第22話 白球と仲直り


「トール・ホープスキン。お前の仕事はなんだ? 閉所日に事務所に入って電話に出ることか? それとも勝手に神獣と話を付けて俺の業務を増やすことか? あ?」

「……獣人さんの調停をすることです……」

「だよな、覚えとけよ」


 例の地獄の懇親会後、初めての出勤日の朝。

 事務所で再会した所長に昨日の神獣会議の顛末をお伝えすると、まあ元から悪い人相がさらに悪化されました。怖い……。


 渡した委任状を睨んで、しばらく不機嫌そうに頬の傷を掻いていた所長でしたが。ひとつ深いため息を吐かれると、封筒をトン、と指で突き悪っぽく目を細めて笑いました。笑っても怖い。


「でもでかした。コイツは俺が責任を持って上に取り付けよう。神獣からの申し出なんて歴史的珍事だが、事務所としても獣人との仲を取り持つイベントは大歓迎だからな。ありがたく協賛させてもらおうじゃないか。神獣大好きな王政のことだし、まあ通るんじゃないのか、そのふわっとした企画も」

「しょ、所長ぉ……!」

「けど次やったら減給な」

「ヒッ……」


 あ、アルフレッド、急に仕送りが滞ったら姉さんを恨んで下さい……。気をつけなくては……。

 私は肩を強張らせつつ、ちら、と所長を見て恐る恐るつぶやきます。


「……あの、先日の懇親会では大変ご迷惑をおかけしまして……」

「ん? ああ、ユージンに礼言っとけよ、背負われる時にお前寝ぼけて顎に一発入れてたぞ」

「嘘嘘嘘!!??」

「あーそれから、アイツともちゃんと仲直りしとけよ、長い付き合いになるんだし……お、噂をすれば来たな。よぉアディントン、酔いは覚めたか?」


 その一声と、背後から聞こえた事務所のドアを開ける音に私は肩を跳ね上げて。

 そうして目を見開いて振り返った先、入り口で同じように目を丸くして固まっているロキ君と、ばっちり目を合わせたのでした。

 フラッシュバック酒場で大喧嘩、気まずさのブリザードが吹き荒れます。


「……お、おはようございます……」

「……おはよう……」


 シーーン、と無言に沈む私たちを見かねて、所長はまたひとつ大きなため息を落とすと、ひらひらと手を振って私に死刑宣告を告げました。


「ホープスキン、お前今日は研修な。アディントンの調停に着いてって見学させてもらえ」

「ファイ!?」

「ハア!?」


 私とロキ君は妙に高低差のハーモーニーが調和した叫びを上げ、同時に目を飛び出んばかりに見開いて絶句しました。い、今何とおっしゃいましたかこの上司!?


「ちょ……断ります所長、調停に集中できません!」

「そ、そうですよ所長! 私がいてはロキ君のお邪魔になるだけで……」

「どのみちわだかまりの残ったまんまじゃ集中なんか出来ないだろ? 大体ホープスキン、お前、神獣一人調停して満足してんじゃないだろうな。アディントンの働きぶりは新人としては並外れてるし、依頼主からの評判も上々だ。学ぶことは多いだろう、ありがたく盗んでこい」

「そ、それはありがたいですけど、でも……」


 私はちら、とロキ君の顔を盗み見て、きゅっと口を引き結びます。

 ……ロキ君は、元々私のことを良く思っていませんでした。それプラス一昨日の罵倒です、仕事先に私がついて来るなんて、きっとものすごーく嫌なはず……。

 だけどロキ君は眉間に皺を寄せた複雑な表情のまま、小さく頷くと目を伏せました。


「分かりました。先日酒場の帰りに送っていただいた借りはそれで帳消しと言うことで」

「うん、良い返事だ。そんじゃあ頼むな」

「え、」


 驚いているうちにくるりと踵を返して事務所を出て行こうとするロキ君に、私は慌てて手を伸ばします。


「ロキく……」

「一時間後に東区5番街の第三市民公園だ。現地集合でいいだろ、俺は少し寄ってく所あるから」

「……あ、はい、よろしくお願いします……」


 パタン、と閉ざされたドアに手を振って、私はふうと息を吐きました。

 ……な、なんだか思いがけない展開ですが、調停師としての勉強だけでなく、仲直りできるまたとない機会……なのでしょうか?多分。


 もしかしてこの人結構良い上司なのでは、と思って所長を見ると、「こいつの功績で臨時ボーナスでるかもな~」と楽しそうに委任状を天井に掲げておりました。前言を撤回し評価を保留します。



