第25話 2人の夜


「……ってことなんですけど、ちゃんとそばで見守ってるので酔いが覚めるまでうちで寝かせててもいいですか……?」

「だめでーす」

「あう……」


 んじゃ頼むな、と私の部屋のベッドにシオンさんを放り投げた後、所長はさっさと退散し。

 ルームメイトであるミーナちゃんに事情を説明すると、まあ当然ですが断られたのでした。じ、自分で蒔いた種とはいえ何だってこんなことに……!


「トールちゃん、一緒に住むって決めたときに約束したよね。お互いにこの家の中に、男と仕事と面倒事は持ち込まないってこと」

「三重に違反だ……」

「しかも泥酔していつ巨大化して大暴れするかも分からない神様ときたもんだ。トールちゃんはいつからそんな悪い子になっちゃったのかな。ミーナちゃんは悲しいよ」


 ふああ、と手のひらの中で欠伸をしてから、ミーナちゃんは「まあでも、『お星様』を増やしたいわけじゃないからね」などとくすくす楽しそうに笑います。


「私、今日は職場の先輩の家に泊めてもらうから、気にしないでお仕事してていいよ。明日の朝には帰るから、それまでまだ酔ってるようなら連絡して」


 そしてミーナちゃんはぽかんとする私の肩に手を置いて、「良い男じゃん。どんな夜だったか後で報告してね」などと耳元で囁き、くるくる鍵を回しながらあっという間に出て行ってしまいました。

 ………………。


「……シオンさん」

「すー……」

「……どうしてあんな無茶したんですか」


 お酒、たぶん、生まれて初めて飲んだんじゃないでしょうか。

 霊峰ではそんな機会なかったでしょうし、王都では一応18歳から飲酒が認められてますけど、本以外全く興味なさそうだったし……。


 私はベッドの端に頬杖ついて、小さく寝息を立てる彼をそっと見つめます。

 職場でエリーゼさんの顔を見た時に、私は自分にとてもがっかりしました。新しい生活を始めたつもりでいたのに、結局は村に残したしがらみから全然逃れられてなんていなかったのですから。


 だからシオンさんが前に出て庇ってくれた時、泣きそうなくらいにうれしかった。私はずっと弟を守る立場で、誰も守ってくれる人なんていないと思っていたのです。


「…………避けたりしてすみませんでした。でも期待をして手を振り払われるのが怖いんです。一度目は我慢できたけど、二度目はきっと堪えられない」


 エリーゼさんの肩を抱いて私を見つめるブラッドを思い出し、いたたまれずきゅっとシーツに爪を立てて目を閉じました。


 それにしても職場まで元婚約者の恋人が押しかけてくる、なんて現場を目撃されて、さぞ可哀想な奴だと思われたに違いありません……恥ずかしさで私は頬を赤くしました。

 は、早く目覚めてほしいような、ずっと眠っていてほしいような……?

 だけどそんな悠長な悩みは、静かな二人きりの部屋に響いた呻き声でかき消えてしまうのでした。


「…………っ、ぐっ……!」

「シオンさん!?」


 穏やかに眠っていたシオンさんが突然胸を押さえて苦しみだしたので、私は目を見開いて立ち上がりました。ど、どうしたのでしょうか、お医者様に連絡……って人間のお医者様で大丈夫?


