第24話 過去からの報復
「……王都に出てどうやって暮らしていくのかしらと、ブラッドと二人で心配していたんですよ。まさか調停師の才能があったなんて本当に幸運ね。弟さんから聞いた時は耳を疑ったけれど……」
まだあどけなさの残る瞳できょろきょろと所内を眺め、それからまた私に視線を戻すと、エリーゼさんは非難するように目を細めました。
私はあいかわらず一言も発せませんでしたが、事務所にいる皆さんは彼女が誰であるかすぐに察しが付いたようです。
ああ、懇親会で恥ずかしい事情を全部自ら吐いてしまったから……一気にみじめな思いに襲われて、私はうつむきました。
捨てられた女の職場に、捨てた側の男の恋人が突然やって来る。私は今年何回の修羅場を経験しなければならないんでしょう?
「エリーゼさん、でしたっけ? あいにく今は大事な会議中なので。重要な話でなければ席を外してもらえませんかね、ていうか婚約者がいると知りながら略奪するぐらい大事~な恋人が待ってるんでしょうから、さっさとお家に帰った方が良くないですかね?」
にこ、と微笑みながら、うっすら額に青筋を浮かべて詰め寄るエミリア先輩に、さすがのエリーゼさんもちょっと気圧されてました。
び、美人が笑顔で威圧してくるのって怖い……。
「こらエミリア、無闇に刺激するなよ……。あの、失礼ですがホープスキンと貴女の恋人との関係はもう終わっているはずですよね? 何のご用でここに……」
「……終わってるに決まっているでしょう、元々形式だけの始まってもない関係だったのだし。私が用があるのはブラッドの元婚約者ではなく、私たちの土地の元所有者である、ホープスキン家の長子に対してよ」
私たちの土地、という言葉には、さすがに自分で譲っておきながらカチンときてしまいます。
父さんが大切に育てた葡萄、ちゃんと世話をしてくれてるんでしょうかね……エリーゼさんの白く細い手には、日焼けの色も小さな傷や豆すらも何も見当たらず、私は一人憤っていました。
「畑に何かあったのですか? 申し訳ありませんがあの土地はブラッドに託したものです、私に何か言われてもどうにも……」
「……いつまで涼しい顔をしてるのよ、あなた知ってたんでしょう!? ホープスキンの名を買っていた顧客がいたってことぐらい!」
突然大きな声を出されて、開いた口を塞げずに私はぽかんと固まりました。シオンさんもびっくりしつつ、肩を支える手に力を込めてくれます。
話が読めずにいると、エリーゼさんはうっすら涙を浮かべた目で私を睨み、早口に続けました。
「ブラッドの家の葡萄酒は、あなたの家の葡萄を原料に造られたものだった……。今、今年の葡萄酒の出荷時期を迎えていることぐらい、いくら関心の薄かったあなたでも知っているでしょう」
「ええ、確かにそうだったと思いますが……まさか品質に何か問題でも?」
今年出荷する分はまだ、父が生きていた頃に収穫した葡萄を使っているはずです。
父は丁寧に葡萄の世話をし、ブラッドの家に託す葡萄には厳しい基準を設けていました。自信を持って売りに出せるものが育ったと喜んでいたはずですが……。
「ブラッドの醸造に不備なんかあるわけないでしょう、問題なのは出荷数よ。……今年のワインの製造量は、基本的に昨年の出荷数を基準として設定されるわ。だけど、昨年まで何十年も安定して大量に仕入れてくれていた酒場にブラッドと私で契約の商談に出向いたら……今年は、うちからは買い取らないと宣言されたの。大量の在庫を抱えて大赤字よ、あなたのせいでね」
困惑していると、それすらも苛立たしげにエリーゼさんはため息をついて言いました。
「曰く、『ヨセフ・ホープスキンは私の親友だ。あれは死期を悟った後、娘夫婦が畑を守るからどうかよろしくと言っていた。あの子は、トールはどうしている。あんたの所に嫁ぐはずだっただろう』……事情を話すと酒場の店主は静かに息を吐いて、取引の中止を申し出て……それから短く一言、帰ってくれと」
私はその話を聞いてすぐに、立派な髭を生やした大柄のおじさまのことを思い出しました。私たちの村から一番近い街で、大きな老舗の酒場を切り盛りしているおじさまは、父の子供の頃からの親友でした。
お店がとても忙しいそうで家に遊びに来たのは数回でしたが、いらした時には父と朝までとても楽しそうにお酒を酌み交わしていて、まだ幼い私がワインをグラスに注いでお手伝いをすると、頭を撫でてたくさん褒めてくれた。豪快で優しい人でした。
