第20話 お見送り

「ではなトール、今日は世話になった。偏屈所長によろしく。白き霊峰の神よ、ちゃんと正門まで責任を持って送り届けるのじゃぞ」

「はい。それはもちろんです」


「うんうん、進展があったらちゃんと次の会議で報告するんだよ~」

「しませんよ!」


「トール、その気になったらいつでもオレのハーレムに加わっていいからなー」

「加わりませんよ!!!」

「なんでお前が答えるの?」


「またね~しーちゃん、トールちゃん~……」

「あーうん、またねミニョル……ていうか別にここまでお見送りしなくていいので! 行ってきます!」


 議事堂を出て、再び遙か高みの崖の上に立ち。

 整列して手を振ってくれる神獣会議のみなさんに恥ずかしそうに頭を下げて、シオンさんは飛び降りました。横抱きにした私という荷物を持って。


「トールさんトールさん、大丈夫ですか? 顔色が最悪ですけど」

「舌噛むのでノーコメントでおねがいします……」

「あ、はい……」


 行きの反省があるのでしがみつくわけにはいかず、私は目を閉じ歯を食いしばり、手を組んでひたすら地上に降りる時を待つのでした。

 何しろ落ちたらトマトピューレですからね!怖!


 ヒュオォォォォという耳慣れない空気抵抗の音と、シオンさんが岩肌を蹴る軽快な足音を遠のく意識で聞き取りながら、私は神に祈ります。

 ああいえ、いま私を抱いて急速崖下りしてる人が神様なんでしたっけ? もう何が何やら……。


 そうしてどうにか崖の下、広場の石畳の上にそっと降ろされると、私はようやく息を吐き目を開きました。


「はー、上りもドキドキしましたが下りもなかなか……はは、ありがとうございましたシオンさん。重たかったでしょうに」

「いえ、それは全然……というか……」


 胸を撫で下ろす私の前で、シオンさんはなんだか難しそうな表情をして眉根を寄せていました。

 んー、そういえば今日はずっと、ちょっとピリピリしてると言いますか、いつもの笑顔はあんまり見られないですね。苛々してるというか?

 大事な会議があるからかなと思いましたが、無事に終わったというのにまだ何か気がかりなことでもあるのでしょうか。


 促すように首を傾げてみると、シオンさんは小さくため息を吐いて、ちらりと議事堂の方を見上げます。

 そしてそこに誰もいないらしいことを確認すると、真剣な表情で口を開きました。

 な、なんでしょう、そんな意を決して言うような超重大なことって一体……!?


「…………トールさん、どうして今日はいつもと髪型と服が違うんですか!? すっっっごく似合ってます!!」


 シン、と広場に静寂だけが残り。

 ぱちくりと目を瞬く私の前で、シオンさんは大きく息を吐くと悩ましげに目を伏せていました。


「本当は正門前で会った時にすぐに言いたかったのに、区長に聞かれたら一週間ぐらい延々からかわれるから出来なくて……。会議中も気になって気になって、もう全然議題どころじゃなかったです、顔に出さないように人生で一番がんばりました。今日はそれを言いたくてずーっと我慢してたんです。やっと言えた」


 すっきりしたような晴れやかな笑顔でそう言うと、シオンさんは上機嫌で私を見下ろしていました。

 当の私はと言うと、鏡がないから分かりませんが、まあ人生で一番まぬけな顔をしているでしょう。


 ……か、会議中あんなにそつなく記録を取って真面目に意見を述べてたのに、頭の中でそんなことを……?

 あれ、というかピリピリしてたのってそれが理由なんですか?


 私はカーッと頬が赤くなるのを感じ、下ろした髪も風でひらひらするワンピースも急に恥ずかしくなって、つたなく質問に答えます。


「あの、今日はお休みの日なので……ちょっと気分を変えてみようかなって……その、エミリア先輩がすすめてくれたのですけど……」

「あ、そうなんですね。じゃあ先輩に今度お礼を言わなくちゃいけないな」


 なぜ??

 ますます頬が赤くなってる気がして手のひらで押さえます。熱っ。


 ……髪や服が似合ってるなんて、元婚約者にも言われたことないから受け取り方がよくわかりません……。いえいえトール、これは普通に社交辞令というやつじゃないですか?

 おかしいな、金獅子さんに初対面で求愛された時もこんなにドキドキしなかったのですが……まだ崖下りの動悸が……??