 * * *



 ゆっくり現地を目指そうと思い事務所を出ると、目に飛び込んだのは黒髪に金の瞳。ちょうど階段を上って来るところだった、狼男のグレイさんと鉢合わせました。


「やあトール嬢。これから調停ですか?」

「あ……グレイさん。今日はちょっと……」


 所長からの指示を説明すると、グレイさんはくっくと笑って楽しげに指を鳴らしました。


「それはいいですね。所長も面白……いえ、粋なことを考えるものです。いいなあ、僕もぜひ見学したいなあ。そしてぜひあの修羅場の夜の再現を……」

「しませんよ。もう……あ、そういえばあの夜、気づいたら私の手に頼んでないグラスがあって。あれどなたのだか分かります?」

「さあ分かりませんね、全く塵一つ程も分かりません」


 む……では本当にどこから沸いて出たのでしょう、あの麦酒……?


「しかしトール嬢は忙しいですね。祭りの準備で手伝えることがあれば喜んで協力しますよ」

「わあ、ありがとうございます……! って、あれ? 私お祭りの話、さっき所長に報告した以外ではまだ誰にも話してないですけど……」

「……。あー……」

「グレイさん、誰に聞いたんですか?」


 んー、まだ人間側の承諾を得ていない計画ですから、居住区でもおいそれと告知なんてしてないと思いますし。

 ということはグレイさん、神獣会議の中の誰かとお友達なんでしょうか……?

 じっと見つめて答えを待っていると、グレイさんは珍しく困ったような顔をして、やがて言いにくそうに口を開きました。


「……に」

「に?」

「匂いです」

「匂い!?」


 お、恐るべし狼男の嗅覚……! そんなことまで分かってしまうなんて!!

 というか私そんなに匂いするんでしょうか、お風呂は長めに入る派なんですが……ちょっと恥ずかしくて赤面します。ミーナちゃんが嫌じゃなければ良い香りの入浴剤とか使おうかな……。


