第28話 祝祭の夜に①

 巨大な竜が空を舞い、勇ましい咆吼と歓声があちこちから沸き上がります。

 幻想的な歌声は祝いの歌を明るく紡ぎ、尻尾を揺らす人もそうでない人も、皆一緒に笑って踊っていました。


 そして私は──

 その全てから遠く離れた場所で、ひとり寂しく棒立ちしているのでした。


「なんで……」


 現在、無事に開催当日を迎えた、居住区を会場とした祭りの夜です。


 さすが神獣の祝福を受けまくったお祭り、空は当然のごとく晴れて満点の星が広がり、その下で屋根から屋根へと吊されたランタンが可愛らしく揺れて街を照らしています。

 中で揺らめく青い炎は不死鳥さんが分け与えたもので、落ちても燃え広がらず、夜通し消えることもないそうです。すごいすごい。


 さて華々しいオープニングセレモニーの後にスタートした祭りは、そこかしこで獣人さんたちによる数々の催しが早速披露されていて、その驚異的身体能力と獣由来の特殊能力を駆使したパフォーマンスに王都の皆さんも拍手喝采大盛り上がり!


 人間側が用意した美食三昧の屋台も大好評で、既に祭りは大成功と言っていい盛況ぶりを見せていました、たぶん。何も見えないので分かりませんが。


「…………まあ、よくよく考えるとそうですよね、調停師が近づくと獣人さんは能力を発揮できないわけですから……」


 私に命じられた仕事は、待機。

 祭りの喧噪からばっちり離れたところで待機し、獣人さんからの要望があれば、他の獣人さんの邪魔をしないよう注意しながら調停を行う。つまり必要なとき以外は邪魔なので隔離されてるのです。またの名を暇です。


「あの~調停師さんですか?」

「ハッ!? ハイッ、そうですがお仕事でしょうか! どこにでも付き添いますよっ、さあいざあっちの楽しそうな所へっ」

「あーいえ、ここでいいです。そのまま動かにゃいでください」

「えー……」

「あ、やっぱりこれおいしー。へへっ、アツアツのものは飲めないかにゃーと思ってたんです、ありがとう調停師さん~」

「…………どうも……」


 てこてこと歩み寄ってくれた、ネコ耳を生やした可愛らしい女の子は、私の隣で湯気の立つクラムチャウダーの器に口をつけて、ぺろりと赤い舌を見せて笑いました。

 ああ、猫舌だとつらいですよね、お役に立てたようで何よりです。しかしこの仕事アンテナ感がすごい。


 ……首から提げた名札、【調停師(半径1メートル)】の文字を見下ろし、私は項垂れます。


 他の調停師の皆さんはちゃんと持ち場があって、所定の範囲にオーラを放って祭りの運営をサポートしているのですが……。


 いかんせん私は範囲が狭すぎ、そして効果が強いので下手をすると飛んでいる獣人さんを地に落としてしまったり事故にも繋がりかねない、とのことでこうして非常要因的仕事を淡々とこなしているのでした。


 立案者のシオンさんには平謝りされましたが、まあ台無しにするわけにもいかないので仕方ありません。

 通りを行く人間も獣人もみんな楽しそうに笑っている、それを遠巻きに眺めるだけで私としてはうれしいものでした。


「……ああでも、私も鳥の獣人さんと空高く飛んだり、人魚さんの華麗な水中ショーを観たりしてみたかったです……」

「殺す気なのかにゃ?」

「身も蓋もない……」


 お礼を言いつつ去って行ったネコの獣人さんに手を振った後、また一人きりになり私はため息を吐きました。そして鳴るお腹。不用意に動けないので、目に見えるところに屋台があるのに買いに行くこともままならないのでした。

 うーんいい感じに風のある素敵な夜ですね……届く匂いが残酷にすばらしい……。


 なんて切なく目を細めていたら、ふいにすぐ真横から鼻腔をくすぐるおいしい香りが漂ってきた気がして、おお空腹のあまり嗅覚に幻覚が……などと首を横に振って自分を哀れんでいると。