 シオンさんは痛みに耐えるように歯を食いしばって、引きちぎれそうなぐらい強く、指で服を掴んで汗を流していました。まるで傷が痛むかのような。

 私はその息苦しそうな姿に咄嗟に手を伸ばし、服のボタンを外して胸元を広げました。

 そしてはだけた生地の隙間から見えたに、指を止めて目を見張ります。


「…………傷?」


 釦を全て外して前を開くと、左胸から脇腹にかけて斜めに長く。大きな赤い傷跡が走っていました。

 既に塞がっているように見えるそれを、だけど眠るシオンさんの手は苦しげに押さえ、心配になるほど大きく胸を上下させています。


 鋭利な刃物で切りつけられたような──

 いえ、で思いきり抉られたような。

 そんな荒々しさのある傷を、私は呆然と見下ろし、ただ息を飲みました。


 いつ、どこで、誰に、どうして。

 ぐるぐると頭の中を巡る動揺に目を瞬いているうちに、シオンさんの呼吸はゆっくりと落ち着いていき、やがて睫毛を揺らして重たげに瞼が開きました。


 久しぶりに現れた空色の瞳に自分が映っているのをぼんやりと見下ろしていたら、まだ寝ぼけ眼のシオンさんは私と自分の置かれた状況を見て、むすっと眉根を寄せて怒ったように目を細めました。


 ……あれ、しまった、この状況って限りなく私が不審者なのでは??

 慌てて釦を閉めようかと思いましたが時既に遅し、シオンさんは二度寝しそうにない目で私を見つめたまま、呆れたように口を開き言いました。


「……随分都合の良い夢だなあ、目が覚めたらすぐそばにトールさんがいるなんて……」

「す、すみませ……ん? 夢?」


 おっと、これは大分ありがたい勘違いをされてる予感!

 私はぱっと目を輝かせ、「そうですよー、夢夢」と悪い大人の笑顔で頷きます。

 するとシオンさんもへらっと笑って「そうですかー」と頷き、万事解決……と思った矢先、するりと両頬に手を添えて顔を引き寄せられて、気づけばおでこを軽くくっつけた状態で見つめ合っていました。


 !!??


「し、シオン、さん?」

「トールさん。トールさんはー、がんばってますね? いつもがんばってえらいです、偉い偉い」


 優しく髪を撫でられて赤面および絶句していると、彼は私の混沌たる思考も気にせず、ふっと柔らかく目を細めて少し眠たそうな声で続けました。


「あのね、俺……。んー……これ言ったら絶対嫌われるけど、夢だからいっか……。俺、婚約者の人がトールさんの良さに気づかないままでいてくれて良かったなって、ちょっとだけ思ってるんです。そのおかげで、トールさんがこの街に来てくれたから。酷い奴でしょう」


 けらけらと笑うシオンさんの声にも、いやお願いだからこの馬鹿みたいにうるさい心臓の音が聞こえませんように、と必死に願うしかできませんでした。

 頬に触れる手は熱いし、私だけ見る視線も熱いし、耳に届く声は甘くて溶けそうなぐらい熱いし、とにかく全身熱くて死にそうでした。発火するのでは。


「ねえトールさん、」


 そうしてシオンさんは戸惑う私を待たないままに口を開くと、


「ちゃんとあったかくして眠るんですよ〜……」

「お母さんだ……」


 頬に添えていた手をするする~と滑らせてベッドに落とし、再びすやすやとお眠りになられました。


「………………」


 そのすっきりしたような気持ちよさそうな寝顔がなんだかちょっと腹立たしくなって、私は立ち上がってタオルを持ってくると、少し乱暴に汗ばんだ体を拭きます。そのままてきぱき釦をしめてタオルケットもかけました。


 ……寝ずの番をしようとも思いましたが人生三回もの経験上、修羅場の後って眠いので……

 ベッドの側にいれば、シオンさんが寝ぼけて立ち歩かない限りはオーラの範囲内にとどめておけるでしょう。もう寝よう寝よう。


 私はクローゼットから出した大きめのストールにくるまり、クッションを枕代わりにして床の上で猫のように丸まりました。

 明日の朝目覚めたらこの部屋は崩壊してるのかも知れませんが、ただとにかく今は眠りたくて、無責任に目を閉じます。

 少し上から聞こえてくるすうすうという寝息を聞いていると何だか不思議と落ち着いて、私は村を出てからたぶん一番スムーズに、深い眠りにつくのでした。

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