「トールさん? 顔色がトマトみたいになってますけど……そろそろ行きませんか、俺は正門までしか付き添えないので、日が落ちる前にお送りしたいです」

「え? あ、ハイそうですね、お世話になります。ここの土地勘はさすがに全くないもので……」

「いえ、区長命令ですから。はぐれないように……って、何だか面白いですね」

「はあ。何がですか?」

「いつもの逆です。今日は俺が、トールさんのお散歩係みたいだ」


 優しく微笑んでそう言われては、顔色はトマトを通り越して色彩の新境地を目指すのでした。




 もちろん腕を組みも手を繋ぎもしませんでしたが、シオンさんは長い脚をちょうどよく私の歩幅に合わせてくれて、帰り道はとても心地よく楽しいものでした。


「というか大使になんて任命されちゃって大丈夫でした? 区長はああいう人ですけど融通は利くから、もし大変だったら俺から断っておきます」

「いえいえ、これも人間と獣人の架け橋となる、広義の調停でしょうから。所長も嫌味は言うでしょうけど賛同してくれると思います」

「ああ、あの所長さん。あいかわらずなんですね」

「そう言えばシオンさん、白鯨さんにはしーちゃんて呼ばれてるんですか? 仲良しそうでいいですね」

「あー、いや、ミニョルは同い年だし会議では隣の席なので勝手に…………あの、もう一回呼んでもらっていいですか?」

「え? しーちゃん? それに何の意味が??」


 などと雑談しているうちに、あっという間に正門前に着いてしまって、私はちょっとだけ肩を落としました。

 んー、長くおそばにいた気がしますがほぼ会議だったので、ちょっと寂しい気がしますね。残念残念。


「トールさん、今日は本当にありがとうございました。会えてよかったです」

「はい……あ、そう言えば私もちょうど昨日の夜、シオンさんに会いたいなって思ってたんでした……だから嬉しい偶然でしたね」

「俺に? 何かご用でしたか」

「え? えーと、何でそう思ったんでしたっけ……」


 私はそこで、昨日の夜の地獄をひさびさに思い出し顔をしかめました。

 ああ、すっかり忘れてた……昨日は弟からの手紙でブラッドとエリーゼさんの結婚を知るわ、ロキ君と大喧嘩して職場のみなさんに迷惑かけるわ酷い一日でしたね……。


 でも今はそれよりも、この先のお祭りを成功させるために頑張らなくちゃというやる気の方が大きいようで、不思議と暗い気持ちはわき上がってこないのでした。


「……嫌なことがあったんですけど、もう忘れちゃいました」


 私がそう言って笑うと、シオンさんも「そうですか」と、穏やかに笑い返してくれました。


「ではでは今後の予定ですが、まず私は所長に報告をし委任状を上の方に託しますので、諸々の許可が下りるまでには少々時間を頂くかと思われます。その前にでも顔合わせも兼ねた打ち合わせを事務所の方で出来ればいいと思いますので、3営業日後以降に場を設けたいのですがいかがですか?」

「一気にお仕事感が増したなあ……」


 なぜだかちょっぴり寂しそうなシオンさんを横目に、私はフンと気合いを入れて、鞄から取り出した手帳でスケジュールを確認します。

 するとシオンさんは物珍しそうに私の手元を覗き込み、手帳をまじまじと見つめて目を丸くしていました。


「トールさん、それ何ですか? 白紙だから本じゃないですよね。小さめのノートですか」

「え? ああ、これは手帳と言いまして、先の予定や思いついたことなどをメモしておく物です。この日なんてどうでしょうかね、ご予定が合えばぜひ」

「はい、俺は基本的に会議がなければ暇なので。……そうか、手帳かあ。自分の気持ちや未来のことが目に見えるっていいですね。俺は手帳は絶対に持っていられないから……」


 ふ、と視線を落として自嘲するシオンさん。あ、そうですね、食べちゃいますもんね……。


 そこで私はパッと閃いて、ペンと手帳をシオンさんに手渡しました。

 オーラの範囲内ですので、今なら彼はむしゃむしゃと紙を食べるようなこともありません。


「シオンさん、はい」

「?」

「どうぞ!」

「あの……?」

「この手帳、シオンさんにもお貸しします。私が持っていれば食べなくて済むでしょう? いつでも見られるわけではないけれど……これならシオンさんの未来もちゃんと目に見えますよ。あ、でも、プライバシーが全く無いので大事なことは書けませんけど」


 ちょっとぐらいでも手帳体験ができたらいいなあと思って提案すると、シオンさんはそっと赤い革のカバーに指で触れて、少し目を細めて笑います。

 それから、打ち合わせの予定の日付、私の字で書かれた『シオンさんと打ち合わせ』の書き込みの下に、綺麗な文字で『トールさんと打ち合わせ』と綴られました。

 手渡されたそれを大事に鞄にしまうと、私はにこりと笑って正門の扉に手をかけます。


「では、お見送りありがとうございました。次に会えるのを楽しみにしてますね」

「はい……トールさん、」

「?」


 言いかけたシオンさんは、だけどすぐにふっと首を横に振って、「いえ、何でも」と微笑みました。


「それじゃあまた。お気を付けて」

「はい、また。神獣のみなさんによろしくお伝え下さい」

「それは返答しかねます……」


 また嫌そうな顔をしてるシオンさんが面白くてくすくす笑いつつ、私は扉を開けて、名残惜しくも人の世界に帰るのでした。

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