 打ちひしがれていると、「それより、待ち合わせの方は大丈夫ですか」と背中を押され、私は慌てて階段を下ります。

 背中からなぜか安堵の息のような音が漏れ聞こえた気もしましたが、遅れてはまた修羅場、と私は駆け下りる足のリズムを速めて、先を急ぐのでした。



 * * *



 指定された調停場所、第三市民公園はこれといった設備もなく、大変シンプルな芝生の広場でした。

 ほんのちょっと故郷の村を思い返してほっとしつつ、そういえばどんな獣人さんが依頼主さんなのでしょうとわくわくしていると。


「……わくわくしてるとこ悪いけど、依頼の時間までは少し余裕あるから」

「ハッ!?」


 後ろから聞こえた申し訳なさそうな声に、慌てて握っていた拳をほどき気をつけの姿勢で固まります。


「ろ、ロキ君、あの今日は、いやいやその前に一昨日は? えーと……」

「とりあえず座れば。ここから長いし」


 そっけなく言うと、ロキ君は芝生の上であぐらを掻き、脱いだジャケットを丁寧に畳んで隣に置くと、そっぽを向いて黙り込みました。


「…………」


 私は少し目を瞬いてから、その敷いてくれたジャケットをやんわりと手渡して、現れた芝生の上に膝を抱えて座ります。


「私は土の上でも眠れるような村の子でしたので……お気持ちだけで結構です。でも、ありがとう」

「……別に」


 ジャケットを羽織り直しながら、ロキ君はやっぱりそっけなく呟きました。






「一昨日は悪かった。事情も知らないのに勝手な嫉妬で当たり散らして」


 こちらは見ずともぺこりと頭を下げられて、私は慌てて首を振ります。


「いえ、私こそ事情も知らずに……簡単に自分の能力を卑下したりするべきじゃなかった。すみませんでした」


 負けじと頭を下げると、ロキ君はむっとした顔をして、後ろに隠していた小さな箱をずいっと私に押しつけました。思わず面食らい、ついつい受け取ってしまいます。


「はい?」

「……エミリア先輩に、どうやって謝ったらいいか聞いたら甘いものでも添えておけっていうから……なんかオススメされたからそれで」


 何かを思い出したのか苦々しげな顔をしつつ、ロキ君はそれきりまた黙ります。

 箱を開けてみると、にわかに甘い果実とバターの香りが鼻に届いて、私は現金にも目を輝かせてしまいました。


「わあ、アップルパイ! これはもしや王都で有名だというお店のものでは?」


 つやつやと光る、焦げ目がすばらしいパイ生地の隙間から、甘く刻まれたリンゴの実が見え隠れする神の三角形! 噛めばサクサクとシャキシャキが口の中で絶妙に広がること間違いなしです!

 確か最初に会った牛の獣人さんのロッテちゃんが、これを食べたくて街に出たと言ってましたね。ひそかに気になっていたのでうれしくて、お手軽に口の端が上がってしまいます。嬉しい!


「人気のお店なんですよね? 混んでませんでしたか」

「なんか知らないけど30分も並ばされた……男は俺しかいないし精神的につらかった。もう二度と行きたくない」

「わあ……」


 苦悶の表情で行列に並ぶロキ君を想像し、私は笑いを堪えて目をそらしました。それは……確かにそこまでされたら許すというか色々どうでもよくなります、さすがエミリア先輩ですね。


「……だから俺の方が悪いってことにしてくれないと、ただ好き好んで列に並んだだけの奴ってことになるから……そういうわけで俺の方が悪い。あんたは悪くない」


 力強く言い切られて、私は吹き出し、こくこくと頷きながら笑います。


「わ、分かりました……もうそれでいいです、ありがとうございます」

「うん」


 満足げに頷くロキ君に、「では私が悪くないのであれば、これ、一緒に食べてくれませんか」とお誘いすると、目を丸くしてとりあえず頷いてくれました。

 付属の木製フォークでざっくり切り分けたアップルパイを二人で頬張りながら、そういえばと気になっていたことを聞いてみます。


「ロキ君は、成人して初めてお酒飲んだときってどうなりました? 私は笑いが止まらなくなってブラッ……知人に大層呆れられました。覚えてませんが」

「……屋敷の中を側転で一周したらしい。覚えてないけど」


 ハハ……と二人で苦笑いしつつ、次に飲みの席があったら、お互いに間違ってもアルコールを摂取しないように見守りあおうと同盟を組みました。

 ちなみにロキ君も、なぜあの夜に自分の手に蒸留酒が握られていたかさっぱり分からないそうです。うーん、謎は深まるばかり……。まあ結果オーライなのですが。

 なんてぽつぽつとお喋りしていたら、ふいにたったかと芝生を駆ける軽快な足音が響き私たちは顔を上げました。


「あ! 調停師さんこんにちはー」

「調停師さん女つれてる!」

「仕事場に女つれこんでる!」


 きゃっきゃと賑やかにやって来たのは、まだ子供に見える活発そうな男の子の集団でした。

 動きやすそうなおそろいのユニフォームのようなものを着ていて、そしてみな一様に、その頭上に可愛らしい耳を生やしています。犬の。


 か、かわいい……! 熱い視線を送りつつ、私が近づいたらまず間違いなくあの耳は隠れてしまうので、ぐっと堪えてアップルパイの残りを味わいます。おそらく、彼らの内の誰かがロキ君の依頼主なのでしょう。


「女とか言うな、事務所の同僚だよ。依頼の時間よりちょっと早いけど始めようか?」

「あ、大丈夫です!自主練してるので!」

「白昼堂々いちゃいちゃしてて大丈夫です!」

「しないっつの」


 きゃー、とはしゃぎながら、犬耳を跳ねさせて男の子たちは芝生の中央へと楽しげに走って行きました。自主練とは……?