「食べないならいいけど……」

「え? あ、食べます。いただきます」


 呆れたような声に慌てて反論を返して、私は目の前に差し出された焼き魚の串にかぶりつきました。うん、よい焼き加減と塩加減ですね、おいしいおいしい。


「…………。あ、ロキ君。こんなところでどうしたんですか?」

「順番がおかしい気がするんだけど……。フロム先輩が持ち場変わってくれたから、交代で休憩中。祭りが始まってからずーっとかき氷の屋台の脇に突っ立って、火蜥蜴サラマンダーの集団がなんじゃこりゃうまいうまい言ってるのを黙って見てた。疲れた」

「お、おつかれさまです………」

「やつら全部のシロップを試すまで手を止めなかった」

「新感覚だったんでしょうね………」


 火蜥蜴さんって体温高くて、氷も触ると溶けちゃうらしいですから、普段はかき氷なんてすぐお湯になっちゃうんでしょうね。やっぱりロキ君はみなさんの役に立つ良い調停師です。


「先輩がさ、あんたは動けないでいるだろうから飯運んでやれって。そのへんの屋台で適当に買ってきたから好きなの選んで」

「わあ、お気遣いありがとうございます……! お恥ずかしながらろくに仕事もしてないのに空腹でして、助かります」


 私は近くにあった低い石段に腰かけ、ロキ君の手から串やら器やらを受け取ると、ふともう片方の手に器用に持たれていたものに気付き目を瞬きます。


「それは私たちには過ぎたる贅沢品なのでは……」

「だ、大丈夫だと思う、ジュースで割ってもらったし……。それにせっかくの祝いの日に一滴も飲まないってのも寂しいだろ、やばそうになったら止めればいい」

「やばそうが分からないのが私たちのやばいところなのでは……? んー、でも、そうですね、せっかくですもんね」


 私は苦笑して、ロキ君からそのグラスを受け取ると──中で揺れる薄い赤紫色の液体を見つめて、小さく頷きました。


「では、無事に祭りが開催できたことへのお祝いと、今日の仕事への労いをこめまして。乾杯!」

「はい、乾杯」


 カコン、とグラスを打ち付け合って、私とロキ君はこくこくとその、葡萄酒のジュース割で喉を潤しました。


 ……うん、飲みやすいです、ロキ君相当ジュースの割合を多くしたのでは?ジュースの葡萄酒割という気がしないでもないですが、でもようやく一応は美味しく飲めたことに私はふっと吹き出します。


「……うん、美味いな。後から渋味が出るけど飲みやすい」

「ありがとうございます。父も喜んでると思います」


 グラスの中で揺れる葡萄酒の産地は、私の村です。

 今宵の祭りで振る舞われるお酒の大半は、父が育てた葡萄──ブラッドの家が醸造し、大量に抱えてしまっていた在庫から賄われていました。


「たまたまミーナちゃん……区役所の方から、困っているってことを聞けて良かったです。私の村は相当辺鄙な僻地にありますので、もう少し知るのが遅かったら輸送が間に合わないところでした」


 お酒の確保に苦労していた役所の皆さんは、ミーナちゃんからの情報提供を受けてすぐに村に発注をかけてくださったそうです。

 漏れ聞こえる評判は上々で、酒場の方が取り扱いを検討するような声も聞こえてきました。

 父がこのことをどう思うのかは分かりませんが、どうか母と一緒に、馬鹿だなあと笑ってくれていればいいなと思います。


「でもさ……これで良かったのか? あの浮気相手の女の子、横で見てても相当酷かったし。痛い目見させたままでも良かったんじゃないの、あんたの気持ち的にも」


 香ばしく焼かれた麺をもぐもぐ味わいながら、ロキ君は不服そうに眉根を寄せます。

 私はグラスから口を離して少し自嘲気味に笑うと、「そうですね」と頷きました。


「そりゃ、今でも腹立たしいですし、あの二人のことを許したわけでは全然ないんですけど……でもまあ、葡萄酒に罪はないじゃないですか。一応父の形見でもあるわけですし。こうして王都のみなさんに美味しく味わっていただけるのですから、そう悪いことでもないと思います。やはり父の仕事は最高でした」


