第17話 神獣会議①


 かつて最初に王都を訪れた獣人さんは、人を愛し、人の友として、何度血を流そうともその神にも等しい力を惜しみなく注ぎ街を守った、まさに女神のような素晴らしいお人だったそうです。

 彼女への深い親愛と敬意が、王都の人々の今日の獣人に向ける好意にも息づいている。それほどに強く、気高く、思慮深く慈愛に満ちた偉大なる神獣……


 と、聞いていたのですがたしか。


「しっかし今回は惜しいとこまでいったんじゃがのぉー。電話口の声もいかにも純朴で騙されやすそうじゃったし、事情に疎い新入りならイケると思うたんじゃが……ま、世の中そうそう上手くはいかぬものよのう」


 炎の翼をゆらめかせながら、実に残念そうにその人──不死鳥さんは、私の頭上で頷きました。空を飛ばれてしまっては、私の短距離なオーラなど届くはずもありません。


 不死鳥。火の鳥。居住区に住む5人の『神獣』の中でも最も強い権力を持つ、最古の住民。


 それがこのような可愛らしい女の子の姿をしていて、まさかまさか私にお仕事を依頼されるとは……あ、というか、そういえばそもそもどうして調停が必要だったのでしょう? 彼女が抑制したい本能とは何だったのでしょうか。

 首を捻っていると、隣で厳しい表情をしたまま不死鳥さんを睨むシオンさんが、静かに解説してくれました。


「……不死鳥の獣人の本能は、『蘇生』……死を引き金として強制的に発動する、蘇りの異能です。致命傷を受けると不死鳥の体は燃え上がり、灰の中からまた命を紡ぐ。つまり死ねません。でも、調停師のオーラを受けてその本能を無効化すれば──」

「蘇生は封じられ、死はあるがまま我が身を飲み込む……調停師の助力を仰ぐ外に妾たち不死鳥に死を得ることは許されぬ。が、歴代の王の輩、妾が死んだら生きてゆけぬー等とぬかして、妾に対する調停禁止勅令なぞ出しよっての。妾からの調停依頼の電話は、あの小憎たらしい所長とかいう若造に門前払いされてしまうのじゃ。じゃがもしやと思うて定休日を狙ってみればこの通りの大当たりよ。詰めの甘い男よの、まーた始末書地獄に泣く羽目になるじゃろうな、いい気味よ」


 クック、と笑う赤い不死鳥さんに、私は一気に青ざめます。

 や、やってしまいました、私のせいで所長に無駄なお仕事を増やしてしまったようです……! 絶対どやされる、一週間ぐらい毎日ぐちぐち文句言われる──!


「みんな何千年も長生きしたことないから分からんのかのう、ちょーっと人がすなる永眠というものを妾もしてみんと好奇心を燃やすのも詮方なしとは思わんのかのう? これは本能的な衝動ゆえ妾には抗えぬ。定期的な挑戦は大目に見て欲しいとこなんじゃけど。なあトール?」


 な、何千年……!? 途方もない長生きさんでした、私(20)とシオンさん(18)なんて彼女にしてみればまだ生まれてもないようなものでは……?

 拗ねたように口を尖らせて突然話を振ってきた不死鳥さんに、「え? えっと」と戸惑っていると、押し黙っていたシオンさんが痺れを切らしたように口を開きました。


「いい加減にしてくださいよ……あんたの気まぐれに付き合わせるためにお休み中のトールさんを引っ張り出して、あげく間接的に死ぬ手助けまでさせようとするなんて! 俺すごく怒ってますからね! 次こんなことしたら相手があなたでも容赦しませんから!」


 いつも穏やかで優しいシオンさんの、聞き慣れない低く張り詰めた声音に、びくりと肩を震わせて私は息を飲みました。


 し、シオンさんが怒ってる……!

 でも笑顔じゃない険しい表情もまた新鮮で素敵だなぁ、と、本人の真剣さには悪いですが不謹慎にドキドキしてしまいました。いけません、目が輝いてる気がします……淀ませないと……


「おー怖い怖い……本気を出した霊峰の神山羊が相手では、妾など小鳥も同然よ。角で八つ裂きにされては敵わんのう」


 大げさに怯えるようなフリをしてから、不死鳥さんはちらり、と細めた青い瞳で私を見下ろし艶っぽく笑いました。


「ま、かように心根の清らかな娘を、罪の意識で悩ませたいとはさすがに思えんな。向こう100年は諦めることにしよう。だからどうか妾を怖がらないでおくれ」


 そう言って困ったように首をすくめられて、私はぶんぶんと手を振って否定しました。やらされようとしていたことは確かに物騒で勘弁して欲しいものでしたけど、死ねない人の悩みなんて私には分かってあげられません。

 それに不死鳥さんは変わった人だけど、言葉の端々にはシオンさんと同じ優しさが感じられます。畏怖すべき存在なのでしょうけど、怖いとは少しも思いませんでした。


「ええと……では、私はこれで。死んでみるお手伝いは嫌ですけど、普通のお散歩を楽しみたければぜひまた事務所にご連絡くださいね」


 …………なんて、物分かりの良い調停師を気取ってみましたが、心は大いに落ち込んでいました。


 せっかくシオンさんに会えたのに、全然お話できなかったなぁ……。

 調停以外で会える機会なんてないので、大分うれしかったのですけど。この後大事な会議があるようですし、長居しては迷惑です。残念ですが、大人しく次の依頼を心待ちにしていましょう。