 なにがしかのフォーメーションを組みながら声を出し合う彼らを遠目に、私は首を傾げます。


「ロキ君ロキ君、あの子達は犬の獣人さんですよね? どの子が依頼主なんですか?」

「誰って……全員だけど」

「は」

「あそこにいる獣人、全員調停する。そうしないと成り立たない依頼だし」


 全員って……。

 改めて数えてみると、芝生広場には1、2、合わせて18人の獣人さんが集まっていました。9人で1チームのようで、何やら白いボールと木の棒を持って散らばっています。そして置かれる、白い四枚の四角形。

 ……あれはおそらく、アルフレッドがやってみたいと言っていた、しかし過疎化の村では死んでもできない都会では大人気スポーツの……


「野球ですか!」

「そう。人間が広めたスポーツも、獣人が強く興味を持つ文化の一つだ。あの子達は野球チームを作ってて、いつか人間のチームと試合をするのが目標なんだってさ。でもそれを邪魔するのが本能だ」


 ロキ君はすっと目を細め、白いボールを握った男の子が腕を振りかぶり、すさまじいスピードで投げられたそれを、正面で振られたバットが思いきり打ち上げるのを見つめました。

 ……そして。


「……あー……」

「犬の獣人の本能は『飛んでいくボールを追いかける』ことだ……つまり、」


 私も全てを察し、ただその光景────

 バッターもピッチャーもキャッチャーも守備もベンチも全員でなかよく白球を追いかけて全力で走り出すその光景を、絶望的なまなざしで見つめるしかないのでした。わーみんな死ぬほど良い笑顔ー……


試合ゲームにならないんだわ」

 誰もいなくなったマウンドを真顔で眺め、ロキ君は淡々とつぶやきました。





「ってわけで、ここからが調停師の仕事だ。まあ勉強になるかは分かんないけど見たければ見てれば」

「あ、はい、ぜひ! よろしくお願いしますっ」


 ロキ君はよいしょと立ち上がると、ジャケットを脱いでぐるりと肩を回しました。私は慌ててそれを受け取ると、すたすたとマウンドへ向かうロキ君の背中をじっと見つめます。

 ロキ君のオーラ特性は確か私と真逆で、効果は薄いけど範囲がとにかく広いこと。

 犬の獣人さんは神獣種でも幻獣種でもありませんから、抑制する力もさほど大きくはないのでしょうけれど、それにしてもあの人数がボールを追いかけたくなるのを一度に抑えるなんてできるのでしょうか……?


 拾った白球を手にしょんぼりと内野に戻ってきた獣人の皆さんは、しかしロキ君の姿を見ると垂れていた耳をピンッと上げて一気に笑顔を見せました。


「あ、調停師さん! やっぱりこんな感じです、今日もお願いします!」

「うん、まあしょうがないよ。それじゃ投手はいつも通り壁投げ頑張って」

「はーい、あと頼みます!」


 ピッチャーらしき少年が元気よくグローブを押しつけると、ロキ君は気怠げにそれを左手に嵌めて、軽く準備運動をしてからマウンドで姿勢を正し、短く「いつでも」と頷きました。


 すると少年達もたったかと各持ち場に付き。

 ロキ君は慣れた様子の綺麗なフォームで、バッターボックスに向かってキレッキレのストレートを投げるのでした。


 相対するバッターも良い目を持っています、瞬時に球を見極めるとここ!という位置に見事ヒットさせ、白球は空高く気持ちいいほどに吹っ飛んでいきます。あ、あれは私ですら追いかけたくなるような特大ヒット……!


 しかし野球場の犬な獣人さん達は決してその球には飛びつかず、ただ冷静にバッターは塁を目指し、各自持ち場で自分のお仕事をきっちりとこなすことに専念されているのでした。お、おお、試合になってるー……!


 ああなるほど、ロキ君を中心点として最大範囲にオーラを放つには、野球場の中心たるマウンドに突っ立っててもらうのが一番効率が良いんですね……。

 いや、でも普通やります野球? あくまでお仕事は調停なのに?