 ふっふと笑って夜空に杯を掲げつつ、「でも」と目を細め、きょとんとしているロキ君に声を小さくしてこっそり告げます。


「これはロキ君だけに教えることですが…………本当はちょっと、ほんのちょっとだけですけどあの二人、思いっきり不幸になっちゃえばいいのになーって思ってます」


 内緒ですよ、と指を立てる私に頷きつつ、ロキ君は訝しげに首を傾げました。


「なんで俺にだけ?」

「エミリア先輩に言って悪い子だと思われたくないです」

「俺にはどう思われてもいいのかよ……」


 不機嫌そうに口を尖らせるロキ君にくすくすと笑っていると、つられたように彼も笑い、グラスを一気に傾けてから立ち上がって言いました。


「まあいいんじゃないの。偽善者よりは性悪の方がずっといい」


 休憩終わり、と言ってすたすた立ち去るロキ君を手を振って見送り、私は再び一人になってぼんやり空を見上げていました。


 真っ黒な空では、祭りの開始からずーっと、大きな竜が悠々と飛び回っています。

 硬質な銀色の鱗に覆われた、空を覆い尽くさんばかりに巨大な古代竜。神獣会議の一人、カレイドさんの完全獣化形態、なんだそうです。たまに楽しげに火を噴いてるのが何とも怖いのですが。


 居住区の開放、獣人さんと自由にふれあえる時間……なんて密猟者たちには夢のようなチャンスになりそうなものでしたが、ああして彼が上空から目を光らせ、不届き者がいようものなら容赦なく集中放火で抹殺するのだとか。おかげで今のところ何のトラブルもありません。


 古代竜は感覚が鋭く、悪意や敵意なんかも察知できるんだとか……まさに最強の警備兵といったところです。

 本人は「パトロールで牽制なんてしないであえておびき出して一網打尽にしたい!」と目を輝かせていたそうですが。

 大陸が一つでないのは、大昔に古代竜が派手に暴れて大地が割れたからだーとかいう神話もあるそうですが……あの血気盛んぶりを見るに、あながちただの伝承でもないのかもしれません……。


 遠く聞こえる楽しげな声は増していくばかりで、更ける祭りは佳境に差し掛かろうとしていました。

 腕時計を見下ろせば、もうまもなくで祭りのフィナーレの予定時刻。


 最後の最後は満を持しての、神獣5人によるスペシャルな催しが用意されてるそうなので、私もうんと離れた所でいいからちらっとでも見られたらなあと楽しみにしていました。


 何やらシオンさんもはりきっていたようですので、今日は残念ながらお会いできなさそうですが、影ながら応援したいと思います。


「あの……すみませんそこの方。少しお願いしたいことが」


 ふいに話しかけられて、私はハッと仕事中であったことを思い出し慌てて営業用の笑顔を貼り付けてにこやかに答えます。


「はい、調停依頼ですね。本日は調停料はいただきませんので何でもお申し付け下さい。ただもうすぐ神獣さんの催しが始まってしまいますので、あまりそちらには近づけないかと思いますが……」

「ああいえ、俺は獣人ではないんです。人を探していて、…………」


 そこで途切れた声に、ふと祭りの喧噪でよく聞き取れなかったそれが、生まれた時からよく聞き慣れた人のものだったことに気づいて私は目をこらしました。


 すると屋台から離れた暗がりの中、その人も目を瞬いて私を見下ろしていて、それから同じぐらいのタイミングでお互いが誰なのかを知り、まぬけに呟きます。


「トール…………」

「あー……………久しぶりですね、ブラッド」


 私たちの気まずさなど下界の些事だと言うように、上空では古代竜が楽しげに翼をはためかせ、景気よく火を噴いて笑うように吠えていました。

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