第27話 変わる


 祭りの開催をいよいよ来週に控え、王都全域は正しく浮き立つような陽気に包まれていました。


 住民の皆さんの話題はそれで持ちきり、そこかしこに可愛らしい獣の手形が推されたチラシが貼られて、店先ではお祭り記念特価という若干便乗感のある文言も踊りまくるわくわくっぷりです。

 長年にわたり育まれた、王都のみなさんの獣人さんへの好意の爆発が見て取れるようで、どうにも微笑ましいものでした。


 ──しかしお祭りは準備をしているときが一番楽しいものだとも言いますが、それはちょっと中心から外れたところに位置する人たちの意見で、実際に佳境の渦中にいる人はそんなことも言ってられないのかもしれない、と、当日の働きに全力投球な調停師の私としては思わなくもありません。


「……ミーナちゃん、今日も日付変更ギリギリにご帰宅でしょうか……」


 祭りの運営面を担うお役所は通常業務にプラスという点で大いに大忙しなようで、ミーナちゃんの過労っぷりも日に日に激しくなっておりました。今朝もボーナス……ボーナスガオリルカラ……と呪文のように唱えて出勤していかれましたが……ルームメイトとして私は心底心配です。


 私たちの住む部屋は家賃重視でしたので手狭ですが、シェアしているだけあって一人ぼっちだとそれなりに寂しさを感じる程度には広々です。


 真夜中近くのしんとした空気を噛みしめながら、私はベッドの上で膝を抱えて一つあくびをしました。ぜひミーナちゃんに一言お疲れさまを言いたかったのですが、待っている間に寝落ちしてしまうのが怖くて慌てて頬を叩きます。


 ……それに個人的に、この部屋に一人でいると、余計なことを思い出してしまってどうにも困ります。


 この部屋で二人きりで過ごした朝、居住区までお見送りをした後、シオンさんは「しばらく図書館には行けないと思います」と残念そうに笑って肩をすくめました。


 居住区側の祭りの中核を担うのはシオンさんを含めた神獣さん達ですから、それも当然のことなのですが……どうにも身勝手に「寂しい」なんて思ってしまう自分が嫌で悶々とした日々を過ごす始末なのでした。

 それこそエリーゼさんの襲撃のことなんて記憶の外に放り投げられるほどに……あ、いや嘘です、やっぱり思い出すと背筋が寒くなります。

 ……なんてぼんやりシーツを足で蹴ってごろごろしていたら、


「ほぉほぉ、ここが白き霊峰の神が朝帰りする羽目になったっちゅう神子の部屋か。愛の巣にしては殺風景よのう、もっと火とか焚いたらどうじゃ?手伝うか?」

「ギャーーーー!?」


 突然室内に響いた素っ頓狂な口調のお声に、一人センチメンタルモードだった私は太めの悲鳴を上げてベッドから落ちかけました。


 慌てて顔を上げれば、いつの間にやら開け放たれた窓に足を組んで腰かけて、カーテンと赤い髪をなびかせて優雅に微笑む少女──不死鳥区長さんがおられたのでした。


「く、区長さん? なぜここに、獣人さんの夜間外出には許可がいるはずでは……」

「あのなあトール、その許可を出すのが一体誰だと思うとるんじゃ? こないだ泥酔したうちの馬鹿山羊をここに泊めるのにゴーサインを出したのも妾じゃろうが。何、すぐに帰るよ、邪険にしないでおくれ。今宵はただな、そなたにお礼を言おうと思うたのじゃ」

「お礼?」


 とりあえずコーヒーでも入れようかと立ち上がった私をすっと手で制し、区長さんは恭しく礼をして言いました。


「シオンのことじゃよ。あれが後先考えずに酒を奪って一気飲みしたあげく他人に説教してぶっ倒れたと聞いてな、妾は一生分爆笑したわ……ありがとうなトール」


 クックック、と含み笑いと共に可愛らしく目を細める区長さんに、私は戸惑って曖昧に首を傾げます。


「あれはな、居住区に来たばかりの頃はほんっっっにつまらない男での……一応お利口に愛想良く笑いはするが、揶揄っても怒らんし、弄くり回しても泣かんし、感情の波がとにかく平坦での。まあ神獣種なんて獣人の中でも一等人間臭くないのが特徴なもんで、妾達みたいなのの方が異端なんじゃけども。」


 ふう、と足を組み直しながら区長さんは肩を揉み、「でもな」と私を見つめます。


「『俺、図書館に行ったんです』などとドヤ顔で報告してきおった日から、くるくる表情変えるようになっての……まあ妾に反抗するし一丁前に意見するしムカつく変化じゃったけど、いい具合に年相応の顔をするようになった。はあー読むだけでここまで情操が養われるとは本とはやりおる代物よのー、などと思うとったもんじゃが、原因はそれだけではなかったというわけじゃな。トール、そなたがあの神山羊を凝り固まった神の座から引きずり下ろして、ただの生意気なクソガキに変えたのじゃ。妾はそれをうれしく思う。だからありがとうな」


 私がぽかんとしているのを満足げに見下ろして、区長さんは「さーて」と窓枠の上で伸びをすると。


「そなたが橋渡しをしてくれたおかげで、永遠に会議して終わりそうじゃった妾の長年の夢たる祭りもいよいよ実現間近じゃ! 妾はもうひと頑張りせねばのう。あの真面目を血に溶かし込んだような白ヤギもそなたにいいとこ見せようとあくせく働いとるからの、まあ楽しみにしといてやっとくれ。ではの」


 一瞬、夜空を焦がすような赤い炎の揺らめきを見たと思った直後、彼女は燃える翼をはためかせて私の目の前から消えてしまいました。


 夜風に乗ってほんの少し頬に届いた熱に目を瞬いていると、入れ替わりに帰ってきたミーナちゃんが呆然としている私を見て首を傾げます。


「ただいまトールちゃん……あれ、なんか声が聞こえたんだけど誰か来てた?」

「あ……おかえりなさいミーナちゃん。さっきまでそこに不死鳥さんが……」

「なにそれ??」


 言ったミーナちゃんの声に明らかに滲む疲労に、私は慌てて荷物を受け取り上着を預かると、おずおず尋ねます。


「お疲れさまでした、今日はひときわご多忙だったようですね? お手伝いできることがあればぜひ私にも……」

「あーいや、準備の方は大体終わってるんだ。ただちょっとトラブルというか、不備があってね」

「不備、ですか」

「厳密には不備ともちょっと違うんだけど……もうちょっとすると収穫祭とか建国祭とかの、他の大々的なお祭りも続々控えてるでしょ? そっちの方で既に去年から数を押さえてあるから、今回のイレギュラーな祭りで出す分のお酒の在庫がどこも無い感じなんだよね……」

「まあ……」


 なるほど、突然の企画でしたもんね……。私は飲めないのでよく分かりませんが、お祝いのお祭りごとにお酒が無いというのは、どうにも寂しいものでしょう。


「……………………」

「トールちゃん?」


 アルフレッドは、私の選択を怒るでしょうか。

 私だって、この街に来たばかりの頃に同じ状況に立たされたら、黙っていたかもしれません。裏切った分の報いを受ければ良いと、彼を呪って満足していたかもしれない。


 でもきっと私も、変わったのでしょう。だから不思議と迷い無く決められたことにほっとしながら、笑って切り出します。


「ミーナちゃん。私、良いお酒が今すぐ大量に発注できる所、知ってます」


 まあ実際には良いお酒かどうかは飲めていないので言えたものではないのですが、シオンさんがそう言っていたので、きっと間違いないのでしょう。

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