 だけどシオンさんはそんな私に手を振ってはくれず、じっと目を見て何か言いたげにしていました。

 シオンさん、宝石みたいに目が綺麗だなあ。そんな風に見つめられては不必要にドキドキしてしまって、私は少しくすぐったく思いながら小さく首を傾げます。


「トールさん、あの……」

「はい?」

「……いえ、何でも……」


 シオンさんは口にしかけた言葉をぐっと飲み込み、だけどまだ名残惜しそうに眉を下げて私を見ていました。何でしょう、もしかして次の依頼を口頭で取り付けたいとか!? だったら嬉しいです、先の楽しみが大いに増えます。


 なかなか次の言葉が聞こえず、でもわくわくしながらいつまでも待っていたら、あっという間に数分経過しました。


 すると空の上から私たちを見下ろしていた不死鳥さんが、待ちくたびれたようにハァーーーと長い息を落としました。

 それから、やれやれと首を振りながらこんなことを述べたのです。


「トール、そなた、今日の神獣会議に参加してくれぬか?」

「え」

「なっ……!?」


 不死鳥さんからの思いもよらぬ一言に、私は絶句し、シオンさんは目を見開いて大声を上げました。


「何考えてるんですか区長! トールさんをあんな変た……じゃない、変人の魔窟に!?」

「言い直してもなお失礼ゆえ、結局二重に失礼じゃぞ白き霊峰の神よ?」

「え、ええと、私なんかがお邪魔してもお役に立てないと思いますが……?」


 神獣会議……というと、前にシオンさんがちょろっとお話してくれた、居住区の大事なことを決めたりする神獣さんたちの話し合いの場でしょうか?

 私は調停師とは言ってもしがない元村娘。知識も発想も凡の凡たるそれです。とても神獣さん達の中に入って、有益な発言ができる自信なんかあるはずがありません!


「うん、まあ我々の為というよりは、そこな使えぬをどうにか使い物にするためよ」


 そこな、と指差されて、シオンさんはうっと目を細めて口を引き結びました。あら。


「そやつ記録紙という記録紙をむしゃむしゃ食べよるものでの、さっぱり役目を果たさぬのじゃ。まあ記録できぬなら記憶するまでのことではあるが、今回の議題に関しては場合によっては人間たちへの回・覧・の必要も想定されるからのう……神子が横に座ってその面倒な本能を抑制しておいてくれれば、記録も滞りなく務められよう? なあ、白き霊峰の神よ」


 ああなるほど、紙を食べちゃう書記さんでも私のオーラを使えば、いつも図書館で本を読む時のように、問題なく筆記も可能になる……と。

 ていうか本能分かってるのになんでわざわざ神山羊さんを書記に置いてしまったのでしょう、かわいそうに。パワーのハラスメントというやつでは??


「う……で、でも、俺のせいでトールさんの貴重なお休みを潰してしまうわけには……」

「それに此度の議題は、丁度人間側の意見も聞きたいと思うておったところじゃ。オブザーバーというやつよ。力を貸してくれぬかトール? 何、悪いようにはせんよ。望むなら妾の羽根を一枚抜いても構わぬ。永遠に消えることのない火種ゆえそこそこ役に立つとは思うが、どうかのう。足りぬかのう」


 な、なんでしょうそのレアアイテム……! 光熱費がとっても抑えられそうなのですが! そしてその浮いた分をアルフレッドの学費に……って、いやいや、いけません欲に溺れては。


「いいえ、そんな凄いものを頂くわけには! ……私でいいのか分かりませんけど、お役に立てるのであればうれしいことです。喜んでご協力いたします」

「トールさん!?」

「うむうむ、良い返事よ。さすがは白き霊峰の神の眼鏡に適った娘よの。歓迎するぞ、ささ、いざゆかん我らが議事堂へ! 着いて参れ~」


 るんるん、と空中をスキップするようにしてバサバサと炎の翼を上下させる不死鳥さんに、私も遅れまいと歩き出します。


 くるりと振り返り、立ち尽くすようにしている彼に笑って見せると、シオンさんはようやく情け無さそうに苦笑して、ぎこちなく後に続きました。


「……すみません、妙なことに巻き込んでしまって……」

「いえ、なんだか面白そうなので大丈夫ですよ。居住区に入れるなんて思ってもみなかったですし。中の作りはあんまり王都の街並みと変わらないんですね?」

「ええ、もともと人間の暮らしに興味がある獣人の集まる場所ですから。ただ、所々に各獣人の生息域に近しい自然を配してくれてたりはしますね」


 居住区の道や建物は、東区のそれとほぼ同じにできているのですが、色味だけは青白いどこか幻想的な、無色の街並みでした。これは色を識別できない獣人さんや、特定の色に興奮しやすい獣人さんに配慮した設計なのかもしれません。


 また普通の街並みに見えて、時折止まり木のようなものが植えられていたり、水生の獣人さん用なのか、小さな池や噴水などが等間隔で配置されているのでした。


 ああ、ここがシオンさんの住んでいる、獣人さんの街なんだな。

 そう思うとこうして歩いて見て回れることがうれしくて、私は自然に笑みを浮かべながらきょろきょろと街の景色を眺めていました。

 すると、隣のシオンさんもふっと笑ったのが見えて、私は首を傾げます。


「どうしました?」

「いえ。……俺の住んでる街にトールさんがいるのって、なんかいいなあと思って」

「……ソウデスカ……」


 ……そんな風にうれしそうに言われては、さすがに気恥ずかしくて黙り込んでいると、空からは不死鳥さんの「不死でもないくせに悠長よのう……」という、呆れたような声だけが響くのでした。

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