アルフレッドからの手紙にも、父の思い出の品を送ってくれたと書かれていた…………おじさまを悲しませてしまったことが悲しくて、私は唇を噛みうつむきました。父だって、私がブラッドと幸せになることを信じて疑わずに旅立っただろうに。
だけど……だけど今さらもう、どうしようもなく、それは終わった話です。
私は一度目を閉じて息を吐くと、ゆっくり目を開けて──叫び出したいのを賢明に堪えながら、押し殺した声で言いました。
「……人を一人切り捨てておいて、自分達は何も失うものがないなんて……本当にそう思っていたんですか?」
びくり、と震えるエリーゼさんの細い肩を見つめながら、私は必死に自分を諫めつつ続けます。
「私との婚約を解消した時点で、父の持っていた繋がりも破棄したと思うのが当然でしょう。きちんと商品を売り出して、新しい顧客を獲得するしかないと思います。あなたは商家の娘さんなのですし、ご実家のノウハウを生かして彼をサポートしてあげればいい。私にはそういったことは絶対にできませんでしたので、ブラッドは心強く思っているはずですよ」
ブラッドの家が造るワインが、お父さんもお母さんも好きでした。もう私の手は離れましたが、成功を祈る気持ちはもちろんあります。
だからどうか二人で力を合わせて頑張って欲しい……と激励の気持ちを込めたのですが。
ふいにエリーゼさんが膝を折って床に手をつき。
跪いて、私に向かって頭を下げました。
…………。はっ!?
「ちょ、ちょっとやめてくださいエリーゼさん、何を!」
「……分かってるわよ、商品に自信があるなら他人に頼らず売り込んでいくべきだって……でも今から新規の客を見つけて信頼を築いて大口の契約を取るなんて無理なの! お願いします、せめて今年だけで良いからあなたの口から入荷してもらえるよう取り次いで! あなただってお父様の育てた葡萄が大量に売れ残るなんて忍びないでしょう!? ただ顔を立ててくれるだけでいいの、あなたが損なうものは何にも無いわ! ……ブラッドは、トールさんにはもう迷惑をかけられないって言ったけど……でももう本当にこうするしかないの!」
……一応、それぐらいの良識は残ってたんですね、彼……。
しかしここまで献身的に愛されて、身を削って尽くしてくれる人がいるというのは、羨ましいことのように思えました。やっぱり私たちは別れて正解だったのです。
私は青ざめる男性陣、今にも食ってかかりそうなエミリア先輩の視線の先、小さくため息を吐くと、恐る恐る床に額をくっつけそうなエリーゼさんに声をかけます。
「……あの、エリーゼさん。そんなことをされても困ります。話し合いたいならまずは落ち着いて……」
「どうしたら良いって言うのよ……弟さんに頼んでみても『なるほど。死んでしまえ』って言われるだけで怖いし……」
「なっ……アルにまでそんな話をしたんですか!? 勉強に集中させてあげてって言ったのに……!」
思わず声を大きくすると、エリーゼさんは痺れを切らしたように顔を上げ、後ろに置いていたトランクの中から何かを私に差し出しました。
スクリューが一つと、ブラッドの醸造所のロゴと今年の数字が書かれたラベルの巻かれた、一本のワインボトル。
ガラスの向こうで赤く揺れる液体を見つめ、私は懇親会での醜態がフラッシュバックして目を見張りました。
「売り出せなんて簡単に言うのなら、ぜひ感想を聞かせてちょうだい。今年の新作よ、勿論出来には自信があります。さあどうぞ」
「……あ、すみません私、お酒は飲めなくて適切な評価はとても……」
「でしょうね、ブラッドがいつも嘆いてたもの。私と出会ったばかりの頃、あなたのためを思って飲みやすい試作品を造ったのに、試飲もしてもらえなかったって酷く落ち込んでたわ」
……ブラッド、大切なことは口に出せない人だとは思ってましたけど、度が過ぎるんじゃないでしょうか!
今さら過去のことを恨んでいると、事務所に漂う重すぎる空気が急に申し訳なくなり、私は思わずそのワインボトルを受け取ってしまいました。
これを飲めばこの人、帰ってくれるんですよね……というかもうプライドも何も捨てて、大人しく名義を貸しておじさまに口添えして契約を結んで貰えれば解放されるんでしょうか……?