 しかもロキ君めちゃくちゃ檄を飛ばしてアドバイスもしてくれてます、あれではもはや監督業。私なんていつも図書館で隣に座って静かにしてるだけなのに……。


 ロキ君はその後も両チームの投手として調停と投球を全力でやり続け、獣人さんたちはとても生き生きと野球を楽しまれていたのでした。


 ……働きぶりは群を抜いていて、依頼主からの信頼も厚い。

 ロキ君は自分の能力を残念に思っているようですが、私にはそれはあまりに眩しく、立派なものに見えてならないのでした。



 * * *



「調停師さんありがとっしたー!」

「したー!」

「おう、気をつけて帰りなよ。正門までに飛んでくる丸いもの見ても追いかけるなよー」


 わんわん、と元気に手を振って帰っていくみなさんを見送って、ロキ君はふと思い出したように私を見ました。

 そして、スタンディングオベーションを送る私をものすごく嫌そうに睨みます。


「……以上だけど。何、神獣の調停と比べたらお遊びすぎて話にならない?」

「は!? 意味分かりませんむしろその逆です! 私感動しました、同じ調停師として誇らしいぐらいです! みなさんとっても喜んでました、野球ができたのはロキ君のおかげじゃないですか! すごいです、救世主です!」


 パチパチ、と止まらない賛辞を送っていると、ロキ君は眩しそうに目を細めて唸りました。


「いや、あれじゃ投手は別物なんだからチームの練習としてはあんまり意味ないし、本当は彼らが自ら本能を抑制できるよう支援していくのが調停師としてはゴールとすべき目標っていうか……」

「私なんていつもただそこにいるだけのアンテナみたいなことしかできなくて! あんなにたくさんの人を一度にお手伝いできるなんて羨ましいです、私もそうありたい! オーラって訓練すれば強化できるんでしたっけ、私、もっと範囲を広げられるようにがんばりたいです!」


 わーと興奮に任せて捲し立てていると、ロキ君は呆れたように苦笑して、「張り合う気も死ぬな……」とよく分からないことを言っていました。


「ま、がんばれば……。俺もいつまでもこのままでいるつもりはないし。いつか神獣を調停できるぐらい強化できるようにもう一回頑張ってみるかな」

「はい、一緒に頑張りましょう! ロキ君!」


 わーいとハイタッチを求めると華麗に無視されましたが、それも気にならないぐらいに私は上機嫌なのでした。



 * * *



「ああそうだ……参考になるか分からないけど、俺が入ったばかりの頃はとりあえず獣人の知識だけでもつけとこうと思って文献は読み込んでたな。事務所の本棚にそのまま入れてあるから、見たければ勝手に」


 と、ありがたいロキ大先輩のご助言をいただきまして、私はさっそく数冊の獣人さん関連本を拝借すると、自宅のベッドに寝転んで自主勉強なるものをしてみんと意気込んでおりました。


 そのうちの一冊を開いてみると、目次には色々な獣人さんのお名前が並んでいます。

 ふむふむ……つい、特に深い意味もなく、『神獣種』の項目を目で追い、『神山羊ゴート』のページを索引してしまうのは、なんでしょう、別にこれといった理由はないのですが……いえ、職務上必要でしょう、今のところ唯一の依頼主さんなんですし……。


 などと釈明しつつ開いた神山羊さんのページは、「神たる神獣種について我々が知り得る情報は極端に少ない」との前置きのとおり、実に簡潔にまとめられたものでした。



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 神山羊は霊峰の奥地に住むことが知られている神獣種である。

 美しい毛並みは白と黒の二種が確認されているが、両者の生態的な違いは不明。非常に知能が高く、記憶力は人間のそれとは比べものにならない。

 野山と自然を司る神と崇められており、実際にそれらを意のままに操作する力を有するとされている。

 種に特有の抗えない本能として、手にした紙を食べずにはいられない根源的な欲求を持つ。


 頭上の黄金の角は攻撃に用いられることが主だが、稀に同種間で角をすり寄せるようなしぐさを見せることがある。これは親子間や番同士の間で見られることがほとんどであり、人間における抱擁とほぼ同義の意味を持つコミュニケーションと言える。

 また特に若い男性から女性に対して行われる場合は、意識的・無意識的に関わらず、しばしば特別な好意や求愛の意に基づくものである。


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「………………」


 パタン、とそこで本を閉じて、私は枕に顔を沈めました。


 ………………いや、しばしばですもんね、しばしば……??


 何てこったと思いつつ、全く勉強どころではなくなり、枕元に置いていた赤い革の手帳を手に取ります。


 そこに書き込まれた、『トールさんと打ち合わせ』の整った筆跡を意味も無く見つめると、私はその日が待ち遠しいのか永遠に来て欲しくないのかなんだかよく分からなくなり、ひとり真っ赤な顔で枕の中で唸る、謎の生き物と化すのでした。

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