?」
「ええ、多分。だからもう二度と私の前に現れないでくださいね」
お星様がホイホイ地上に落ちたら大変でしょう、と笑うと、ブラッドは意味が分からなそうに笑って、大きく頷きました。
「さよならトール。今までありがとう」
「さようならブラッド。お母さんがいなくなった後、私のそばにいてくれてありがとう。どうか私の見えないところでお幸せに」
私はきゅっと目を閉じて、彼の足音が聞こえなくなるまで、じっとうつむいていました。
しばらくして目を開けると、そこには誰の姿も既になく、腕時計を見れば祭りのフィナーレ開始まであと5分というところでした。確か場所は居住区の中心、あの議事堂の乗っかった崖のある広場だったはず。みなさんそこに集まっているのでしょう、私も見える辺りまで急がなくては。
「……うーん」
でも、立ち上がろうとしたら全然足に力が入らずに私は困惑してしまいました。
なんだかさっきの会話で思ったよりも疲弊したみたいです………ああ、シオンさんを応援したかったのに情けない、でも彼のことですから私が見ていようがいまいが立派にお仕事を
「なんでそんな泣きそうな顔してるんですか?」
「…………。え?」
今聞こえるはずのない声に驚いて顔を上げると、聞き間違いでなく、いつの間にか私の目の前にいたのはシオンさんでした。
座る私を心配そうに空色の瞳で覗き込んで、聞いてます?と顔の前で手を振っています。なんでここに。
「トールさん、どこか痛いんですか?それとも何か嫌なことでもあったんですか?」
「……ああ、いえ、ただちょっとお星様とお話を……」
「なんですかそれ。トールさんてば変なの」
可笑しそうに笑うシオンさんにつられて口の端を上げかけてから、私はハッとして立ち上がり叫びました。
「いや、ていうかなんでシオンさんこんな所に!? もうすぐ神獣さんは大事なお仕事の時間でしょう、あと数分しかないですよ、早く行かないと!」
「むー……。トールさんこそこーんな寂しい所にいたら何にも見えないですよ? もっと近くで見てくれてないと俺が困ります。あと一応大事な用で来てるので心配には及びません」
「大事な用……?」
全然話についていけない私に、シオンさんはちょっとだけ気恥ずかしそうに目を細めて、小さく言います。
「トールさん、『がんばれ』って言ってくれませんか?」
「え? …………がんばれ?」
「はい! がんばります!」
シオンさんはぱあっとうれしそうに笑うと、くるりと踵を返して元気よく駆け出しました。
「トールさん、俺がんばるから、ちゃんと見ててくださいね!」
大きく手を振ってそう言うシオンさんでしたが、突如空から降りてきた竜のカレイドさんにあっという間にかっ攫われて死ぬほど怒られてました。
『おいこら馬鹿山羊、区長がブチ切れ寸前だよ!!遅刻なんかしたら居住区が火の海だよ!!』
「はーい……うるさいな……ではトールさん、また後で」
古代竜が巻き起こす羽ばたきの突風の中、私はぽかんと空を見上げ、小さくなっていく彼の姿を見送りながら小さく手を振り返すのでした。
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