そうしたらアルが余計な大人の事情に巻き込まれたり、またこうやって職場まで押しかけられる恐怖を回避できるなら、私の意地なんて安いものなのでは……
そんなことをぼんやり思っていたら、ふいに手の中にあった重さが消えて。
ポン、と隣から響いた軽快な音に、私は目を瞬きました。
そしてだいぶ遅れて隣を見やると、そこにいつの間に奪ったのでしょうワインボトルに口を付けて、水でも飲むようにこくこくと喉に流し込んでいるシオンさんを見つけました。は!!??
「し、シオンさん!?」
絶句する私とエリーゼさんが見守る中、ボトルの半分ほどを空けてからシオンさんは口を離し──乱暴に手の甲で濡れた口元を拭いながら、真剣な目で何かをじっと考え込み、やがて語り始めました。
「……非常に良質な土壌で育てられた葡萄です、何度か病気の脅威にも晒されましたがその度に根気よく手入れがされた……加えて、きちんと土を盛って守ってくれたから、冬の霜は厳しかったようですが乗り越えられたと言っています。この年は収穫期の雨に恵まれたんですね、酸味が抑えられ口当たりの良い甘みが出ている。醸造も手間暇をかけて、よくこの年の葡萄の良さを引き出している。熟成環境も期間も適切です。飽きの来ない飲み口の良さとほのかな余韻を生かして、料理と合わせるよりはワインそのものを楽しめる売り方をすれば順当に評価されると思います。おそらく近年で一番の当たり年である3年前に勝るとも劣らない出来」
「流暢なレビューだ……」
「神山羊は野山と自然を司ると言われてる……一説によれば、自然に生きる草花の声すら聞き取ることもできるとか。ワインを飲んだだけで葡萄のことが手に取るように分かったってことかな、にわかには信じられないけど」
ごくりと唾を飲み込んでいると、ひそひそとユージンさんが解説してくれました。
そ、そんな神業あるわけ……いや神様なんでしたっけ、ワインをラッパ飲みする神様……?
シオンさんがすっとその綺麗な瞳でエリーゼさんを見つめると、彼女はどきりとしたように頬を赤く染めて背筋を伸ばしました。ブラッドが見たら泣きそうな反応ですが。シオンさんはあくまで穏やかに、でも少しだけ説き伏せるような声音で、淡々と彼女に告げました。
「トールさんに頼らなくてもこれは良いワインです、自信を持って売り出せば良い。売れ残ったとして、寝かせればまた味も深まるでしょう。今年は苦労するかも知れませんがそう遠くない内に持ち直しますよ。……だから、トールさんをこれ以上悲しませるのは、…………。お願いだからもう…………あれ? この事務所回転してるぅ~~」
「してないしてない!冷静な顔で思いっきり酔っ払うなこのバカ神獣!!」
にこっと笑って怖いことを言い始めたシオンさんに、所長が血相変えてデスクを踏み越え飛びかかり、ぐらりと傾いたその体を慌てて受け止めながら私に怒鳴りました。
「おいホープスキン、絶対にコイツから1メートル以上離れるな、泥酔した獣人は寝ぼけて獣化する可能性がある! ここで神山羊の姿になられたら全員生き埋めだ!」
「ええ!? はい、わ、分かりました!」
私は所長に寄りかかるようにしてすやすやと眠っているシオンさんを見つめ、きゅっと手を組みました。し、シオンさんそんな無茶して! ていうかこの事務所泥酔がブームみたいになってます!
おろおろしつつ、健やかな寝顔を見守っていたら。
ああそういえば忘れてた、と振り返り、私は呆然と立ち尽くすエリーゼさんに声をかけました。
「あの、私そんなわけで調停師としての仕事があるので……お引き取りいただけませんか。ここも危ないですし」
「……本当に調停師なのね。神様に庇われるなんて随分偉くなったものだわ」
望みを絶たれて苦虫をかみつぶしたような顔をする彼女を気の毒に思いつつ、私はもうひとつ忘れていたことを思い出し、どうにか不格好な笑顔を作って言いました。
「すぐに言えなくてごめんなさい。……結婚おめでとう。どうかお幸せに」
エリーゼさんは一瞬泣きそうな顔をして眉をつり上げましたが、結局何も言わず、トランクを掴むと振り返らずに立ち去り見えなくなりました。
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